「帰りますから。」  
小さく、けれどきっぱりした声で言い張ってハルはくるりと獄寺に背を向ける。  
そして足を一歩踏み出したところで獄寺がつぶやいた。  
「……10代目から聞いた」  
 びくり、とハルの背中が震えて足が止まる。  
「行くなよ」  
 獄寺は手の中にあった煙草を地面に落として足で踏みつぶす。  
 微かに立ち上っていた煙がそれで辺りに散って消えていった。  
「一人にさせたくねーんだ」  
 
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 沢田綱吉――獄寺の言う10代目――は、今彼の目の前にいる少女、三浦ハルの想い人だった。  
 しかしツナには、既に好きな相手がいた。ハルではない。  
 ツナが好きなのは、ハルではなく、ハルの親友の笹川京子だった。  
 
 今さっき、ツナから電話があったのだ。  
 その笹川京子と、自分が付き合うことになった、と――――。  
 
『それ…アイツには?』  
『え?』  
『アイツ(ハル)には、言ったんですか?』  
 
獄寺はツナがハルを好きではないことも、それとは逆にハルがツナを好きなことも知っていた。偶然ではない。  
 
『……うん』  
 
 うなづくツナの声を聞いた瞬間、獄寺は外へ飛び出していた。  
 
 おそらくは、そうさせるために10代目も電話してきたんだろう。という、奇妙な確信もあった。  
 
(ハル)  
 
 ハルがどこにいるかなんて予想もつかない。だけど一人でいることだけは分かる。  
 
(――探さねぇと)  
 
 まだそう遅い時間ではないけれど、夕方降った雨の所為か外は既に暗い。  
 秋はまだ少し、けれど確かにはじまっていて、そこかしこからは虫の鳴き声がする。  
 
 獄寺はハルの姿だけを頭に、夜の並森を駆け抜けた。  
 
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ハルは答えない。  
獄寺に背中を向けたまま、呆然と立ち尽くしているように見える。  
けれどその肩が微かに震え始めていることにも獄寺は気付いていた。  
「……ハル」  
一歩、二歩。  
ブランコから降りてその背中に近付いて、肩に手を置いた。彼女は逃げない。  
 
獄寺はそのまま両手に軽く力を込めてハルの体を半分回転させた。  
 
そうしてやっと、獄寺の方を向いた瞳からは大粒の涙がこぼれていた。  
獄寺は無言でそれを手で拭った。ハルがグズ、と鼻を煤ってうつむく。いつもとは真逆の、大人しい姿だった。  
「ごめんなさい……」  
「……別に、謝ることじゃねーだろ」  
 
 気にすんな。そう言って獄寺はその額を撫でる。  
 そうして、…でも、とハルが何か言おうとした瞬間、そのまま額に唇を落とした。  
 ハルの瞳が震える。だが獄寺はやめない。  
 唇は額からまぶた、鼻、頬、そして口へ。  
 
 暫くして獄寺が唇を離した時、ハルは舌先に感じた苦みがタバコの所為だったのだと気付いた。  
 
 ぼうっ、とした頭のまま、指先で唇を押さえる。  
 温い、と思った。  
 数秒の触れ合いの結果?そんな筈はないのに。  
「…暴れたりしねーのかよ」  
「は……」  
「らしくねえの」  
 
 いいながら獄寺は微苦笑を浮かべた。  
 その言葉はもっともだ。  
 確かに、らしくない。  
 けれど、それを言うなら。  
 
「……獄寺さん、だって」  
「…そうだな」  
 
 いつもと同じ乱暴な言葉とは裏腹に、今ハルを見つめる獄寺の瞳は優しい。  
 額を撫でた手の温もりからも伝わる、それは錯覚などではなかった。  
 
「じゃ、質問変えるな」  
「……。はい、何ですか?」  
「嫌じゃねーのか?」  
「……」  
 
 確信を突かれた。  
 ハルは答えられない。  
 ザ、ザ、ザザァ、とあたりの木々が風になびく音がやけに大きい。  
 ハルは獄寺を見つめたまま呆然とその場に立ちすくんだ。  
 
 獄寺の声が、脳内で反響する。  
 
『嫌じゃねーのか?』  
 ――なんて。  
 
 
「…ハルは」  
「ああ」  
「ハルは、よく……分からない、です……」  
 
 分からない。  
 自分の気持ちが、分からない。  
 
それがハルの真実で全てだった。  
 
 
 
「…そーかよ」  
 獄寺はそれを、怒りもなじりもしなかった。  
 先ほどと同じように微苦笑を浮かべて頭をなでただけだった。  
 こんなに、やさしい人だっただろうか。  
 どこか寂しげですらあるその顔を見上げながら、ハルは考える。  
 
 ――こんなに、やさしいひとだっただろうか?  
 今目の前にいるこの人は。  
 
 少なくとも、ハルの記憶の中で、彼は気まぐれに笑うことはあっても決して優しくはなかったし、こんなに寂しそうでもなかった。  
 あるいは、他人(ひと)の顔には自分が写るというから、自分が失恋の結果落ち込んでいる。つまりは、そのせいなのだろうか。  
 
「……言っとくけどよ」  
 黙りこくるハルを前に、獄寺はぽつりと告げた。  
 それは彼がここに来てからハルもうっすらと気づいていることでもあった。  
「俺は、テメーが、好きだから」  
「……」  
「…帰んだろ?家まで送る」  
 
 ぎこちなく伸ばされた手を、ハルは受け止めた。  
 公園から家までの道、ハルは、獄寺が来なかったら果たして自分は家に帰れただろうか、とぼんやり考えた。  
 

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