背中、痛い。
トイレの汚いタイル張りの壁に押しつけられた背中が、痛い。
ハルはその事を伝えようとして目を見開き、前にいるその人を睨み付けるけれど、
目の前の男はそんな視線にも笑顔を見せる。
「お前、痛いの?背中、」
分かっているんだったら、そこをどいてください、とハルは口を開きかけたけど、
その口はすぐに獄寺の唇の塞がれた。
(はひ〜〜、もう、何やってんの、ハル)
心の中で呟いたけど、これ以上この男を調子に乗らせるわけにいかなくて、
ハルは黙って目を閉じた。
抵抗すれば、するだけ、この人は喜ぶんですから。本当、獄寺さんって変わってる。
ハルはそう思いながら、だらんと下がったままだった腕を獄寺の背中に回した。
体育館横の校舎のトイレは、日中は誰もこない。
部活の時間になるとバスケ部だとかバレー部だとかが使うだけの、
あんまり掃除もしてない汚いトイレだ。
(こんなところで、何やってるんでしょう)
さっきから繰り返している文句を、もう一度繰り返した。
他校と合同で行う部活の帰りにちょっと顔を合わせて、
ちょっと手を引かれて、こんなところまでついてきて。
口の中を犯し続ける生ぬるい、柔らかい、獄寺の舌が、ハルを後悔の淵に追いつめる。
いつもいつも、文句ばっかり言っている唇がこんなに温かいなんて反則だ。
元から、自制心が強い方じゃない。
人に強く言われれば、ついついそっちに流されちゃう。
そんな性格をしているんだから、仕方がない。
こんな状況に、そう言い訳をつけてハルは少し顔の角度を変えて、
獄寺の唇を噛むようにしてくちづけを深くした。
肩のあたりを掴んでいた手が、獄寺のみみたぶを掠める。
一瞬だけ触れた、そこの冷たさに一瞬ぞくりとした。
その一瞬に、頭のてっぺんから足の爪先まで、血液がざーっと流れていく。
この人はきっと、どこもかしこも、こんなように冷たいんだ。
今触れている、唇だってきっと。
温かいのは、ハル自身の体温を奪っているからだ。
ハルの両手が、獄寺の胸のあたりをどん、と押した。
「……ハル、」
「…もう、やめてください。」
俯いたハルが、唸るように低い声を出した。
「やめて、ください」
もう一度言ったのは、自分に対して、だ。
気持ちよいけど、温かいんだけど、これは違う。
何か違う。
自分を拒絶したその方法が気にくわなかったのか、
獄寺はそんなハルに興味が無くなってしまったように、背中を向けてトイレを出ていってしまった。
ハルは、まだ唾液でべたべたする唇を手の甲で拭うと、小さな溜息を吐く。
(ハルは……獄寺さんが嫌いです…)
心の奥から浮かんできた言葉に、自分でも少し驚きながら、
壁にかけられた、端の欠けた鏡を覗き込んだ。
冷たい硝子に映った自分。
(ハルの、バカ)
鏡から視線を逸らせて、もう一度溜息を吐いた。