武装錬金  

「Artificial Flower」 

 静謐に満たされた闇の中で、蝶と花が睦みあう。  
 鮮やかで敏感な花弁をかきわけて、蝶は……「創造主」は、彼女の蜜を吸い上げる。  
 崇拝すべき華麗な蝶であると同時に、無力で無様なイモ虫でもある彼は、ぎこちない  
動きで裸身の上を這い回り、その分身を彼女の最も深いところに埋めて食い荒らす。  

 さらに彼は細い指先で薄い唇で、快楽に身をよじる彼女の全身を捕らえて愛撫する。  
 腕を耳を乳房を肩を腰から脚へのラインを優しくなぞり、甘噛みしながら舌を這わせ、時には噛み千切るように歯形を食い込ませて。  
 「創造主」の一挙手一投足に、花の紅い唇からは切なげな歓喜の声が溢れ出す。  

 朝露に濡れて輝く薔薇のように、均整が取れた彼女の肢体は汗を浮かべて闇に輝く。  
 彼の動きは徐々に速まり、激しさを増し、二人を高みに導いていく。  
 まるで殺意でも篭っているかのように彼は彼女を組み敷き、荒々しく責めたてる。  
 結合部が淫猥な音を帯びて蠢くたびに、彼女の声はトーンを高めていく。  

 そして絶頂の瞬間、二人の意識は絡み合い、重力から解き放たれたような浮遊感と共に  
空へと舞い上がっていく。  
 きらきらと燐粉を散らして羽ばたく蝶のイメージが、混濁した意識の中を飛び回る……。  

☆  

「……具合はいかがですか? 創造主(あるじ)……」  
 房事の後はいつも、死んだようにぐったりと横たわって動かないから、ついつい私は  
不安になってしまって、そんな風に呼びかける。  

「……あぁ、最高だった。キミの体は何度抱いても飽きないよ、花房(はなぶさ)」  
「………………」  
 そんな風に真顔で切り返されて、恥じ入るあまり今度は私の方が押し黙ってしまう。  
 幾度となく交わされてきた同じ会話が、私は好きだった。  

 新しい命と生き方を、そして「花」を与えてくれた創造主を、私は心から愛していた。  

 実の父に夜毎犯され、家族を養うために客を取らされて汚されつづける日々。  
 それがさも当然だとでも言わんばかりに、働きもせず酒浸りの父は、私から容赦なく  
全てを奪い続け、家族に暴力を振るい、まるで暴君のように振舞っていた。  
 そんな憎らしい父から逃げ出すことも、逆らうことも、私にはできずにいた。  
 疲れきった心で、ただ日々に流されるままに生かされていた。  

 ある日、私はいつものように客を捕まえるために街角へ立ち、行き交う人の流れを  
溜息混じりにぼんやりと眺めていた。  

「……あれ? 花房、こんな所で何やってるのー?」  

 ごく他愛もない呼び声が、私の背中へ死神の鎌のように突き立てられた。  
 反射的に振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。  
 中学生の時のクラスメート。  
 ポニーテールの髪型に、くりっとした大きな目。  
 あの頃から少し背は伸びたようだけど、純真で子供っぽい雰囲気は昔のままだ。  
 彼女の背後では、その両親らしき、いかにもお人好しといった顔をした年配の男女が、  
大きな買い物袋を両手いっぱいに抱えてにこにこしていた。  
 三人とも不幸なんて微塵も知らないような、反吐が出るほどの笑顔で私を見ていた。  

「やっぱり花房だよ。懐かしい、元気だった? 今、何してるのよ?」  

 への字を描くように細められた6つの目が、私を注視している。  
 汚れきった体を、ぎらついた衣裳と毒々しい化粧で覆い隠した、この醜い私を。  
 まるで哀れむように。  
 まるで蔑むように。  
 まるで自分たちの幸せと優越感を誇示するかのように。  
(……きっとそれは、私の被害妄想だったのだろうけれど)  

「う……うわああぁぁーーーーっ!!」  
「ちょ……ちょっと花房、どこ行くの?」  

 私を丸裸に見透かすような視線に耐えられなくて、その場から逃げ出してしまった。  
 同級生だった彼女が呼び止める声が聞こえたような気もするが、知ったことじゃない。  

 気がつけば、繁華街を抜けて人気のない陸橋の上で立ち尽くしていた。  

『……あれ? 花房、こんな所で何やってるのー?』  
 彼女の言葉が、割れ鐘の響くように幾度ともなく頭の中でリフレインしつづける。  
 それは私自身が長いあいだ、胸の奥底に押し殺して気づかないフリをしてきた自問にも  
等しかった。  
(こんなところで、私は何をやっている……!?)  
 硬い手すりを殴りつけ、拳から血が滲むのにも構わず、私は泣き叫びつづけた。  

☆  

 薄靄が漂う明け方。  
 気がつけば、私は同じ場所に……陸橋の上に、呆然と立ち尽くしていた。  
 この場所で一晩中ぼうっとしていたわけじゃない。  
 その証拠に、化粧も落として服も着替えて、そして……  

 そして私は、赤黒い血のこびりついたナイフを堅く握り締めて、震えていた。  

 あれから後のことは、断片的にしか覚えていない。  
 なんだか体の芯から熱が奪われていくような喪失感がこみ上げてきて、家に帰って……  
 虫の居所が悪かった父に殴られて、私にしては珍しく口答えを返して、  
 犬が吼え狂うような叫び声と、家具や食器の砕け散る音が響き渡って、  

