□月△日 火曜日 晴れ  
今日やっと、このマンションへの引越し作業が終わった。  
心機一転もかねて、今日から日記をつける事とする。  
 
○月■日 土曜日 雪  
隣の空き部屋に、夫婦――新婚さんだそうだ――が入ってきた。  
武藤カズキ君に、斗貴子君だ。明らかに俺より若いのに、  
引越しソバを持ってきて、挨拶に訪れる程しっかりした夫婦だ。  
カズキ君は、終始ニコニコとしていて、とても人当たりが良さそうだった。  
斗貴子君は、鼻の頭に真一文字の傷が入っていて、始めこそ驚いたが、  
凛とした雰囲気に、微笑みを浮かべる様子はとても魅力的だった。  
とにかく幸せなオーラに包まれた二人で、ついつい本人達の前で  
「すごく、お似合いな二人だと思いますよ」と口走ってしまうと、  
二人して真っ赤になってしまった。  
………俺も彼女ぐらいは、欲しい。そう切に思った。  
 
▼月◎日 水曜日 曇り  
タバコが切れたのでマンション入り口の玄関に下りると、たまたま  
仕事から帰ってきたらしいカズキ君と会う。  
立ち話をしていると、今日は斗貴子君は帰ってこないそうなので、  
気まぐれに一杯誘ってみると、快く応じてくれた。  
飲みあっている途中、斗貴子君の話題になり、遠回しになぜ  
今日斗貴子君が帰ってこないのか聞いてみると、  
「いや、にん…しゅ、出張の都合なんで仕方ないんですよ」と言った。  
二人して出張の多い仕事についているのだそうだ。  
そういえば、どちらか一人しか家に居ない事も、完全に留守にしてる事も  
よくある気がする。若いのに大変な事だ。  
 
●月▲日 月曜日 晴れ  
……書くべきか、書かざるべきか。まあ、誰に見せる日記でもなし、  
別に構わないだろう。………隣の部屋のカズキ君達の事だが、出張がちな  
仕事が災いして、同じ夜を過ごす事が少ないようだ。だから、まあ、  
たまのそういう機会に、激しくなるのは、分かる(気がする)。しかし、  
ほとんど一晩中というのは何事か。しかも、彼らのベッドは俺の部屋との  
境になっている壁の近くにあるらしく、その、なんだ。聞きたくなくても、  
聞えてしまうのだ。ギシギシと軋む音やら、お互いの名前を呼ぶ声やら。  
それが終わると、大体二十分ほど休憩をはさんで、又ベッドの軋む音が  
聞えてくる。…一人身には、精神的にクるものがある。  
一ヶ月の内に、そんな日は十日ほどある。彼らが越してきてからもう  
四年程たったが、彼らが「コト」に及ぶ時は、いつもそんな感じだ。  
仲良きことは、良き事かな。  
……でもやっぱり、一晩中ってのはやめてほしいかな。  
書いていて、涙が止まらないので今日はここで筆を置く。  
 
