「彩木です‥」  
「どうぞ」  
A別館は相変わらず薄暗い。地下室の主の姿が青白いモニタの光に照らされている。  
「あの‥今日は何でしょうか?」  
「次の事件の資料が届いた。頭に入れておいて欲しい」  
バサッと分厚い書類が置かれる。  
「はい。‥‥あの、ちょっとソファお借りします‥」  
書類を受け取ると、くるみはよくボブが座っている大型のソファに腰をおろした。  
「?‥2、3日中に動きがあると思うが、それまでは待機していてくれ。  
今日はもういいぞ、ご苦労様‥‥」  
それだけ言うと、氷室はくるりと椅子を回転させ、再びコンピュータに向かう。  
「‥‥」  
地下室には、カタカタとキーボードをはじく音だけが響いていた。  
 
氷室は調べ物を続けていた。  
「う・っ‥!」  
ふいに、押し殺したような女のうめき声。  
「!!彩木くん‥?なんだ、まだいたのか?」  
くるみは、さっきと同じ場所に座ったまま、目を閉じていた。  
背もたれによりかかった上体は少し斜めに傾いている。  
氷室は椅子から立ち上がってソファにつかつかと歩み寄る。  
「勤務中に居眠りとは‥大したものだな」  
呆れたようにくるみを見下ろすが、ふと、その瞼に涙がにじんでいるのに気がついた。  
「うっ‥‥いや‥助けて‥‥氷室警視‥‥!」  
必死に手で何かを払いのけている。思わず氷室はかがんでくるみの手首を掴んだ。  
「彩木くん、夢だ!目を覚ませ!」  
びくんと体を震わせ、くるみが目を開ける。  
氷室の姿を認めると、みるみる瞳から涙が溢れ出した。  
「け‥警視‥!」子供のように氷室の首にすがりつく。  
 
「夢を見ていたんだろう。大丈夫か?」氷室はくるみの隣に腰かけた。  
氷室の肩に顔を押し当てたまま、くるみはしゃくりあげている。  
「短期間にいろいろあったからな‥。よく見るのか、そういう夢は?」  
「と、時々‥‥」たどたどしい答え。  
「君ならできると信じてやらせている。実際君はよくやっていると思う。  
が、ギリギリまで頑張らせてしまっているということもわかっている‥。  
あまり辛いようなら、辞めるというのも一つの選択だ」  
じわり、とまた涙が湧く。顔を伏せたまま、くるみは首を横に振る。  
「そうか‥私にとってはありがたいが‥」  
氷室が身じろぎをした。反射的にくるみは顔を上げる。  
すると、唇に何かが押し当てられた。  
 
あたたかい‥‥なに‥‥?  
くるみは何が起きているのか分からず、閉じていた目を開ける。  
氷室の端整な顔。  
警視‥‥?  
「ぅん‥‥んっ‥‥ん‥‥」  
息ができない。それなのにこの甘美な感覚。  
氷室のシャツを握りしめる手に力がこもる。  
ようやく唇が解放された。  
「は‥はあっ‥‥はあっ‥‥」  
熱く、甘い喘ぎが氷室の首筋に、胸元にかかる。  
 
氷室は訝し気な表情をしていた。  
「こんな衝動が私の中に残っていたとは‥意外だ‥‥」  
携帯から聞こえる声より、低く、湿っている‥。  
胸郭を通して直に耳に響く声は、そのかすかな振動が心地よい。  
ぼんやりとそんなことを感じていたくるみは、また別の事に気付いた。  
パパとも伸吾ともちがう匂い‥‥。氷室警視の匂いだ‥‥。  
頭の芯がくらくらする。  
くるみは氷室の正面から首に両手を回し、氷室の唇を求めた。  
体の奥で、小さく欲望の火が燃え始めていた。  
 
繰り返されるくちづけ、終わりのない愛撫。  
全身が熱を持った感覚器官になったようだった。思考は停止している。  
短いスカートはすっかりまくれ上がり、腰まで露わになっている。  
太腿を滑る手がゆっくりと上がってこようとした時、ふとくるみは思い出した。  
あっ‥‥ダメ‥待って‥‥!あたし、まだシャワーを浴びてない‥!  
そんなのだめ、恥ずかしいよぉ‥!!  
 
