「う……」  
胸元の圧迫感と息苦しさに、眠りの底からパピヨンの意識が浮上した。  
闇を見通すホムンクルスの瞳に写ったのは、窓からの月明かりを青く反射する白塗りの天井。  
ドクトル・バタフライの遺した隠しアジトの一室だった。  
 
病魔ごとホムンクルスと化したパピヨンは代謝・免疫機能に不具合を抱えており、  
人間と同程度の睡眠を必要とした。  
現在は“白い核鉄”開発という大問題に取り組んでいるため、不眠不休で2日3日と研究に  
没頭することもしばしばではあったが、それでも肉体の疲労と苦痛に耐えるには限界があった。  
(そうだ…。確か数日ぶりにベッドに倒れこんで……あれからどの位だ?)  
サイドテーブルの時計に手を伸ばそうとしたが、右半身が妙に重たい。思いのほか調子が悪いのか。  
(…………いや、違うな)  
半身にのしかかる重さには、同時に温かさがあった。さらに加えて  
 すう…………すう…………  
明らかに自分とは異なる、小さな寝息とシャンプーの甘い香り。  
 
「また貴様かぁっ!?」  
パピヨンが勢い良く布団をめくりあげると、彼の身体に覆い被さる小柄な体躯。  
白い華奢な手が、パピヨンの紫パジャマをぎゅっ、と掴んでいた。  
「起きろ! 人の安眠を妨害しおって、いったいどういう了見だ!?」  
「…………んみゅ……」  
一瞬だけ寒そうに身を縮こまらせ、ゆっくりと目を開く。トロンと寝ぼけ眼のまま、  
少女───ヴィクトリアが上体を起こした。  
「む〜〜〜〜……」  
気だるそうに片手で目を擦りながら辺りを見回し、怒りの形相で睨み上げるパピヨンと視線が合う。  
「…………」「…………」  
言葉も無く、互いに見詰め合ったまま数秒。  
「………………ハッ!?」  
ようやく意識がはっきりしたらしいヴィクトリアが、慌ててベッドから跳び退く。パピヨンの視界に  
少女の全身が収まった。  
ネコのイラストがプリントされた、ワンサイズ大き目のパジャマ。袖と裾を折り返し、片腕には  
自分用の枕をしっかり抱えている。普段着けているパイプ状の髪留めを外しており、金色の髪の一房が  
肩を越えて起伏に乏しい胸元へ流れていた。  
 
「よくもおろしたての夜着に涎の跡を付けてくれたな。この俺が“抱き枕”扱いとは、とんだ屈辱だ」  
こちらもベッドから降りて、ゆらり、と怒りを纏ったパピヨンが立ち上がる。  
マスクに隠されてヴィクトリアからは見えないが、こめかみには青筋が浮かんでいた。  
「よ、涎なんて垂らしてないでしょ!」  
夜目にも分かるくらい頬を染めてヴィクトリアが言い返す。  
「貴様が勝手に俺の褥に忍び込んできたのは、これで2回目だ。一体何を企んでいる」  
「…………別に何も。どうせ3日に1度くらいしか使わないベッドなんだから、  
あたしが使ったっていいじゃない!」  
「ほう。その口ぶりだと、俺が気付かないうちに随分ココを利用していたようだな。  
部屋主が寝ていてもお構いなしとは、そんなに男の寝所に忍び込むのが好きなのか?」  
パピヨンの揶揄に、ヴィクトリアの目つきが険しくなる。  
唇を噛み、今にも飛びかかりそうな雰囲気を纏わせたままパピヨンを睨みつけていたが、  
すぐにクルリと身を翻した。瞬時にその足元に六角形の穴が開き、中に飛び降りる。  
彼女の使う武装錬金、自在に避難壕を造り出す『アンダーグラウンド・サーチライト』。  
 
「チッ。こんな所にまで通路を繋げていたのか」  
音も無く塞がった穴の跡をパピヨンがつま先で小突いた。そこは既に、何事も無かったかのように  
絨毯敷きの床に戻っている。  
やれやれ、と肩を竦めてベッドに戻り、再び横になった。  
「…………いかんな」  
微かに残る少女の温もりとシャンプーの香りが妙に気になる。  
疲労を訴える肉体とは裏腹に目が冴えてきて眠れない。  
(あの女。実際のところ何を考えているのか理解できん)  
 
ことは数週間前に遡る。  
パピヨンが研究に行き詰まり、資材調達を兼ねてあちこち散策していた折に  
偶然道端で行き倒れのヴィクトリアを拾ったのが始まりだった。  
その際、核鉄に関わる情報の提供を引き換え条件に彼女の保護を申し出たが、  
錬金術を嫌悪するヴィクトリアは即座に拒否。  
(そのくせ勝手に避難壕を連結させて、俺の周りをうろついている)  
 
妨害するでもなく、手伝うでもなく。  
ただ食事時に現れては飯をたかったり、休息中にいつの間にか少し離れた場所で本を読んでいたり。  
それらの理由について何度か問いただしたこともあったが、いつも適当にはぐらかされるか  
逃げられるかで、とにかく彼にとっては不可解な行動が多すぎる。  
(やはり監視のつもりか。……それなら俺が研究中に姿を見せないのは何故だ……)  
考えているうちに再び睡魔が襲ってくる。  
ようやくウトウトし始めたのは、窓の外が白んできた頃だった。  
 
 * * *  
 
「あらあら、手元が危ないわよ」  
「む?」  
あやうく試薬を実験テーブルにぶち撒きかけたところでパピヨンの意識が戻った。  
昨夜の睡眠不足のせいで、研究中だというのにさっきからどうにも手が覚束無くなっている。  
視線をやれば、下校後に直接こちらへ来たらしい制服姿の桜花がくすくすと笑っていた。  
「眠気覚ましにコーヒーでも淹れましょうか?」  
「…………勝手にしろ」  
投げやりなパピヨンの返事に、微笑を浮かべたまま桜花がキッチンへ向かった。  
「…………ふう」  
とりあえず実験を中断してテーブルから離れる。修復フラスコの前を横切り、衝立で仕切られた  
休憩用のソファーに身体を投げ出すと、目蓋を閉じてゆっくり息を吐いた。  
 
