<あとがきに代えて>  
 
「現代戦が悲惨なのは、騎士道精神が消えたからだ」  
「現代戦が悲惨なのは、戦場に民間人がいるからだ」などと言う人が時折いる。  
私はこれに賛成できないが、この論をよく聞くこともまた事実である。  
 
 
 彼らは既にそこにいた。  
私は少々面食らったが、ビーチテーブルの上にダイブコンピューターとログブックが出ているのを見て合点した。  
 彼女が先に私を見つけてひらひらと手を振った。サングラスが反射し、光った。  
彼らは椰子の木の下にちょうど良い場所を見つけていた。  
二人とも、今は飲まないという。尤も夕刻はその限りではないらしい。  
私はアイスティーを注文した。彼らのために、である。  
そして、彼らは話し始めた。  
 
「作戦は、私が地下に移されたときからはじまっていたんです。私物を移し終わるのとほぼ同時に上陸準備爆撃の1波が来ました」彼女は苦笑した。「正直言って、血が騒ぎましたね――私が受ける側でも!」クレトフが笑った。  
 
 水平線をドーニが横切る。発動機付きのモノではなく、古き良き三角帆だ。最近では本当に少なくなってしまった。  
砂浜では少年たちが砂で砦を作っている。四方に塔を持つ本格的な作りだが、悲しいかな、汀線がすぐ近くに迫っている。  
 
「我々にはもう選択肢が無かった」彼はテーブルに指で図を書いた。  
「南部と北東部で戦線が決定的に破れていた。反撃に投入できる兵力は既に無かった」  
「そう、分かりきっていた結末だ」  
「『退却を抹殺せよ』 それが命令だった。命令がある以上、それに従うのは当然だ。  
「君は日本人だったな? 太平洋戦争のとき、フィリピンの日本軍は最後まで抗戦し、玉砕した。  
だがその結果として米軍の部隊を拘置し、本土侵攻作戦は2ヶ月は遅れた。だから今の日本がある。  
我々はアンダヤの山下方面軍になっていた可能性もあったんだ。結果としては無意味になってしまったがね」  
 
「自衛隊は良い。必要なら後退し、再起を図ることが政治的に許容される。我々は違う。  
後退する余地があるときですら、それが戦術的に妥当なときですら、それは利敵行為と見なされる。  
「いずれにせよ、我々には弾薬が無かった」  
「エーと、小銃弾で全力戦闘半日分だな。  
迫撃砲弾が…1斉射かそこらだった。対戦車ミサイルは底をついていた。榴弾砲は全滅していた。  
燃料はほとんど無かったが、これはあまり関係なかったな。車輌は殆ど破壊されていた」  
「実は、我々は太平洋戦争、南洋諸島での日本軍の防衛戦を少々研究していた。  
島嶼での劣位防衛戦という点で共通点があると思ったんだが――――我々には時間が決定的に無かった。  
方面軍の工兵を総動員してようやく防御陣地が間に合ったくらいだ」  
「致命的だったのは縦深の決定的な欠如だった。我々は飛行場を守らねばならないが、海岸線から飛行場までは5キロないし6キロ――橋頭堡から少し中迫撃砲が前進すれば、もうそれで――お終い」  
彼は肩を竦めた。  
「射程内に捉えられてしまう。こちらも対迫戦はするが、如何せん物量が違いすぎた。  
それに、こちらは飛行場を固守しなければならないが、あちらにすれば最低限使用不能にすれば目的は達する。  
占領はいわば余禄だ」  
「一番警戒したのは艦砲射撃だったが、来たのがイギリス海軍で助かった。イギリス海軍の艦砲は貧弱だ。  
127ミリ砲を想定した陣地なら、彼らの114ミリ砲はかなりの余裕を持って耐えられた。  
アイスランドにはアメリカの戦艦が投入されていたが、あれが来たらかなり危なかった」  
ちなみに彼が言っているのは正真正銘の戦艦で、アイスランド奪還作戦には米海軍の「アイオワ」級戦艦が投入されている。  
 
「もっとも、あのときほど恐ろしかった事は無かった」  
クレトフは白状した。  
「セルギエンコやタランがまだ抵抗しているのが嘘のようだった。もう中隊本部は瓦礫の山になってしまっているんじゃないかと何度思ったか知れん」  
 
確かに兵力の逐次投入は愚の骨頂だ。だが、他に何が出来た? 第4中隊は、本来存在しないはずの部隊だったんだ」  
「野戦病院に数時間いたからと言って、傷が完治するはずがあるかい?  
第4中隊の大部分は、常識で言えば戦闘不能の兵士だった。偵察部隊も空爆でみんな負傷していた。  
イリーナの基準で言えば、戦闘可能なのは高々3分の1程度だった。  
残りは皆、生還を期し難いことを承知で志願した重傷の連中だった」  
「工兵中隊は、第2波攻勢の発起時にはまだ壕の修復に従事していた。投入可能になったのは翌日の0400時だ。  
その10時間を待っている余裕は我々には無かった。賭けるしかなかった」  
「最善を尽くした。だが、どうしようも無かった…」  
 
 彼はすっと目を細めた。テーブルの上で握った拳が震えた。  
そのとき、彼がいるのは平和な南国ではなかった。彼の心はあの地獄のような攻防戦に立ち返っていた。  
隣に座っていたスーザンが、静かに両手でクレトフの拳を包んだ。  
 