「あっ、あの‥!」声がうわずった。  
氷室は動きを止める。  
「シャ、シャワーを‥使わせて下さい‥」  
「こっちだ」  
氷室はソファから立ち上がり、くるみに手を差しのべる。  
その手につかまろうとして、くるみは無防備に氷室の顔を見てしまった。  
顔から火が噴き出す。  
「!け‥警視!‥‥口紅が‥ついてます‥‥!ゴメンナサイ!」  
氷室は少年のように、拳でぐいと口元を拭った。手の甲に、くるみの  
ラズベリーピンクの口紅がついている。  
「‥当然だな」  
目の端で捉えたためか、気が動転しているせいか、その顔はにっと笑ったように見えた。  
 
くるみはひとり浴室に入って、扉を閉める。  
服を脱ぎ、畳んだ服を扉近くの棚に収めた。  
中に進み、栓をひねると、上部固定式のシャワーヘッドから熱い湯がほとばしる。  
白い湯気が立ちのぼり、いっぱいにこもった。  
ベージュのタイル張りの浴室はやや照明が暗かったが、氷室の居室よりははるかに明るかった。  
 
全身に湯を浴びながら、くるみは石鹸受けのバスソープを手にとって泡立てる。  
立ち位置を横にずらし、姿見に全身を映した。曇りを腕で拭い、顔を覗き込む。  
口紅はすっかりとれていたが、化粧崩れはしていなかった。  
爽やかな香りの泡を首に、腕に、胸に、塗り付けていく。  
胸に触れると、先程の記憶と氷室の手の感触が蘇り、独り赤面した。  
胴回り、尻、太腿、そして、脚の間。  
ぬるり、と指が沈む。そっと指を滑らせると小さな突起に触れた。  
「あっ‥」鋭い快感が体を貫き、くるみは思わず身震いした。  
と、突然、立ちこもる湯気がふわり、横に揺れる。  
「‥‥え?」  
湯気の向こうに氷室の姿が現れた。  
 
「きゃああ!」くるみは壁に張り付く。  
「きゃあはないだろう。悪いが顔を洗いたい」  
「‥‥」羞恥で胸がきゅっとする。その原因を作ったのは自分だ。  
無断で入って来た氷室を咎める気持ちはあったが、言葉にはできなかった。  
狼狽するくるみをよそに、氷室はさっさと服を脱いでシャワーに近づく。  
流しっぱなしの湯から沸き立つ湯気で、浴室内は靄がかかったようになっている。  
「すみっこに居れば余り見えないかも‥」くるみは後ずさって氷室と距離をとり、  
湯気の中の姿を見ていた。  
 
氷室は石鹸を泡立て、泡のついた両手で顔をがしがしと擦る。  
湯滝の中にもぐり込み、頭から湯を浴びながら首を軽く左右に振る。  
やがて濡れた長い髪を手櫛で後ろに流して顔の水を拭い、  
ふう、と息を吐いてくるみの方を向いた。  
「‥!」  
氷室の顔を見て、くるみの目は丸くなる。  
 
長い髪がぴたりと頭部になでつけられ、シャープな顔の輪郭がくっきりと浮かぶ。  
涼やかな瞳は、力強く、射るような鋭さでくるみを見つめている。  
頭がすっきりとした分、首の太さ、肩幅の広さ、胸の厚みが目立つ。  
「なんだ?‥まだついているのか?」  
「!‥いえっ、もう落ちてます!‥‥警視って‥そういう顔だったんですね‥」  
「どういう意味だ。ずっとこの顔だが‥」  
くるみは魅入られたようになって言葉が続かない。  
氷室は泡まみれのくるみの腕を取って、ゆっくりと引き寄せた。  
そんな状況を警戒していたはずが、くるみはいとも容易く抱きすくめられる。  
陶然とする中で、突然腹部に固い物が当たっているのに気付く。  
肩から背中、腰をなぞっていた氷室の手が脚の間に滑り込んだ。  
‥‥今?ここで‥‥?!  
「‥ま、待って!いや‥ここじゃ嫌」  
くるみは氷室の腕を振りほどき逃れようとするが、逆に上腕を掴まれ鏡に押し付けられた。  
 
