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今から遡る事10年とちょっと前。
世間の父親たちが会社で上司に怒られパソコンに向かっていた頃、自宅の庭先で舟を漕ぐボディービルダー…ならぬオッサンがひとり。
名前を沢田家光。パンツはブタ時々モグラ柄。
嫁と我が子が愛しくてかわいくて仕方ない事を隠さない、珍しいタイプの日本人である。
二十代後半前に建てたこの家にローンは無く、生活水準もそれなりに良い。家族は皆健康そのもの。
(あ〜平和だなぁ〜…)
いくら金を積んでも手に入れられない幸せに、家光はだらしなく頬を緩ませた。
と。ぺちぺちと柔らかな感触に促され、家光は腕の中でずっと暴れていた我が子へと視線を向けた。
「おとーさん、おとーさんてばぁ!」
「んん?どうしたツナ、また“ツナデレラ”聞きたいか?」
「ツナおとこだもん!おんなじゃないもん!」
ぶー!と怒る我が子は嫁に似て瞳が大きく、未だに「可愛い娘さんですね」と言われる事も少なくない。まぁ家光にとってはどちらでもかわいい事に違いないのだが、息子・ツナにしてみれば不名誉な事に違いないらしい。
「ごめんごめん、よーしツナ、何して遊ぶ?」
「おはなしして!」
「うん…?桃太郎か?それとも金太郎か?」
「そんなのつまんないー!」
「じゃあお父さんの仕事の話を…」
「きのうきいたー!」
「んん〜…?」
(困ったな〜…)
腕の中で暴れる我が子は、どうやら一通りの童話を知っているらしい。これも普段の読み聞かせの成果なのだろうが、家光はいよいよ八方塞がりになった。奈々に頼りたいのは山々だが、彼女は買い物に行っている。
(! そーだ)
「よーしツナ、これならどうだ?」
「?」
「むかしむかし、あるところに、ひとりの超かっこいいお兄さんがいました―――……」
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遡る事、数年前。
家光がまだ“門外顧問”に就任したてだった頃。
彼は9代目の命により、己の故郷・日本へと帰省していた。
と、いうのも。
(門外顧問に就任してもコレだもんなぁ…)
実質NO.2となった家光は、以前から次期“正当後継者”候補の面々にあまり快く思われていなかった。
仕方ないといえばそれまでだが、同じファミリーの一員、好んで争う訳が無い。無いのだが、こういう状況時に不利な立場の人間が聞く耳を持たないのは万国共通らしく、結果、家光は余計な火の粉が及ばぬ日本にまで、足をのばす羽目になっていた。
(モレッティ達にまで被害が及ばなけりゃいいが…)
本国にいる仲間たちの身を案じ考え事をしている内に、家光はある事に気づいた。
「…………」
辺り一帯に広がる静かな住宅街。
「…………ここ、何処だ?」
もしもの事を考え自分と縁のある土地は避けていたが、それにしたって一応の計画は立てていた。だが自分の行動はどうだ。飛行機の中で寝ずに考えた全てが、他でもない己の不注意で水の泡だ。今の自分は、迷子以外の何者でもない。
家光は思わずその場に座り込んだ。否、立てなかった。
大きな体を半分にして道路脇に背を預け天を仰げば、絶妙のタイミングで大地の恵が頬を濡らす。
(おてんと様まで馬鹿にしやがる…)
何故母国に帰国してまで、こんな惨めな思いをしなければならないのか。
自分にNO.2など務まるのか。
ボスの座など爪の垢程にも興味がない事を、どうして彼らは理解してくれないのか。
(ちくしょー…)
惨めでふがいなくて悔しくて。
遠くに落雷の音を聞きながら、家光はその場で意識を失った。
※※※
(……?)
まず最初に、見えた天井に違和感を覚えた。
次いでベッドのサイズが合わない事に気付き、ようやく素肌に感じる温かさに、はっきりと覚醒した、が
「……?!」
猛烈に後悔した。
何故か下着以外身につけておらず、ホルダーに吊っていた愛銃どころかパスポートなどの貴重品も無く、極め付けは
(誰だこの子!?)
うつ伏せのままサイドテーブルで寝ている、白いキャミソール姿の見知らぬ少女。確実に年下。見える顔は好みで可愛い。そしてこんな状況下で予想出来るのは、ただひとつ。
(え、ちょ、まてまて記憶が無いんだが)
これが隣で眠っていられようものなら間違いなく終わった後なのだろうが、如何せん不明すぎる。とりあえず、敵対ファミリーの刺客、ではなさそうだが。
(全く見ず知らずの女の子とヤったのか俺…もしかして無意識のうちにこの子襲った!?)
