“キュキュ……キュ………”  
 シックな音楽の流れる少し照明を落とした店内のカウンターの中で、今夜も私はグラスを丹念に拭いていた。  
 この単純作業が私は嫌いではない。人の目を特別意識しているわけではないが、とても絵になる仕事だと思う。  
 カッコいい女というやつだ。まぁ…………正直満更でもない。この仕事が好きである。  
 ただいくら私が演出しても、お客さんまで付き合ってくれるわけではない。  
 目の前の席に座っている私の友人でもある二人は、あまりカッコよろしくない会話に花を咲かせていた。  
「な〜〜んで痩せるときってさぁ、胸から痩せんだろうね、そっちはどっちかって言えば太ってくれててもいいのに」  
 乙女にとっては根の深い悩みを吐露して、ため息をつきながらカルーアミルク(本当はコーヒー牛乳なのは内緒)を口にしたのが  
私の友人の一人、沙織である。もう一人の友人からはさーちゃんと呼ばれている。  
「ん? でも私はそこ全然痩せないけどなぁ?」  
 不思議な顔をして自分の“そこ”と、沙織の“そこ”を見比べているのがそのもう一人の友人まひろ。  
 たしかにまひろの胸は、沙織には悪いが比べ物にならないくらいに豊満だ。もっとも、比べ物にならない中には私も含まれるのだが。  
「ふんっ この悩みはまっぴーみたいな娘にはわかんないもん ちーちんだけだよ私の心の叫びがわかるのは」  
 身を乗り出して、私に理解を求めてくる沙織。バッチリわかってしまう自分にちょっぴり悲しくなる。  
 おっと、そう言えば私本人の自己紹介がまだでした。私は千里、親しい友人からはちーちんと呼ばれています。  
 
「そんなに気を落とさなくとも大丈夫よ、私達まだまだ成長期なんだから」  
 私がいささか苦しい慰めの言葉を、沙織と自分とに掛けるとまひろが、  
「あ!そうだ!! 私聞いた事あるよ、男の人に揉んでもらうと大きくなるって」  
 ぽんっと手を打つと、それがまるで科学的な根拠でもあるかのように、まひろは沙織の胸を覗き込んだ。  
 その目に邪気はこれっぽっちもない。……なければいいというものでもないが。情報源はエロ……もとい岡倉先輩だろう。  
「それは……迷信の類だと思うけど」  
 言った私の目線が、思わずテーブル席にいるカップルの女性に向けられる。釣られて二人もその女性を見た。  
「……ああ、そだね」  
 二人の仲がどこまで進んでいるのかは窺い知れないが、まひろは納得してくれたようだ。  
「う〜〜ん、でも斗貴子さんは彼氏持ちの余裕があるからなぁ」  
 沙織は自分の胸と斗貴子さんの胸の間で、目線を行ったり来たり泳がせる。グチを言いながらも、だんだん自信が回復してきたようだ。  
「あそこまで高望みはしないけどさ」  
 沙織が親指でチョイッと指す、そのあそこまでの人の胸はたしかに大きい。  
 カズキ先輩と斗貴子さんがストロベリッてるテーブルから少し離れたところにも、男女のカップルがいた。  
 その女性は腰まで伸ばした綺麗な黒髪と、まひろの胸が元気一杯だとすれば、包容力と言うのか、大人の魅力溢れる胸を持っている。  
 でもそんなに歳は変わらないんだけどなぁ……。  
 私は二人にバレないように、そっとイヤホンを耳にした。早坂姉弟が座る席はいつも同じである。  
 自分がとてつもなく趣味の悪い事をしているのは重々承知しているのだが、早坂姉弟がなにを話しているのか興味があり、盗聴器を  
仕掛けていた。神様……ごめんなさい。  
『姉さん、姉さんに秘密はないと言ってきたけど、どうしても言えなかった事があるんだ……聞いてくれるかな?』  
『な〜〜に、秋水くん』  
 思い詰めた表情の弟に、姉はいつも通りのスマイルで応える。  
 