自分と鏡との間で押しつぶされた胸が痛い。  
くるみの脚の間には氷室の体が割り込んでいる。  
入り口に押し当てられている物が自分の中に入り得るとは、到底思えない。  
体は氷室を受け入れる準備が整っていたが、心が怖じ気付いていた。  
くるみは半泣きになっていやいやをする。  
許して欲しい、と懇願したつもりだったが、却ってそれは氷室を誘う結果となった。  
「あ・あ‥っ!」  
音を立てんばかりの痛みと共に、異物が割り込んでくる。  
くるみの体の中に侵入を阻もうとしているものがあったが、  
ぷつん、と衝撃があったきり抵抗が消える。  
氷室の体はさらに奥深く入った。  
くるみは声にならない悲鳴を上げる。  
曇った鏡にはぼんやりと自分が映っていた。そして、その向こうに男の影。  
背後から自分を犯しているのはまぎれもなく氷室のはずだったが、  
全く別の誰かのようにも思えた。  
 
しばらくして氷室が体を離した。  
くるみはそのまま鏡に寄りかかっている。  
とろりとした液体がくるみの中から流れ出し、内股を伝っていく。  
そこに一筋の鮮血。  
氷室はくるみの肩を抱いて、シャワーの水流の中へ入る。  
くるみはうつむいたまま、排水溝に流れてゆくかすかな血の色を見ていた。  
 
氷室が栓をひねり、流れ続けていた湯を止める。  
棚の方へ歩むと、バスタオルを広げ、腰にまく。  
もう一枚バスタオルを取り出し、くるみの頭からふわりとかぶせ、  
体にくるくると巻き付けた。  
繭のようになったくるみを両腕に抱き、浴室の灯りを落として出ていく。  
 
浴室に比べると、寝室は薄暗かった。  
氷室はくるみをベッドの中央に横たえ、自分は端に腰をかける。  
くるみは繭になったまま動かない。氷室も無言を続けていた。  
 
やがてくるみが諦めたように口を開いた。  
「あの‥!ベッドがあるのに、どうして‥お風呂場なんかで‥‥あの‥」  
「‥いくつか理由はある‥」  
「理由‥?」  
「浴室は遮音性が高い。中の音は外に、外の音は中に聞こえにくい。‥余計な雑音に  
邪魔されるのは迷惑だからな」  
「‥‥。それから‥?」  
「君に破瓜の訪れる可能性が低いながらもあった。‥‥水場は処置に便利だ」  
「??それって‥どういう‥意味ですか?全然わからない‥もっと分かりやすく言って下さい」  
氷室はこめかみを押さえ、即答はしない。  
 
「‥‥わかりやすく、か‥。君が処女かも知れないと懸念していた、ということだ!」  
「あっ‥‥そう‥ですか‥‥」くるみの頬が赤く染まる。「ほ‥他には?」  
「まだ聞くのか?‥‥私に時間的・精神的余裕がなかった‥」  
「???なんか抽象的で、やっぱりよくわかりません‥‥簡単に言うと?」  
氷室の眉間にしわが寄る。  
「‥‥‥早い話が、我慢できなかったんだ!これ以上根掘り葉掘り聞くな!!」  
「警視‥」くるみが氷室の顔を覗き込む。  
「それって、もしかして‥‥照れてるんですか?」  
「ばっ‥馬鹿を言うな!からかうつもりか‥‥まったく‥‥」  
氷室は横を向く。  
くすくすっとくるみは笑い声をたてる。  
「あたしだってさっき恥ずかしかったんですから‥おあいこです!」  
悪戯っぽい目をして、くるみは花のように笑った。  
笑い方を忘れたという氷室のために、氷室の分まで自分が笑おうと思った。  
 