元々は『再殺指令』の標的にされた武藤カズキを救うために始めた共闘関係だったが、当のカズキが  
消息を絶った今でも早坂桜花は週に1、2度の割合で秘密アジトを訪れる。  
そして掃除や買い物、食事の支度といった雑用を片付けた後で研究の進み具合を尋ねては、  
捗る捗らないに関わらず頷いて帰っていく。  
いつかカズキが帰ってくるのではないか、という一縷の望みを抱いているのは彼女も同じなのだろう。  
あるいは計算高い桜花のことだから他に目的があるのかもしれないが、パピヨンにとっては  
どうでもいいことだった。  
 
 かちゃり。  
 
陶器の触れ合う音とコーヒーの香りに目を開ける。また少し眠っていたらしい。  
いつの間にかセンターテーブルにカップとポット、それにクッキーの皿が並べられていた。  
「随分疲れているようね。少し根を詰め過ぎじゃない?」  
トレイから自分用のカップをテーブルに移し、桜花も向かいのソファーに腰を下ろした。  
「ふん、お前に心配されるほど無理はしていない。眠いのは別の理由だ」  
「別の理由?」  
カップを手に取りながら桜花が小首を傾げる。  
「何でもない。気にするな」  
まさか昨夜の遣り取りを話すわけにもいかず、パピヨンはらしくなく慌ててコーヒーを啜る。  
ふと、あの時のヴィクトリアの格好を思い出して、何気なしに向かいの桜花に話し掛けた。  
「そういえば、あの小娘のパジャマはもしかしてお前の見立てか?」  
「あら。あらあらあら」  
桜花は一瞬目を丸くして、その後すぐに意味ありげな含み笑いを浮かべた。  
「うらやましいわ。あの子、私には一度も着たところを見せてくれないんですもの。  
うふふ……そう、それで寝不足なのね」  
「勘違いするな、たまたま見かけただけだ。そもそもアイツは俺の食事時や休憩中に纏わりついてくる  
だけで、貴様が想像しているようなことは一切無い」  
「あら、そうなの。聞いている分には随分あの子に懐かれているように思えるけれど」  
予想だにしない一言に、むせた。  
 
懐く? 懐くだと? 誰が誰に? あの小娘が、この俺にか?  
 
「妄想にも程があるぞ! どこをどう取ればアイツが俺に懐いているなどと……」  
「でも、わざわざあなたの時間に合わせて一緒にいてくれるんでしょう?」  
「ヤツなりに思惑があるんだろう」  
「もう、分かってないわね」  
桜花がパピヨンに向かって人差し指を振ってみせる。  
「わざわざ嫌いな相手や興味無い人と食卓を囲んだりしないでしょう。  
あなた相手に接待の真似事したって、あの子には何の得にもならないんだから」  
「そう言うお前はどうなんだ。小娘とはそれなりに親しくしているんだろう?」  
「う〜〜ん…………どうかしら」  
水を向けられた桜花は、嬉しいような困ったような複雑な表情になった。  
「こっちから話し掛ければ答えるし、頼めば色々と手伝ってはくれるけれど……向こうから自発的に  
近付いてくれたことは無いのよね」  
長い睫毛を伏せ、揺れるコーヒーの表面を見下ろしながら、言葉を選ぶように話す。  
「嫌われている訳ではないと思うけど…………なんとなく避けられている感じがするのは確かね」  
「益々分からんな。普段の俺と貴様の態度からすれば、あいつの反応は逆だろう」  
鬱陶しがってさほど相手にしないパピヨンと、あれこれヴィクトリアに世話を焼く桜花。  
どちらに懐くかは考える間でもないことのはずだ。少なくともパピヨンにはそう思えた。  
 
「……これは、あくまで私の考えなんだけど……」  
カップをソーサーに戻した桜花が、窺うようにパピヨンの目を見る。  
「…………構わん、言ってみろ」  
「もしかして、あの子“人間”を避けているんじゃないかしら」  
「人間を?」  
「あの子がホムンクルスになってから100年間、1度も人を襲ったことが無いって知ってる? 彼女に  
とって“人食い”は最も忌避すべきことじゃないかと思うの。そう考えれば、お母さんが亡くなった  
後で女学院を引き払ったこともなんとなく納得できる気もするし……」  
「くだらんな」  
吐き捨てるように言ってカップを干し、パピヨンが足を組み替える。  
「ホムンクルスが人間を食うのをタブー視するだと? 豚を食わないイスラム教徒のようにか?  
人を捨てて化け物になった身で、そんな自戒に何の意味がある?」  
「彼女が、自分から望んでその“化け物”になったと思う?」  
 
二人の間にわずかな沈黙が流れた。  
 
「仮にお前の言う通りだとして、だ」  
空になったカップを置いてクッキーに手を伸ばしつつ、パピヨンが沈黙を破る。  
「では俺に付き纏うのは何故だ。奴にとって何のメリットがある?」  
「それは…………きっと淋しいんじゃないかしら……」  
パピヨンのカップにコーヒーを注ぎ足しながら、これまた桜花が意外な事を口にする。  
「お母さんがいなくなって、人間とも普通に交流できない……。今、あの子が心を許せそうな相手は  
多分あなたぐらいしかいないと思うわ」  
「この俺にシンパシーを感じているとでも?   
ふん、まるでアイツのことなら何でも分かっているような口ぶりだな」  
「ふふ……。なんだかね、あの子を見ていると他人事には思えないの」  
桜花が憂いを含んだ笑みを浮かべる。育ての母を失い、生みの親や社会から拒絶されて、文字通り  
路頭に迷っていた昔の自分の境遇をヴィクトリアに重ね合わせているようだ。  
「私には秋水君がいたけど、今の彼女は本当に独りぼっち……」  
呟いて、ふと天井を見上げる。  
「こんな時、武藤君ならきっと救いの手を差し伸べるんでしょうね……」  
「……………………」  
パピヨンは、ただ黙ってコーヒーを啜った。  
 