 がんばってください!!   
 予想通りのお約束を破らない展開に、私は心の中とはいえ秋水先輩にエールを送った。  
 道徳上がんばってはマズいような気もするが、どうせオチはわかっているし、ここで割って入るのは不粋というものだろう。  
 決して私的な愉しみで言っているのではない。ただ………秋水先輩にも心の中で“ごめんなさい”と言っておく。  
『姉さん、俺は生まれる前から姉さんを愛している』  
『秋水くんありがとう、私も秋水くんを愛してるわ』  
 弟のそれこそ魂を削るような(内容は電波気味だが)告白を、姉は変わらぬ笑顔で受けとめる。  
『……………………』  
『………………ん?』  
 言葉だけを素直に受け取れば秋水先輩が望んでいた答えなんだろうが、姉と弟の間には込めた意味に一万光年からの隔たりがあった。  
 わかっていた事とはいえ、私の目頭が熱くなる。このドラマを見た後では、韓流ドラマで泣いているオバサマ達の気が知れない。  
「久しぶりに心が温かくなったわ」  
「なにが?」  
 ぽろりっと洩らしてしまった私の呟きに、まひろは子供みたいに可愛く首を傾げて訊いてくる。  
「うん、なんでもな……」  
“カララ〜〜〜ン”  
「ヒャッホ〜〜〜〜〜ゥ!!」  
 口を開いた私を遮るように、招かれざる……じゃなかった、お客様の来店が自己申告の大音声で告げられた。  
 なにか法に触れるようなドラッグでハイにキマッてるんじゃないかと心配(店で暴れたりとか)になる金城さんと、こちらもダウン系で  
キマッちゃている陣内さんである。  
 ドカッと勝手にテーブル席に座ると、わざわざ注文を取りに行かなくても済む大きな声で、  
「ホッピー二つ、大ジョッキでな ヒャッホ〜〜〜〜〜ゥ!!」  
 そういう注文は立ち飲み屋でお願いしたい。客よりもなによりも私の気分が大いに害されたが、店のメニューにちゃんとあったりする。  
 
 しかし金城さんはともかく、陣内さんはイヤじゃないんだろうか?   
 そう思って陣内さんを見ると、私に視線を向けながら、口元がなにやらモゴモゴ動いている。なになに……。  
「う・ま・そ・う・で…………」  
 声に出して私は後悔した。後で……斗貴子さんにブチ撒けて貰おう。  
「店内だと掃除が大変だから、うん、今日は月も出てないし外で」  
「ねぇ、さっきから一人で納得しないで教えてよ」  
 こんどは沙織が首を傾げた。こっちも文句なく可愛い。焦らずとも二人はすぐに彼氏など出来るだろう。  
 私が保証するわ、でも私の保証も誰かしてくれないかしら? と、そんな事を考えたからじゃないだろうが、  
「武藤カズキ、蝶・サイコーの夜だな」  
 来ちゃったよ。蝶・厄介なヤツが。…………コホンッ…………お客様が。  
「蝶野……」  
 パピヨンさんは(カズキ先輩以外が本名を呼ぶと怒る)ストロベリッてるカズキ先輩と斗貴子さんの間へ強引に身体を割り込ませる。  
 斗貴子さんが物凄い視線で睨んでいたが、パピヨンさんはさして気にした風もない。涼しい顔だ。  
「どうだ、愉しんでるか?」  
「ああ……」  
「オマエが来るまではなっ!!」  
“ガタンッ!!”  
 けたたましい音を立てて斗貴子さんは椅子から立ち上がると、パピヨンさんを押し退けようとして、  
“ドンッ……フラフラ……ストンッ”  
 体重が軽いもんだから、反動でバランスを崩すと元通り椅子に腰を降ろしてしまった。  
 注目を集めただけに、これはなんとも恥ずかしい。店内が、あのやかましい金城さんまでを含めてシ――ンと静かになる。  
 それを破ったのは、  
 