くるみは氷室の横顔を見つめていた。  
陰影が深く宿り、表情も視線の先もわからない。  
不安になってくるみは尋ねる。  
「警視‥‥怒ったんですか‥‥?」  
氷室はくるみを見た。  
「いや?‥‥何故」  
聞き返しておきながら答える間も与えず、くるみの唇に口づける。  
片手はくるみの濡れ髪に潜らせて頭を押さえ、もう一方の手で  
くるみの体に巻かれたバスタオルを開いていく。  
繭から抜け出たくるみは氷室の首に腕を回す。  
「ん‥‥んっ‥‥」  
先程よりも激しく舌が絡まる。くるみはたまらず、入り交じった唾液を音を立てて飲み込む。  
氷室は首筋、耳元へと口づけを移動させる。  
「ああ‥ん‥‥」敏感なところへと熱い息がかかり、くるみは快感に声を上げる。  
 
氷室の唇が再び首筋を通って、鎖骨へと下りてくる。  
そこで、氷室は一度くるみの腕からするりと頭を抜き、  
体の位置をくるみの脇からくるみの脚の間へと替えた。  
体重をかけ過ぎないよう気遣いながら、再び鎖骨へ、その下へと口づけ始める。  
「は‥‥あ‥‥」  
くるみはため息のような声をあげ、まだ水気の残る氷室の髪をなでた。  
とうとう乳首が唇に捉えられる。  
「あ‥あっ‥」くるみは必死でバスタオルを手繰り、握りしめて口に当てた。  
上下の唇に挟まれて圧迫され、さらに舌で摩擦を受けた乳首はきゅっと固くなる。  
「‥‥!‥‥っ!」  
口からもれる声を殺していると、氷室の手がくるみの手を押さえた。  
握った指を開かせ、タオルをそっと引き抜く。  
「彩木の声が‥聞きたい」  
頬を紅潮させたくるみは、潤んだ目で氷室を見つめ、こくんと頷いた。  
 
「あっ」  
固くなった先端を指先で弄られ、くるみは早速声をあげる。  
と思うと、氷室の手がくるみの乳房を鷲掴みにし、激しく揉みしだく。  
片手に余る豊かな胸が、大きく揺らぎながら形を変える。  
「ああっ‥‥あ‥‥あん‥」  
荒々しい愛撫に、喘ぐ以外なすすべがない。  
思わずくるみは膝を立て、脚で氷室の胴を挟んだ。  
さらに氷室は唇をくるみの腹部へ這わせる。  
肌の感触を楽しむかのように、半ば頬ずりをしながら、形の良い臍の周囲を舌でなぞる。  
その刺激にくるみの腹筋がひくひくと動いた。  
氷室はなおも下へと移動する。  
その予感に、くるみは反射的に脚を閉じようとした。  
が、氷室が一瞬早く、脚を折り曲げてがっちり抱え込んだ。  
唇が、舌が、粘膜に触れる。  
「あ‥あああ!!」  
 
余りの大声に、くるみは慌てて両手で口を塞ぐ。  
「‥どうしよう‥‥上まで聞こえちゃったかも‥‥」  
「心配するな。この屋敷は広い」  
氷室は低い声で短く答え、抱えた脚をぐいと広げた。  
「あっ」くるみの両手指の間から声が漏れる。  
氷室の舌が生き物のようにくるみの中を探り回る。  
今起きている出来事に、くるみは気が遠くなりそうだった。  
「いや‥だめ‥‥ああ‥」  
くるみの反応から、舌は小さく尖った部分を探し出し、そこを執拗に攻める。  
くるみはきつく目を閉じ、首を激しく横に振る。濡れ髪が頬にはりつく。  
手は手がかりを求め、体の下のバスタオルをきつく握りしめる。  
体が小刻みに震え始め、背を弓なりに反らす。  
「あっ‥‥、あっ‥‥、ああっ‥‥‥!!!」  
体の奥が爆発したように激しく痙攣し、くるみは目が眩んで何も分からなくなった。  
 