 * * *  
 
「あ……く、う……」  
波打つシーツの上で、細い肢体が身悶える。全身を包む火照りに耐え切れず、ヴィクトリアの白い指が  
パジャマの胸元を肌蹴た。頬は紅潮し、息が微かに荒い。額にはうっすらと汗が滲んでいる。  
窓一つ無い、レンガ状の壁に囲まれた避難壕の奥の奥。  
剥き出しの冷たい床に置かれた簡素な木のテーブルと椅子、ベッド、そして小さなクローゼット。  
牢獄にも似たその四角い空間が、彼女が自分を守るために創造した世界の全てだった。  
だが、そこに満ちる重く淀んだ空気も、いまヴィクトリアを侵している熱を冷ますことはできない。  
 
時折り発作のように幼いその身を苛む、甘い疼きにも似た衝動。血の乾き。捕食の本能。  
生命の輝きに満ちた獲物を捕らえ、引き裂き、瑞々しい肉にかぶりつきたくなる、  
ヴィクトリアにとって悪夢にも似た欲求。  
「ふぅ……ん……い、イヤ…………」  
自分の身体を抱き締め、内から湧き上がるおぞましい衝動を必死に抑えつける。  
 ドクン、ドクン、ドクン  
心臓の音がやけに大きく聞こえ、それに呼応するように下腹部に痺れが走る。知らず知らず、  
指が自分の身体をまさぐり始めた。贄を求める本能が、己の肉体で代償するかのように。  
 
肌蹴た胸元に白い手が滑り込み、薄い乳房の上を這う。  
擦り合わされる太腿の間にもう片方の手が伸ばされて、パジャマ越しに秘唇の合わせ目を指がなぞる。  
「……ダメ……こん、な……」  
呟きとは裏腹に、ツンと勃ち始めた乳首を摘んだ指はやわやわとピンクの突起を転がし、合わせ目を  
擦る指は速さを増す。やがて物足りなくなったのか、股間をなぞる手がパジャマの中に潜り込んだ。  
「くぅ、ん!…………」  
ぎゅっ、と目を閉じ、眉根を寄せる。切ない喘ぎとともに、ベッドから腰が浮き上がった。  
 
100年前から時を止めた彼女の心と身体は、未成熟なまま、肉の疼きを持て余す。  
血のざわめきを慰める指遊びにすら激しい罪悪感を覚えつつ、その後ろ暗い刹那の快楽に抗えず  
ヴィクトリアはより一層激しい自慰行為に身を任せる。  
 
ショーツの上から軽く引っ掻くように秘唇を擦っていた指が、股布の部分を脇へずらして直接触れる。  
自分でも驚くほど熱くなっている合わせ目を割り開いて、指先でくつろげる。  
「ひゃうんっ!」  
胸に這わせていた手が痛いぐらい固くしこっている乳首を爪で弾き、思わず小さな悲鳴が漏れた。  
「だ……め。こんなこと……やめ、なきゃ…………で、でも……」  
まるで頭の中に靄がかかったように、思考が明確な形にならない。  
「でも……気持ち、いい…………キモチイイよぉ…………」  
涙混じりの鼻声。  
秘唇を弄る指先に粘つくシロップが絡み付き、ピチャピチャと小さな水音が鳴る。  
合わせ目の上に隠れた小さく敏感な突起を、濡れた指で包皮ごと押し潰す。  
「んっ!……」  
脳を灼くような快楽の衝撃。ぴん、とベッドに突っ張った足先がふるふると震える。  
「や、だ……どうして…………ゆび……指が……とまら、ない……」  
肉芽を転がす度に跳ねる腰。溢れる蜜が、下着やパジャマまで濡らし始める。  
息が苦しい。喉が渇く。ハァハァと喘ぐ小さな口から覗く白い歯を、桃色の舌が舐める。  
「……ほ…………しい……」  
欲しい。血が。肉が。  
虚ろな自分を満たしてくれる、地上に満ちる生命のエネルギーが。  
 
(い、いけない! こんな、こと…………考え……ちゃ……)  
頭をよぎった考えに慄然として、ヴィクトリアの正気が戻った。  
消えて無くなりそうな理性を必死にかき集め、身体を弄ぶ指を引き離そうと試みる。  
(……こ、こんなの、悪い……夢…………。今夜一晩……乗り切れ、ば…………)  
パジャマの中から解放した両手でシーツを掴み、自我を侵食しようとする悪夢に抵抗する。  
それでも朦朧とした意識と記憶は混濁し続け、“現実”という悪夢が、過去の悪夢を呼び覚ました。  
フラッシュバックする幾つもの光景。  
 
血の滲む包帯に包まれた、変わり果てた母の姿───  
自分をを取り囲む、怒りと、憎しみと、侮蔑の込められた無数の目───  
拘束された黒い実験台。白い手術灯───  
バケモノに囲まれた自分を見上げ、驚愕と絶望に歪む父の顔───  
 
「ひっ!!」  
鮮やかに蘇る恐怖に跳ね起きた。髪を振り乱し、両手で我が身を掻き抱く。  
バケモノ。  
そうだ、自分はバケモノだ。100年を生き、人間を“餌”とみなす、忌まわしい怪物。  
「ちが、う……私…………私は……私は!」  
裸足のままベッドから跳び降り、部屋を飛び出した。  
肌蹴た胸元を合わせながら、長く冷たい石の通路を駆けていく。  
(ママ……ママ…………)  
通路の行き止まりに、六角形の穴が開いた。ためらわず中へ飛び込む。  
 
そこは、ヴィクトリアの部屋よりもずっと大きく暗い広間だった。  
「ママ!」  
何も無い闇の向こうに呼びかける。以前はラボとして、彼女の“母”が使っていた部屋。  
「……ママ! ねぇ、ママ!」  
少女の叫びが虚しく反響する。  
 
返事は無い。あるはずがなかった。  
彼女の母アレキサンドリアは脳髄の姿で地下に篭り、残された命と知識で『白い核鉄』を完成させると  
自らの役目を終えたかのように逝ってしまった。  
決して触れ合えない、温かく抱き締めてくれることもできない母だったが、それでも孤独に震える娘を  
言葉で励ましてくれた。ヴィクトリアが呼びかければ、いつだって優しく返事をしてくれた。  
今はもう、その返事すら無い。ただ、残酷な事実が彼女に突きつけられただけだった。  
この暗い避難壕には、ヴィクトリアしかいない。半ば不死である彼女が、いつか滅びる遠い未来まで。  
 
