骸たちとの戦いからそろそろひと月が過ぎようとしていた。  
 道行く人々の衣服に、秋仕様がちらほらと目立つようになり、黄色く色付きはじめた街路樹の葉がこれから訪れる寒さを予感させていた。  
 もうすぐ秋だ。煙草をふかして商店街を歩きながら、獄寺はそんな当たり前の感慨に胸をひたらせていた。  
 本来の獄寺は、そうした四季の移り変わりに心を動かされるような、仔細な感性の持ち主ではないのだが、  
今年の夏は黒曜の一件があった所為で少し感覚が敏感になっているらしかった。季節の変化が妙に、自分とは隔絶したところで行われている気がする。  
 
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黒曜の一件――ほとんどの並森の中学生は、この夏の最後立て続けに起こった事件を、そう称していた。  
多くの生徒が被害にあった一連の暴力事件は、黒曜中と並森中の縄張り争いのようなものだ、と判断され、  
並盛側の粛清――それは並盛中を支配する彼が好んで使う言葉――によって解決したのだと。  
一連の事件が、海を越えてやって来た骸たち「脱獄囚」のものによるものだということを、知る者は少ない。  
獄寺と、獄寺の主人と、家庭教師。その存在を正しく知る者だけが、今回の事件の真実を知っている。それでいいと、  
獄寺は思う。どのみちそれは、平凡な日本の中学生に扱える情報ではない。  
巻き込んだ、平凡な一人がいるにはいるけれど。  
それとはまた別の話だ。  
 
あの廃墟での戦いのあと、骸たち脱獄囚はランチアを除いて全員並盛から姿を消した。  
金に執着するだけの女と、医師と子供にのされた双子、鳥と会話する男は、再びイタリアの収容所に送還された。  
 収容所は今までの何倍も警備を厳重にするらしく、もう二度と出ては来れないだろうというのが上からの通告だった。  
ランチアは情状酌量の余地があるとされ、また、沢田が強く望んだこともあり、沢田家の居候として並盛に残ることになった。  
 居候として子供の世話や家事にせいを出す傍らで、時々何か思うことがあるらしく、ふとすると一人になってむつかしい表情をしているのだと沢田がこぼしていた。  
 
そうして、肝心の骸たち三名は、本当に「消えて」しまっていた。  
今、どこにいるのか――どこにいて、何をしているのか――そもそも、生きているのか。何も分からない。  
 
戦いの終わり、沢田たちへの敗北を認めた骸は、三人が日本に来てから仮住まいにしていた廃墟もろとも自爆した。  
途中から骸に操られていた獄寺にはその記憶がないが、沢田からの話によれば、盛大な爆音とともに崩れ落ちた瓦礫の中で、  
骸の姿は一瞬にして見えなくなり、捕らえようがなかったのだという。  
失態には厳罰を処する彼の家庭教師が咎めないのだから、それは驚くべき早さで行われたに違いない。  
沢田は獄寺他、の仲間達を全員救出し逃げるだけで手一杯になった、と言った。  
 
 後日、この戦いの中で、唯一怪我をしていなかった彼の家庭教師はすでに瓦礫の山と化した三人のアジトをくまなく探し回ったそうだが、  
ついに遺体は一つも見つからなかったらしい。  
『なんせ、ひどい爆発だったからな。骨すら砕けてなんも残っちゃいねーってのは十分ありえるんだが、どうにも嫌な予感がするんだ。骸はまだ生きてるな。』  
 普段、読み取ることが極めて難しい彼の表情が、誰にでもそれと分かるほど苦々しく歪んだ時、獄寺は全くだ、と同意した。  
 
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 煙草を燻らせて白い煙を吐き出す。  
 骸がまだ生きている――証拠は何もない。だが、獄寺の胸にもそれは確信としてある。獄寺の中ではまだ三人との戦いは終わっていないのだった。  
 今だ獄寺は、ふとすると廃墟に乗り込んだあの日の感覚が体に蘇ってくる。  
それがよくないとは、獄寺自身が一番分かっている。しかし、ともすれば通行人が皆骸に見えるような、そんな錯覚から抜け出せない。  
「……くそっ」  
 獄寺は煙草を捨てると、靴底で踏み潰した。微かに立ち昇った白煙が、即座に空気に溶けて消える。  
 獄寺は無言で、その様子を見つめていた。  
――と、その瞬間だった。  
「!?」  
 ドン、と背後からの通行人が獄寺の右肩にぶつかり、ちくりとした痛みを残したのだ。この痛みには覚えがある。獄寺は驚愕してその通行人を見つめた。  
男だった彼は、獄寺の顔に驚愕の色が広がるのを、一度振り返って確認すると、ダッと雑踏の中に駆け出した。袖の長いウインドブレーカーを着ていてパッと見では判然としなかったが、  
一瞬袖口できらりと光った何かがあった。それで十分だった。  
――骸だ。  
獄寺は確信した。見失わないように、しかし男が目的地に着くのは邪魔しないように、後を追った。  
   