頬を滑る心地良い感触に、くるみはゆっくりと目を開ける。  
氷室がそこにいた。  
くるみの横に頬杖をついて寝そべり、軽く曲げた指の背でくるみの上気した頬を撫でている。  
「警視‥‥」無性に嬉しくてくるみは微笑む。  
「‥あたし、寝てたんですか‥?」  
「そのようだ。大して時間は経っていないが‥」  
ふと見ると、体にはバスタオルがかかっていた。  
くるみを気遣った氷室が、腰に巻いていた物をかけたのだろう。  
「なんだか、体がふわふわして‥‥すみません‥」  
「‥焦って起きる必要もない」  
だが、氷室はくるみに触れるのをやめない。  
今度は指先でくるみの唇をそっと撫でる。  
くるみは目を閉じた。  
こんなところにも、快感が潜んでいる‥‥。  
 
くるみは氷室の指先の感触を、氷室はくるみの唇の感触を、それぞれ楽しんでいる。  
うっとりと半開きになった唇の間に、するりと氷室の中指が入り込んできた。  
なぜか自然なことのように、くるみの舌はそれを受け止める。  
目を閉じたまま氷室の指を思い出しながら、滑らかな指先に、関節に舌を這わせてみる。  
唾液が口中にあふれてくる。  
「ん‥」舌と上顎で指を押さえ、くるみは唾液を飲み込んだ。  
氷室がゆっくりと指を抜く。  
濡れた指を、くるみの下唇に、顎に、首に、胸に滑らせる。  
指がバスタオルの縁に掛かる。氷室は静かにそれを取り去った。  
 
くるみは胸の鼓動が早まってきたのに気付いたが、もう恐いとは思わなかった。  
軽く膝を立てて控えめに脚を拡げ、氷室の場所を作る。  
氷室は体を起こしてそこに膝をつき、くるみの腰を引き寄せた。  
くるみの尻が氷室の腿に乗り、二人の腰が密着する。  
 
先端がくるみの中に潜り込む。  
「う‥‥ん‥」  
さらに奥へ。  
「うう‥っ‥‥」  
くるみは眉根を寄せ、苦痛に小さくのけぞった。  
氷室が動きを止める。  
「‥辛そうだ」  
「平気‥です‥‥。続けて‥」  
くるみは息をつきながら微笑んだ。  
再び氷室はゆっくりと腰を動かす。  
揺れながら、くるみはかぼそく、切なげな声をあげる。  
 
さっきのように目を閉じて、警視の事だけ感じよう‥。くるみは思った。  
こうして触れ合っていられるなら、警視の心に寄り添っていられるなら、  
もっと激しい苦痛でも‥きっと平気‥‥。  
 
苦痛の色を帯びていたくるみの声に少しずつ艶が加わる。  
氷室は声の変化に導かれるように体を動かす。  
段々と速く、激しくなる動きにくるみの上体は大きく揺れ、  
くるみは悲鳴のような喘ぎを漏らす。  
どこかに押し流されてしまいそうな気がして、思わず氷室に手を伸ばした。  
「‥警‥視‥‥‥!」  
動きが止まる。  
「お願い‥そばに来て‥‥」  
氷室は抱えていたくるみの腰をそっと引き離し、下におろす。  
「あ‥ぅ」  
自分の中から氷室の体が抜け出る衝撃に、くるみは声を上げた。  
 