 『もしママの方がパパに会えたら、その時は伝えて。  
          私は独りでも生きていけるって…』  
 
「………………………………イヤ、だ………」  
長い沈黙から振り絞った、たった一言が、それまでヴィクトリアの心を支えていた決意を打ち砕いた。  
独りで生きていけるなんて、嘘だ。  
こんな闇の底に、これ以上独りでなんていられない。  
ただ永遠に有り続けるだけなんて、まともな精神ではとても耐えられない。  
 
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! 嫌だ!! 嫌だ!! 嫌ァ!!!!」  
 
声を限りに放った叫びは、広間に響いて亡者の怨嗟のように自身に跳ね返る。  
反響する自分の声に背筋が凍り付き、必死に逃げだした。  
「誰か! 誰か! 誰か!! ねぇ、誰か!! 助けて!! 誰かァァっ!!」  
 
何処をどう走ったのか、よく覚えていない。  
気が付けばヴィクトリアは避難壕を抜け出して、見覚えのある扉の前に立っていた。  
荒い息を整え、わずかな逡巡の後にノブを回して扉の向こうを覗き込む。  
白いレースのカーテン越しに月明かりの差し込む部屋。年代物のテーブルやサイドボードがさりげなく  
配置された、どこか古めかしさを感じさせる白壁の空間。  
素足のヴィクトリアが、そっと一歩踏み込む。上等な絨毯の上を、足音を立てることなくゆっくりと  
歩みを進め、窓際のベッドの傍へ。  
 
そこに、一人の男が眠っていた。寝る時にすら蝶々仮面を外さないという妙なこだわりを持った、  
自分と同じホムンクルス。  
不思議な男だった。ホムンクルスのくせに、人間に協力する。ホムンクルスでありながら人を襲わず、  
ただ“人”との約束を果たすためだけに、寝食を忘れて研究に没頭する。  
ヴィクトリアにとって、理解し難い存在だった。異分子としての自分を堂々と誇示しながら人の中に  
紛れ込み、奇異の目に臆することなく我が道を往く。  
その図太さが、彼女にとっては少しだけうらやましくもあり、妬ましい。  
そして同時に、本能の赴くまま血肉を啜る他のホムンクルス共とは一線を画するその生き方が、どこか  
自分と近い気がして、そばに居るだけで重苦しい心が軽くなる。それが日陰者同士故の親近感なのか、  
出口の無い迷路に陥った自分の作り出した幻影なのか、あるいは自分でも気付かないもっと特別な  
感情の表れなのか、ヴィクトリアにも明確な答えは分からないままだけれども。  
無意識のうちに手が伸びて、眠る男の顔に触れようとする……。  
 
 がしっ! と、布団から飛び出した手に腕を捕まえられた。  
 
「えっ!?」「やはり、また来たな」  
ヴィクトリアの手首を掴んで、蝶々仮面の男───パピヨンが笑みを浮かべた。痩身を起こし、逆に  
少女の小柄な身体が強引にベッドへ引き倒される。  
「きゃっ!」  
普段の態度からは思いもよらぬ愛らしい悲鳴を上げて、仰向けに倒れこむヴィクトリア。パピヨンが  
その両手首を押さえつけて少女に覆い被さる。どうにか振り解こうともがくヴィクトリアだったが、  
がっちりと捕まえられた両腕は全く自由にならない。ホムンクルス同士とはいえ、腕力では男の方に  
分があった。  
 
「くっ…………離して! 離してってば!」  
見上げる体勢でパピヨンを睨みつけ、ヴィクトリアが叫ぶ。  
「そうはいかん。離したら、また昨夜のように逃げるのだろう?」  
冷たく濁った目が少女を見下ろす。ヴィクトリアの身体に悪寒が走った。  
「さて、今夜こそは色々と吐いてもらうぞ。俺の周りをこそこそ嗅ぎ回っている目的をな……」  
「……そんな、もの……無いって、言ってるじゃない!」  
無駄と知りつつ、男を押し退けようと抗い続けるヴィクトリア。その眼前にパピヨンの顔が迫ってきて  
思わず視線を逸らす。  
「何も目的が無いのならば、なぜ貴様はここに居る」  
「貴方がここに呼んだんでしょう!」  
「それは研究に協力すれば、の話だ。“怠け者に生きる価値など無い”というのが俺の信条でな」  
ヴィクトリアの両手首を彼女の頭上に持って行き、片手で押さえ付ける。空いたもう片方の手が、  
少女の小さな顎を掴んだ。  
「今の貴様は何だ? ただモグラのようにコソコソ穴倉に篭っているだけで、それで満足か?」  
強引に顔を向けさせ、顎を掴んでいた手が離れた。  
「ンッ!?」  
羽のようにそっと首筋を撫でられて少女が身を竦める。その手がゆっくり身体へと下りていき、小さな  
胸の膨らみをパジャマの上から包み込んだ。  
「やっ! な、何するの!?」  
「何の目的も無くただ“存在する”だけなら人形と変わらん。人形をどう扱おうと俺の勝手だろう」  
パジャマの胸元を鉤爪の生えた手が掴む。  
「男の寝所へ通うという事がどんな意味を持つか、教えてやる」  
 
 ビイイィィーーーーーッ!!  
 
