出前から帰ると、店のカウンターで牛柄のシャツがチャーシューメンをすすっていた。  
派手なシャツに猫背気味の長身。田舎町のラーメン屋ではひどく目立つその風体に、すぐそれが  
幼馴染だと気づく。引き戸の開く音が聞こえたのだろう、声をかけようとした瞬間あちらも箸を止め、  
振り返ってきた。  
椅子を回して上半身だけこちらに向け、やあイーピン、と片手を上げるしぐさは優雅だが、頬にくっついた  
ナルトのせいでいまいち様になっていない。見た目はそれなりに格好良くなったのに、何年たっても  
こういうところが直らないなあ、と内心おかしく思いながら、おかもちを置いて私も片手を上げた。  
 
「いらっしゃいランボ。今日はどうしたの?」  
「もちろん君に会いに」  
「あら、ボヴィーノファミリーって暇なのね」  
「……表稼業の輸入代理店の視察でちょっと」  
「また?最近多いね」  
「いろいろ問題があってね」  
 
この幼馴染の本業はイタリアンマフィアなのだが、ファミリーの表稼業が日本進出を始めたそうで、  
最近よく日本にやってくる。そのついでにお気に入りらしい、私のバイト先のラーメン屋にも  
来るのだけど、このところは特に多くて、月に二、三度は姿を見せるのだ。  
こんなに頻繁に視察しなくちゃいけないなんて、もしかして業績不振なのだろうか。ちょっと心配になる。  
「始めたばっかりのときって、何でもうまくいかないもんだからね」  
そのうち何とかなるよ、と慰めると、ランボは目を見開いて、なんだかものすごく変な顔で私を見た。  
それから小さくため息をついてそうだねと呟き、チャーシューメンに向き直る。  
心なしか、顔色がさえない。やっぱりうまくいってないのだろう。  
 
食事時を外れていたこともあり、店にはランボ以外のお客さんはいなかった。奥で休んでくるという大将を  
見送り、おかもちをしまってから厨房に入る。  
少ししてカウンターに戻ると、ランボはもうチャーシュー麺を食べ終わっていた。麺一本残さず、きれいに  
片付けられたどんぶりを下げて、代わりに焼き餃子の皿を置く。  
うつむいたまま、長い足をもてあまし気味にふらつかせていたランボが、弾かれたように顔を上げた。  
「サービス。食べて」  
「これはこれは……ありがとう」  
嬉しそうに笑って新しい箸を取り、ランボはやっぱり優雅に餃子を食べ始めた。  
だが一口、二口食べ進んだところで、その手がふと止まった。  
 
「……イーピン」  
「なに?」  
「これ、もしかしてぶどうが入ってるのかな?」  
「うん、私が考えた新製品なの。どう?」  
「ユニバーサルな味わいだね」  
 
頭をひねりながらも食べ進んでいるところを見ると、それなりに美味しいのだろう。よかった。  
「ちょっとは元気でた?」  
あなた、ぶどうが好きだったでしょう。  
隣の椅子に座って覗き込むと、また弾かれたように顔が上がった。やっぱりなんだか変な顔をしている。  
ついでに心なしか、頬が赤くなっている。  
やっぱり美味しくなかったのかしらと思っていると、ランボは今度は箸をおいて体ごと、こちらに向き直ってきた。  
 
「実はイーピン」  
「うん」  
「女性に頼みごとなんて失礼だと思うんだが、今日は折り入って君に相談があって」  
「またリボーンさんに相手にされなかったの?」  
「それは置いといて」  
 
ふう、とため息をついてウェーブのかかった髪をかきあげると、ランボはカウンターの下でそっと  
私の手を握ってきた。意外なほど大きなその手の感触に、ちょっとびっくりする。  
昔は私より小さかったのに、気づけばすっかり背も伸びていて、椅子に座っていても見上げるほどだ。  
目が合うと、落ち着いた穏やかな微笑が返ってきた。こうして見ると笑い方も、昔とはぜんぜん違う。  
ずっとあの、小さくていたずらばかりしている男の子のままだと思っていたのに。いつの間にこんなに  
変わってしまったんだろう。  
「……イーピン」  
「なに?」  
「ちょっと痛い……」  
「あ、ごめんなさい」  
幼馴染の成長に感動のあまり、手を握りながらついつい急所のツボを突いていたらしい。  
慌てて離すが、ランボは涙目になりながらも私の手を離さない。ますます力をこめながら、その手をゆっくり  
顔の高さに持ち上げる。  
珍しく両方開かれた目が、真剣に見つめてくる。  
 
「相談というのは、ある女性のことなんだが」  
「女の人」  
「とても可愛くて、元気がよくて頑張り屋で、ステキな人なんだ」  
しゃべりながら、無意識なのか浮かんだ微笑はとても嬉しそうで、ちょっとドキッとする。  
「ランボ……その人が好きなの?」  
「うん。気がついたのは最近なんだけど」  
またちょっとドキッとした。なんだろう。  
「それで、いろいろアピールしているんだが、ぜんぜん気がついてもらえなくて」  
オレとしたことが、どうも慎重になりすぎてるみたいなんだ。  
もう困ってしまってね、と憂い顔でため息をつくと、また手を握ってくる。なんだかさっきより顔が近い。  
「どうすればいいと思う?」  
 