「……なにをしとるんだ?」  
 見下ろすパピヨンさんの、嘲りすらない冷静なツッコミと、  
「クッ……ククッ………クククッ…………」  
 口元を抑えて、それでも洩れてしまう声に身をよじらせる桜花先輩。パピヨンさんの一言で完全にツボに入ってしまったようだ。  
 だが、釣られて笑うものは誰もいない。  
 顔をカァ――ッと真っ赤に染め上げている斗貴子さんの座っている椅子が、カタカタと小刻みに震えている。…………蝶・怖い。  
 ゆらりと私にもわかるくらいの殺気を纏って斗貴子さんが立ち上がる。三秒後の世界が、私には見えた気がした。  
「ブチ撒けろっ!!」  
 まぁ、誰でも見えるか。斗貴子さんがパピヨンさんへと躍りかかった。ああ……これは残業だな……はぁ……。  
 
 ここまでが三秒。四秒目の世界は私が見たのと違った。どんなのを見たのかは秘密。  
「そこまでだ、戦士・斗貴子!!」  
 キタ―――!! 私は叫んでいた。もちろん心の中だが、やっと味方が来店した。  
 この変た……変わった方々を止められるのはこの人しかいない。とりあえず、この人のずれてる部分は無視だ。  
「戦士長……」  
 キャプテン・ブラボーの登場に畏まる斗貴子さんと、フンッと鼻を鳴らすパピヨンさん。どうやら興味を無くしたのか、  
「また後でな武藤」  
 言いながらカウンターの席に移ろうとして、背を丸めながら、いまだ悶絶地獄から抜け出せない人に声を掛ける。  
「オマエ、俺が言うのもなんだが笑いすぎだぞ」  
 ひくひくと身体を震わせながら、桜花先輩はなんとか身を起こすと、  
「クッ……プッ……あ……あなたの……ククッ……せ、せいで……ククッ……責任……取り……ククッ……」  
 それ以上は言葉が出てこないのか、代わりを小さな人形、いや分身に任せた。  
 前から不思議に思っていたのだが、あれってどうやって動いてるのかな? 売ってるんなら私も欲しい。  
「乙女をこれだけ苦しめてるんだからな、それ相応の礼は色々……ププッ、い・ろ・い・ろ してもらうからな、パッピー」  
 本当に表情豊かな人形である。でもなんかキャラ設定は腹黒そうだ。  
「わかったわかった…………今度、な」  
 パピヨンさんは手をひらひらさせながら横を通り過ぎる。後半のセリフは、濁った目で睨む秋水先輩に向けられているのは間違いない。  
「ああ、そうだ……これは借りていくぞ」  
 いま思いついたのをアピールするように“パチン”と指を鳴らすと、パピヨンさんはわざわざ秋水先輩の肩口から手を伸ばして、  
桜花先輩のお人形、エンゼル御前をつまみ上げる。  
 目がヤバい秋水先輩は後でボディチェックしなきゃね。しかしパピヨンさん、後ろから刺されなきゃいいけど、それこそ色々な人に。  
 
