「このアジトでこうして話せるのも、あと何回かしらね…」  
 少し寂しげに話すオレガノの横顔を、バジルは見詰めていた。  
カツン、と静かに響く足音が、自分たちしか居ないアジトの部屋に響く。  
「思い出が沢山あるアジトだから、無くなるのは惜しいでござる…」  
「そうね…でも、仕方ないわ。ヴァリアーがココを見つける可能性が、ゼロとは言えないもの」  
 ココにはもう来れなくなるのよね、と、切なそうにオレガノは呟いた。  
自分たちの活動の安全のため、アジトを廃棄する。  
二人の親方様――ボンゴレ門外顧問、沢田家光の命令に、二人は部下として  
その命令を理解しながらも、心の何処かで、まだ惜しい、と思っていた。  
「ねぇバジル、覚えてる?この部屋、私たちが始めて会って…」  
「はい、覚えてるでござるよ。その机に、オレガノ殿は座っていらした」  
「そう、そして貴方がそこの扉から、すっごく緊張して…カチンコチンになって入ってきたのよね」  
 くすくす、と笑うその声に、バジルは当時を思い出したのか、耳まで真っ赤になった。  
 
 何もなかったあの頃。  
門外顧問の弟子として入ってきたバジルは、最初こそ緊張のあまりミスをしていたが  
慣れてしまえばそこはあの親方様の弟子、周りが驚くほど順調に成果をあげた。  
そして時が経つうちに、仕事仲間であり同僚だった二人は、  
やがて…彼らの親方様すら預かり知らぬところで、絆を結んでいった。  
 
「バジル…来て」  
 かつて自分が座っていた机に座りかけ、オレガノは優しく微笑むと、バジルを手招いた。  
眼鏡越しの瞳がじっと己を見詰めるのに、バジルはこくん、と頷き、傍に寄る。  
吐息が触れるほど間近に寄ると、どちらからともなく、甘い口付けを交わした。  
 最初は唇が触れ合うだけのキスは徐々に唇を啄ばみあう口付けになり、  
やがて互いの舌を絡めあう音が、柔らかな水音が響き始めた。  
くちゅ…ちゅ、ちゅっ…と、まるでそれだけが世界の全てのように、日のかげり始めた部屋に響く。  
「ん、んぅ…ふ…」  
「…っぷは…お、オレガノ殿…」  
 唇を解放すると、つぅ、と微かな銀糸が互いを橋渡しし、ぷつりと切れた。  
幾度目かのキスのはずなのに何故胸がこんなに高鳴るのだろうと思いながら、  
紅く染めた頬のまま、バジルはオレガノを見上げた。  
ふ、と。名前を呼んだ唇に、彼女の人指し指が置かれる。  
「二人きりのときは…何もつけないで呼んでって、言ったでしょ…?」  
 悪戯っぽいオレガノの今の微笑みは、年上で落ち着いた雰囲気を醸し出す彼女と  
どこかアンバランスに子供っぽく見えて、その差がバジルの胸を一層高鳴らせた。  
触れた指を取り、その手に己の手を絡め、バジルはじっとオレガノを見据える。  
「は、はい…では……オレガノ…」  
 照れ隠しなのか、今度はバジルの方から、噛み付くキスを交わした。  
オレガノも満足そうに瞳を閉じ、再び甘いカタルシスに溺れていく。  
幾度も幾度も口付けを交わした後、まるで互いを確かめ合うように、二人は抱き締めあった。  
 
 彼女の色素の薄い束ねた髪が、日に透けて綺麗だ、と。  
バジルはオレガノの胸に触れながら、ふとそんなことを思っていた。  
きっちりと着込んだスーツの前をはだけさせ、シャツの前を寛げて、  
下着越しの柔らかな大きい胸をそっと両手で包み込み、揉み上げる。  
指先に、掌に力を入れるたび、オレガノの唇から甘い嬌声が毀れ、背筋がぞくぞくと震えた。  
「あ、バジル…ん、そこ、いいわ…」  
 普段クールに過ごしているオレガノの、恍惚を滲ませる表情。  
誰も知らない知的な彼女の裏側を見ているようで、それはバジルの幼い欲望を満たすに充分だった。  
もっと鳴かせて、もっと気持ちよくして、もっと、その顔を見せて欲しい。  
そう思えば胸元に唇を寄せ、ちゅ、と柔らかく白い肌に口付けを落としていた。  
急な刺激に、オレガノの肩がびくん、と跳ねる。  
「ん、ふぁっ…」  
「あ…感じてるで、ござるか…?」  
「そう、ね……凄く、身体の中、熱くなるの…」  
 ほら、と、オレガノの手がバジルの頭を引き寄せ、胸にぴとりとつけた。  
柔らかな感触に戸惑う間もなく、どくん、どくんと熱い鼓動の音が、聞こえてくる。  
オレガノの微かな吐息と相まって、バジルの鼓動もつられて早く脈打ってるように、感じた。  
「オレガノが、感じてくれていると…嬉しいでござる」  
「私も……バジルがしてくれるから、嬉しいわ…」  
 まるで母と子のように胸に耳を寄せ、鼓動の音に聞き入る。  
大きな窓から入る夕陽に照らされた二人の姿は、聖堂のステンドグラスの母子像のように思えた。  
 
 
「バジルー、オレガノー…居ねぇのか?」  
 不意に、廊下の隅から聞こえてきた声に、二人は慌てて身体を離した。  
「っ、ラル・ミルチ、大丈夫よ、もう行くわ!」  
 服を調えながらオレガノがそう返すと、声の主である同僚のラル・ミルチは  
解った、早くなお二人さん、と言い残し、その足音は回れ右をして遠ざかった。  
驚きと心地好い快楽でかつてないほど心臓をばくばく言わせたバジルは、  
必死に己の胸に手を置いて深呼吸して、平素の自分に戻そうと一杯いっぱいである。  
「最後までしたかったけど…やっぱりこの短さじゃ無理ね」  
 ぴしっとスーツを着込みなおしたオレガノが腕時計を見遣り、残念そうに呟いた。  
思いがけない言葉にバジルはばっと顔を上げ、目を白黒しながらオレガノを見詰めた。  
「さ、最後まで、って…」  
 今まで今日のように抱き合ったり、あるいは互い自身に触れ合ったりはあったけれども、  
未だかつてその先――いわゆる交わり、には到った事は一度もない。  
バジルの焦る心のうちを読み取ったのか、オレガノはゆっくりと近づくと、  
慈しむような微笑を浮かべ、優しい…バジルの全てを包み込むような、キスをした。  
「……貴方が日本から帰ってきたら、続きをしましょう」  
 今度は、最後まで。  
息が触れ合うほど間近で、ルージュに彩られた彼女の唇がそう話すのに、  
バジルは視線を反らせず、こくん、と頷くだけだった。  
「…だから、無事で帰ってきてね、バジル」  
 約束、と差し出された小指に、バジルはゆっくりと己の小指を差し出すと、同じように絡めた。  
これから訪れる毎日に、明日がある保障などないのに。  
小指一本で交わされる約束事が、どれだけ不確かなものだろうとも。  
 例えば、拙者と彼女の間の赤い糸が絡み合って、解けなくなってしまえばいい、と。  
夜空に切り替わろうとしている空を背に、バジルはぼんやりと、そんなことを思った。  
<終>  
 
 
 

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