薄布が無理矢理引き裂かれ、月光に晒される白い肌。子供と大人の境を保つ、蒼い裸身。  
ふふん、とパピヨンが鼻で笑う。  
「ま、当然だが……花房とは比べようも無いな」  
かつて財産目当てに自分に擦り寄ってきた女を思い出す。あれが男をたぶらかす“妖花”なら、  
目の前の少女はまさしく“蕾”だ。  
膨らみかけの乳房を記憶の中の女と比べながら、手を伸ばして彼女の肌に触れる。幼く肉付きの薄い  
身体は、肋骨の形まで簡単に指先で感じ取れた。そこから細くくびれた柔らかい脇腹へ、ゆっくりと  
撫で下ろす。少女は触れる部分すべてが陶器のようになめらかで、温かい。  
 
「どうした、震えているぞ。怖いのなら泣き叫んでみろ。その方が俺も少しは愉しめる」  
「……くっ…………」  
薄笑いを浮かべ言葉でいたぶる男に、ヴィクトリアは悔しそうに歯噛みした。  
「ケダモノ……。やっぱり、貴方も只の化け物よ!」  
「違うな。おれは人を超えた存在、超人だ。そこらの“化け物”とは、魂の有り様が根本から異なる」  
脇腹に遣っていた手が少女の左胸へと滑る。  
心臓の上。そこに刻まれた、人に在らざる者の証。ホムンクルスの章印を男の指が撫でる。  
「だが、貴様は化け物ですらない出来損ないだ。新たな命を得ながらそれを否定し、生まれ変わった  
肉体を活かそうともせず、逃げ隠れるしか出来ない臆病者だ」  
「……それでも、本物の化け物よりずっといいわ」  
「フン……」  
少女の物言いに少しだけ鼻白んで、パピヨンが白い首筋に顔を埋めた。  
「…んっ!?……」  
男の唇が触れる感触に、ヴィクトリアが身を竦める。強く吸い上げられ、肌が粟立つ。  
「気に入らんな」  
少女の首筋に朱い跡を付け、忌々しげにパピヨンが呟いた。  
「そんなに生き続けるのが辛いか。そんなに未来が欲しくないか!?」  
「い、痛い!!」  
少女の手首に、ぎりぎりと男の指が食い込む。  
「貴様のような奴を見ていると虫酸が走る! いいだろう、そんなに生きていたくないなら、  
俺が今、貴様を壊してやる!!」  
 
再び強引に少女の顎を掴み、パピヨンが荒々しく唇を押し付ける。  
「ンッ!? ンンーーーーッ!!」  
無理矢理に唇を奪われ、ヴィクトリアが拒絶の悲鳴を漏らした。男の舌が口の中を犯す。  
(やだ! 初めてなのに……初めてを、こんな奴にぃっ!!)  
逃げるヴィクトリアの舌を、ぬるぬるとパピヨンのそれが追いまわす。いっそ噛み切ってやろうとする  
ものの、顎を押さえられて口を閉じることもままならなかった。  
追い詰められ、絡め取られる。嫌悪と不快感に咽びそうになるが、男はそれすら許さない。息つく暇も  
与えず小さな舌を擦り、吸い、頬の内側や歯列まで舐めまわす。  
 
苦しさに意識が朦朧となりかけたところで、男の顔が離れた。  
「かっ!…………はっ!……」  
えづくと同時に、肺が乏しくなった酸素を求め、ヴィクトリアはひゅうひゅうと激しく呼吸する。  
パピヨンは苦しげな少女を労わるでもなく、その胸元に唇を寄せた。なだらかな膨らみのあちこちに  
舌を這わせ、ヴィクトリアはナメクジのようなその感触に怖気立つ。舌が先端で震える乳首に辿り着き  
荒々しくむしゃぶりついた。  
「ふあぁっ!?」  
くすぐったいような、甘く痺れるような未知の感覚。自然に背中が反り返る。ちゅうちゅうと、わざと  
音を立てて乱暴な唇が胸を吸い、小粒の突起を舌先で転がす。同時にもう片方の乳首をコロコロと  
男の指が弄び、未発達な乳房を撫でさする。  
「……ひっく…………いや…いやぁ……。私のニプル……吸わないでぇ……」  
汚されていく悔しさと恐怖に、とうとうヴィクトリアは泣きだした。  
 
「五月蝿いッ!!」「ひぐぅっ!?」  
いきなりパピヨンが少女の肌に鉤爪を立てた。胸から腹部にかけて浅く引き裂かれ、無残な数条の  
裂き傷から珠となって浮き上がった紅い血が流れ落ちる。  
「今更泣き言なぞ聞かん! これ以上喚くなら、すぐさま貴様の章印を抉り取ってやる!!」  
理性を失った冥い瞳に射竦められ、ヴィクトリアが息を呑む。少女が初めてパピヨンに見せた怯え。  
この男の言葉に嘘は無い。余計な抵抗を続ければ、迷わず今の言葉通りに自分を殺すだろう。  
彼女にとって遠い存在だったはずの“死”を目の前に突きつけられて、心のどこかで望んでいたはずの  
それに恐怖する。  
 
ヴィクトリアが少しだけ抵抗の素振りを止めたのを感じ、ほくそ笑むパピヨン。それでも彼女の両手は  
拘束したまま、痛々しい傷口を舐め、血を舌で拭い取る。口元を紅く染めながら、片手が少女の腰へと  
伸びていった。鉤爪を、子猫プリントのパジャマズボンに引っ掛ける。  
「!? やぁっ! ダメ、そこだけは!!」  
男の意図に気付いたヴィクトリアが両脚を閉じ合わせるが、パピヨンは構わず引き毟った。  
布の裂ける音。  
パジャマは半ば破かれた状態でヴィクトリアの膝上までが晒され、白い太腿と飾り気の無いショーツが  
露わになる。  
「さて、こっちの方もまだ子供かな」  
ギュッ、と閉じられた両脚の間へパピヨンが指を捻じ込もうと試みる。少女の精一杯の防御も虚しく、  
男の指が太腿の付け根へと潜り込んだ。  
 
一瞬、パピヨンが驚いた表情になり、次いで嗜虐的な笑いを浮かべる。  
「ハッ! コレはどうしたことだ? もう濡れているじゃないか」  
「嫌ァッ!! 言わないでっ! 言わないでぇ!!」  
真っ赤になったヴィクトリアが、涙を零しながらイヤイヤと首を振る。  
先刻までの自慰の名残。パピヨンの指先に、湿った下着の感触があった。  
「成る程、成る程。お前は最初から期待していたのだな。そうとは知らず失礼した」  
「ああ…………ち……違う……」  
「ククク、遠慮するな……。今までの埋め合わせに、せいぜい可愛がってやる」  
男の指が蠕動を始める。すべすべの太腿を閉じてもなお残る小さな隙間を前後し、布越しに柔らかく  
盛り上がった土手を撫で回す。愛液に濡れた股座の部分はぺたりと少女の大切な部分に張り付き、  
布越しでも小さな女性器の造りを感じ取れた。  
「ふあぁ……。駄目ェ……駄目なの。…………そんなとこ、触っちゃダメぇ……」  
うわ言のように少女が呟く拒絶の言葉は、しかし、男の悪戯に少しずつ甘い香りを含み始めてきた。  
 