「わぁ!? こらっパッピー 気安く羽を掴むな、これは拉致だぞ!!」  
「安心しろ、たっぷり可愛がってやる……」  
「イ、イヤァアアアア〜〜〜〜〜〜!!」  
 本当にどこで売ってるのかしら? 高島屋?西武? やっぱり秋葉原かしら?  
“カタ……”  
 腕を組んでうんうん考え始めてしまった私の前の席に、斗貴子さんへのお説教を終えたブラボーさんがなにも言わずに座った。  
 私はどうでもいい思案を打ち切ると、やはり黙ってブラボーさんにフォア・ローゼスのグラスを差し出す。  
 グラスを受け取ると、ブラボーさんは一息であおった。氷が“カランッ”と鳴る音がなんとも耳に心地いい。  
 背筋にゾクゾクとしたものが走る。  
 これよ、これなのよ! 私のやりたかったのは!! 流石はキャプテン・ブラボー 大人の男だ。たとえ外見が怪しくても!!  
「そうよね、怪しい格好と言ったって、世間一般では、って事だもの この店だったら普通よ普通」  
 なにか必死になって自分を偽っている気もするが、精神の安定の為にはやもえない。嘘も方便というやつだ。貫き通せれば万事OK。  
「ちーちん、大丈夫?」  
 まひろが心配そうに私の額に触れてくる。やはり私は、客観的にはマイッてるように見えるんだろうか?   
 だとしたら、私は改めて自分の選択の正しさを認識する。…………正しい事と嬉しい事は別であると、このとき私は初めて知った。  
「……ありがとう、まひろ 私は大丈夫だから」  
 まひろの手を私は優しく額から離すと、“ニッコリ”と微笑んで見せる。  
 自慢ではないが、以外と私は演技派だ。本当に自慢ではない。こんなのは自慢にもならない。本当に誇れる笑顔とは、  
「うん、でも辛くなったらいつでも言ってね」  
 裏表なくニッコリと微笑む、そんなまひろの笑顔が私には眩しい。いつの間にか私は、まひろの小っちゃな手を両手で握っていた。  
「ブ〜〜 私だって心配してるのにぃ」  
 口の中になに入れてるの? と、訊きたくなるくらいのふくれっ面になっている沙織もとても可愛い。  
 
 私が男なら二人とも放って置かないにになぁ、まったくもって世間の男性諸氏はなにをしてるの!!  
 義憤に駆られた私は店内にいる男性をぐるりと見回す。  
 カズキ先輩は斗貴子さんのものだから除外として、パピヨンさん、ブラボーさん、金城さん、陣内さん、秋水先輩……は除外かな?  
 全員のエントリーが済んだところで、もう少し二人は放って置かれてもいいなと思った。  
 悪い人たちではない(と思いたい)んだろうが、みんなクセが強すぎる。まぁ、珍味みたいなものだ。  
 言っておくが、一応褒めてるつもりである。でも二人には平凡な男性と付き合ってもらいたい。なにかこの歳で、母親になった気分だ。  
「はぁ……」  
 ため息を吐くたびに老け込んでいくような……まだ十代なのに。この悩みは残念ながら、まひろと沙織、二人では相談できない。  
 滅入りそうになる私は、ふっと桜花先輩を見る。さっきも言ったが、さして歳が変わらないのに大人っぽい。  
 目標、にするにはちょっとばかり山が高すぎるが、この人みたいになれたらとは思う。  
 憧れというやつかもしれない、しかし一体全体、この違いはどこからくるのか? 人生経験にはかなり差がありそうだが?  
 そう考えて、私は盗聴器のスイッチを再度ONにした。  
『姉さんは“愛”ってなんだと思う』  
『難しい事聞くのね、秋水くんは……』  
 いきなりこれか。また随分とディープでへヴィーな会話だ。私に弟がいたとして、こんな事を言われたら卒倒してしまうだろう。  
 でも桜花先輩はそんな禁忌の香りプンプンの質問にも、まったく年上のお姉さんの顔を崩さない。  
 それとも、私が変に考えすぎなんだろうか?  
『俺は愛っていうのは、どんな障害も乗り越える力をくれるものだと思う…………血の壁だって……乗り越えられる』  
 ど真ん中ストレートだなこの人。  
 一途もここまでくると、愛と呼んでいいのかどうかは、知識だけが歪に膨らんで、経験はまったく伴ってない小娘の私にはわからない。  
 ただ私にも言えるのは、秋水先輩は哀しくなるくらいに真摯だという事だ。  
 
