『仮面』 
 
「くぅ!・・・あぁ!」  
まいったな、ここまで私が苦しめられるとは。  
寄生された右脇腹から激しい痛みがくる。こいつはその場所から触手を脳へと伸ばしているらしい、少しずつ侵蝕される度に私の体は焼けるようだ。  
「少し・・・おイタが過ぎるぞ。ガキはガキらしく寝ていろ・・・」  
額からは脂汗が滲み、立てなくなるまで体力を奪われた私は、膝をつき 背中を『く』の字に折った状態で痛みに耐えた。  
地面に汗で模様が描かれる。  
「これが一週間続く、か。カズキが突撃槍を使いこなせるようになる前に 
 私がおかしくなりそうだな・・・」  
つい他人事のように笑ってしまった。  
自分が思っている以上に精神的にまいっているのかもしれない。  
 
パミィィ  
また侵蝕を始めたようだ。『胎児』の触手が私の肉と神経の間をメリメリと 無理矢理こじ開けるように進んでいく。  
「うああ!!!あぁぁぁ!!!」  
ゆっくりと、しかし確実に上に登っている。脇腹を抑えると皮膚の内側で 蠢くものを感じた。それを知ると寒気と不快感が私を支配した。  
 
時計を見る。AM5:00。  
もうすぐ朝がくる。また眠れなかった・・・これで2日連続だな。  
痛みと疲労で意識が朦朧とするなか、ふとカズキの顔を思い出した。 
あの時のようにカズキが抱きしめてくれたらこの苦しみも和らぐだろうか・・・  
(カズキ・・・たす・・・)  
私は自分が人にすがろうとしている事に気づく。  
自分の中でカズキの存在が大きくなる事のほうが恐くなった。  
「駄目だ!カズキに頼るな!」  
全身に力を込める。 
「耐えろ!弱い所を見せるな!見せてしまったら・・・」  
ガリッ  
舌を噛んだ。口の中にぬめりとした鉄の味がひろがる。  
飲みきれなかった分が閉じた口の隙間から垂れた。  
 
さっきよりも痛みがひいた。  
私は姿勢を戻し、大きく息を吐いた。  
「フゥ・・・よし、いい子だ」  
 
 
「ごめん!斗貴子さん!!寝坊しました!!」  
「遅いぞ!時間がない、さっさと始めるぞ」  
「は、はい!」  
「まずはいつも通り、無音無動作で発動する練習だ」  
「ええ〜また?時間が無いんだし実戦的なことからやろうよ」  
「馬鹿者!!基礎を疎かにして何が実戦だ!つべこべ言わず始めろ!!」  
「はいいい!!」  
 

 

 私に『胎児』が寄生して5日目が過ぎた。カズキの修行も最終段階に入り、  
教える私にも自然と力が入る。正直ここまで彼が強くなるとは思わなかった。  
飲み込みがいいのか才能があったのか、どちらにせよこれで彼の生き残る確率は増えただろう。  
私は巻き込んでしまった責任をとらねばならない。  
いつか、彼が元の普通の生活に戻れる時まで・・・。  

 ガキン!と金属同士がぶつかった大きな音が人気の無い河川敷に響く。  
音を発した原因ともいうべき私とカズキは、それぞれ相手と一定の距離を保ちながら  
着地する。私たちはお互い相手の動きをうかがいながら刃を向かい合わせていた。  
しばらくして私はカズキに向けていた死刑鎌を核金に戻した。  
「午前の特訓はここまでにしよう。カズキ、昼食を食べてきなさい」  
外出するようにうながす。  
何気なく話したつもりだ、顔にでてない事を祈る  
「わかった、食べてくるよ。・・・えっと斗貴子さんは?」  
「私は持参している。キミは無いのだろう?食べてこないと午後がもたないぞ」  
お願いだ、はやく行ってくれ・・・。  
「そっか・・・。じゃあ行ってくるよ」  
カズキは軽く私に手を振って駆け足で去っていった。彼の背中が見えなくなったのを  
確認して、私はその場に崩れた。  

