「こちら、ことづかった書類です」  
くるみは封筒を氷室に手渡す。  
「‥本庁まで行かせて悪かったな」  
「いいえ。私が持ってきた方が、早くて、安全、確実でしょう?」  
苦にした様子もなく、軽口めかしてくるみは答える。  
「ああ‥‥」  
氷室は封筒の中を覗き込みながら、気のない返事をする。  
「中身も間違いない。ご苦労だった、彩木巡査」  
「はい!‥あの、あと何か‥‥」  
「いや、今日はもういい。ここのところ大した事件もないしな。帰って休んでおけ」  
「そうですか‥‥では、失礼します‥」  
 
今日も、かぁ‥。  
くるみは心の奥にちくりとした痛みを感じる。  
いいもん‥‥期待してた訳じゃないんだから‥‥。  
 
この1か月近く、氷室はくるみを抱かない。  
 
はじめて関係を持ってから、時折2人は氷室の部屋で愛し合ってきた。  
さして急を要さない用事でくるみがA別館に来ると、  
氷室が求め、くるみが応じる、そんなならわしになっていた。  
愛情表現こそ口にしなかったが、氷室はくるみを慈しむように抱いた。  
体の都合でくるみが断らざるを得ない時も、気分を害する様子もなく、  
淡々とした態度は全く変わらなかった。  
 
なぜ‥‥。  
くるみには理由が見つからない。  
氷室に問うこともできない。  
氷室の肌に触れたくて狂おしくなる時もあったが、上司と部下という関係でも  
ある以上、自分から求める事はどうしてもくるみにはできなかった。  
 
あたしって、古風すぎるのかなあ‥‥。でもダメ‥できないものは  
できないんだから‥‥。  
A別館に来る機会があるたびに、氷室の真意を推し量ろうとするが、  
その表情からは何も読み取ることはできない。  
そして今日も、仕事の終わったくるみを氷室はあっさり帰そうとする。  
 
ほぅ、と小さなため息をついて、くるみは扉に向かう。  
その寂しげな後ろ姿を、氷室は固い表情で見つめていた。  
 
「‥‥彩木くん、立ってるついでだ‥このファイルをそこの本棚に  
 放り込んでくれないか‥」  
「え‥あ、はい‥‥!」  
もう少しこの部屋に、氷室と共に居られる、そんな喜びが声音に表れた。  
くるみは氷室から数冊のファイルを受け取り、本棚に歩み寄る。  
 
「けっこう重い‥えと、何段目ですか?」  
「一番上の段の空いてるところでいい」  
くるみはつま先立ってファイルを棚に押し込む。  
「よ‥いしょ。あ、倒れちゃう‥えい」  
両腕で押さえ、ふう、と一息ついてくるみは振り返る。  
「できまし‥わっ、びっくりした!」  
氷室がすぐ後ろに立っていた。  
「お‥脅かさないで下さい!」  
「悪かったな」  
氷室の顔がくるみに近づく。  
ずっと恋い焦がれていた氷室の唇、氷室の体。  
目を閉じて口づけを受けながら、くるみは氷室の背にそっと手を回した。  
 
ふいに、肩をつかまれ引き離される。  
「け‥警視‥?」  
 
突然氷室の手がスカートの中に潜り込み、下着を引きずり下ろそうとする。  
「やっ‥‥駄目‥です‥!こんなところで‥‥」  
くるみは慌ててその手を押さえる。  
「何故だ?‥誘っただろう‥‥」  
「そんな‥‥あたし、誘ってなんか‥」  
氷室の手は激しい動きをやめ、ゆっくりと下着の縁をなぞり始める。  
生じる微かな快感に抗うことができずに、くるみの手の力は抜け、  
氷室が思うまま探るのを許してしまう。  
「‥‥変わった作りだな」  
氷室はくるみがどんな下着をつけているか、理解したようだった。  
くるみの顔が朱に染まる。  
愛する人に見られるかも知れないと、いつもより少しだけ派手な下着を選んだ、  
その心を見透かされ揶揄されたようだった。  
普通の男なら、きれいだよ、素敵だね、と賞賛の言葉をいうところだろうが、  
氷室には望むべくもないことだった。  
 
氷室の指がサイドリボンの端をゆっくりと引く。  
結び目がほどけ、リボンがゆらりとくるみの腿をすべる。  
もう一方の結び目も解かれる。  
下着は頼り無い布と化して、床に落ちた。  
くるみは為すすべもなく、立ち尽くす。  
 