氷室はゆっくりと体を伸ばし、くるみの上に重なる。  
くるみは待ち切れず氷室に取りすがり、汗ばんだ背中に手を回す。  
くるみの上気した乳房が氷室の胸に押し付けられる。  
場所を確かめると、氷室は一息にくるみの中へ侵入した。  
「あ‥あああ‥‥!」  
体内に生じる強烈な摩擦と圧迫感。  
激しい動きに、張り切った乳房が氷室の胸を擦る。  
くるみは夢中で氷室の唇を求め、うわごとのように呟いた。  
「警‥視‥‥。‥好き‥です‥」  
くるみの脚が氷室の腰にからまり、腰を下へ押し付ける。  
顔に汗を滲ませた氷室は苦しそうに目を閉じ、小さく唸った。  
「‥‥う‥」  
体の奥深くで氷室の体が大きく震えている。  
くるみの横に頭を落とし動かなくなった氷室の背中を、くるみはいつまでも撫でた。  
 
 
「‥あやき‥‥‥彩木‥‥」  
氷室の声に、くるみは目を覚ます。  
「ん‥‥警視‥」  
抱き合って眠っていた裸の胸に頬ずりをする。  
「また寝ちゃった‥‥」  
まだ眠そうに、氷室の首に腕を回して目を閉じる。  
「‥起きられるか?そろそろ帰った方がいいんじゃないのか」  
「‥あっ、そうだ‥!終電に間に合わなくなっちゃう!」  
「‥‥‥何を言っている。もう朝だ。電車はとっくに動いてるぞ」  
くるみが顔を上げた。「う‥‥うそォ!!」  
「嘘なものか。見ろ!‥私も寝過ごした‥‥」  
氷室の示した小さな時計は、ラッシュアワーに入った頃を差していた。  
 
「警視‥‥!服‥あたしの服がありません!」  
くるみはバスタオルを引きずり出すと、体に巻き付けた。  
氷室は呆れたように答える。「忘れたのか。‥浴室にある」  
「あっ、そうだった!」  
くるみはバタバタと寝室から出ていった。  
 
大慌てでくるみは服を身に着ける。  
「やだもう‥‥!真っ暗だから、まさか朝だなんて‥」  
そこまで言って、自分の言葉に胸が潰れた。  
氷室の部屋に、朝日は射さないのだ。  
朝も夜もわからない暗い部屋、そんな所で氷室は独り過ごしているのだ。  
一年以上も‥。  
ぱたぱたと、くるみの目から涙がこぼれ落ちた。  
しばらく声を押し殺して泣き、くるみは涙を拭って顔を洗った。  
 
くるみが身支度を整えて戻ると、もう氷室は常のごとく机の前に座っていた。  
涼しい顔でくるみを見る。  
「‥‥目が赤いぞ。どうした?」  
「え‥えと、ね、寝不足かな‥?」  
泣いたのをごまかそうと不用意に出した自分の言葉に、くるみは赤面する。  
「いえ‥な‥何でもありません!では、私、失礼します!」  
部屋を出ようとして、くるみは足を止めた。  
「そうだ‥‥お話しすることがあったんです‥」  
くるみは戻って再び氷室の前に立つ。  
「私事なんですが、‥‥結婚・退職の予定が‥なくなりました。なので、ここに、  
A別館にずっと勤務させていただきたいと思いまして‥‥」  
「‥‥そうなのか。‥無論、許可する。今後ともよろしく頼む」  
「は‥はい!ありがとうございます、氷室警視!」  
くるみは敬礼して帰ろうとする。が、また足が止まった。  
 
「あの‥華江さんには‥何て言えば‥‥」  
どう考えても朝帰り、という状況だった。  
「‥黙っていればいい。華江さんも‥たとえ気づいていても、何も聞かないだろう。  
話す時が来たら、私から話す。君は心配するな」  
「はい‥わかりました。‥‥では失礼します、氷室警視!」  
敬礼して、くるみは部屋を出る。  
 
話す時が来たら‥‥。氷室は確かにそう言った。  
そんな時は来るのだろうか。  
いや、それよりも‥氷室がこの階段を昇る時は来るのだろうか。  
一緒に‥いつか、きっと。  
そう考えながら、くるみは地上へと歩んでいった。  
 
=終=  
 

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