「ぐっ!うぁぁ!・・・」  
たまらず呻き声を出す。胸を抑えて私はそのまま痛みで動けなくなった。  
また始まったか。最近侵蝕の間隔が短くなった。以前よりも『胎児』は活発に活動し、  
今のように昼間に侵蝕がやってくるのも珍しくない。  
「そう急かすな・・・今は、まだダメだ・・・」  
『胎児』に震える声で言い聞かせる。そうだ、カズキにこんな姿を晒してはいけない。  
もし見られたら彼は自分を責め、私の忠告など聞かずに一人で敵のもとへ向かうだろう。  
それだけは避けたい。いくら彼が上達したといってもまだまだ荒削りの部分がある。  
カズキを元の生活に戻すまでは私は休んでなどいれない。彼の無茶を止めることができるのは私だけだ。  
ただ時間がない、どこまでやれるか・・・  

さらに触手が暴れ始める。本格的な侵蝕の開始だ。触手は胸のあたりで私の肉を貫き、神経を切り裂き、  
骨を削った。その都度やってくる激痛に悲鳴をあげる。それに加え、異物が脳へ徐々に上がってくる感覚は  
吐き気がするほど気味が悪い。体が小刻みに震え、涙も自然と流れてきた。  
まだ今は太陽が昇っているのにも関わらず寒気も感じる。  
サムイ・・・イタイ・・・クルシイ・・・キモチワルイ・・・  
侵蝕によって感じる全ての感覚が私の精神をえぐる。  
私は早く終わる事を願いながら必死に耐えるしかなかった。  
はやく・・・はやく終われ!  

私の願いも聞き入れられたのか、全ての感覚が感じられなくなり、私の意識も遠のいていく・・・  

 

「・・・斗貴子さん?」  
聞きなれた声が聞こえたような気がした。  
その後になにかビニール袋が地面に落ちた音が鳴った。  
「斗貴子さん!!」  
声の主は私に駆け寄り、肩に手を回して私の上半身を起こした。  
上着の腕についている腕章をみる。銀成の生徒か。  
少し目を開けた。太陽がまぶしかったため顔が見えなかったが次第に慣れ、声の主が確認できた。  
ああ、ばれてしまったか・・・  
「キミか・・・昼食はもういいのか?」  
「え?斗貴子さんと食べようと思ってテイクア・・・ってそうじゃなくて!!」  
私に誘導されたのが恥ずかしかったのだろうか?少し顔が赤い。  
しかしすぐ真面目な顔に戻り、私を気遣う。  
「なんで・・・言わないんだ」  
そんな顔で見ないでくれ。私はカズキの顔をまともに見られず、その質問に返せないでいた。  

長い沈黙があった・・・まるで私たちだけが時間に取り残されているかのような。  
しばらくすると彼の手が震えてるように感じた。  
「ゴメン・・・」  
今にも私のために泣きそうな勢いだ。  
やめてくれ。自分を責めるな、責任を感じるな、キミに落ち度はない。私が弱いのがいけないんだ。  
これしきの痛みさえも耐えれず、これしきの苦しみさえも耐えれず、これしきの疲労さえも耐えれない。  
私だけが自分の事を戦士だと思っていたのだろうな。ここでカズキに支えてもらっている女は錬金の戦士とは程遠い・・・。  
キミの体温、キミの胸、キミの声。  
あの時抱きしめられた時の事を忘れられず、それを再確認できて安心してしまっている只の女だ。  
温かい・・・包まれる感覚とはなんて気持ちがいいのだろう。  
戦士でないのなら私は今ここで『痛い』と言っても良いだろうか。  
『苦しい』と言っても良いだろうか。・・・『助けて』と彼にすがっても良いだろうか。  

私はカズキの顔を見た。人の顔をここまで静かな気持ちで見るのも久しぶりだな・・・。  
今私の視界には彼以外のものは写っていなかった。  
「カズキ・・・私は・・・」  
カズキも私をずっと見つめる。  
その時つい彼の頬に横一文字の切り傷があるのを発見した。  
私が付けてしまったのだろうか?まだその切り傷は塞がっておらず、傷口に血の滴を作っていた。  
結構深く切られており、皮膚の内側が赤々としている。流れる血は滴を徐々に大きくし、ついには  
自身の重さに耐え切れず、頬を滑り落ちる。  

・・・・・・  

 

今・・・私は・・・何を考えた?  
なぜそう思った?  
その思いになぜ疑問をもたなかった?  
全身を刃で切り刻むような体の痛みは?息をするのもつらかった疲労は?  
『胎児』に対する吐き気を覚えるような嫌悪感は?  

