「はい、それじゃあ失礼します」  
 
 ピ、と通話終了ボタンを押す。  
 シチリアの真夜中は静かだ。  
 ハルは傍らに置いていたサイレンサー付きライフルを抱えなおした。腕を伝う鮮血は新月の為に黒く染まり、彼女の白く細いソレを汚す。その場に血痕が残る事を懸念し、慣れた手付きで応急処置を済ませ愛車へと向かった。  
 
 ツナ達がイタリアへ渡って数年後。  
 ハルは射撃術をモノにして、再び想い人達の前へと現れた。  
 ボンゴレ幹部の面々に足りなかった遠距離型タイプのスキルは重宝され、すぐに彼女の暗躍の場を広めた。  
 もっとも、太陽が姿を現している間は「ツナの愛人」を演じていた為に、闇夜を駆けるような「暗殺者」の実体を知っているのは極一部のみだったが。  
 
 ブラウンのビートルに背中を預けて煙草を吹かす人物に、ハルは目を疑った。  
 
「ご、獄寺さん?!」  
 
「おせーんだよ」  
 
 ハルの様子を一見した後、獄寺はずいぶん長い煙草を携帯灰皿へと押し遣った。彼がシャツを着崩しているという事は、今日の任務を終えたという事だろうか。今週はアジトへ出向かずに、今の今まで単独行動を一貫していた。  
 
「キー貸せ」  
「送ってくれるんですか?」  
「早くしろ」  
 
 サイドポーチからキーを取り出し渡す。触れた掌は、引金のように冷たかった。  
 
※※※  
 
 ツナの一番になりたかった。  
 
 彼が傷付き苦しむ時は側で支えたいと思ったし、苦しい時はツナに助けてもらいたかった。否、ツナに助けられたからこそ、ハルは彼に好意を抱いた。どんなタネやシカケがあったって構わない。ハルにとって、偽りのない彼に違いないのだから。  
 
『後悔しない?』  
 
 ライフルの使用方法を伝授してくれる前。師であるオレガノはハルに何度も同じ事を尋ねた。法を破り罪を犯す事にでも、母国と疎遠になる事でもない。  
 
 『しません、絶対に。』  
 
 【愛人】は【一番】になれない。  
 愛してくれても大切にされても、その一点だけは絶対に揺らがない。もしこの先、彼がこの方程式を不成立にしようものなら、出会った頃のように思い切り殴ってやろうと思っている。  
 オレガノから思えば、ハルが全てを棄てるには、確実に人生を変える代償にしては、不十分だと思ったのだろう。ビアンキも同じように心配してくれた。2人の女性を思い、ハルは笑う。  
 
『大丈夫ですよ!ハルは、ツナさんの役にたちたいんです』  
 
※※※  
 
「着いたぞ」  
「はひ…?  
 獄寺さん、ここハルの泊まってるホテルじゃないです」  
「オメーな…。その腕とソレで戻る気か」  
 
 獄寺に指摘され、ハルは自分の格好を見直した。スーツの一部が破れ出血したが、今はもう止血済みである。  
 
「だいたい裏口から上がれば問題無いじゃないですか」  
「………もーいい、行くぞ」  
 
 フルートケースを形どったライフルケースを軽々と持ち上げられ、ハルは獄寺に促されるままに部屋へと向かった。  
 
※※※  
 
 『ツナさん、京子ちゃん、おめでとうございます!』  
 
 2人の婚約が決まった日、ハルはファミリーの誰よりも笑顔で祝辞を述べた。遅れを取った守護者ならぬ幹部の面々の間抜けな顔は記憶に新しい。  
 
『ありがとう、ハルちゃん』  
 
 いっそ、思い切り蔑視でもしてくれたらいいのに。そう呆れてしまう程に、京子の笑顔は純白だった。そして知るのだ、自分は決して彼女を嫌いになどなれない。ツナの事を好きなくらい、京子の事が好きなのだ。人としても、友人としても、彼女が大好きで仕方ないのだ。  
 
「……ハル、ハル」  
 
 「は、はひ?!」  
 「上着。脱がねーと手当て出来ねェ」  
 
 自分の所持品から救急セットを取り出した獄寺は、ベッドに腰かけるハルを呼んだ。間もなく怪我をした箇所が露になり、シングルベッドの上はライフルとハルのスーツ、簡易救急セットとそれぞれの持ち主でいっぱいになった。  
 
 「……ここだけか?」  
 「はい」  
 「染みるぞ」  
 
 言って、応急処置の絆創膏を外す。丁寧に消毒液で患部をなぞられる。シャマルに手ほどきを受けているのか、獄寺は簡単な治療なら一通りこなす事が可能だった。  
 ハルは見つめる。  
 ゴツゴツした指輪も綺麗な白い手も、何も語らない。けれど、触れる指先が全てを告げる。  
 
 「…ありがとう、ございます」  
 「あ?」  
 「…待ってて、くれて」  
 
※※※  
 
 指先が冷たい理由くらい、すぐに分かる。何かあれば駆け付けられるように、でもハルのプライドを邪魔しない用に、何時間も待機してくれていたのだ。  
 例えそれがツナの命であっても、ハルは獄寺の気遣いが嬉しかった。  
 
 「ありがとう、ございます」  
 「……」  
 
 獄寺の動きが止まる。  
 そしてそのまま、黙ってうつむくハルの肩を抱き寄せた。  
 かすかに硝煙の香りが残る黒髪は柔らかくて儚い。記憶に残る面影との差異に、知らず眉根が寄る。  
 
 
 自分と同じ人を想って苦しむ彼女が、  
 
 
 
 「………ハル、」  
 
 
 
 堪らなく、愛しかった。  
 
 小さな頭を自分の胸元に寄せる。余っていた手を彼女の細い背中にまわす。何も言わない代わりに、体中で包み護るように身を寄せた。  
 
 見えるものからも、見えないものからも。腕の中の彼女を守りたいと、強く願った。  
 
 
 「…ハル、煙草、きらいです」  
 「…」  
 「怒りっぽいひとも、やです」  
 「……」  
 
 言葉とは反例して、段々と温かな手が背中へと進む。それでも躊躇う彼女に、獄寺はもう一度名前を呼んだ。  
 
 「ハル」  
 
 涙の溜った左右の目元に、好きだと告ぐ代わりにキスを落とす。  
 忠誠でも敬愛でもない口付けはやがて、深海のような闇夜の中で、影を重ねる合図となっていった――――…。  
 

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