しかしそれすらが罠だったとは、このときの獄寺には知る善しもなかった。  
 
 
 男が逃げ込んだのは、商店街の寂れたいっかくにある小さな廃工場だった。  
 男がそこから出てこないのを数分観察したうえで、獄寺は工場の中に足を踏み入れた。  
鉄錆の匂いが充満した工場内は、黴臭く、薄暗い――電灯が壊れているらしい――と気付いた瞬間、獄寺の背後で声がした。  
「お久しぶりですね。」  
「!」  
骸は入り口のすぐ手前にいた。室内の真正面ばかり見ていた獄寺は、そこまで注意が回っていなかったのだ。不意を付かれて後ずさると骸はさも御足労をかけた、  
と言わんばかりに丁寧に頭を下げる。  
「傷の具合はいかがですか? 獄寺隼人さん。あと、お仲間の皆さんも……お姉さんも、ね」  
「……生憎と全員今まで通りだよ。テメェのことなんかもうとっくに眼中にねぇ」  
「おや、そうですか。その割には随分とこの男を必死で追ってきたようですけど。ねえ?」  
 言いながら骸は足元の人間を転がす。  
骸の足元には先程の通行人の男が転がっていた。薄々察していたことではあるが、やはり男は利用されただけらしい――ぱっくりと切られた首からどす黒い血を噴出している  
その体はすでに生気がない。  
「……そいつは」  
「隣町から適当に拾ってきたんです。役目は果たしてくれたので殺しました。」  
 ――殺しました。  
まるで何かを拾いました、というのと同じ様な調子でそういう骸に、獄寺は全身が粟立つのを感じる。  
 違う。コイツは徹底的に違う。  
――自分とは。  
獄寺もイタリアで数年マフィアをやり、また、家族がこの稼業に精を出すのも見てきたが、人の生死をこんな調子で扱う人間の存在は知らなかった。知りたくもなかった。  
自分とは大して年齢が違っているでもない骸の姿。しかしその頭には自分には想像もつかないようなこれまでの経験がつまっているのだろう。  
 のまれるな。  
獄寺は必死で自分に言い聞かせる。ここでのまれるわけにはいかない。  
 
「骸、テメーは何が目的だ?」  
「え?ここまで来たからには気付いているんじゃないんですか?」  
 空々しく問い返される。  
全くだ、と獄寺は思い自分の右腕――先程ちくりと痛んだ――を掲げた。その手首には、小さい傷が出来ており、獄寺が掲げると赤い雫が一滴、手首を伝い滴り落ちた。  
「そうだな。言い直す。……俺にまた憑依して、何をする気だ?」  
「……」  
「言っとくけどな、俺を操ったって十代目はやれねーぞ。テメーが一番分かってるだろ」  
「……」  
「他の奴らだってな、テメーごときにやられる奴じゃねーんだ」  
 ――あの野球野郎だってな。  
 
最後の一言は、あくまで内心で言うにとどめた。  
しかし、ずらりずらりと口上を並べ立てる獄寺に反して骸は口を閉じたままだ。  
その顔には、薄らと笑みが張り付いてさえいる。  
「……何が、目的だ?」  
 微かに焦りを滲ませて、そう訊ねた獄寺に、骸はようやく反応を見せた。クフフ、という、あの特徴的な笑い声が建物内に反響する。  
「やだな。そんなに怒らないでくださいよ」  
「……」  
「あなたの言うとおりです。本当はボンゴレ本人に多少仕返ししていきたいんですが、生憎と僕の力は彼に及ばないようなんです」  
「ハッ、残念だったな。」  
「けどあなたと僕なら、僕のほうがうえです。」  
 
「……」  
「ボンゴレの力も、確かに僕よりはるかに上ですが、生憎あれはまだ完全ではないようだ。発動するまでにあなた方ファミリーの力が要る」  
 そこまで言うと、骸は一旦言葉をきり、獄寺の前に人差し指を出して軽く振って見せた。何かを得意がっている様子だった。女みたいな仕草だった。  
獄寺は黙る。  
「結束の高いファミリーの壊し方を知っていますか? 別にボスにこだわる必要はない。幹部内に、一つでいい。修復できない大きな傷を作ればいいんです。一つでいいんです。  
 ――そうしたら、あとはそこから小さな罅が増えて壊れていってくれる」  
 瞬間、骸はぱっ、と掌を広げて、何かを握り潰すような仕草をした。獄寺は苛々した。それが何かが壊れる様子を示唆しているのだとは分かったが、  
結局獄寺の訊きたいことには、彼が何一つ答えていなかったので。  
「それで――」  
「?」  
「それで、一体何がしたいんだテメーは?」  
「……フフ。  
 簡単なことですよ――とり憑いている間、あなたの記憶から面白いことを思いついたんです。だからそれを、実行しようというだけだ」  
 
ガチャリ。  
骸が鈍い音を立てて、空いた手で拳銃を取り出した。憑依弾が入っている拳銃に間違いなかった。  
今しかない。  
獄寺は素早く骸の手から拳銃を奪い取ろうとした。だが――しかし。  
「!!?」  
 獄寺が骸に向かって手を伸ばした瞬間、その姿は霞みのごとく消えてしまった。  
「ここですよ」  
 同時に、再び背後から響く声。  
「僕から拳銃を奪うつもりだったのでしょうが、迂闊でしたね。僕の能力(ちから)について二人から聞いていなかったのですか?」  
 獄寺はその言葉に思い出す。  
そう、骸には幻覚をあやつる力があったのだ、と――。  
 
振り向いた時、今度こそ骸は、自分の米神に銃口をあてていた。  
 
「アリーヴェデルチ(また会いましょう)、獄寺隼人。  
 大丈夫。僕はただ、君がまだ気付いていない、君の本当の望みを叶えてあげるだけですよ」  
 
バン、という鋭い音とともに火薬の匂いが辺りに散った瞬間、獄寺の意識は闇に消えた。  
 
 

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