手のなかに真っ二つに折れた携帯電話を持って、呆然としていた。
雑然とした駅のホームにあるベンチで、イーピンは膝を抱えるようにして座っている。
腕時計と、ホームにある時計は1分の違いで同じ時間を指していた。
(大将怒ってるかな…)
と、キオスクの横にある公衆電話をちらりと見た。
電話はあるけど、楽々軒の電話番号が分からない。
川平のおじさんに道路に投げつけられ真っ二つになった携帯電話に、
確かにそのメモリは入っていたのに思い出せない。
仕方ないな、と諦めて、電車が滑り込んでくるホームをじっと見て居た。
イーピンは川平のおじさんに辱められたという事実を受け入れたくなかった。
震えがとまらない体を引きずり、なんとか駅まで辿り着いたはいいが家に帰る気にはなれない。
もちろんこんな薄汚れた姿で大将のところに戻るわけにもいかなかった。
(……なんでこんなことになったんだろう)
未だに鈍い痛みの走る、下腹部を押さえて思った。
(……もう、死んじゃおうかな)
こんな形で貞操を失い、なんのために日本に来て、一人で頑張ってきたのか分からなくなった。
受験勉強もどうでもいい。バイトと両立して必死だった日々も、今日までだ。
実家には帰りたくない。小さい頃お世話になった沢田家にも、帰れない。
だからもう、死んでしまおうと思った。
幸い、ここは駅の構内だ。さっきからイーピンの目の前を何台も急行列車が通り過ぎている。
たった一歩を白線から踏み出すだけで、この人生にサヨナラできる。
携帯電話を折られたお陰で、楽々軒には連絡ができなかったし、友達の携帯の番号だっていちいち覚えていない。
ここで一人で死んだら、誰が遺体の確認に来てくれるのかな。
所持品の中で身元が分かるのは、財布に入っているレンタルビデオ屋の会員カードしかないのに。
イーピンはベンチから立ち上がって、ホームの際に書かれた白線の上にスニーカーを乗せた。
ぼろぼろになった空色のスニーカーには、いつか自分が流した血がところどころについている。
それを見て、ふふ、と笑ってしまった。
笑ってしまった自分に、呆れた。
もう感覚が麻痺してしまったんだ。
血を流したり、傷付いたり、そんな事全部に対する感覚が。
急行列車が駅を通過するアナウンスが聞こえる。
さあ、今だ。こんな、下らない自分にサヨナラするんだ。
今だ。
ふ、と左足を浮かせた瞬間。
声が聞こえた。
「イーピン?」
それは、遠い過去に聞いたような声。
振り返るのと同時に、右腕を引っ張られた。バランスを崩して倒れそうになるのを、その手が支えてくれる。
「………え…」
バカみたいに口を開いて、出てきた言葉はそれだけだった。
駅に入ってきた電車が起こす風が、イーピンの髪の毛を逆立てる。
「……寝惚けていたのかい?」
いぶかしげな顔をして、じっと顔を覗きこんできたのはイーピンの大好きだった人。いや…今でも大好きなあの人。
イーピンが今まで過ごしてきた10年間が、全部無駄だったと思えるくらいに変わらない姿で、そこに立って居た。
「………ランボ」
確認するようにそう口にすると、目の前のランボは益々訝しげな顔をして、イーピンの瞳をじっと見つめてきた。
「大丈夫か?」
大丈夫じゃないよ。
心の中で呟いた言葉は口に出せなくて、代わりに涙が一粒ぽとりと流れた。