口の中がどろどろだ。  
鼻腔を突く臭いがひどい。  
あちこちの擦り傷が痛む。  
何より、冬の冷たいレンガの上で犯されるのは心地良いものじゃない。  
 
それでも私は、それこそ本当に感じ入っているように、声を出して歓んでいるふりをした。  
頻繁にあんあん喘いだりはしない。  
溜めに溜めて、いざという時に吐くように声を上げる。  
そうすると男はたまらなくなるのだと、いつのころだか知った。  
 
「かわいいね、かわいい、たまらないよ」  
「本当に、どこの娼婦よりも締りがいい」  
「何より小さい身体がたまらねえ」  
「なんせ、こんないい気分になれてパン一つご馳走するだけでいいんだもんなあ」  
 
キャバレーやらバーやらのチラシがあちこちに張られた裏路地で、私は今夜も見知らぬ男に犯されていた。  
食いつなぐために。  
生きるために。  
 
「ねえ、ブルーベルちゃん、もっと脚開いてさあ、誘うみたいニ゛ッ「…はっ?」  
 
うっとうしい注文に応えるべく脚を上げようとした瞬間、男の油っぽい声が途絶えた。  
と同時に、頬に何か生暖かいものがかかった。  
精液ではない。本能的に分かった。  
なぜなら、目の前に立っている男が、白ずくめのスーツを真っ赤な血で染め上げていたからだ。  
 
「あ、あ、あんただれよっ!?」  
「やだなあ、そんなに怯えないでよ」  
 
声が震える。  
このへんは治安がすこぶる悪いし、昨日まで見知った顔がダブロイド誌の死亡欄に載っていることもめずらしくない。  
でも、でも、目の前で殺人が起こるなんてことは生まれて初めてのことだった。  
あちこち傷まみれの裸のままで後ろでに這いずる私に向かって、その男は笑顔すら浮かべている。  
こいつ…頭が、イカレちゃってんのかしら?そう思った。  
きち□いは会話ができないから変質者よりも厄介だ。  
早々に逃げたい、そう決し、言うことを聞いてくれない膝に力を込める。  
 
「どうしてそんなに怯えるの?助けてあげたんじゃないか。こんな路上で犯されている君を」  
「た…助ける…?」  
「そう。君、どうみても子供だろ?どういう理由であれ、こんな□□□が許されることじゃない。これは天罰だよ」  
「な、なに言ってるのよ…っ」  
「え?」  
「私、助けて欲しいなんて頼んでないわっ!明日からどうやってごはん食べてくのよっ、勝手なことしないでよっ、もうこれ以上どうしたらいいのか分かんな…ぅっ、」  
 
今まで「助けになるよ」と言う男は何人もいた。  
でも、その内容はあまりに過激な内容のビデオ撮影の出演依頼だったり、とにかくお断りしたいような内容ばかりだった。  
だからその経験からして、この男もきっとその類なのだろうと思うと、明日からの食いぶちに対しての不安が湧き出し、それは涙に変わった。  
ここらで殺人が起こったことはすぐに知れ渡るだろう。  
そうすると誰も寄り付かなくなる_私には自分でパン一かけら買うお金すらないから、どこかに移動するわけにもいかない。  
 
見ず知らずの人殺しの真っ白い(半分赤い)男の前で、わんわんと泣きじゃくった。  
こんなに泣いたのはいつぶりだったかしら、お母さんが私の弟を踏んづけて殺した時かしら、それともそれを止めようとして私がお母さんに首を絞められたときかしら、それでついうっかりお母さんの  
 
心臓にナイフを突き付けちゃったときの夜のことだったかしら?  
 
ああ。  
私も人殺しなんだったわ。  
こいつと一緒だ。  
 
「君、行くとこないんでしょ?おいでよ、そこ、うちの経営してるマンションだから」  
「…ニュ…」  
 
もうどうでもいいか。  
そう思って、男が被せてきた返り血の分からない黒いベストを黙って借り、後を着いてマンションに向かった。  
マンションは男と同じ、真っ白な色をしていた。  
 
こんなに清潔な場所は生まれて初めて来た。  
部屋はゴミ一つ落ちていないし、いいにおいがするし、テーブルの上にはフルーツ…あっそれにお菓子まである。  
あれ、食べてもいいのかしら。  
 
定まらない視線をあちこちに泳がせていると、男は可笑しそうに笑った。  
 
「そんなに珍しいものがある?」  
 
何か甘いにおいのするワタ?のようなものが詰まった袋を差し出された。  
男はその中の一つを摘んで口に入れている…どうやら食べ物らしい。  
それに習って私も一つ摘んでみる。  
ふにふにした触感、口の中に広がる優しい甘さに驚いて言葉が詰まった。  
その様子を見て、男はまた可笑しそうに笑っていた。  
 