・・・私はとんでもないことを考えてしまった。  
私は強引にカズキの腕を振り解き、すぐに立ち上がる。  
少しめまいがしたが、それをカズキに知られないよう顔を険しくする。  

「すまないが今日はこれで終わりだ。明日も忙しくなる、体を休めなさい」  
「え?で、でも斗貴子さん・・・」  
「私は大丈夫だ。じゃあまた明日・・・」  
今すぐカズキと別れないとそのままおかしくなってしまいそうだった。  
カズキが追ってこないように全力で走る。  
流れる景色の中、私は自分に問う。  
なぜ・・・  
なぜ・・・あの時・・・  

今まで感じていた寒気とは違う寒気を私自身に感じた。私は叫んだ。  
願わくばこの問いに答えを求めて・・・  

「なぜ!あの時カズキを『美味そうな餌』だと思ったんだ!!」  

空はまだ蒼い。しかし私に残された時間は着実に減っている・・・ 

 朝起きると私はカズキと会うために部屋からでる。カズキは既に待ち合わせ場所で 
既に待っていて、私に軽く手を振る。それを見た私は突然頭の中で電撃が走った。 
私の中で、違う私に切り替わったような思いを感じる。私はカズキに近づき、彼の大きい胸に 
飛び込む。彼の胸は温かく、気持ちがいい。ずっとこのままでいたかったが、私はカズキの顔を 
見てキスをしようとしてそのままカズキの首筋に噛み付いた。私の以上に発達した犬歯は深々と首筋に突き刺さり、 
噛んだ場所から大量の血が吹き出す。それを全て口内で受け止め、私の喉はゴクゴクと大きく鳴る。 
カズキの血は例えようも無いほどの深い味わいで、まるで酔ったように顔が赤くなる。 
喉を潤した私はそのまま首の肉を引き千切り、血で味付けされた肉を食べる。 
カズキの肉は程よい噛み応えでその存在感は私を恍惚な表情にさせる。 
まだ足りない・・・もっとカズキを食べたい・・・ 
私はカズキを押し倒し、馬乗りになった状態で彼をむさぼった。 
グチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャ・・・ 

突然、食事の途中で頭の中で電撃が走る。 
・・・一体なにをしていたのだろう?よくわからない 
なぜ私はこんなに血だらけなんだ?怪我をしている形跡はない。 
確か私は待ち合わせの場所についてそれから・・・ 
ふと自分が誰かの上に座っていることに気づく。一体誰の・・・ 
その誰かは既に絶命しており、暗い虚ろな目を私に向けていた。 
見覚えがある。とても身近な人物だった。 
・・・カ・・・ズ・・・キ・・・? 
暗く黒く深い目に私の顔が写る。口の周りが真っ赤である私の顔が。 
私の体が震え始める。今起きている事が信じられない。 
なにが・・・なにが起きたんだ・・・?? 
現実を直視できない。震える手を頭に持ってこようとした。 
しかし手にはズシリとした重みがあった。湿り気とわずかながら温かさも。 
恐る恐る手を見た。そこには食いかけの内臓・・・ 

「あああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」 
今まで出した覚えがないほどの叫び声を上げて私は起きた。 
心臓は私の体を揺らすほど大きく速く鼓動し、手を当てていなくてもリズムを確認できる。 
着ていた服は少し蒸し暑い部屋のせいなのか夢の内容のせいなのか、大量の汗を吸って重くなっていた。 
また呼吸も荒く、いくら息をしても落ち着く気配がない。そのせいなのかどうかわからないが 
喉はカラカラに渇いてしまっていた。 
「・・・・・・夢か・・・」 
とは言ったもののまだ現実と夢の区別がつかず、つい自分の歯と手を調べる。 
犬歯も伸びてはいないし、手も血ではなく汗で濡れている。よかった、まだ化け物にはなっていない。 
夢とは違う箇所を確認できて初めて安心できた。 