 桜花先輩はそんな秋水先輩の視線に気づかないふり、なのか本当に気づかないのかはわからないが天井を見上げる。  
 その横顔は、まるで星に叶わぬ願いを懸ける乙女のように美しい。  
 私も見上げ…………て、いやなものを発見してしまった。以前、パピヨンさんの吐いた血があんなところにまで。  
 あれを見ながらなんでそんな顔が出来るのか、一度じっくり桜花先輩には教えてもらいたい。私は血は大嫌いです。  
『……………………秋水くん』  
『なに、姉さん』  
 血を見たままの桜花先輩がポツリと弟の名を呼ぶと、秋水先輩は期待と不安がごちゃ混ぜになった濁った目で、姉の次の言葉を待つ。  
『明日の夕食、食べたい物ある?』  
「はぁ?」  
 まひろと沙織が、黙っていたのに突然声を出した私にびっくりした顔をする。秋水先輩より先に、私は間の抜けた声を出してしまった。  
『姉さん!?』  
 声は洩らさなかったようだが、秋水先輩も面食らったような顔で最愛の姉を見ている。  
『私、春巻きが食べたいな 秋水くんはなに食べたい?』  
『え!?あ、じゃあ、お、俺も春巻きが食べたい』  
 答えるなよ……。  
 
『そっか、それじゃ明日は春巻きね 一緒に買い物に行きましょう、ふふっ 秋水くんは荷物持ちよ』  
『あ、うん 任せてよ』  
 喜ぶなよ……。  
 秋水先輩は新婚気分にでもなったんだろうか? 見事、というよりもかなり強引にはぐらかされているのだが……。  
 まぁ、本人がそれで幸せなら構わない。愛の形は色々だという勉強にはなった。……わよね。  
「ちーちん、どうしたの? 本当に大丈夫?」  
「うん、明日は中華みたいよ」  
 私の言った言葉に、まひろはキョトンとした顔になる。あの濃い二人の話を聞いた後でこの娘を見ると、  
 人の幸せってなんだろう?  
 つかの間、私は考えた。答えが出るわけもないのに……。  
 
 
「流星ブラボーパ〜〜〜〜ンチ!!」  
“ゴワァシャッ!!”  
 哲学の沼に浸っていた私は、サンドバッグを叩くような炸裂音と、スローで宙を飛ぶ金城さんの姿でリアルな世界に呼び戻された。  
 人間って飛ぶんだ……。  
 軽く五、六メートルはふっ飛んだ金城さんは、これまたド派手に、  
“バキバキッ メシャッ!!”  
 入り口のドアを破壊して強制着地する。私は炸裂音の発生元を見た。  
 その人は突き出していた右拳を下ろすと、なにもなかったかのように席に戻りグラスを傾ける。  
 ブラボーよ、オマエもか!!   BY 千里  
「ふぅ〜〜」  
 私はため息を、目の前にいるブラボーさんにもわざと聴こえるように大きく吐くと、頭を切り替えてカウンターを出た。  
 こんなのはこの店では日常茶飯事で、もう慣れっ子である。それが良いのか悪いのかは別にして。  
 それにしても金城さんも懲りない。  
 そう言えばこの二人が初めて顔を会わせたときも、右腕をやたらと撫で回してご機嫌の金城さんが、偶々店にいたブラボーさんに  
喧嘩を売ってボコボコにされたのだ。  
 それからずっと連戦連敗。元々がちょっとあれな人なのでわかりにくいが、もしかしたらパンチドランカー気味なのかもしれない。  
「金城さん、平気ですか?」  
 我ながらあまり感情の篭もってない声を掛けながら、トテトテと金城さんに近づいていくと、見通しの良くなった入り口から、  
 
