「沢田ー!アンタどこいってたのよ!京子が探してたのに!」
背後から怒鳴られてツナが恐々振り返ると、腰に手を当ててご立腹の黒川花。
「えぇ!?山本の野球の応援に行ってて…って、き、京子ちゃんは?」
「用事があるからって先に帰ったわよ!肝心なときにいないんだから!
はいコレ、京子からあんたたちに」
花は下げていた紙袋をずいっとツナの前に突き出した。
ほのかにバターのいい匂いがする。
「調理実習で作ったクッキーよ。あんたたち用にわざわざラッピングまでしたんだから、
ありがたーく食べなさい!」
ツナたち男性陣がおぉ〜っ!と歓声をあげる中、花はため息をついた。
「肝心の京子は別の誰かさんに…って飛び出してったのに…あんたたちってば可哀想」
まぁ、アレ渡される相手よりはマシなのかもね…呟きは争うようにクッキーを
頬張るツナたちの耳には届かなかった。
「………おい、コレはなんだ?」
「え…?調理実習で作ったクッキーですけど」
大通りを外れた公園は人の姿もまばらだったが、花壇のまわりに設置されたベンチに腰かけた
ザンザスと京子はとくに異彩を放っていた。
片や仏頂面な黒づくめの男とニコニコと無邪気にはしゃぐ女子中学生。
通行人が遠巻きに見ているのにも構わず、隣あった二人はなにやら噛み合わない会話を繰り広げていた。
「なにをどう使ったらこんな味になるんだカス!正直に何を入れたか吐きやがれ」
「うーん、バターでしょ?卵と小麦粉…あと砂糖、をテキストの分量の4倍」
二人の手には素朴な形のクッキー。
4倍…ぼそりと呟いたザンザスとは真逆に京子はご機嫌だった。
「ランボくんから聞いたんです!イタリアのお菓子ってすっっっごく甘いって。
だからザンザスさんに渡す分には砂糖をたくさん入れて作ったんです」
クッキーというより砂糖の塊といいきられたほうがいっそ潔い。
甘いものが得意ではないザンザスは一口で手が止まったが、何故か吐き出すことが出来なかった。
両手でクッキーを持った京子が、期待に満ちた目でこちらを見つめていたからだ。
奥歯で噛んだクッキーもどきを無理やり飲み下すと、京子はやっと安心したのか自分のクッキーに齧りつく。
「…………ちょっと甘かったですか?」
「ちょっとじゃねぇだろ、ちょっとじゃ!どういう味覚してやがんだ…」
脱力した様子のザンザスに京子はしょんぼりと叱られた子犬のように目を伏せる。
「イタリアの楽しいお話たくさんしてもらったからそのお礼に、って思ったんですけど…
じゃ、じゃぁ今度は普通の分量で作り直してきますね!」
膝の上に広げていたクッキーの包装紙をくるみ直し、鞄にしまおうとするのをザンザスの手が止めた。
そのまま包みを奪い取られた京子がぽかんとする中、ザンザスはクッキーをひとつつまんで口に放り込んだ。
「別に喰わないとは言ってねぇ」
そっぽを向き、もごもごと咀嚼しているのを頭一つと半分低い位置から見上げながら、不器用な気遣いに京子は微笑む。
出会った当初はその不遜な態度に驚かされたりもしたが、ザンザスが京子に合わせてくれていることに
気付いてからはザンザスの一挙一動がくすぐったく感じられるようになった。
お互い無言のまま、クッキーを口に運ぶ。
ぎこちない雰囲気に慣れずザンザスが言葉を発しかけた時、突然懐の携帯電話が着信を告げた。
咄嗟に京子の顔を窺うと「私、飲み物買ってきますね」と立ち上がり、ザンザスの返事も聞かずに走り去っていく。
時折垣間見える、京子の勘の鋭さ。
見送ったザンザスの顔には、京子の知らないヴァリアーボスの冷酷さが浮かび上がっていた。
京子が二人分のコーヒーを買って戻ってくると、ザンザスは元いたベンチに腰掛けていた。
ほっと胸をなでおろし小走りに駆け寄ると、気付いたザンザスが顔を上げたが、おせぇ、とこぼす顔が
どこか上の空に見えて、京子は思わず足を止めて相手の顔を覗き込む。
「…どうかしたんですか?」
「なんでもねぇ…なんだ、同じもん買ってきたのか?砂糖入ってねぇぞ?」
京子の手には黒いラベルの貼られたボトル入りの無糖コーヒー。
砂糖を使わないザンザスと違い、京子は紅茶にもコーヒーにも砂糖を入れていた筈だった。
「うん、クッキーが甘すぎるから飲み物はこっちのほうがいいかなって。それにザンザスさんが
砂糖入れないでコーヒー飲んでたから私もやってみたくて…!」
一方をザンザスに渡し、隣に座った京子がキャップを開けて中身を煽る。
が、一口飲んだ瞬間に背中を丸めてむせ返り、小動物のように唸る京子の姿にザンザスは思わず噴き出した。