X月Y日 木曜日 晴れ、後曇り  
今日ほど自分の間の悪さが恨めしく思った事は無い。  
まず、今朝の事だ。さて、きょうも一日頑張るかとタイをぎゅっと締め、  
勢い良くドアを開けた瞬間、カズキ君と斗貴子君が目に入ってきた。  
それだけならいい。要するに二人は、行ってらっしゃいのキスをしようと  
する寸前だったのだ。斗貴子君は爪先立ちのまま、カズキ君は斗貴子君を  
抱き寄せたままこちらに気付いて、俺と彼らの「あ」という声が重なった。  
とりあえず謝って、ドアに鍵をかけた後脱兎の如く階段に走った。  
電車の中ではずっと「せめて玄関でしてくれよ」とかばっかり  
考えていた事は、記すまでも無い。そして、ついさっき。  
酒が切れていたので、コンビニにでも行こうかと、  
丁度ドアノブに手をかけた時。ガチャリ、とカズキ君の部屋のドアが開く  
音が聞えた。(ただいま)というくぐもった声が聞えてきたので、  
カズキ君が帰ってきたのだなと直感すると同時に、今朝の事を思い出して、  
ドアを開けられなくなってしまった。俺が次の事を考えるまえに、パタパタ  
と斗貴子君が玄関に寄ってくる音が聞えてくる。玄関は壁が薄いので、  
ある程度の声は聞き取れてしまう様だ。他所の家の事だし、  
こんな事は書かない方がいいのだろうとは思うが、以下、彼らの会話。  
(お帰り。今日は早かったな。)  
(えーと、十時半か…。そうだね、いつもよりは早いかな?)  
(…そ、それで、今から、ご飯にするか?お風呂がいいか?そ、そそそ、  
 それとも…)その先は聞き取れなかった。最も、想像はつくが。  
(……勿論、斗貴子さん!!)  
もう駄目だ。聞いていられない。俺は、酒を買いに行くことを諦め、  
布団に潜り込んでこの日記を書いている。  
…というか、いってらっしゃいのキスも、旦那さんが帰ってきた時のベタな  
会話も、新婚さん限定のイベントじゃないのか!?少なくとも、彼らが  
ここに越してきてから四年半はたっている。  
燃え上がるような恋、というのは鎮火するのも早いのが道理。しかし、  
彼らはむしろ長くいる程に燃え続けている気がする。  
彼らも見ていて俺から出る言葉は、「羨ましいなぁ」の一言に尽きるという  
事を、体感した一日だった。…先ほどからベッドの軋む音も聞こえ出した事  
だし、耳栓をして今日は眠る。  
 
N月M日 日曜日 晴れ  
久々の休みだし外食でもするかとマンションを出たのが午後の一時頃。  
レストランで、ばったりカズキ君と斗貴子君も見掛ける。  
俺も空気が読めない奴だなぁとその場を去ろうとすると、カズキ君の方が  
声をかけて来た。しょうがないので振り向くと、カズキ君が右手に伝票を  
もってこちら来る。もう食事は終わったようだ。それに斗貴子君も続いて  
……と思ったらこの二人、手をつないでましたよ。それはもうしっかりと。  
少し立ち話をして、カズキ君が「じゃあ、俺達はこれで。」と行って  
店を出て行くまで、俺の方が恥ずかしい様な気分がした。  
その後一人で食べたカルボナーラは、やけにしょっぱかった。  
自分が情けなくてしょうがないので、今日の日記はここまでとする。  
 
Π月ε日 日曜日 台風、大雨  
今日は俺にとって最悪の一日、と言っても過言ではない。  
俺の不幸は、次の三つが完全に重なったことだ。一つでも外れていれば、  
それ程悲惨ではなかったろう。まず一つ目は、今日は日曜日で会社が休み  
だった事。二つ目は、台風の接近で外に出られる様な状況では無かった事。  
三つ目は――出張がちなカズキ君達が、昨日の晩から二人そろっていた事。  
……要するに、カズキ君達のオタノシミの様子を、(当然声だけだが、と  
言うか声だけでも十二分だが)延々聞かされる破目になったのだ。台風で外  
に出られないモンだから、彼らはずーっと情事を続けていた。どんな体力  
なんだとか何で飽きないのかとかそう言えばあんなに激しくしてても  
子供出来ないって事はちゃんと避妊してるって事かとか、言いたい事は色々  
あるが、これでは最早彼女がいない俺の事をいじめているとしか思えない。  
耳栓も大して功をなさず、辛いを通り越して痛いとさえ思った。  
……そろそろ、お見合いを考える時がきたか。  
 
