休憩時間はあっという間に過ぎるが、次の授業が自習とわかっているせいか秋水は始業ベルが鳴っても
廊下に残っていた。錬金の戦士を発見し、その核金を奪えというLXEの命令が終始頭をよぎる。戦闘の
予感に体が奮い立って、落ちついて椅子に座っていられなかった。
よしサボろうと決めたところでふと窓の外に目がいく。長い髪の女子生徒が体育館の方へ消えるのを見
る。その後姿は間違うこと無い、武藤カズキの妹だった。自然と追うように自分の足が動いた。
体育館に人気は無い。半分開いた扉から中に入ると、まひろは腰をかがめて床に目を落とし、なにかを
探している。
「何してるんだ、武藤の妹」
「わあ!」
秋水の声は館内に響き、まひろはとてもいい反射速度で飛び上がった。ふりむいた顔が目を合わせて一
秒固まって、すぐに笑顔にほどける。日向ぼっこをしている猫でもこんな無警戒にはならないだろう。純
粋に邪気を抜かれながら、秋水は彼女に近寄った。
「秋水先輩!先輩も探し物ですか?」
「いや、俺は自習だったから」
自習用の課題が出ているはずだが、以前隣の席の女子がなぜか代わりにやってくれたことがある。多分今
回もやってくれるだろう……他力本願だが。
まひろは髪ゴムを探しに来たのだという。少しも凹んでない顔で快活に暴露する。
「結い合いっこしてたらなくしちゃった」
「手伝うよ。早く見つけないと授業に戻りにくいだろう」
「あ…っ……えへへ。ありがとうございます」
一瞬口ごもってから、またもとの笑顔に切り替えてまひろは嬉しそうに手をあわせる。パチンと元気な音
が、エコーをかけて消える。
「どこらへんだろ。昨日武藤とやった剣道の時?」
「ううん、三時限目のバスケです。お兄ちゃんと先輩の試合は、目なんてはなせなかったから」
「ああ……やっぱり心配?」
「お兄ちゃんですから」
どっちの意味だろう、と秋水は考える。心配なのか信頼しているのか。
横目で見ると、髪が邪魔をしてまひろの表情はわからなかった。なんとなく肩透かしされた気分になる。
ふっと、彼女の無邪気な反応が見たかったのだと気づいた。
ころころと表情の変わる、姉とは違うタイプだからだろうか。新鮮な感じがして、興味がひかれるのか
もしれない。
そう思う事にした。
「君達は仲もいいしね」
「それなら秋水先輩も」
内履きの底が床をこする。
それが二人しかいない体育館に響く。
自分の動揺が相手に伝わるようで気にさわる。
「たぶん、君達の仲のよさとは違うよ」
まひろが首を傾けて不思議そうに秋水を見る。その様子を見て苦笑した。羨ましくも憎らしくなるほ
ど、無邪気な顔だ。
「違うって、どんな風にですか?」
悪気は無いのだろう。だが戦いに備えて攻撃本能をなだめている今、答えにくいだけの質問は無駄に
煽られる。理性の仮面がはがれかける。
いや、まひろに近づきながらすでに理性が消えたと自覚する。
「それは例えば――」
少女の細い腕をとってその足を払う。
体育館に、にぶく音が響いた。押し倒す形で秋水はまひろと距離を縮めた。
「こんな風」
「えっ……」
数十pもない。相手の呼吸も手に取るようにわかる。
「せ、せんぱ――こんなって、えっ?」
「こんな風だよ。もっとわかりやすく教えてもいいけど」
大きくなった開いたまひろの目の中、自分がなんとも余裕で笑っているのが見えた。当然だ、
こんなのはハッタリに過ぎない。この素直で他人に疑い無く、なんでも鵜呑みにしてしまいそう
な彼女をからかいたくなったのだ。
そのいささかタチの悪い冗談をばらす前に、秋水は掴んでいたまひろの手首に、カラフルなゴ
ムが巻かれているのを発見した。一見ブレスレットのようだが、ヘアゴムである。
それは、まひろがなくしたと言って自分も探していた物ではなかったか。
秋水の視線を辿って、まひろは気づいたらしい。悲鳴のように短く声をあげて、赤くなって
黙った。
「えっと――武藤の妹、これは」
まひろは今にも泣きそうな、濡れた瞳で秋水を見た。
「先輩、ごめんなさいー」
泣いた。