きつく閉じられた脚はいつしか力を弱め、パピヨンは掌に絡めた下着を難なく引き下ろす。  
申しわけ程度の産毛の下。くすみ一つ無い土手に、ほとんどスジのような割れ目が覗く。骨ばった指が  
割れ目の間へ滑り込み、濡れた花弁に触れた。  
「ひうっ!?」  
ぞわり、とヴィクトリアの背筋に2度目の悪寒。誰にも許したことの無い場所を容易く蹂躙した指が、  
ひっそり合わさった花弁の間をなぞり始める。  
「……ふ…………ん……う…………」  
必死に声を噛み殺すヴィクトリアを、愉しげにパピヨンは見下ろす。少女の柔らかな粘膜の感触を  
楽しみながら、女性器の形に沿って撫で回し、膣への入り口をくすぐる。やがてヴィクトリアの身体の  
奥から、じんわりと熱いシロップが零れ始めた。  
「……そん、な…………なんで……」  
嫌な筈なのに。  
こんな奴の好きにされたくない筈なのに。  
身体は敏感に反応し、アソコは切なく疼いて男を求める。  
避難壕の奥で持て余していたあの獣欲が、再び頭をもたげ始めていた。  
 
快感に陶然とするヴィクトリアの表情に、もはや抵抗しないと判断したパピヨンが戒めを解く。少女は  
解放されたことに気付いた様子も無く、ただ荒い呼吸に胸を上下させていた。  
ヴィクトリアの太腿を抱え上げ、パピヨンはショーツとパジャマの残骸を脚から抜き取る。そして力の  
抜けた膝を開かせると、その間に自分の頭を潜り込ませた。  
「……えっ!? 何!? 嫌ァッ! やめてぇッ!!」  
男の意図に気付いたヴィクトリアが脚を閉じようとするものの、両の太腿はそれぞれがっちりと腕に  
抱えられて動かせない。大事な部分へ、男が顔を寄せていく。  
「!!!!」  
舌が無毛の合わせ目に割り込んだ。  
ヴィクトリアの背が反り返り、叫び声を上げようとするが喉が引き攣って声が出ない。  
(やだ! 何か、にゅるって…………にゅるってぇ……!?)  
指よりもっと生々しく密着する感触が、ヴィクトリアの股間を這い回る。まだ痺れの残る腕で男の頭を  
押し退けようとするものの、力の入らない手は相手の黒髪を乱す程度にしか動かせなかった。  
舌先は遊ぶようにあちらこちらと責める処を変え、内腿をくすぐるかと思うと割れ目の上のささやかな  
産毛を唾液で濡らし、また割れ目へ潜って花弁を嬲る。  
そして少女の奥へと続く窪みを探り当て、こじ入ろうと試みてきた。  
「いや……いやぁ……。入ってこないで…………私の中に、入ってこないでぇ!」  
ぽろぽろと。大粒の涙を流して、再びヴィクトリアが泣きじゃくる。  
 
既にパピヨンも冷静では無かった。  
溢れる蜜を啜り、立ち昇る少女の匂いに脳を蕩かされ、舌先に感じるツルツルの感触を夢中で味わう。  
ヴィクトリアの泣き声も殆ど耳には入らない。  
小さな膣穴に舌を捻じ込んでかき回し、ささやかな締め付けを感じながら浅く出し入れを繰り返す。  
そして、割れ目の上に小さく隠れている肉芽に吸い付いた。  
「んあっ!? はっ!…………ふぁああっ!!」  
突然、ガクガクとヴィクトリアの身体が痙攣した。四肢を突っ張り、花弁がひくひくと収縮する。  
腰も跳ねそうになるものの男の腕に押さえ込まれているため、代わって上体が魚のようにばたつく。  
「…アッ!………アッ!………」  
拒絶する心を置き去りに、肉欲を求める身体は男の愛撫に打ち震え、とうとう果てた。  
 
「ふむ。………これだけほぐせば、何とかなるか」  
口元を拭いながらパピヨンが身を起こし、眼下で放心するヴィクトリアをあらためて眺める。  
涙に濡れ、焦点の定まらない瞳。小さく開いた口は荒い呼吸を繰り返し、額には汗が浮かんでいる。  
汗の粒は胸元にも浮いていて、乳房から腹にかけて男に付けられた傷は、既に出血が止まっていた。  
肩幅よりも少し大きく開かれた両脚の付け根では、男の唾液にまみれた割れ目が、誘うようにひくり、  
ひくりと蠢いている。  
 
「ククク……」  
ぐったりと動かない少女を見下ろしながら薄く笑い、パピヨンが自分の着ているものを脱ぎ捨てる。  
夜着を放り投げ、黒いビキニパンツから臍まで反り返るほどに奮い立った己のモノを引っ張り出して、  
力なくベッドの上に投げ出されていたヴィクトリアの両脚を抱え直す。  
「……ぐすっ……。もうやだ…………。まだ……何かするの?」  
のろのろと手の甲で涙を拭き、まだ精神的ショックに混乱しながら少女が視線をパピヨンに向ける。  
そして裸の男と、熱い何かが自分の股間に当たっている感覚に、顔から一気に血の気が失せた。  
「嫌ァッ!!! お願い、許して!! それだけは!!」  
薄闇の中でも、ホムンクルスの視覚はソレをはっきりと捉えている。男の両足の間から突き出した、  
長く、太く、血管を浮き立たせてビクビクしているもの。あんなグロテスクなものが本当に人間の体の  
一部だなんて、信じられない。あんなのが、もし自分の中に入ってきたら────。  
「やめてェッ!! そんなの裂けちゃう! 死んじゃう!!」  
「言っただろう、壊してやると! 心も、体も、お前が今まで守ってきたものを全て粉々にしてやる」  
 