「うぉ!? なんだこりゃ?」  
 身体半分突き出ている金城さんに、外から驚いた声がする。そりゃそうだよね。  
「いま参ります」  
 とりあえず完全に白目を剥いている金城さんを退かそうとするが、…………重い。私一人じゃとても無理だ。  
 そう思ってチラッと、何食わぬ顔でホッピーを、ストローで飲んでいる陣内さんを見る。  
「……まったく……陣内さん、今日の払いツケにして上げますから、これなんとかしてください」  
 私は足元に転がっているこれを指しながら、陣内さんを軽く睨んだ。  
「わかりました、他ならぬちーちんの頼みです 喜んでそれは回収しましょう!!」  
 今更だが、これとかそれ扱いで話を進めてしまって金城さんには失礼な事をしたなぁ、と遅まきながら反省する。それから、  
 私をちーちんと呼ぶんじゃない!! その名で呼んでいいのは、ごく限られた人だけだ。  
「……任せましたよ」  
 口にするとまた話が面倒なので、白目を剥いているそれを跨いで店の外に出る。ん?なんだ、見知った顔だ。  
「あら? 剛太さん いらっしゃい 斗貴子さんなら来てますよ」  
「え!? 先輩いるの?」  
 ええ、カズキ先輩と一緒に……。その事実を伝えるのは可哀想なので伏せておく。  
 どうせ店内に入ればバレる事だが、たとえほんのわずかの短い間でも、いい夢を見せて上げたい。それがこういうお店の使命だと思う。  
「どうぞ…… ちょっと立て込んでますけど、ってなに持ってるんですか?」  
 私も多少頭に血が上っていたのでいま気づいたが、普段しない帽子には“ロッテリや”とロゴが入ってる。  
「出前だよ、ハンバーガーセットとコーヒーのMを二つ」  
「頼んだのは誰で……あ、陣内さん、一応病院には連れて行ってくださいよ」  
 金城さんを担いだ陣内さんが帰ろうとしたので、私はあらかじめ釘を刺しておく。縁起でもないがポックリ往かれたら寝覚めが悪い。  
 
「わかりました、ちーちんの……」  
「またの来店お待ちしてます」  
 顔も見ずにマニュアル通りの挨拶をして、私は剛太さんを伴ってスタスタと店内に入る。決めた、斗貴子さんに言いつけよう。  
 もはや本来の用を成さないドアを閉めると、  
「それで、頼んだのは誰ですか?」  
「俺だよ」  
 パピヨンさんが無意味に胸を張りながらこちらに歩いてくる。  
 この店にはガッツリとした食べ物が置いてない。ステーキ大好きのオーナーはメニューに入れたいらしいが、そんなのは私が許さん。  
 あくまでお酒を呑んで、ほろ酔い気分夢気分になって戴くのが目的なのに、食べ物でお腹を満たされては美しくない。  
 しかしパピヨンさんは痩せているのだが、燃費の悪い身体なのでこう見えてよく食べる。我慢出来ずにデリバリーを取ったようだが、  
「……ハンバーガーなら許す」  
 私のBARに於ける美学の許容範囲だ。  
「ふむ……お許しが出たところで、いくらだ?」  
「あ、ああ、っと、いくらかな? えっと、あ? あふぁ!?」  
 パピヨンさんの前に手を出しながらキョロキョロと店内を見渡していた剛太さんは、最愛の人とその隣り、憎っくき恋敵を見つけて  
どこから出してるんだという奇声を上げる。  
 
「ん? 剛太? いつからいたんだ?」  
 斗貴子さんは本当にいま気づいたのか、クエスチョンマークを三つも付けながら、悪意などまったくない笑顔を剛太さんに向けた。  
 でもその笑顔を引き出してるのが隣りにいる人なのは、誰にでもわかる。そう、剛太さんにも……。  
「剛太、こっちに座れよ」  
 同じくカズキ先輩が、悪意ゼロの言葉を掛ける。剛太さんの瞳が揺れて、濁りそうになっていた。  
 
