「――あのバット、今ビアンキさんが持ってるって聞いたんすけど」  
呼び止められて振り返った。知り合い自体が多くないこの国で、更に『さん』付けで自分を呼ぶ人間は珍しい。  
「……どのバットのことかしら」  
振り返り返答しながら、ビアンキは眉を顰めた。  
山本武。ボンゴレの新入り。最近妙にリボーンが気に入ったらしく、何かと彼や十代目の周りで見かける事が多  
い少年だ。  
「あの、ツナのとこのチビがくれたバットです。ウェイト入ってて重いやつ」  
「……」  
 
説明されなくても分かっていた。わざわざ聞き返したのは嫌味みたいなものだ。  
あまり会話をしたことは無いのだが、ビアンキはこの少年が気に入らなかった。そもそも、リボーンがこんな一  
般人出身、ファミリー加入したての少年に自ら武器を渡し、直接強化のための指導を行っている(らしい)事自  
体、ビアンキには納得がいかなかった。  
相手が獄寺だったなら、ビアンキは喜んで弟の成長を祝福しただろう。だが聞く話では、この山本は弟が座るべ  
き10代目右腕の座まで脅かしているらしい。そして、肝心の山本はファミリー加入どころか、リボーンに獄寺、  
ビアンキたちが「本物のマフィア」であることすら気づいていないらしい。その事がまた癪に障る。  
「……断るわ」  
瞬時に『弟と自分の敵』という結論を出して、ビアンキはつんと横を向いた。  
「…だ、ダメですか?」  
「これはリボーンが私に譲ってくれたものよ。正式に」  
 
 
正式に、を殊更強調するビアンキを前にして、山本は困って指で頬を掻いた。ウェイト入りのバットは自分で購  
入するにはちょっと高い。折角チビから貰ったのだからありがたく使わせてもらおうと思っただけなのに、これ  
ほど返すことを拒否されるとは思っていなかった。  
「…ひょっとして、お姉さんも野球やってんすか」  
「やる訳無いでしょう、馬鹿者」  
一蹴されて反応に困り、そうすか、と口篭もると、ビアンキは呆れたような目でこちらを見やり、大きく首を  
振った。  
そんな仕草まで様になる。揺れる柔らかな髪を見て、きれいだなあと思う。髪や肌の色が薄いのは、やっぱり  
イタリアの血が混じっているからだろうか。  
きれいな人だと思う。同級生の女の子、例えばクラスのアイドル笹川京子などとは全く違った魅力だ。これが  
大人の魅力というものなんだろうか。  
こんなに美人な姉貴なのに、なぜ獄寺はあんなに苦手にしているのかなあ、などとぼんやり考えて、はっと我に  
返った。当初の目的を忘れるわけにはいかない。何はともあれバットだ。  
 
 
頭に手をやったまま黙り込んだ山本を見やり、ビアンキは呆れ果ててそっと溜息をついた。一体どこをどうすれば  
自分と野球が繋がるのだろう。  
あのいまいち女性慣れしていなさそうな10代目をはじめ、日本の男は皆こうなのだろうか。弟も影響を受けてし  
まったのか、日本に来てから妙によそよそしくなった。  
シャマルのような馴れ馴れしい男も問題外だが、いずれイタリアに来るのなら少しはレディのあしらい方も学ん  
でおくべきだろう。  
「―女性に物を頼む時には、もっとそれにふさわしいマナーを身に付けることね」  
今度リボーンに新しい特訓を進言しよう、そう思いながらビアンキは踵を返した。  
 
 
(ふさわしいマナー?)  
はっと顔を上げると、ビアンキが背中を見せてまさに歩き出そうとしたところだった。  
獄寺が城育ちだったということは、前に確かツナから聞いた事があった。ならばビアンキも同じく城で暮らして  
いたはずだ。  
城。礼儀。挨拶。対女性。  
「…あああちょっと待ってください、わかった!」  
胡散臭げに振り返るビアンキの横に、山本は駆け寄って手を取り、その場に膝をついた。  
 
城。紳士。礼儀正しく。繰り返しながらなるたけそっと丁寧に  
 
(…でもやっぱりちょっと、日本でやるのはちょっと、恥ずかしいよなあ)  
(郷に入れば郷に従えって言うんだけどなあ)  
こういうのは、例えばツナのおじさんみたいな連中がやってはじめてサマになるものなのだ。  
 
 
自分の前にひざまづいた山本が、いっそ恭しいような調子で自分の手を取る。  
そして、ひょいと軽くその手の甲に口づけた。  
あっという間の予想外の出来事で、ビアンキが止める間も殴る間も、技を繰り出す間もなかった。  
 
「……これでヨロシイデショウカ、ビアンキさん?」  
声を掛けられて、そこではじめて、それまで自分が呆然としていたことに気がつく。手は既に離されていた。顔  
を上げて自分を見た顔は少し照れたように笑っていて、他意は見られなかった。  
 
山本は立ち上がって膝の土を払いながら、あー緊張した、などと言っている。それををしげしげと見つめ、少し  
悔しげに眉を寄せて、ビアンキは口を開いた。  
「――負けたわ。」  
「?」  
「…バットを譲る、と言ってるの。明日にでも、ツナに渡しておくから」  
途端、山本の表情が輝いた。  
「ほんとっすか!ありがとうございます!」  
その鼻先にビアンキは白い指をびしりと突きつける。  
「ただ、一度きりよ。もう次は効かないからそのつもりで」  
「ええ?!そーなんすか?」  
「当たり前よ」  
 
そう、当たり前だ。こんな男に二度もしてやられるわけが無い。  
 
「必ず雪辱は晴らしてやるから。首を洗って待っていなさい」  
「?? 勝負なら、いつでも受けて立ちますよ」  
 
 
ゲームスタート。  
 
 

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