傾きかけた日が、店内にオレンジの光を投げかけてくる。ランボのシャツも、私の割烹着も、  
握られた手もすっかりオレンジ色だ。  
お皿の上で冷めていく餃子がひどく気になるけれど、何故だか目が逸らせない。  
 
「どう……そうだね、ええと、ほら、そういうのは人それぞれだから、私じゃ……」  
「その人、イーピンがよく知ってる人なんだ」  
「私が?」  
驚いて瞬きすると、また一段と近づいた顔がにこりと笑った。  
「そう。だからイーピンの意見が聞きたいんだ」  
握られた手が痛い。鼻先が触れそうな距離で見下ろす顔は、口元は微笑んでいるのに怖いくらい真剣で、  
やっぱり目が逸らせない。  
 
「私の、知ってる人?」  
「ああ。知りたい?」  
「え」  
「その人は、可愛くて、しっかりしてて、夢に向かって一生懸命な……オレの、おさなな」  
「あ。もしかしてハルさん?」  
 
握られた手から、いきなり力が抜けた。  
 
思わずその手を見下ろし、もう一度見上げると、ランボはまたなんだか変な顔をしていた。  
目線がきょろきょろと店内を泳ぎ、そのまま逸らされる。がっくりとこれも力の抜けた肩に、よく  
わからないけど落ち込ませてしまったのかと、私は慌ててその手をつかみ返した。  
「大丈夫よ!8歳くらいの差、何てことないんじゃないかな!あ、でもハルさんは確か沢田さんのことが」  
「ハルさん……うん、ハルさんもステキな人だ……けど、そうじゃなくて」  
「違うの?」  
さっきよりも憂いに満ちた顔で小さくうなずく。じゃあ誰だろうと考えて、辿りついた答えに、私は思わず  
つかんだ手に力をこめた。  
「いいいイーピン!ツボ入ってるツボ!」  
「だめよランボ!奈々さんは人妻じゃない!不倫はよくないわ!」  
「奈々さんもすばらしい人だけどそれも違う!」  
「え、そうなの?じゃあビアンキさん?ステキな人だけど、でもちょっとなんていうか、格が違うような……  
ランボ?カウンターに頭乗っけたらだめだよ?」  
 
そこはご飯を食べるところでしょ、と肩をゆすってみるが、ランボはぺったりとカウンターにしがみついたまま、  
顔も上げようとしない。時々、むずかるようにぐりぐりと、板に頭を擦りつけるばかりだ。  
まるで、小さかったあのころに戻ってしまったみたい。  
「どうしたの?おなか痛いの?」  
「……ガマン……」  
「トイレはあっちよ」  
大変だ!と肘をつかんで引っ張ってみると、やっとよろよろと体を起こした。  
起きはしたけど顔色がひどく悪い。大丈夫かな。食中毒とかじゃないといいけど。  
「平気?我慢は体によくないよ」  
「うん……ああ、いや、今日は帰るよ」  
「間に合う?」  
「トイレじゃないから……」  
また来るよ、とうっすら笑って立ち上がると、ランボはズボンのポケットから財布を取り出した。  
夕日に照らされふらふら揺れる細い体は、背はすらりと高いけど、頼りなくて、そしてちょっと情けない。  
 
「……イーピン」  
「何?」  
「この店、ユーロは使えるかな」  
「おごるわよ」  
 
背が伸びても、顔が変わっても、やっぱりランボはランボなんだな。  
そう思うとなんだかおかしくて、それから私はちょっと嬉しくなった。  
 
夕日に向かって去っていく幼馴染を見送り、店に戻ると、大将はもう厨房に戻っていた。  
慌ててカウンターの上を片付けていると、奥から出てきて、中身の残った皿を覗き込んでくる。  
「イーピン、それ出したのかい」  
「はい、結構好評でしたよ」  
「独特すぎる気がするけどねえ……こないだの、ぶどう入りシューマイも売れなかっただろ」  
「うーん、でも、ユニバーサルな味わいらしいですよ」  
「そうかもしれんがね」  
できたらもっと、一般受けするもの考えてくれよ、と笑われて、ちょっと落ち込む。  
 
だめかなあ。いいと思ったんだけど。  
だってぶどうって、みんな好きじゃない。  
あの子だって昔、あんなに美味しそうに食べていたじゃない。  
 
気を取り直してカウンターを拭き、皿を洗う。洗いながら、新メニューについて少し考えてみる。  
飴でコーティングした餃子なんてどうだろう。お菓子みたいでいいかもしれない。  
今度ランボがきたら、試食してもらおう。きっと喜ぶだろう。あの子は飴も大好きだったもの。  
そういえばランボの相談も途中だった。次はちゃんと聞かなくちゃ。いったい誰のことなのかしら。  
そのことを考えると、不思議とまた胸がどきどきしてきた。  
 
引き戸が勢いよく開いて、お客さんが入ってきた。いけない、バイト中だ。  
考え事はいったん、頭の奥にしまいこむ。注文をとるべく、私は慌てて洗い場を飛び出した。  
 

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