パピヨンの体が覆い被さる。突っぱねようと肩を押し返すヴィクトリアの腕も意に介さず、  
花弁の間に押し当てていた強張りを、ぐっと前へ進ませた。  
「ひっ、ぎ────!!」  
ヴィクトリアが苦痛に息を止め、歯を食いしばる。  
もとより小さな膣穴に男の剛直がすんなり納まるわけもなく、入り口で止まった亀頭は愛液に滑って  
産毛の生えた丘を擦った。  
「チッ!」  
軽く舌打ちし、パピヨンが再び剛直を宛がった。今度はもう少し下にアタリをつけて、慎重に。  
「イッ…!? イヤアアアアアアァァァーーーーッ!!!!」  
痛みにこらえきれず、ヴィクトリアが絶叫した。  
 
 みちり…、みちり…、  
 
遠慮も加減も無く、ただ強引に割り入る。幾重もの襞を無理矢理に引き伸ばしては行き止まり、少し  
戻ってまた押し込む。  
「痛い! やだ! もう止めてよぉ!! ……ひっく……うぐっ……」  
引いた怒張に絡み付く鮮血。  
破瓜の印に染まったそれを一層深く捻じ込むたびに、ヴィクトリアが苦痛の声を漏らす。  
(どうして。どうして私ばかりこんな目に遭わなくちゃいけないの!?)  
震えるほどに押し返す手が爪を立て、男の肩に食い込む。それでも無慈悲な侵略は止まらず、繋がった  
部分から零れる血がシーツを染めていく。  
「……フフフ。どうだ、百十余年目にして“女”になった感想は」  
剛直の半分以上を少女の体内に収め、汗の雫を垂らしながら、パピヨンがヴィクトリアに問い掛ける。  
「……もうやだ……痛い……痛いよぉ……」  
もはやヴィクトリアにはパピヨンの言葉に答える気力も無く、ただ天井を見上げて泣き続けていた。  
「ハァッハッハ! どうした? 学院では俺に腹を貫かれても平気な顔だったろうが。このくらいで  
音を上げるな」  
 
耳障りな哄笑が、空っぽの心に虚ろに響く。  
 ──どうしてこの男は笑っているのだろう。  
 ──どうしてこんな酷い事を平気で出来るのだろう。  
 ──私は何もしていないのに、どうしてこんなに虐げられるのだろう。  
 
父と別れ。母を失い。平穏と輝きに満ちた世界から追い出され。  
それでも誰も傷付けまいと、ひっそり生きていようと思ったのに。  
そんなささやかな願いすらこの男は踏みにじり、あざ笑う。  
信じていたのに。  
この男だけは、他の化け物とは違うと思っていたのに。  
 
「……るさない……」  
痛みにすすり泣くだけだった口が違う呟きを漏らし、感情を失っていた少女の瞳に光が戻る。  
低く静かな、重い声色。冷たく燃える、憎しみの炎。  
「許さない……。殺してやる!! あんたなんか、絶対に殺してやる!!」  
組み敷かれたまま叫ぶヴィクトリア。憎悪の視線に、パピヨンはさらに唇の端を吊り上げた。  
「いいぞ! その目だ!! そういう目をした奴にこそ、生きる資格がある!  
俺を殺すか!? いいだろう、やってみせろ! それが貴様の新たな生きる目的という訳だ。  
命ある限りこの俺に挑んで来るがいい!!」  
笑いながら剛直を引き、突き上げる。  
「アァァーーーッ!!」  
「ハハハハハ! そら、さっきの威勢はどうした!?」  
荒々しく腰を動かし、幼い肉体を責める。少女の爪が肩の肉を抉るのも気に留めず、己の快楽を貪る。  
「……うぐっ!……うっ!……」  
目を閉じてひたすら苦痛に耐えるヴィクトリアの姿に征服欲を満足させ、久しぶりに味わう女の感触に  
早くも射精感がこみ上げてきた。  
「丁度いい、ついでに実験してみようか。ホムンクルス同士で生殖が可能か否か」  
「ひっ!? やだ、嫌ァァーーーーッ!!」  
「あがいたところで無駄だ……そうら」  
「やぁ! 止めてええぇーーーーッ!!」  
 
 ごぼり。  
 
一瞬、ヴィクトリアには何が起きたのか分からなかった。  
自分の顔に生温かい液体が降り注ぎ、パピヨンが口元を手で押さえている。その手の間からは赤黒い  
液体がボタボタと滴り落ちていた。  
口の中にまで流れ込んできた液体は錆びた鉄にも似た残り香を放ち、ヴィクトリアは瞬時に  
それが何かを理解する。  
「────吐血?」  
何故? 自分は何もしていない。不死に近いホムンクルスが、どうして吐血など────  
はっとして、ヴィクトリアは男の体を目で探った。胸にも、額にも、彼の身体にはホムンクルスに必ず  
あるはずの章印が見当たらない。  
「…………不完全体……」  
無意識のうちに、言葉が口を衝いて出た。  
人外の“生命”を肉体に安定させる制御装置であり、集積回路である章印を持たない『失敗作』。  
本来章印が行う機能の全てを自身の意志と肉体で代替しなければならない、不安定で不自由な存在。  
 
「くそっ、こんな時に……少々調子に乗りすぎたか」  
口の中に残る血の塊を飲み下し、パピヨンが呻く。激しい動悸をこらえながら、まだヴィクトリアを  
犯し続けようと自分の身体を支え直す。  
「……もう、止めましょう」  
ぽつりと。  
静かな、落ち着いた声でヴィクトリアが言った。  
「これ以上激しい行為を続ければ、身体に障るわ」  
「ハン、この期に及んで俺を気遣うつもりか!? ここまできて今更止められるものか」  
「分からないの? 下手をすれば、貴方の命に関わるのよ。ここで死んでもいいの?」  
一言ずつ、母親が子供に言い聞かせるように、ゆっくりと少女が語り掛ける。  
「黙れッ!!」  
ヴィクトリアの言葉を遮って、またパピヨンが腰を突き上げた。  
「アッ!……アッ!……ンアッ!!」  
激しく突かれ、膣の中を押し広げられて、ヴィクトリアが苦悶の声を上げる。  
白い頬を吐血に染め、全身を火照りに紅潮させて、ただひたすら男の欲望に耐える。  
 