「『まだ』なっていないだけか・・・」 
ホムンクルスになれば夢の出来事のような事がありえないわけではない。ひとまず安心はしたが 
私の中に根付く漠然とした不安までは消えなかった。 
・・・そういえば体が汗で気持ち悪いな。私は体を拭くために服を脱いだ。 
汗を吸った服は肌と張り付いて素直に脱がせてはくれなかった。 
ひどいな、窓を閉め切っていたのがいけなかったか?私は窓のほうへ視線を向ける。 
その時つい鏡に写った私の上半身に目がいった。 

上半身には汗ばんだ私の体にひときわ目立つ一本の筋があった。それは私の右脇腹から鎖骨の上辺りまで 
まるで植物の蔓のように伸び、今もなお上へと昇ろうとする一本の銀色の筋。 
私が人間でいられる時間を目に見えるカタチで宿主に教えてくれる虫唾の走る『胎児』の尾。 
「やはり・・・」 
ケリをつけたほうがいいだろうか。筋をなぞりながら自害する事を考える。 
私は鏡の前に移動し、核金を死刑鎌にして4本の刃を自分の首に押し付けた。 
私が『貫け』と念じれば4本の鎌は痛みを感じる前に私の首を飛ばすだろう。 
殺れ、そうすればこの苦しみからも開放される。 
殺れ、そうすればもう使命や運命にも左右されなくなる。 
殺れ、そうすれば安息の日々が待っている。 
殺れ、そうすれば私の中で益々大きくなる『カズキ』とも別れられる・・・。 
さっきよりも鎌が首に食い込む 
・・・・・・ 

 

それ以上鎌を動かす事ができなかった。私は死刑鎌を核金に戻し、鏡に映った私を見る。 
首には4つの浅い切り傷、顔は情けないほど弱々しかった。 
これが私か・・・よくぞここまで落ちぶれたものだ。 
自分を責める。自分を殺せない臆病者、助けを乞う不様な戦士、温もりを忘れらない哀れな女・・・ 
鏡の中の私が私にほくそ笑んだ。 
(哀れだな、そこまで墜ちたか。仮面が剥がれるとこうも脆いんだな) 
(そんなにカズキと別れるのが嫌か?) 
(女々しいな。私はお前に吐き気がする) 
私が私を汚らわしいものでも見るような目で見る。 
そんな目で見るな!見ないでくれ! 
お願いだ、見ないで・・・ 
私は自分で自分を抱き、膝をついた。目頭が熱くなり、頬に熱いものが伝う。 
・・・涙だった。次々と溢れてくる、もう自分では止められなかった。 
「私は・・・」 
それ以上は声にならなかった。嗚咽によって言葉を邪魔され、行き場のない思いだけが私の中を 
駆け巡る。 
私は・・・ 
私は、もっと生きたい・・・ 

 
 

 
 
 

 やっと震えと涙が止まった。  
私が私に感じる情けなさや悔しさは未だに残ってはいるが、なんとか落ち着いた。  
「本当に・・・情けないな・・・」  
カズキに大きいことを言った結果がコレだ。見込みがあってもなくても変わらないな。  
結局、死ぬのを怖れているのだから・・・  

 私は膝を抱え朝が来るのを待った。ケリをつけられない人間のとった行動は『待つ』ことだった。  
自分からはなにもできないから『待つ』。そんな受け身な私には現実というのは厳しかった。  
自害することを拒んだという事はそのままホムンクルスになるという事と同じ。  
徐々に化け物になっていることは昨日わかった。その証拠は沢山ある。  
痛みが和らいだ事、もう苦しくはない事。  