「…い、いいくら何でもそんな最低な真似はしてない、絶対してないしてないしてない…!」
「ん………ぅ…?」
「!!!」
家光が誰に対してか分からない言い訳を繰り返していると、少女――――奈々が体を起こし、ゆっくりと目を擦った。家光は努めて笑顔で、かつ爽やかにと心中で呪文のように唱えながら、奈々へと声をかけた。
「………」
「………どう、も、」
「………、………」
「…………あ、の…?」
「……!!」
一瞬の後、菜々は思いっきり悲鳴を上げた。
※※※
「本当にごめんなさい、いきなり酷いことして…」
「いや…」
家光の前に、ほんわかと湯気の立つマグカップが置かれる。
それを有り難く頂戴して、ようやく話が出来そうだとこっそりと息を吐いた。
あのあと、奈々は家光に向かって手元にあった目覚まし時計を力の限り投げつけ、それが命中してから、そういえば目の前の男を部屋に入れたのは紛れもなく自分だったという事実を思い出した。
家光は渡された荷物から急いで洋服を引っ張り出し、奈々は部屋着を着て―――落ち着き、今に至る。
「えぇと…よければ経緯を聞きたいんだけど……」
苦笑を浮かべながら頬をかく家光の額には、くっきりと赤い筋が残っている。奈々は下がっていた眉を更に下げ、ゆっくりと話だした。
「……学校から帰ってきたら、アパートの前に貴方が寝てて、……雨も酷かったし、…そのままにするのも悪いと思って……」
決して寝てた訳では無いのだが、なんだかニュアンスがイヌネコを拾った感じに近いのは気のせいだろうか。
しかし“獅子”たる自分があっさり下着一枚にされていたのも笑えない。家光は頭を切り替え、奈々との会話を続けた。
「学校?」
「製菓学校です」
「セイカ…、えと……?」
「あ、こんな字です」
奈々は電話の横にあったメモに、製菓、と書いた。そこでようやく言葉が繋がり意味を理解する。
「…、お菓子…を作る学校?」
「はい」
「すごいな……、しばらく帰らない間にそんな学校が出来てたなんて……」
家光の感嘆に、奈々は大きな目をぱちぱちさせてから首を傾げた。
「…もしかして、外国にいたんですか?」
「あ、あぁ……イタリアに、」
「イタリア!素敵、一度行ってみたいと思ってたんです!」
「え、」
「イタリアってどんな所なんですか?どんな家でも本当にパスタが常備100袋あるんですか?1日トマト食べない日があると死んじゃうって本当ですか?!」
「ま、待った待った!」
(顔、顔近い!)
奈々のキラキラした眼差しに、家光は思わず後ろへのけぞる。良くも悪くもかなり誤認されている。国と国との距離が生み出す物は恐ろしい。矢継ぎ早に質問を重ねる奈々を見ながら、
(…名前聞いてないし名乗ってもないんだが…)
発言するチャンスは無さそうだと、家光は諦めた。そうこうしている間にも、奈々の一方的な会話は止まらず、そしてとんでもない事を言い出した。
「そうだ、このまま泊まっていってください!」
「え゛!?」
「私、まだまだいっぱいお伺いしたい事があるんです!ご飯いっぱい作りますし、ベッドもお譲りします、だから………、…………えと、お名前は?」
「…家光、沢田家光。…君は?」
「奈々です、家光さん。………あれ?」
「……、今晩だけお世話になろうかな、奈々ちゃん」
こんなに人が良くておっとりした子を一人にしておくのが非常に心配になり、――――家光は、奈々の提案に笑顔で応えた。
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「――…こうして、超かっこいいお兄さんは、天使のような可愛くて優しい女の子に助けられ、二人は仲良くなりました!……どうしたツナ?」
ひらがなも書けない我が子に、満足そうに嫁とのナレソメを語った家光は、かなりの上機嫌だった。しかしツナはバタバタと暴れだす。
「かっこわるいー!おとこがおんなにたすけてもらうなんてかっこわるいー!!」
「そうだなーかっこわるいな!でもなーツナ、超かっこいいお兄さんはなー実は超強かったんだ!」
息子の暴言もなんのその。家光は水を得た魚のように生き生きと息子に自慢を続ける。幼いツナは『強い』という言葉に勢いよく反応した。
「ホント!?」
「ほんとほんと!ある日な、天使のような可愛くて優しい女の子がな、超かっこいいお兄さんの敵に見つかっちゃうんだ…ま、超かっこいいお兄さんの敵じゃなかったけどな!」
「それもききたい!」
「イイコにおひるねしたら、な!」
「あらあら、気持ちよさそうね」
しばらくして帰宅した奈々が見たのは、庭先で一緒に眠る家光とツナの姿だった。