真冬は暗くなるのが早い。
ツナはぼーっとしながら考える。
ツナと京子が一緒に帰るようになってから一週間が立つ。
オレが黙っている間は、向こうも何も質問はしないという意思表示なのかな。
話題が、思いつかない。
そう思って、ツナはなんだか申し訳ない気持ちになる。
さっきから黙っているのは、口を開くとつまらない事まで言ってしまいそうな気になったからだ。
つまらない事とは、つまり自分の話題の事とか、そんな事全部だ。
それを「つまらない事」と言ってしまえば、
今までの自分の人生の大半を「つまらない」と言うのと同じだ。
けれど、本当につまらない事なんだから仕方ない。
(…カッコつけてもしょーがないけど……)
信号待ちで止まり、ツナは隣の京子の顔をちらりと見る。
こちらの視線には気付いて居ないのか、真っ直ぐ信号機を見ている京子の横顔。
その横顔を見て、かっこ付けてた心が揺れた。
だって、告白をした時はかっこつけたりしてなかったし。
心臓が、ぎゅう、と締めつけられた。
必死の思いで告白をした時、「はい」と笑って言ってくれた京子の顔を思い出して、
その人が今隣に居るんだと意識してしまって、途端にどきどきし始めた。
(……ヤバイ)
動悸が激しくなって、余計に沈黙が深くなる。
自分はもう、何も見返りを求めなかったあの頃とは違う。
どきどきしているのはその所為だって、分かっている。
だけどどうやったらこの人にそれを伝えられるのか、解らない。
まるで、身体ばかりが成長して、心が追いついていないみたいに。
色々と考え込んでいるうちに京子の家の前まで来ていた。
一緒にいたのはほんの20分くらいの事で、ツナは時計を見ながらため息を吐く。
動悸が激しくなる身体は、早く傍を離れたいと思っているのに、
心では離れたくない気持ちでいっぱいだ。
「京子ちゃん」
顔を上げて、京子の方を向いた。
京子は「なあに?」と、少し笑っていた。
「京子ちゃん、一回だけでいいからさ、キスさせて…?」
ツナの質問に、バックを持つ京子の手がピクリと動いた。
言ってしまってから、「しまった」とツナは思う。
こんな事を、言うんじゃなかった。
離れたくない気持ちが、激しい動悸を繰り返す体に勝ってしまった。
どうしても、どうしても、この人に触れたくて。
触れたくてたまらなくて、うっかり口にしてしまったその言葉。
ツナは視線を京子とは反対側の方に向けて、自分の失敗を反省した。
(……なに言ってんだ、オレ)
ハア、と溜息を吐いた瞬間。
隣の京子の気配が動いた。
動いた、と思った瞬間には、ツナの唇に温かい感触が触れていて、ツナは思わず身体を避ける。
「……え、」
唇が触れていたのはほんの一瞬の出来事。
気付いた時にはもう離れていた。
「……え。」
もう一度、驚いた声をあげるツナに、京子が視線を逸らしながら小さな声で呟いた。
「…一回でいいの?」
それを聞いた瞬間に、ツナの頭のタガが外れた。
血の気が失せたような、頭が真っ白になる感覚に襲われて、
気付いた時には京子を抱きしめ覆い被さるようにキスをしていた。
唇に触れるだけじゃなくて、その唇を割って舌を滑り込ませて、顔の角度を変えて、
何度も、何度も、溢れて来る唾液を啜る。
その唇を離した時に、銀色の糸がふたりを繋いで居た。
ツナは親指で京子の濡れた唇を拭ってあげながら、
呆然と見開いた目でただ京子の顔を見つめていた。
(京子ちゃん)
(京子ちゃん…)
暗くて良く見えないその顔が、微かに紅潮しているようにも思える。
ツナは自分が真っ赤になっているのなんか、説明してくれなくてもわかっている。
ツナの左手が、京子の顔の輪郭をなぞるように顎のあたりを何度もさすった。
「………オレ、帰るね」
暫くして、頭の中に意識が戻ってきた。
そうすると、今自分がしていた事を冷静に思い出してしまう。
ツナは照れたように視線を逸らすと、自分の荷物を両手に抱え直して、体の方向を変える。
「また、明日ね」
京子が家のドアを閉める瞬間に、声がした。
「………うん!」
大声で叫ぶように口にしたツナのセリフの後、
ふふっと笑うような声がしたのは幻聴じゃないと思う。
けれど、その声はドアを閉める音に掻き消された。
ツナはズボンのポケットに手を突っ込みながら、京子の家に背中を向けた。
そうでもしないと、また離れたくなくて、何かしてしまいそうで、怖かった。
早足に暗い夜道を通って、自分の家を目指す。
普段は遠く感じるのに、あっという間に着いた。
(京子ちゃん……)
唇を押さえて、その場にしゃがみこむ。
足に、力が入らないのだ。
(どうしよう!)
(どうしよう!)
今になって、事の重大さに気付いた。
(キスしちゃった……!)
(京子ちゃんと、キスしちゃった!)
そう、頭の中で文章にした瞬間に、また心臓が煩いくらいに跳ね上がった。
(ヤバイ…)
(ヤバイ、オレ……)
(シアワセ過ぎて死ぬ…。)
右手で唇を、左手で心臓を押さえて、玄関に座り込むばかみたいな自分を、
京子は笑うんだろうか。
だけど。
(笑われたっていいや…)
このまま、
このままここで、幸せ過ぎて死んでしまったらどんなに嬉しいか。
そう考えただけでもツナは嬉しくてたまらなかった。
嬉しくてたまらなくて、思わず涙が出た。
「……京子ちゃん、」
小さく呟いてみると、激しく動悸を打つ心臓から、また温かいものが全身に流れる気がした。