とどめはカズキを美味そうな餌だと思った事。  

その時が来るまでは人間でいられると思っていたのが間違いだった。  
もしかしたら私はもう化け物の一歩手前かもしれない・・・  
死への恐怖が若干治まったと思ったら今度は化け物になる事への恐怖が始まる。  
さっき見てしまった生々しい夢。私がカズキを喰った夢。あの夢で感じたカズキの感触がよみがえる。  
生温かく、むせるような濃い血の匂い。そしてカズキの闇よりも黒い虚ろな目・・・。  
夢の内容を思い出しただけで体がまた震えてくる。  
もうあんなものは見たくない・・・。眠気は確かにあるが眠りたくなかった。  
ここで眠ってしまい、朝起きると化け物になっていたと考えてしまうと  
眠くても眠れなかった。そしてなによりも  
カズキを喰うことなどもう夢でも見たくなかった。  
できるならこのまま朝が来てほしい。  

何も起きず、何も起こらず、いつものように朝が来てほしい。  

 しかし、その思いとは反比例に物事は進む。眠気という魔物は私を執拗に誘惑してくる。  
まぶたはいくら開けても自然と下がり、私の頭は考えつづけようとしても無理やり遮断させられる。  
今までの睡眠不足と疲労は深刻だったものらしく、私の子供の足掻きのような抵抗では  
まったく意味などなかった。  

まぶたは完全に閉じ、自然と体の力が抜け始める。  
私は甘い誘いについて行こうとしていた。  
世界が・・・徐々に・・・反転・・・する・・・  

頭がガクッと下がる。その勢いに驚き、私は目を覚ます。  
いけない・・・今寝ようとしていた。緩んだ口を一文字に閉める。  
眠気というのは恐い。いくら抵抗してもいつの間にか負けてしまうのだから・・・  
「外の空気でも吸おう・・・」  
多分この部屋の雰囲気が悪い。変わり映えのしない雰囲気が眠気を促進させているような気がする。  
外の刺激を受ければ少しは目が覚めるだろうと思った。  
私は立ち上がった。長く膝を抱えて座っていたためか、膝の関節が固くなっていた。  
調子が戻るまで体を動かすと、全身に新鮮な血液が行き渡るような感覚を覚え、少し楽になった。  
うん、やっぱり外にでたほうがいい。  
制服に着替え、私は部屋を後にした。  

 外に出ると部屋の暗さとは違う暗さが私を出迎えた。  
街灯も家の明かりもまばらで辺りは闇に覆われている。  
音は私の靴の音以外はなにも聞こえない。その音も闇の中に吸い込まれていくように消えていく。  

コツコツコツコツコツ  

一定のリズムを刻み、私は黒の世界を進む。  
空の向こうまで感じる黒、私の存在が小さく見える黒は  
今の私には助かる。それはこの黒の前では全てが平等だったからだ。人も人ならざるものも全て  
黒一色にする。そこには何の差別もなく、不公平もない。  
私の内に秘める不安や恐怖をも夜の黒は包んでくれた。  
落ち着く・・・  
外に出て正解だった。冷えた空気と徐々に変わっていく町並みも  
私に程よい刺激を与え、脳を覚醒させるに足りえた。  
わずかながら気分も楽になり、今だけは全てから自由になったとさえ錯覚する。  
それが気休めの安息なのは理解している。  
私に時間がないのは嫌でもわかっている。  

だからこそ気休めが欲しい。  
気休めと思えるのはまだ人間である部分がまだ残っている証だから・・・。  

 

「・・・あ」  
気づくと視界が広がっていた。いつの間にか町を抜け、カズキと特訓を行っている河に出てしまっていた。  
結構遠くまで来ていた事に驚く。そんなに私は考え事をしていたのか。  
途中から周りを見ず、思い悩んでいた自分を悔いる。なんの為に外にでたのやら・・・。  
改めて顔をあげる。・・・私はその世界に見入ってしまった。  
目の前に広がる景色は町の中とは違い、どこまでも大きかった。  
欠けた月と星々以外の光源は遥か向こう側に見えるだけだが、河の周りは黒ではなく  
深い藍色に染まって見渡せる事が出来る。  
幻想的な世界だった。  
それに加え、河から吹く風は私に緑と水の香りを運び、私の髪や服を撫でそのまま通り抜ける。  
やや冷たい風だが、歩いているうちに少し火照ってしまった体にはちょうどいい涼しさだった。  

