身じろぎした頬に、何か冷たいものが触れた。  
―――いや、違う。  
オレは、床にうつぶせに這いつくばっていた。  
何が何だか思い出せない。  
趣味の悪い緑色のリノリウムから顔を引き剥がして、オレはまわりを確かめようとした。  
「・・・ッ・・・てェ」  
体を支えようとした右腕に激痛が走る。見ると肘の下辺りが熱を持ち、腫れ上がっていた。  
左手で押さえて痛みをやり過ごすが、少なくとも骨にヒビくらいは入っていそうだ。  
「・・・んだ・・・ここ・・・・・・!?」  
目を疑った。  
明かり取りの小さな窓しかない狭い部屋は、壁際に並ぶ書棚やホコリの積もった  
スチール机からしてどう見ても学校内の資料室かどこかで、何故そこにオレと  
この女が転がっているのかが―――まったくもって謎だ。  
 
 
『・・・ああ、起きた?お早う、獄寺隼人。さすがに待ちくたびれたな』  
驚いて声を上げそうになって、なんとかそれを飲み込む。  
タルそうな声。  
生ではない、機械を通した音声が、いきなり近くで聞こえた。  
窓からの光を見るとまだ陽が出ている時間のようだが、それでも普通の教室に  
比べたら薄暗くて気付かなかった。  
オレが転がされていたすぐ近くに、小型のスピーカーが置いてある。  
声はそこから出ていた。  
「テメー・・・ヒバリ、か?」  
『そう。まさかとは思うけど、さっきのを覚えてない?』  
―――あー、思い出した。  
あの応接室で・・・またカチ合っちまって、オレは、こいつに。  
『相変わらず弱いね、君』  
殺ス!と叫んで食ってかかりたくても、目の前に実体が無い相手にはなすすべもない。  
悔しさで震えるオレの姿が見えているかのように、ヒバリは『無駄だよ』と  
気に障る笑い声を立てた。  
 
「クソ・・・」  
立ち上がろうとしたら右腕だけでなく全身が痛む。  
だが徹底的にはやられていない、それが逆にオレのプライドを傷付けている  
事もヒバリにはお見通しなんだろうが。  
 
『痛い目をみたご褒美をあげよう。あ、そこ、外からカギをかけてあるからね、出られないよ』  
もう確実だ、ヒバリの野郎には見えている。  
スピーカーの他にもこの雑然とした部屋のどこかに小型カメラでも仕込んで  
あるんだろう、オレの行動を先回りして制しやがった。  
それでもたった一つの出口に近寄って確認すると、そのドアは特別教室に  
付属してる準備室なんかに普通にあるような、木製のもんじゃなかった。  
「な・・・んで!!」  
愕然とした。牢屋かよ。  
左手で思い切り殴りつけるが、びくともしない。  
その扉は部屋の様子から明らかに浮いていた。あまりにも不自然だった。  
後から取り付けられたのが一目瞭然な鉄製の扉。カギ付き。  
「こりゃーなんのおふざけだよ、あァ!?」  
ヒバリの言葉通り、押しても引いても開かない。  
蹴飛ばしてもガンッという重い音と、右腕に走る痛みだけが残された。  
『出たい?』  
「・・・」  
なぶるような口調に、返事なんて出来るはずもない。  
普段から服の中に隠し持っているダイナマイトを探るが、当然というべきか、取り上げられていた。  
目を走らせた小窓は、ブチ破っても人が出入り出来る大きは無い。  
噛み締めた奥歯がギリギリと鳴った。  
『まあ、出たくない筈ないだろうから・・・もっといじめてあげたいのは山々だけど、  
暗くなるまでそんなに時間も無いしね、今回ははしょるよ。  
というわけで・・・今から僕の言う事を実行出来たら、そこから出してあげてもいい』  
要求はロクなもんじゃないだろう。知っていた・・・けど。  
こいつの持ち出した条件は、オレの予想をはるかに超えるえげつなさだった。  
 
『その子、僕の見てる前でやってみてよ。そしたら無事に出してあげる』  
内容を理解するのには、それなりの時間を要した。  
―――やる?  
やるって、何を?  
『あまり直截的な事は口にしたくないな・・・つまり、抱けって事』  
「・・・はぁぁ!?な、なに・・・言ってやがんだ貴様・・・!!!」  
『君がやらないんなら僕が直々に手を下してもいいよ。結構かわいい子だしね』  
「・・・!」  
『どうする?君が嫌なら断ってもいい。その場合、君はそこから出してあげるけど、  
その子は君でなく僕の手にかかる。それだけの話だ』  
「何がそれだけだ!ドタマのイカレたヤローだっつーのは知ってたが・・・  
悪ふざけもたいがいにしやがれ!!何が目的なんだよ!」  
『目的は・・・力も無いくせに突っかかってくる目障りな君を苦しめるのが、  
それなりに面白そうだから、かな。ああ、断っておくけど脅しは本気だよ。  
早く結論を出してくれないと、さっきも言ったように時間が無いから、君に  
選ばせるまでもなく僕がいただく』  
 
10代目の、嫌悪に歪む顔が浮かんだ。  
10代目には好きな女がいて、それは―――それは、こいつじゃ、ない。  
―――だけど・・・。  
 
オレがやっても、オレだけが逃げてヒバリにやらせても、どちらも地獄だ。  
 
 
「う・・・ん・・・。あれ・・・どこでしたっけ、ここ?」  
呻きながら目を開けたハルを、オレはきっと血の気の引いた真白な顔で見ていた。  
 

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