「気に入ったんならずっとここにいてもいいんだよ、ブルーベルちゃん…て呼ばれてたっけ?」  
「へっ…え、でも…」  
 
悪い人ではなさそう?  
でも、今までみたいに、いきなり手の平をひっくり返すような奴かもしれない。  
もう騙されるもんか、騙されるもんか…。  
そう心の中で繰り返すものの、部屋に入って十分足らずで、私はこの居心地のよさを味わってしまった。  
答えあぐねる私の手を取ると、男は部屋の隅にある扉に向かって歩き出した。  
 
「ま、無理にとは言わないよ。それより先にお風呂入ろっか?そんなドロドロじゃ気持ち悪いでしょ」  
 
もっともだ。  
わたしの身体はこの部屋にあまりに似つかわしくないほどべとべとに汚れている。  
もしかしたらこんな自分を部屋に上げるのはよく思っていないのかもしれない。いや、普通ならきっとそうだろう。  
今この男に嫌われたくない_  
そう考えると、お風呂より先に何か食べ物を、という言葉をなんとか飲み込んだ。  
 
男は白蘭といった。  
いいにおいのする泡がいっぱいのバスタブの中で、色んなことを話した。  
好きな食べ物のこと、将来の夢、好きな有名人のこと、今まで生きてきた内容まで。  
最後の内容についてはどうしても気落ちしてしまった。  
なぜなら、わたしの人生はお母さんに殺されかけて、あげく殺されるはずが殺してしまって、そのあとは路地裏での身売り生活だ。  
なのに白蘭という男は生まれつき育ちもよく、ちゃんとした学校を出て、ちゃんとしたお仕事をしているらしい。  
あまりの違いに、さすがに恥ずかしくなってしまった。  
 
俯く私に、後ろから声がかけられた。  
優しく穏やかな、牧師様のような声だった。  
 
「ブルーベル、君はさ、身売りなんかしたくなかったんだよね」  
「え…えーと、」  
「でも、そうするしか生きていけなかった」  
「ニ、ニュ〜…」  
「生きていくためだから仕方のない事だったんだよ。過去は変えられない。でも未来は変えられるんだ。君の思う通りにね?」  
「…本当に…?」  
 
あまりに優しい声に、今までの罪が泡風呂の泡と一緒にとけて流れていってくれそうだった。  
振り返ろうとした瞬間、白蘭の両腕が肩に回された。  
男の人なのに、すごく繊細な腕をしていた。  
たくさんの男を見てきたけれど、こんな綺麗な身体をした人ははじめてだわ、と思った。まるで王子様みたい、とも。  
 
その後、もっとたくさんのことを聞きたかったんだけど、質問をしようと開いた口に滑り込まされてきた舌のせいで、おしゃべりはおしまいになった。  
 
柔らかく薄っぺらい猫みたいな舌が、私の舌を絡めとる。  
バスタブから立ち上る湯気は水滴となって互いの顔や髪を濡らした。  
 
ねえ、愛人はいる?  
好きな女の好みは?  
どんな恋愛がしたいと思っているの?  
どろどろのキスをしながら、質問したいことがたくさん頭を駆け巡る。  
だって、この男のことをもっと知りたい。聞きたい。教えてほしいんだもん!  
しかし、舌を擦り合わせることと必死で息をすることに夢中でとてもじゃないけど口なんて聞けなかった。  
 
ぽかぽかと暖かいバスタブに浸かってのキスのせいなのか、ほとんど夢見心地で虚ろな視線を男に送った。  
 
口を開こうとするたび、舌を蹂躙される。  
そんなやりとりが数度繰り返されて、何も聞くな。今は黙っていろ。という意味合いなのだとはっきり分からされた。  
おしゃべりしたい欲求を押さえつけられた脳みそはしょんぼりしていた。  
快感を求める身体は、歓びに疼き初めていたけれど_  
 
もっともっとと急かすように、初対面であることも育ちの違いもさっきまで別の男に抱かれていたことも(しかもパン一つのために)忘れて、ただただ白い男に身体を密着させた。  
これ以上くっつけないってくらい、ぎゅーって。  
そのたびにバスタブからはお湯がちゃぷちゃぷと溢れ出て、いいにおいの泡がふわふわと弾け飛んだ。  
綺麗な場所で、王子様に抱っこしてもらって、今の私ってまるでお姫様みたいじゃない?  
なんて、初めて味わう高揚した感情に酔っていた。  
 
 
 
「…んんっ、」  
「男の人は恐くない?」  
「…びゃくらんなら、恐くないし嫌じゃない」  
「いい子だね、ブルーベル」  
「いい子…?」  
「うん、いい子。絶対に、幸せにしてあげる」  
 