氷室はくるみの下着だった布を拾い上げて机の上に投げる。  
「さあ‥‥どうしようか」  
くるみのスカートの中に再び氷室の手が入る。  
「あ‥‥っ!」  
湿った脚の間をかすめるように撫でられ、くるみは身を捩って脚を閉じた。  
「動くな」  
氷室は片手でくるみの肩を本棚に押し付ける。  
「け‥‥警視‥‥いや‥嫌です‥‥」  
「嫌‥なのか‥‥?」  
 
氷室の指がやんわりとくるみの中に潜り、ぬるぬると裂け目をなぞる。  
「あ‥あぁ‥‥っ」  
くるみはたまらず声をあげる。  
「判断に迷うが‥‥。‥本当に嫌なのか‥?」  
なぶるような問いかけ。  
くるみはかろうじて返答する。  
「は‥華江さんや‥ボブさんが‥来るかも‥‥」  
「それは確率の問題だな。来るかも知れないし‥来ないかも知れない」  
「そんな‥‥。‥どうして‥‥」  
こんな風にするの、と問いたげな瞳を氷室は無視する。  
 
熱く濡れた襞の奥まで氷室の指が押し入ってくる。  
「‥あ‥ぁ‥‥‥」  
指は、まるでくるみのすべての感覚を記憶しているかのように  
快楽をもたらす。  
 
くるみは背後の本棚の棚板を手がかりに体を支えていた。  
脚の間が熱を発している。  
潜った中指は肉の中の小さな点を探り当て、押し転がす。  
小さく勃った外の先端を親指がぐいと捻り上げる。  
「‥‥っ‥‥‥ぁっ‥‥」  
内へ、外へ、じわじわと加えられる刺激にかすかな声を上げながら、  
目をつむり切なげに身悶えする。  
「あっ‥‥あぁ‥ん‥‥‥あぁぅ‥」  
氷室の的確で緩慢な指使いに、くるみは螺旋を描くように高まっていく。  
「‥‥っ‥‥‥‥は‥‥‥‥ぁ‥‥‥!」  
もはや声にすらならない息をもらし、悲しげに天井を仰いでくるみは達した。  
入ったままの氷室の指を、筋肉の小刻みな収縮が締め上げる。  
収縮の波がおさまるまで待ってから、氷室は指を抜いた。  
くるみの目にうっすらと涙が浮かんでいる。  
 
「‥‥そんなによかったか」  
くるみの顔を見て氷室は冷たく言い放つ。  
涙は大粒の玉になり、くるみの頬をつたって落ちた。  
「あ‥あたし帰ります‥‥!」  
放り投げられた下着を取り戻そうと、足早に氷室の机の間に入る。  
「‥‥まだ終わってない」  
氷室は簡単にくるみの手首を捉え、ぐいと引き寄せる。  
「いや‥‥こんな‥‥‥っん‥」  
涙声を遮って氷室が唇をふさぐ。  
息をするのも許さないほどに深く。  
「‥‥んっ‥ん‥‥‥ん‥ふ‥」  
互いの舌が上に、下に、ねっとりと絡み合う。  
頭の奥が痺れ、くるみは氷室から逃れようとしていたことを忘れかけていた。  
氷室はくるみのうなじに手を回し、かつてないほど激しく口づける。  
 
「んっ、‥‥ん‥ふっ、‥‥‥んっ‥」  
獣が仲間同士噛み合うように、やがて獲物を貪るように、  
荒々しい息の混じった音をたてる。  
あふれかえった唾液が二人の口の端から滴る。  
嵐のような勢いでくるみを翻弄しながら氷室がのしかかり、  
くるみの尻が背後の机に乗る。  
口づけながら後ろに手をつき、肘をつき、ゆっくりと押し倒される。  
漸く氷室が唇を離し、大きく息をつきながらくるみを見下ろした。  
「はあっ‥‥、はあっ‥‥、はぁ‥‥」  
くるみは目を閉じ、濡れた唇を開いたまま、胸を上下させている。  
 