 我に返った時。しんと静まり返った家の中、私は血溜まりの上に一人ぼっちだった。  

 ……ファアアアァンン……  
 遠くから微かに響く警笛の音が、私の意識を現実に引き戻した。  
 眼下に伸びた線路の向こう側から、全速力で電車が走ってくる。  

(もう、疲れた……)  

 まるで他人事のように投げ遣りな気持ちで足を引きずり、欄干の上に身を乗り出す。  
 そして重力に身を任せるまま、ふわりと落ちていった。  

 気が狂いそうなほどに甲高い制動音が、早朝の線路に響き渡る。  
 葬送のファンファーレ。  
 止まりきれずに猛スピードで突っ込んでくる電車の運転手と、目が合った。  
 お気の毒に。あなたも人殺しの仲間入りね。  
 せいぜい頑張んなさい。あなたが償うべき相手は、この世の何処にもいないから。  
 私は自嘲とも皮肉ともつかない微笑みを浮かべて、  

 
 

 ………………、  

 
 

 ………………、  

 
 

 ………………。  

 

 ……再び意識を取り戻した時には、私は激痛に苛まれながら苦鳴を漏らしていた。  

「ぁ……あぅ……、誰か、…………私を………………」  

 当たり所が半端だったらしい。  
 腹から下が吹き飛んで、ぞっぷりと内臓が食み出し、点々と血溜まりを描いている。  
 もぎ取られた左腕が関節とは逆の向きに折れて、砂利の上に転がっているのが見えた。  
 残った右腕は肘のところで脇腹に突き刺さり、腕の先から白い骨が露出している。  

 死に損なったわたしは、こんなにも無様な姿で、まだ未練がましく地を這っていた。  

 体をよじるたびに激痛が走る。  
 息をするだけで体中から血が吹き出しそうになるほど苦しい。  
 死にそうなほどの苦痛が、かえって私の意識を明瞭に保ちつづけているという皮肉。  
 天を呪いながら、私は救いを求めて喘ぎつづけた。  

☆  

 ざりっ…と地面を踏み鳴らす音が微かに響いて、傷だらけの肉体に新たな苦痛を刻む。  

「……楽にしてあげようか?」  
 曙光を遮って頭上に現れた影が、そう私に囁きかけた。  

 救いの手を差し伸べたのは、神様なんかじゃない。  
 底知れぬ闇のような目で見据えられた瞬間、私は直感した。  

 黒髪を前分けにした秀麗な美貌の少年。  
 病的なほど蒼白な肌に痩身の持ち主。  

 生けるバラバラ死体と向き合いながら、彼は薄い微笑みを浮かべていた。  

「だけど正直、キミには失望したよ。強い殺意を追って来たのはいいけど、その持ち主が  
 まさか身投げしてしまうとは」  
 芝居がかった仕草で、彼は嘲りの言葉を投げかけた。  

「おまえに……何が分かる……? 私の…………何が分かるというんだ……!?」  
 声を上げるだけで全身がバラバラに千切れそうになる。  
 だけど構うことなく、私は声を張り上げた。  

「大まかな推測はつくよ。キミの不幸な境遇には同情する。だけど、それだけだ」  
「……?」  
「自分にも世の中にも負けて逃げ出して、逃げ切れなかった敗残者ってことさ。キミは」  

 正鵠を射抜いた彼の指摘に、私の体内に残された血液すべてが沸騰した。  

「……畜生! 殺してやる! 殺してやる、殺してやるっ……!!」  
 血を吐きながら、赤く濁った視界の真ん中に彼の姿を捉えて、残る力を振り絞って肉薄  
する。上半身だけで匍匐全身する私を、彼は微動だにせず眺めている。  
 1メートルにも満たないその距離が、宇宙の果てと同じくらい遠くに思える。  
 だけど構うものか。私にだって意地の欠片くらいある。  
 せめてこの生意気な少年に噛みついて、澄ました顔を曇らせてやる!  

「………………があァッ!」  
 渾身の力で、少年の足首に犬歯を食い込ませる。  
「くッ……」  
 微かなうめき声。見上げれば、少年は眉を歪めて……満足げに笑っていた。  
「やはり見込んだ通りだ。キミには”人を喰らう”素質がある」  
 ……抗えない魅力をたたえた、悪魔の微笑。  

「返礼に、選択の機会をあげよう。……キミが本当に望むのは、生と死、どちらかな?  
 オレはキミに、そのどちらでも好きな方を与えてやる」  

 逆光の中に禍禍しく浮かび上がった彼の幻想的なシルエットが、私を魅惑する。  

「私は…………」  

 迷いはじめていた。  
 激痛の中で、死にきれなかった自分と運命を呪い、今すぐにでも死んでしまいたいと  
思っていたはずなのに。  
 彼の差し伸べる手に、耐えがたい魅力を感じている。  

 宇宙の深淵のように色濃い闇を宿した、その瞳の奥には何が眠っている?  
 この人は何を為そうとしている?  
 そして私は何故、この人に求められている?  
 もしも生き延びられたら、私は何ができる?  

「……ぁ……ぁあ……私は………………生きたい…………生き続けたい………………」  
 我知らず、魂の底から響くような声が、私の喉に宿っていた。  

「…………良かった。キミは、同志だ」  

 ほんの一瞬、彼の瞳に優しげな光が灯ったような気がした。  
 あれが私の錯覚だったのかどうか、未だに判然としない。  
 だけど私は信じている。  
 死病に冒された「創造主」は、あのとき死に瀕した私と、確かに心を重ねたのだ……と。  

☆  

 やがて意識を取り戻した時、私はホムンクルスとして第二の生を享けていた。  
 私に新たな命を与え、道標を示してくれた人。  
 「創造主」たる彼のために、私の全存在を花と変えて捧げよう…………。  
                                    (糸冬)  

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