そう言って頭を撫でられると、もっと褒めてほしくなって、もう何も拒みたくない、この男をもっと喜ばせてあげたいという気になった。  
再び舌を吸われ、さっきより濃厚なキスをしたけれど、それでも荒々しくはない優しいものだった。  
 
キスをしながら男の指が私のあそこに伸びてくる。  
触れやすいよう、そっと太ももを開いた。  
もちろん気付かれないようにしたつもりよ、はしたないなんて思われちゃレディ失格でしょ。  
でも、それに気付いてか気付かずか、いきなり一番敏感な突起を指の腹で撫でられ、びくついた拍子に思わず脚を大きく開いてしまう。  
 
もう感情を抑えられない私とは違って、男は余裕しゃくしゃくだ。  
まだ笑っている。悔しい…でも、腹は立たない。  
この感情はなに?  
 
好かれたい。愛されたい。今までになかった感情が生まれた。  
…びゃくらんといれば…幸せになれる?  
 
背後から腰を持ち上げられ、必然的に両手をタイルに着く格好になる。  
お尻を突き出すポーズは数え切れないほどしてきたけれど、今夜はなぜか、恥ずかしくてたまなかった。  
 
これからどうされるんだろう?  
もう入れちゃうのかな、もっと焦らされるのかな、気が逸って背後の男を振り返ると、隆起したそれを入り口にあてがおうとしていた。  
ああもう犯されちゃうんだ、と腹の力を抜くが、割れ目を行ったりきたりするだけで、一向に入ってはこない。  
擦られるたびに硬くなってしまった淫核にモノの先端が当たって、もどかしい。  
早く、早く幸せにしてよ、びゃくらん…。  
 
「ニュニュウ〜…び、びゃくらん、あの、」  
 
たまらなくなってねだるような声を出す。  
演技ではない、本当の素の声に自分でもびっくりした。  
おなかの奥が男を求めて熱く疼いている。  
こら、もうちょっとがまんしなさいよ。はしたない自分の身体に喝を入れる。  
 
そんな私の態度に気付いてか、後ろから男が抱きすくめてきた。  
身体をすっぽり包むその身体は華奢だけどしっかりしていて男らしさを感じる。  
もう、もう、はやくしてよーブルーベル我慢するの苦手なのに〜…。  
 
「………ぃ?」  
 
耳元でくすぐったく囁かれた声があまりにも小さかったので、聞き取れなかった。  
 
「…え?」  
「力が欲しくないかい?自分を守れる、僕と一緒の力が」  
「…欲しい…ほしい、ほしいっ!ちょうだい!」  
 
懇願するような言葉を最後まで言い切るまでに、バスタブのお湯よりはるかに熱いモノがおなかを突き上げてきた。  
この快感を手放したくなくて、思い切り下腹に力を込める。  
しあわせ…幸せなセックスなんて、はじめてしたよ。  
ありがとうびゃくらん、…ところで、力って、なに…?  
なにかまだ、ブルーベルにくれるの…?  
 
 
あれ…なんかねむい…  
 
やだ、まだもっとくっついてたいのに…  
 
お かしいな、疲れてたの か、なぁ………  
 
 
*  *  *  
 
 
「ニュニュウ〜!!びゃくらんなんかブゥーだ!!」  
「ん?」  
 
「なんでユニなんて人形娘に振りまわされてんの!?殺しちゃえばいいのにー!!」  
「やだなーブルーベル。ユニちゃんを殺すなんて」  
 
びゃくらんの指がそっと私の首元に寄せられる。  
 
キス?ハグ?  
オシゴト中なのに淡い期待がよぎる。  
だってびゃくらんは私を幸せにしてくれるって言ったわ、出会ったあのホテルで確かにそう言ったのよ。  
 
そのほかのことは全然記憶にないんだけど、それだけははっきり覚えてるんだから。  
ユニなんかよりブルーベルのほうが大事だって、可愛いって、みんなの前で言ってやって!びゃくらん!  
 
「次言ったら 殺す」  
 
「…!」  
 
冷たい床に座り込んだ私の元に来たのは、びゃくらんじゃなく、哀れんだような眼をした桔梗だった。  
何よ、そんな眼でブルーベルをみないでよ。  
あれ?何か嫌なこと思い出しそう…私、前にもそんな眼で誰かにみられてたような気がする…。  
 
助けてびゃくらん…こっち向いて…私、幸せになれたんだよね?  
 
びゃくらん、ねえびゃくらん、だいすきだよ。  
もう人形娘なんて言わないよ、殺せなんて言わないから、ブルーベルとおんなじくらい、好きになって。  
わがままも、もうこれっきりにするから。  
 
 
終  
 

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