衣擦れとかすかな金属の音。  
くるみの痺れた頭が、やっと氷室の意図するところを悟った。  
氷室の手がくるみの腿に触れる。  
 
くるみは思わず肩を起こす。  
「‥だ、だめ‥‥!本当に誰か‥来たら‥‥」  
「‥その時の事だ‥‥」  
膝の後ろに手が回り、くるみの脚が抱え上げられる。  
短いスカートがめくれ、肉付きのよい下腹部があらわになった。  
折り曲げられた下半身は、仄暗い中で淫らに白く浮かぶ。  
「いやっ‥やめて下さい‥‥!」  
何とか起き上がろうともがく。  
「暴れるな!」  
一喝されて、くるみはびくりと動きを止める。  
「書類が崩れる。‥‥動くな」  
 
くるみは黙って横を向いた。  
涙が流れ、机の上に落ちる。  
 
氷室は無言で自分の体をくるみの中に捩じ込む。  
「‥う‥‥ぅ!」  
くるみは苦しげに呻く。  
充分すぎるほど潤っているはずのそこが、軋むように痛んだ。  
 
これまでもくるみは挿入の瞬間になかなか慣れなかった。  
まして、ひと月空白があって、そしてこのようなやり方。  
初めてのときのように、腹部が苦痛に満ちる。  
さんざん待ち焦がれた挙句、何故こんな風に抱かれるのか、  
くるみには全く分からなかった。  
 
「‥構わない。声を出せ‥‥」  
氷室の動きに荒々しさが増す。  
「うっ‥‥あぁ‥ぅ‥‥」  
 
懸命に我慢するが、どうしようもなく声が漏れた。  
「‥‥はぁ‥‥‥う‥‥!」  
氷室が動くたび、膣が焼け、内臓が上下する。  
「う‥‥ぁ‥あっ」  
その時、電話が鳴った。  
 
一瞬、二人の動きも、呼吸も止まる。  
「声をたてるな」  
氷室が低い声で呟き、腕を伸ばして電話を取る。  
「‥氷室です」  
自分と体が繋がっていながら、他人と話をしているその声を、  
くるみは不思議な気持ちで聞くともなく聞く。  
「‥そのことですか‥‥。‥‥彼女?‥ああ、彩木巡査‥‥」  
突然自分の名前が出て、くるみはびく、と体を震わせた。  
 
思わず氷室の顔を見上げる。  
氷室もくるみを見下ろしていたが、ふっと視線をそらした。  
「いや‥そういう訳ではありません。私の都合です‥‥。  
 ‥その件については、後ほどこちらから連絡致しますので‥」  
静かに受話器が置かれた。  
 
今の話題に、自分が何か関係している。一体何が‥。  
「い、今の‥」  
「黙っていろ。君には関係ない」  
ぴしゃりと拒絶され、くるみは凍えるような寂しさを覚えた。  
再び涙があふれ出し、とぎれとぎれに話す。  
「‥‥お願い‥せめて、寝室に‥行かせて‥‥。お願いです‥‥」  
氷室の表情が歪む。  
「‥わかった‥‥来い」  
 
くるみは氷室に腕を取られ、寝室へ歩いた。  
腕を掴んだ手が、ベッドに昇るよう促す。  
ゆっくりと、くるみは氷室に背を向けて横たわろうとする。  
「‥うつ伏せになって膝を立てろ」  
ベッドがぎしりとゆらぎ、氷室の気配がそばに来る。  
一瞬動きを止め、くるみは言われた通りの姿勢をとった。  
氷室の手が腰を更に引き上げると、スカートがぱさ、と裏返る。  
くるみは氷室の枕を抱きしめ、顔を埋めた。  
 
「‥あっ‥‥‥ぁあ‥‥ぁ」  
肉を押し分けずぶずぶと入って来るものの衝撃に、  
くるみはくぐもった悲鳴をあげる。  
だが、深々と突き入れては出て行ってしまうかのように引く、  
そんな繰り返しにくるみの体が少しずつ感応し始める。  
 
「‥あぁ‥‥‥ぁ‥んっ‥‥」  
ぐいと奥まで貫かれるたび、こらえきれない刺激がくるみを襲った。  
長い間の熱い渇望が満たされつつある歓び。  
氷室の冷たい態度も被虐的な体位も、もはや取るに足らない。  
「は‥‥ぁ‥‥‥‥あ‥」  
もっと、強く‥。もっと、奥まで‥‥。  
その言葉が脳裏に浮かぶより早く、くるみは体をくねらせて氷室にねだる。  
「‥‥うぅ‥ん‥‥ん‥‥‥」  
 