「ザンザスさん、笑いました?」
ほんの短い呼吸に似たそれを聞きつけた京子が顔を上げる。
「笑ってねぇ、舌だけじゃなく耳までおかしいのかよ」
涙の浮かんだ目元はほんのりと朱に染まっていて、拗ねたような唇も艶っぽい。
息を呑んだのを誤魔化すように目を背けると、傍らの京子が追うように身を乗り出してきた。
「嘘、笑ってましたよ!はじめて聞きました、ザンザスさんの笑った声」
見つめる顔は見慣れた無邪気なもので、気恥ずかしさを紛らわすようザンザスは舌打ちした。
横目でそれを確認した京子は満足したようにコーヒーの飲み口を舐め、束の間穏やかな時間が流れる。
「明日、」
「え?」
「明日、日本を発つ」
ザンザス自身も驚くほどの、静かで落ち着いた声音だった。
目を見開く京子から視線を外し、訥々と呟く。
「今夜、すべてのケリがつく。そうなれば日本にいる理由もない。明日のうちに帰国することになるだろうな」
大空のリングを巡って、沢田綱吉と対決する。
イタリアに戻り、10代目を襲名する。
結末は目に見えているというのに、ザンザスの中で鬱屈したなにかが去来していた。
そしてそれが目の前の、笹川京子がもたらすものだと薄々感づいてもいたのだ。
「帰っちゃう…んですか?せっかく仲良くなれたのに…」
傍目にもわかるほど、京子は肩を落としていた。
言いようのない無力感で頭がいっぱいになり、ザンザスの言葉も耳を素通りしていく。
「私、イタリアってピザとパスタとサッカーくらいしか知らなくて…だからザンザスさんの話してくれた
映画の話とか世界遺産の話とかすごく楽しかったんです。ザンザスさんがいてくれたから私、イタリアがすごく
好きになったんです。だから…」
「一緒に来るか?」
ぽつりと投げられた声に息が止まる。
わずかな沈黙の後、ザンザスが京子の前に立った。
肩で鳥の羽根がふわりと揺れる。
つられて立ち上がった京子は真正面からザンザスの言葉を受け止め、困惑した
表情を見せた。
まばたきを幾度も繰り返し、ゆるく組まれた指は落ち着きなく動く。
ザンザスはただ黙って京子の動向を見守っている。
胸に仕舞っていた想いをここで打ち明けるべきなのか、京子は鈍りがちな頭で必死に考えた。
伝えるべき言葉の難しさを、突き崩せない壁を歯痒く思う。
そのときスカートのポケットから携帯電話の着信音が鳴り、
反射的に通話ボタンを押した京子はザンザスに背を向けた。
通話口からは聞き慣れたクラスメートの声。
「あ、京子ちゃん?あ、あの、沢田だけど…クッキーありがとう!すごく美味しかったよ!
獄寺君や山本も美味しいって言ってたしリボーンも…」
電話の向こうから少し噛んだような早口が聞こえる。
昼間会っている筈なのに、ひどく懐かしい。
「つ、ツナ君?あのね、今ね、ツナ君の友達の…」
振り返ったそこには…誰もいなかった。
つい一瞬前まで京子の目の前にいたはずの、黒いコートを着た、クッキーを食べコーヒーを飲んでいた、
京子の失態に声を上げて笑った、真剣な目で向かい合ったザンザスはどこにもいなかった。
「……ちゃん?どうかしたの!?京子ちゃん…!!」
呆然と立ちすくむ京子の耳に、悲痛ともいえるツナの叫び声が響く。
だらりと下げた携帯電話が、スピーカーの限界を訴えてかすかに震えている。
「ぁ、あぁ、ごめんねツナ君。ぼーっとしちゃって…!本当にごめん、何でもないの!!」
慌てて取り繕う京子の声に安堵したのか、ほっと息を吐いたような気配が伝わってきた。
「そっかー…良かった。オレ、京子ちゃんに何かあったらどうしようかって……あの、京子ちゃん、
違ったらゴメン。もしかして、」
泣いてる?
そうツナは言った。
首をかしげて頬に触れる。何もついていない。
「泣いてなんかないよー。変なツナ君!あ、クッキー喜んでもらえて良かった!今度はランボくんや
イーピンちゃんにも作ってくるね!」
明るい口調でツナとの通話を終えると、京子はもう一度ベンチに向き直った。
無人のベンチには中身の残っていない紙袋と飲みかけのボトルが一本、置き去りになっていた。
京子は一人でベンチに座り、コーヒーを一口飲む。苦かった。
「泣いてないよ…」
言い聞かせるように呟く。
明日はクッキーを焼こう。そしてツナ君やリボーン君や獄寺君や山本君に食べてもらおう。
ハルちゃんや子供たちもきっと喜んでくれる。
(そしてまた、ここに来よう)
京子は、告げられた言葉を心に留め置こうと、そっと瞳を閉じた。