喘ぐ少女の切なげな顔に気持ちを昂ぶらせ、パピヨンは自分の絶頂が近いのを悟った。柔らかな身体を  
抱き締めて、腰の速度を上げる。その背中にヴィクトリアの腕がしがみついてきた。  
「…………くっ!!」「ふぁあああぁっ!!」  
 
 びゅくん、びゅくん、びゅくん…  
 
少女の体内でパピヨンが果てる。それまで心の奥で燻っていた冥い感情を吹き飛ばす程の解放感と、  
膣が温かく自分を包み込んでくれる安堵感。例え一方的な陵辱の上であろうと、久しぶりに味わう  
心地良さに全身が弛緩していく。そして、猛烈な睡魔が急激にパピヨンに襲い掛かってきた。  
病魔と疲労に加えての激しい性行為に身体が限界に達し、意識が強制的にシャットダウンされかかる。  
「夢や希望だけが、生きる糧とは限らん……」  
残った気力を振り絞り、パピヨンは少女の耳元に囁く。  
「憎しみでも、何でもいい。何かの為に生きてみろ……」  
そこで、パピヨンの意識は闇に閉ざされた。  
 
 * * *  
 
床に落ちていたシーツを、少女の手が拾い上げる。  
ヴィクトリアの頬を汚す血は既に乾き、胸の傷はとうに塞がって薄く跡だけが残っていた。その跡も、  
朝にはきれいに消えて無くなっているだろう。  
引き裂かれたパジャマの代わりにシーツを身体に巻き付け、ヴィクトリアは後ろを振り返った。  
ベッドの上では、うつ伏せのままパピヨンが昏々と眠り続けている。その枕元に音も無く歩み寄り、  
無言で男の寝顔を見下ろした。起きる気配は無い。  
スッ、と少女の右手が上がる。指先を揃え、男の首に狙いを定める。  
今ならワケは無い。この手を振り下ろせば、容易く男の首を跳ね飛ばせるだろう。  
手をかざしたまま、けれどヴィクトリアは動かない。ただ男の顔を見つめている。  
こち、こち、と、サイドテーブルの時計が微かに響き、傾いた月の光が尚明るく部屋を照らす。  
 
ゆっくりと息を吐き、少女は右手を引いた。眠るパピヨンをそのままに、部屋の中央へ向かって歩く。  
その足元に開いた縦穴に、ヴィクトリアは静かに飛び降りた。  
 
 
 
【エピローグ】  
 
何事も無く数日が過ぎた。  
「どうも反応が悪い。やはり素材から吟味する必要があるか…」  
実験結果を反芻しながら、パピヨンは寝間着に着替える。  
あの夜以来、ヴィクトリアは姿を現さない。桜花とは顔を合わせているようなので、意図的にこちらを  
避けているのだろう。  
(まあ、当然だろうな)  
あれだけの仕打ちをしたのだから嫌われたとしても不思議ではない。  
邪魔者が居なくなったと清々した気分だったのは、最初の日だけだった。  
翌日には、休憩中などにふと彼女の居た場所を視線で探すようになり、独りきりの夕食に味気なさを  
覚えるようになり、  
(この俺としたことが、あんな小娘に惑わされるとは……)  
自分の中で思っていた以上にヴィクトリアの存在が大きくなっていた事実に、彼自身驚いていた。  
今になって気付いてみたところで遅いのかもしれないが。  
僅かな後悔を頭から追い出し、明かりを消してベッドに横になった。  
 
 
深夜。静かにドアが開く。  
顔を覗かせたのはヴィクトリアだった。部屋の様子を窺い、そっと踏み込む。  
水玉のパジャマに、腕にはお気に入りの枕。  
今夜は月が射さない。いつもより深い闇の中を泳ぐようにして、そろそろとベッドの傍に歩み寄る。  
そこに眠るのは、蝶々仮面を付けた痩身の男。息を殺して様子を確かめ、完全に寝入っていると  
判断して、そっと布団をめくりあげると自分の身体を滑り込ませた。  
もぞもぞと、一番寝心地のいいポジションを探って、男の肩に額を押し付ける。  
「……なんだ、俺を殺すんじゃなかったのか?」  
「お、起きてたの!?」  
いきなり掛けられた声に跳ね起きた瞬間、男の腕に抱き寄せられた。  
「てっきり寝首を掻きに来たのかと思ったぞ」  
くっくっ、と喉の奥からパピヨンが笑いを漏らす。  
ヴィクトリアは男の胸にじっと抱かれたまま、逃げようとはしない。その胸元で、囁く。  
「あんたみたいな不完全体……私が手を下さなくたって、どうせ早死にするわ」  
顔を起こし、パピヨンの目を見つめる。  
「私、決めたの。これからずっと、一生、あんたに付き纏ってやるって。それで、いつかあんたが  
死ぬ時に鼻で笑ってやるわ。『私を出来損ない呼ばわりした、あんたの方こそ出来損ないよ!』って」  
「見くびるなよ。骨董品の貴様より先に死ぬつもりは無い」  
パピヨンの腕に力が篭り、より強く少女の身体を抱き寄せた。  
 
「……ところで。前にも言ったが、貴様は男の寝所に忍び込む意味を分かって来ているのだろうな」  
パピヨンの言葉に、ヴィクトリアが身を固くする。  
「…………また、痛いことするの?」  
「安心しろ。貴様が俺に敵対しない限り、俺も貴様を傷付ける理由は無い。約束しよう」  
「…………エッチなことも、しない?」  
「さて、そっちは約束出来んな。貴様だって疼いて仕方の無い夜もあるだろう」  
「うぅ……」  
あの夜、下着の濡れていた理由を見透かされた気がして、ヴィクトリアは闇の中で頬を赤らめる。  
「が、今夜のところは何もしないと保証してやる。正直、冗談でも誇張でもなく…………  
俺は今…………死ぬほど…………眠……い……」  
 
男の腕から力が抜けた。そしてすぐに規則正しい寝息が聞こえ始める。  
ヴィクトリアは男の寝顔をしばらく眺め続け、その胸元に顔を埋めて目を閉じた。  
そっと掌に、男の寝間着を掴んで。  
口元に穏やかな微笑を浮かべ、少女もまた、眠りに落ちていった。  
 
 (おわり)  
 

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!