Δ月β日 水曜日 晴れ  
ここのところ、ウチのマンションが噂になっているらしい。  
どんな噂か?曰く、「どこででも自分達の空間を作る夫婦がいる」らしい。  
……まぁ、誰々の事かは書かずもがなだが。というか、この噂は目撃情報が  
多すぎて、なかなか要領を得ない。例えば、街中で口論の末に熱烈なキスで  
それを解決したとか、レジで店員が清算をしている僅かな間に、話しかける  
事さえ出来ない様な空気を作ったとか、果てはお嬢様ダッコのまま繁華街を  
疾走していたとか。…正直、彼らならどれも有り得るよなぁ、と俺は思う。  
それでも、彼らの身近にいる人間は、皆彼らの事を「何だか初々しい」と  
言うし、俺もそう思うのだが、何故かそのイチャつき具合はとんでもない。  
……彼らがもう少し空気を読める夫婦になります様にと願いつつ、  
今日はここでペンを置くとしよう。  
 
ф月Ж日 木曜日 曇り、後雨  
カズキ君が、今回の出張のお土産ですと、京都の地酒を持って来てくれた。  
斗貴子君の方が家に居ない時は、よく彼と一杯交わしているが、まさか  
お土産だからと酒を買ってきてくれるとは驚いた。今日は彼女が出張の日  
だったので、その酒はそのまま彼と二人で空けてしまったが、  
とても旨い酒だった。  
おっと、そうだ忘れない様に書き留めておかねば。今日遂に解明できた、  
カズキ君と話す時のタブーを。…忘れて辛い思いをするのは俺だからな。  
キーワードは「斗貴子君」だ。例えば今日、酒の肴の話から料理の話題に  
なった時だ。君の家はどっちが料理をするんだい?と聞いたら、彼は  
「オレも斗貴子さんも出来ますよ」と答えたので、じゃあ斗貴子君と君、  
どっちが上手なの?と聞いたのが間違いだった。彼の表情がパッと明るく  
なり、それはもうすごい勢いでまくし立てられた。  
 
「そりゃあ斗貴子さんですよ!!この間もグラタンに挑戦してくれたんです  
 けど、それがおいしいの何のって!!『初めてだからうまく作れたか  
 どうかは分からないが…』なんて謙遜する様子も健気って言うか  
 いじらしいっていうか、自然と顔が笑っちゃって、『すごくおいしいよ』  
 って言ったら少し顔を赤くして『気に入ってもらえて良かった』って言う  
 斗貴子さんがかわいくてかわいくて――中略――勿論和食も完璧ですよ  
 斗貴子さんは!たまに一緒に居れる朝に作ってくれる味噌汁のおいしさは  
 言い表せない程だし、斗貴子さんの魚料理なら料亭に出しても大丈夫な程  
 ですよ!!それで、――中略――だから、今度斗貴子さんにキレイな  
 エプロンをプレゼントしようかなって思うんですけど、どうですかね?」  
 
…こんな感じに。彼の唐突に始まったマシンガントークに気が抜けて  
いたので、恐らく俺はとても曖昧な返事をしたのだろうと思うが、その後も  
彼はしばらくの間、斗貴子君に送るエプロンはどんな物が好いかしゃべり  
続けていた。……頼むから、ホントお願いだから、一人で惚気るなんて真似  
はやめてくれ。しかも俺の眼前で。悪気が無いだけに、直接注意するのも  
気が引けるんだよ。それに、斗貴子君の事を話してる時の彼はまた、  
特別幸せそうだからなぁ…。今後彼と飲む時は、もう絶対に斗貴子君の  
話題を出す事はしない。八百万の神全てに誓ってしない。  
 