“グッ……”  
 虚ろに立ち尽くす剛太さんの肩に、逞しく力強い大人の男の腕が廻される。  
「すまんなカズキ、剛太は俺と呑む約束をしている」  
 ブラボーさんはそうカズキ先輩に一言入れると、固まっている剛太さんを引きずるように自分の隣りの席へと座らせた。  
 そんな剛太さんを見ている人達の瞳に、一様に浮かんでいるのは皆同じもの“憐憫”である。  
 パピヨンさんの肩に手乗り文鳥のように乗っているエンゼル御前までもが、泣きそうに瞳を潤ませていた。日本の技術は凄いなぁ……。  
 それはともかく、私は店内に招き入れる前に剛太さんには、やはりカズキ先輩がいる事を教えてあげるべきだったかもしれない。  
 ありもしない希望を抱かせるのは、より絶望を際立たせるエッセンスでしかないのだから。  
“スゥ……”  
 私はなにも言わずに、剛太さんの前にフォア・ローゼスのグラスを置いた。剛太さんがゆっくり顔を上げて私を見る。  
 こんなものがお詫びになるとは思わないし、なんの慰めにもならないのもわかっている。それでも……。  
「どうぞ、私の奢りです」  
「あ……くぅッ!!」  
 溢れそうになる気持ちも一緒に流し込むように、剛太さんはグラスを傾けると一気にあおった。  
 
「ゴホッ!?……ハァッ………ゴフッ……」  
 剛太さんはあまりお酒に強い人ではない。でも自分の呑み方は知っている。いまはただただ酔いたいのだろう。  
 頬を濡らすものを見ない様に、私はそっと目を逸らした。…………と、まぁ、ここまでは私好みの非常にいい雰囲気だったのに、  
「剛太、クリスマスはヒマか?なにも予定がないのなら一緒に…………どうかな?」  
 落ち込もうがなにをしようが、斗貴子さんの声には脊髄反射で従うように出来てるのか、泣き顔のまま光りの速さで振り向いた。  
「せ、先輩と、い、一緒に、イ、イヴを?」  
 誰もイヴなどとは言ってない。また妙な勘違いをされても困るので、私はグラスに目を落としたまま小さな声で教えてやる。  
「クリスマスパーティーをするんですよ、み・ん・な・で」  
 私は“みんな”という部分に特に力を込めた。剛太さんはガックリと肩を落とすが、それも一瞬ですぐにシャンとなる。  
「先輩、俺絶対、なにがあっても行きますよ!! ……先輩の為なら」  
 最後のセリフは情けなるくらい小さい。ちゃんと言えたところで、斗貴子さんとの仲がどうこうなるとも思えないが。  
 そういう気持ちってわからなくはないけど……なんだかなぁ……。  
 クリスマスに誘われたんだから、まだ自分にも目があると考えたのかもしれない。  
 たしかに普通のカップルであれば、クリスマスは二人っきりで居たいだろう。でもこの二人、言っては何だが普通ではないからなぁ。  
 それにしても、剛太さんはネガティブからポジティブへの切り替えが極端すぎる。  
 斗貴子さんの一声でスイッチが切り替わるのなら、気を利かせた私がバカみたいではないか。  
 剛太さんに奢ったのは損したかなぁ、チラッと思ってしまったが、こういう人もいるんだ勉強になった、と無理やり自分を納得させた。  
「武藤、そのパーティーには俺も出席してやろう」  
 パピヨンさんのハンバーガーの食べ口が真っ赤になっている。やたらと鉄分が多そうだ。  
 