きもちいいな・・・。  

火照りと共に私の中の陰鬱な気分も冷ましてくれる風を全身に受け、私は土手を歩いた。  
満天の星と欠けた月、私の周りに広がる藍色の世界。草木は風で揺らぎ、また私の髪と服も  
風が吹く度に同じようになびく。私はまるでこの世とは思えない世界をゆっくりと地面の感触を確かめながら歩いた。  
できるならいつまでも見ていたい。  
明日も、明後日も、そしてこれからも・・・。  

 
 

・・・・・・  

 遠くで風の音ではない音を聞いた気がした。・・・また聞こえる。  
昼でさえ人気のない河川敷になぜ?しかもこんな深夜に??  
音が発せられた場所をみる。・・・確かに何かがせわしく動いている。  
私は音の正体が知りたくなり、土手を降りた。  
緑と水の香りが一層強くなる。  
背たけの高い草木に身を隠し、そのまま気づかれないように近づいていく。  
その間も音は途切れることはなかった。それは一定の間隔で聞こえる。  
ホムンクルスではないと思う。  
もしホムンクルスなら、核金が反応するはずだ。  
しかもこの音からはホムンクルスが発する嫌な雰囲気は感じられない。  

私の足はどんどん前に進んでいく。なぜかは知らないが私はこの音を知っている。  
とても身近な音だ。私は早く正体を知りたくなり、つい足早になる。  
やがて音は明瞭に聞こえるようになった。そこで立ち止まる。相手が気づかない距離で。  
少し息が上がっていた。今聞こえるのは風の音と私の息づかい、そしてはっきりと聞こえるあの音。  

本当は大体の予想がついていたのかもしれない。  
人気のない夜に私達が特訓をしている場所で聞いたことのある音・・・  
予想は確信に変わる。  
(やっぱり・・・)  
音の正体は鋭い刃物が空気を斬る風斬り音だった。  
そしてその音を発しているのは人間であることもわかった。  
自分の体格ほどもある大きな槍をもった人間だった。  
槍を勢いよく振る度にあの風斬り音を鳴らし、飾り布は獣の尾のようになびいている。  

カズキだった・・・  

 

 一体いつからここにいるのだろう。  
カズキの体はバケツの水をかぶった様に汗で濡れていた。  
明らかに過剰な特訓のせいで苦悶の表情を浮かべ、それでも槍を突き出す姿は  
鬼気迫るものがあった。  
私はこれ以上近づけなかった。  

「999!!1000!!次!!」  

数を数え終わるとすぐまた違う型を練習する。それをずっと続けていたのだろうか?  
いつから?もしかして私と別れてから??一体何時間たったと思ってるんだ。なんて・・・  

「馬鹿なんだ・・・キミは・・・」  

カズキには聞こえてはいないだろう。彼は私がいることなど気づいていないだろう。  
そんなに特訓をしていたら逆に体を壊す一方だろうに。私は彼の体を案じながらも見入ってしまっていた。  
突きをする度に空気の壁を破り。  
払う度に空間に切れ目が出来る。  
槍を止める度に時が止まった。  
なんて力強く、鋭い動きだろう。いつのまにこんなに成長したのだろうか。  
カズキの周りだけは火が上がりそうに熱くなっているように感じた。気迫が私にそう思わせる。  
しかし、どこか悲哀に満ちた太刀筋だった。カズキは口にしてはいないが槍が語っている。  
まだ1匹も倒していない歯がゆさ  
戦士としてまだ未熟であるという情けなさ  
・・・自分がなにもしてやれない悔しさ  
槍が通った軌跡は、まるで彼の涙のようだった。  
それら感情の渦が私の目と耳と肌を通して直に伝わってきた。  
・・・私はカズキの心の叫びをずっと聞いていた。  

 私は馬鹿だ。カズキは自分が弱い人間であることを受け入れ、ひたすら強くなろうとしてた。  
それが自分を壊すかもしれない過剰な特訓だとしても、ただひたすら自分のため、妹のため、  
友人のために・・・。  
それに比べて私はどうだ?痛みから逃げ、苦しみからも逃げ、運命からも逃げようとしていた。  
ただ一時の安らぎを得る為だけに夜の町を歩き、さっき見た幻想の世界をずっと見ていたいという  
現実からの逃避。今の自分の弱さを悔い、寝る間も惜しみ必死に強くなろうともしない。  
前に進んでいるのはどっちだ?わずかでも可能性のあるのは?全てを受け入れる覚悟があるのは!?  