これは俺が泣かせたのかそう言う事なのか誰か嘘といってくれ、と内心焦るが、秋水の手は倒れ
るまひろの背中をかばって下敷きになった右手と手首を掴んでいる左、二つともふさがってかえっ
て逃げるに逃げれなくしている。泣き続けるまひろを眼前に持て余しながら、涙が横に流れて、髪
が顔に張りつくのを少し不憫だと思う。
「その……よくわからないが多分…泣くほどじゃないよ。武藤の妹」
「うっ、うくっ、うと、とまらなくなっ、うわぁあん」
掴んでいた手首を離して涙をぬぐってやった。それでも涙はあふれて、ぬぐった指からも間に合
わずにしたたる。
迷って吹っ切り、まひろの目じりに口付けて吸うようにして拭った。まつげの感触がくすぐった
く、薄いところでも肌は柔らかい。まひろの息が首筋にかかる。
「……う…っ…」
かすれた、高い声が耳に届く。それ以外は静か。
遠い教室の授業をする声は、喘ぎとも泣き声ともつかない小さい声に消されていく。
右の手は少女の華奢な体格を追いそうになる。
涙が止まったのを確認すると、何気に触れていた胸の感触から、逃げるように秋水は上体を起こした。
これ以上は本気で不味い。自分は抑えられないし、そうなったら四方八方に悪い。
まひろは化粧をしていなかった。白い物に痕をつけたような気分。秋水は無意識に首に手をあてた。
そこは少女の息がかかったところだ。
(武藤に……借り一つだ)
一時間後、巨漢のホムンクルス二人組が現われてカズキを追いかけることになるが、そのさい、うち
一人を秋水が瞬殺している。
この体育館に入ったとき、まひろはすでに結いゴムを見つけていたらしい。
かすかに口篭もった理由がわかりつつも、彼女を立たせながら、秋水は黙っていた理由を聞く。
「秋水先輩とお話できるって、思って」
「放課後もできるけど」
「いっぱい人がいるし、それに…お兄ちゃんも」
「武藤が居ると?」
まひろは倒れ込んだ時からずっと照れている。顔が赤い。
他に人がいない空間に耐えかねて、素早く教室に戻ろうと外へ出る。
「だって、家族の前で一目惚れした人と話すなんて」
まひろはスカートをひらひらさせて、固まった秋水をふりむく。
「ちーちんの言ったとおり……。でもちゃんと振られたから諦めます。お姉さんと幸せになってください!」
目元を赤くしたまま少女は走り去っていく。
固まった。
あれは冗談で…。
完全に見えなくなると、どこからか変態が降ってきた。
「よう、なかなか青春してるじゃないか」
蝶マスクの下、微笑しているのは常体だ。普段より意地が悪そうなのは気のせいにする。
「監視者、なぜ」
「真面目に授業を受ける姉よりさぼる弟の方が気になる決まってるじゃないか。……先ほ
どのあれはなんだ?ギャグか?二人っきりになって喜んでいたのはみえみえだろうに。
どうもお前は墓穴を掘ったようだな」
思わずうめいた。
墓穴などと言われたくは無い、好意の前フリなどなかった。それとも自分がにぶいとでも
言うのか。
「哀れだし、俺のこの一張羅を貸してやろうか?これを着て追いかければ誤解もとけてなお
かつこのセンスあふれた優雅さに、あの娘の腰が砕けるのは間違いなし」
「…っ!俺には…もとより姉さんしかいない!」
「二人でいるのと、二人しかいないことは違う」
秋水はパピヨンから目を逸らした。
「ハンバーガーでも恵んでやろう。俺の御用達の店だ。ほのかに血液風味が蝶・サイコーで」
「俺の正面に回るな!」
「美形でも彼女の居ない奴は他にも……っと、逃げたか。人の話も聞かんとは、失礼な奴だ」
走り去る後姿を見送りながら、パピヨンは呟く。
本人は冗談のつもりが相手を引かせる事もある……が、まあ、なんていうか、本人大真面目
で行動し、その奇抜さを携帯カメラで撮られようが指さされようが蝶・我が道をいく人間がい
ざという時女性から頼られたりすることもあって……。
昔、誰かがこういう名言を残した事を伝えて終ろう。
【一人引くのは痛いが、千人引くなら英雄である】――
男と女は、古今東西難しい。
――
尻切れトンボ。