「ああいいよ、と言っても会場はここだけどな」  
 快く応じたカズキ先輩の隣りでは“来なくていいっ!!”と、斗貴子さんの目が猛烈にアピールしている。  
 そんな私だったったら泣いちゃいそうな視線を浴びながら、パピヨンさんは“ニヤリ”と斗貴子さんへと笑いかけた。  
「とっておきの素敵な一張羅で当日は来るよ……愉しみにしててくれ」  
 カッとなって立ち上がりかけた斗貴子さんだが、寸でのところで思い直して座る。  
 ここで怒りを露にしたりすればそれこそパピヨンさんの思うツボ。喜ばせるだけだし、ブラボーさんへの手前もある。  
 でもドアを壊したのはブラボーさんなんだけだなぁ。もっともブラボーさんは日曜大工が趣味だけあって自分で修理したりする。  
 考えみたらブラボーさんって、自分が修理できる物しか壊してないなぁ……計算、て事はいくらなんでもないよね?  
「なぁパッピー その素敵な一張羅ってどんなのだ? いま着てるのよりもやっぱ凄いのか?」  
 ああ、エンゼル御前はいいなぁ……。私の知りたい事をタイムリーで聞いてくれる。いま着てるのより素敵なのってどんなの?  
 時期が時期だし、私は紅白の小〇幸子のようなコスチュームを想像してしまった。あんなので来られてもお店には入らない。  
「聞きたいか?」  
 パピヨンさんはニヤリと笑うと、口元へメガホンのように手を当てた。耳を貸せという事だろう。  
 エンゼル御前が半身になって“耳?”と思われる部位を寄せる。  
“ボソ……”  
 パピヨンさんがなにか囁いたが、残念ながら私の鼓膜まではその声は届かない。  
 チィッ、盗聴器をもっとあらゆる場所に仕掛けとくんだった。私が野次馬根性丸出しの浅ましい後悔をした、ちょうどそのとき、  
 
「キャァアアアアアア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」  
 絹を引き裂くような乙女の甲高い悲鳴。桜花先輩が両手で自分の肩を抱き、顔面蒼白、濁りの若干入った目で震えている。  
「姉さん!? どうした!!」  
 対面に座っていた秋水先輩が慌てて姉に駆け寄った。しかし、秋水先輩は本当に慌てていたんだろう。そして本物のサムライだ。  
 どこに隠してたんだそれは? 姉を気遣う弟の手には、しっかりと武士の魂、日本刀が握られている。  
 でもただの危険人物という選も捨て切れない。 早坂 秋水 双子座 A型 18歳 日本刀不法所持。  
「なんだ騒々しい」  
 振り返って桜花先輩を見るパピヨンさん、その傍らにはエンゼル御前がぴくぴくと魂の汗を流して倒れていた。  
「だ、大丈夫よ 秋水くん ちょっと少し猛烈に激しい悪寒が……」  
 ああ、結構パニくってるなこれは。滅多に見れないもの見れてラッキー。と、このくらいの役得がないとこの商売やってられない。  
「ふむ まぁ期待していろ武藤、当日は俺の心も身体も羽撃くぞ」  
 グッタリしたエンゼル御前を引っ掴むとパピオンさんは席を立つ。ポトリと桜花先輩の前に降ろして、  
「内緒にしておけよ……」  
 人差し指を口元に当てて“シィ……”とする。  
「い、言えるわけないでしょ! 私の人格が疑われるわ!!」  
 桜花先輩が人格が変わったような声を張り上げた。  
 ああ、先輩にはこういう一面もあるんだなぁ、とパピヨンさんとしゃべってるときはよく新たな発見をする。  
 ずっと思っていたのだが、この二人は以外に仲が、というよりも相性が良いのだろう。  
 
 根っ子の部分では近いものを持ってるのかもしれない。そんな事を面と向かって言ったらすれば、二人とも大いに反論するだろうし、  
「……弟の耳に入りでもしたら、一線踏み越えちゃうかもしれないしね」  
 どの方面に踏み越えるかはあまり考えたくない。どこを選んでも多分おそらく終身刑だ。なにをしても法や倫理に触れちゃう人である。  
「それじゃちーちん、俺は今日はもう帰るが……いま気づいたんだがな……」  
「ええ、私もです」  
 パピヨンさんはハンバーガーセット以外頼んでないのだ。それと私の呼び名についてはもういいです。好きにしてください。  
「ではまた……」  
「お待ちしてます」  
 パピヨンさんを見送りながら私はまた一つ気づいた。出前で来た筈の剛太さんはいつまでいるんだろう。  
 答え、カンバンまでいた。後で聞いたらバイトはクビになったらしい。  
 カズキ先輩と一緒にしたまま斗貴子さんから離れられないのはわかるが、ご愁傷様。  
 
 

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