一層激しくなる動きに、くるみの膝はシーツの上をずるずると滑った。  
氷室はその脚を伸べてやり、腰を少しだけ上げさせて結合を保つ。  
「あぁ‥‥っ‥」  
仰け反るくるみの上に覆い被さるように両手をついて、脚を重ねる。  
 
「あ‥‥ぁっ、あ‥‥っ、ぁ‥‥ん‥」  
変化した角度により新たな摩擦が生じ、くるみはさらに喘ぐ。  
シーツをかきむしり、左右に体を捩る。  
くるみの両手を押さえ付け、氷室はとどめを差すように二度、三度、  
奥深く突いた。  
「ぁ‥っ、あ‥ぁ‥‥ん、‥はあぁ‥ぁ‥‥!」  
くるみは鼻にかかった泣き声のような悲鳴をあげた。  
全身を小さく震わせ、やがて静かになる。  
自分の名を氷室が囁いたような気がしたが、夢とも現とも知れなかった。  
 
くるみは手足を投げ出したまま動かない。  
虚ろな目でシャツ一枚の氷室が部屋を出ていくのを見ていた。  
何か気になることがあったはずだったが、体も、頭も、泥のように重い。  
 
 
目を開けると、元のように服を身に着けた氷室が脇に腰掛けていた。  
 
氷室はくるみを見ないで話す。  
「浴室を使うといい。‥済んだら帰れ‥‥」  
ああ‥そうだ‥‥。くるみは目を閉じる。  
「そして、もうここへは来るな。君のA別館での勤務は今日で終わりだ‥」  
耳を疑い、くるみは半身を起こした。  
「え‥‥。今‥‥なんて‥」  
氷室は答えようとしない。  
「‥警視!それ‥どういうこと‥ですか?」  
「‥‥後任を探してもらう‥‥。さっき持ってきてもらったのは‥  
 そのための申請書類だ」  
 
「あ‥あの、あたし、何か‥‥」  
「‥‥君に落ち度はない。なるべく早く、元の‥交通課の仕事に  
 復帰できるよう、手配する‥‥」  
くるみは氷室ににじり寄る。  
「どうしてそんな‥‥。‥‥あたし、今の仕事、好きです‥!  
 危ないこともあるけど、でも‥警察官になって良かったって‥。  
 もっと頑張りますから、辞めろなんて、言わないで‥‥。  
 お願いです、警視!‥警視のお手伝いが‥‥」  
 
「‥それが駄目だと言っている!!」  
くるみの言葉を遮るように氷室は声を荒げた。  
「‥警‥視‥‥?」  
尋常でないその声にくるみは怯む。  
 
「‥私の命令で、君はもっと危険な現場にも飛び込んでいくだろう‥。  
 そうして君に万一の事があったら‥‥どうすればいい‥‥。  
 お前まで失うようなことになったら‥‥‥今度こそ‥俺は狂う‥」  
暗い目をして、独り言のように呟く。  
「いや‥‥狂えればまだマシだな‥‥‥」  
 
既に狂気に蝕まれたかのような氷室の背を、くるみは抱いた。  
「‥警視‥‥。私の事、心配してくれてたんですね‥‥だから‥」  
努めて明るい声で話す。  
「嬉しい‥‥。でも‥‥私、そんな頼りないですか‥?」  
氷室は何も言わない。  
「‥‥自分では、随分タフになったつもりなんだけどなぁ。  
 時々射撃の練習もしてます。あ、でも、いばれる成績じゃ‥」  
 
「私‥‥どんな時でも警視が助けてくれるって信じてます。  
 でも、自分でもできるだけのことをしなくちゃ、って‥‥。  
 警視の足を引っぱってたらカッコ悪いですもん。‥そうでしょう?  
 だから、私の事、もう少しだけ信じて下さい‥。そんな風に心配しないで‥」  
くるみは氷室の背に頬を押し当てる。  
 
氷室がぽつりと口を開く。  
「‥‥酷いことをした‥」  
くるみは首を横に振る。  
「‥警視の方が苦しんでました‥‥‥たぶん‥‥‥。  
 ‥‥あの書類、捨ててくれますよね‥‥?」  
「ああ‥‥そうしよう‥‥」  
氷室の声と鼓動を聞きながら、くるみはいつまでもその背中を抱いていた。  
 
 
 

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