私のなかで何か熱いものが込み上がってくる。  
そうだ、今必要なのは気休めの優しさ、励ましの言葉、温かい抱擁などではない。  
痛みから苦しみから死からホムンクルスから刃向かう意志。  
『たたかう意志』だ  
間に合わなくてもいい。死んでしまってもかまわない。  
例え私が敗れても私の『たたかう意志』は必ずカズキに伝わる。意志は継承される。  
私が足掻いて足掻いて足掻きぬいた事実は残る!  
たたかえ!今は全てと戦う時だ!  

本当の意味で目が覚めた気がした。  
「フッ・・・」  
少し笑みがこぼれた。久しぶりに笑った気がする。  
とんだ人間を巻き込んでしまった。その純粋さに私も馬鹿になりそうだ。  
だが馬鹿になるのも時にはいい。余計な事を考えずに済むな。  
妙な清々しさがあった。死への恐怖、化け物なることへの恐怖がなくなったわけではない。  
今だって怖い。逃げ出したい、温かい胸に飛び込んでいきたい。本当の私はこんなに弱い。  
だが『覚悟』はできた。  
今の私は決して一人ではない。私には心強い仲間がいた。  

私にはカズキがいる・・・  

「最後まで見て行かないのかい?死刑鎌の女戦士」  

空から声が聞こえた。コイツの声からはドス黒いものしか感じない。  
すぐに空を見上げた。月に照らされ、巨大な影が空に浮かぶ。  
機械的な大鷲の背中に一人の男。その男の目はドロの腐ったような目をしており、  
そしてなによりも人を馬鹿にしたような蝶の仮面を付けていた。  
ホムンクルスの創造主、『蝶々仮面』だ。  
「お腹の子の調子はどうだい?」  
返って来る答えがわかるくせに下衆なことを聞いてきた。  
「憎らしいほどスクスク育っている」  
「アハハハ!!!それは結構」  
完全に人を馬鹿にした笑い声だった。腹を抱えて笑うクズに私は死刑鎌を展開、目標を定めた。  
「おっと、今日は戦いにきたわけじゃない。交渉をしにきたのさ」  
「なに?」  
「僕と仲良く核金の研究をしてくれれば、キミの中の『本体』は取り除いてあげよう」  
「・・・」  
「これは人間でいられる最後のチャンスだ」  
悪魔のような取引を持ちかけてくる。それはホムンクルスに最後の切り札をくれてやるのと同じことだ。  
人間という種族の最後と言っても過言ではない。そんな交渉を持ちかけてくるということは  
今までの私を見られていたか?今ならこちら側に墜とし易いと踏んで。・・・クズな上に変態だったとはな。  

「私がそんな誘いに乗ると思ったか?」  
私は空に浮かぶクズを睨む。  
「蝶々仮面、いいことを教えてやろう」  
「?」  

 

カズキ。私はキミの思いに答えよう  

「『仮面』というのはな、幕が下りるまで外してならないものだ」  

私は仮面を被ろう  

「そして被っている間はその役を演じ続けなければならない」  

全てが終わるその時まで、私は仮面のものになりきろう  

「ならば私の『仮面』の名は・・・」  

それまで、本当の私は秘めておこう  

「貴様らを斃す『錬金の戦士』だ!!」  

私は蝶々仮面に飛びかかった。4本の鎌は奴の向かってまっすぐ伸びる。  
今まで治まっていた痛みと異物感がまた再発してきた。倒れたくなるほどの痛みと嫌悪感を抱くほどの異物感  
だったが、それは私が『胎児』を拒絶している証拠だ。つい嬉しくなった。  
奴との距離が凄まじい速さで縮まる。もう目の前に奴はいる。  
私は叫んだ。今から始まる厳しい戦いへ送る序曲のように  

「臓物を・・・ブチ撒けろぉ!!!!!」  

 
 

             〜END〜  

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