 スーザン・パーカー、ノルウェー空軍中佐。TACネームは<バニー>。  
77年、ノルウェー空軍米国派遣団の一員として渡米。  
エドワーズ空軍基地のF-16合同テスト部隊に参加した後にAMRAAM評価試験に参加。  
83年春に帰国し第331飛行隊に配属され、開戦前年小隊長として第332飛行隊に転属し、開戦に至る。  
第1次アンダヤ戦において6機のMig-29を撃墜し、ノルウェー空軍初の女性エースとなる。  
 
 その卓越した戦歴にも関わらず、彼女は実に気さくだった。  
彼女個人の優しさと、全身からにじみ出るファイター・パイロット特有の威厳が程よく交じり合い、同席していて実に気持ちが良い。この雰囲気が、亡命直後のクレトフにとって最大の慰めとなったであろうことは容易に想像できた。  
彼のような活動的な人間が片足を奪われ、前のように山野を跋渉することができなくなると相当なフラストレーションが溜まる。だが、彼は彼女の中に大いなる慰めを見出しただろう。  
 ちなみにクレトフは改名した。今はその名をサミュエル・A・クラークと言う。  
だが私にとってはいつまでもクレトフはクレトフであり、パーカーはパーカーである。  
 
 スコールが来た。この島の天気は変わりやすい。  
周囲で茫と寝そべっていた人々が、慌しく建物の中に入っていく。  
我々だけが動かない。  
ざわざわと頭上で音がする。  
椰子の葉から漏れた水滴がプラスティックのテーブルを打つ。白い砂浜に小さな窪みを穿つ。  
 雨はすぐに上がった。スーザンがかすかに濡れた髪を払い、サングラスを拭った。  
その肌は金色をおびた日焼けの色を残しながらも美しく、青灰色の目は青いTシャツに良く合っている。  
髪はもう少し伸ばしたほうが良いと思うが、ファイター・パイロットというのは髪型を気にしたくなる職業では無い。  
 
「後で、聞いたんですよ」二人は顔を見合わせて笑った。「本当に私が撃つと思ったのか、って」  
「撃たないと思った――私も撃てなかったから。でも、撃って欲しかった、と言いました」  
 
「結局のところ、私は自分がアンダヤ戦を生きのびるとは思っていなかったんだ。だからこそあんな行動に出た」  
「無論、今は違う」  
「こんな風に収まるとは思っていなかったよ。それに、まさか自分がデスクワークを本業にするとはね!」  
クレトフは大笑した。国防シンクタンクの仕事からデスクワークを取ったら何も残らないだろう。  
「船上――RFA『リライアント』だったかな、大きくてヘリコプターをたくさん積んでるフネだったが、そこで遠ざかる島影を眺めていたときに、自分の前に新しい地平が広がっていることに気が付いた」  
「ソロキン、第3中隊長だが、彼の姪はあのプスコフの爆弾テロで死んでしまった。  
私はソロキンを戦前から知っていて、スヴェトラーナとも会ったことがあった。  
そのスヴェトラーナを殺した真犯人がKGBだったと聞いたとき、何かが壊れた。ソヴィエト――ロシアが厭になった」  
「亡命すれば周りの人は散々なことになるが、私の場合は親族がいなかった」  
「で、彼女に申し込んで、そのままスミス大佐に会いに行った」  
「まあ、結局その3年後にソヴィエトが崩壊したんだけどね」  
彼は笑った。  
「後悔したことは一度も無い!」“I've never regretted it!”いい響きだ。  
 
「連邦崩壊後、1度みんなで集まった」  
「エーッ?」  
「セルギエンコ、ソロキン、デミヤン、タラン…生き残った士官はほとんどみんな来た」  
「それと、海兵隊側からも…ブッシュ少将は日程が合わず駄目だったが、レイノルズ,スミスたちが来てくれた」  
スーザンはハンドバックからビニール袋を取り出した。その中には一葉の写真が入っていた。  
あの慰霊碑の前で、今は亡きソヴィエト陸軍空挺部隊の野戦迷彩服と、海兵隊の冬季戦迷彩服が、肩を組んで笑いあっていた。  
 
 二人は潮騒を聞きながら、テーブルの上で手を重ねあわせた。そして、太陽が海に沈もうとしている彼方へ目をやった。  
彼らにとって、夕方、太陽がその静かな海に没するのは、美の奇跡だった。いま水平線がくっきりと円板を切り取っている。  
どんどん太陽が沈んでいくのを、二人は無言で見守った。  
赤い陽がスーザンの髪に映え、燃えるように光っていた。二人の焼けた肌が金色に光っていた。  
 
 このちょっとしたインタビューを以って、彼らはひとまず私の手を離れる。私が餞別代りに用意したこの南国での休暇をふたりが楽しんでくれることを、私は心から願っている。  
 
 
 私は再び写真に目を戻した。  
写真は、今や夕日に照らされて、温かく、赤く、染まっていた。  
かつてはそれぞれの国家を背負って戦った男女が、肩を組んでカメラに笑みを向けていた。  
 突き詰めて言えばこれこそが私がこの稿で書きたかったことである。  
そして同時に、私がこの半年余りに渡って書いてきたことは、冒頭の問いに対する私なりの答えでもあるのかもしれなかった。  
 
<了>  

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