г月Ю日 金曜日 雪、後曇り  
何と今日は、斗貴子君が俺の部屋を訪ねて来た。「私が居ない時にカズキが  
お世話になってる様で」と頭を下げられてしまった。きっとカズキ君から、  
俺と杯を交わしたという話聞いたのだろう。カズキ君とは隣人と言うよりは  
友人に近い付き合いをさせてもらっているが、斗貴子君とは挨拶を交わす  
程度だから、正直、彼女の訪問には度肝を抜かれた。別に世話をしてる何て  
事はないです、友達付き合いをさせてもらってるだけですよと言うと、  
「でも、いつも遅くまで付き合わせているようですから、コレ、お詫びと  
 お礼を兼ねて、と言っては何ですが…」何て言いながら、何か包みを  
差し出された。そこまで言われれば断る訳にもいかないので、丁寧に礼を  
言ってから有難く受け取る事にした。彼女の去り際に、カズキ君は貴方は  
料理が凄く上手いと言ってましたよと言うと、「ええっ!?ああ…その…」  
とか何とかゴニョゴニョ言いながら、顔を真っ赤にしてしまった。カズキ君  
の言葉を思い出して、彼は確か赤くなっちゃった斗貴子さんも可愛いと  
言ってたなぁと聞える様に呟いてやると、頭から湯気が出そうに  
なっていた。その様子が本当に初々しくって、苦笑しながら、ご馳走様と  
言って扉を閉めた。  
包みの中は、上等なライターだった。俺がヘビースモーカーだと言う事は、  
このマンションの住人なら皆知っている。きっとコレが一番妥当だと踏んだ  
のだろうが、彼女がくれたライターはかなり高価な物だった。またお礼に  
に何か――そう、エプロンでもプレゼントするか。夫婦二人分揃った、  
ペアルックのエプロンがあれば一番好いが。  
いつもは彼らを羨むばかりの俺だが、今日は何か、彼ら二人の幸せを分けて  
もらった様な、そんな気分になった。見せ付けられるのは確かに辛いが、  
自分から見る分には大丈夫という事だろう。俺自身も現金だとは思うが。  
頂いたライターを使って一服したくなってきたので、今日の日記はこれで  
おしまいにしよう。  
 
∽月≡日 土曜日 雨  
ここ最近、カズキ君と飲んでいない。でも、別に仲が悪くなったという事で  
は無い。カズキ君達二人の出張が、減っている様なのだ。現に最近は、大体  
決まった時間に帰って来ているみたいだし、留守になっているという様な事  
も少ない。さてそうなると、必然的に彼らが仲睦まじくこのマンションで  
過ごす時間が増える、ということになる。正しくは「なった」だが。  
その所為で(所為でと書くとちょっとアレだが)このマンションにとんでも  
ない事態が勃発した。……部屋にいる夫婦もしくはカップル達が、もれなく  
皆常軌を逸した仲の良さになった。…どうやら、カズキ君達の甘い世界は、  
他人に感染するものらしい。特に彼ら二人と一緒に会話でもしようモノなら  
五秒で人恋しくなること受けあいだ。その効果たるや、昨日まで離婚の話を  
していた熟年夫婦だって、今にも破局しそうなカップルさえ例外ではない。  
しかしその効果は、一人やもめにはマイナスに働く。当然といえば当然だが。  
そんな訳で、カズキ君達だけでは無く、他の住人達が惚気ているのを否応無し  
に見なければならなくなってしまった。  
………彼女作れない俺が悪いと言えばそれまでだけどさ…ホント、誰の所為  
でも無いから、やるせなさが後から後から湧いて出て…何の奇跡か知らない  
けど、このマンションでパートナーがいないの、俺だけなんだよねぇ……  
お隣から聞える情事の声には、全然諸行無常の響きなんか無いなぁとか  
思いながら、今日の日記は終了。という事にしてとっとと寝よう。爆破作業用  
の耳栓はさすがによく効くようだし。  
 
∋月∈日 木曜日 雨、後晴れ  
久しぶりに風邪をひいてしまった。この年にもなって風邪をひくなんて、  
自己管理のなってない証拠だ。我ながら情けない。しかし、それ以上に以外  
だったのは――斗貴子君の料理を味わえた事だ。  
朝から酷い頭痛と関節痛で、とても動ける様な有様では無かった。会社に  
休むと連絡を入れた後は、すっかり寝込んでしまった。そして夜、カズキ君  
が訪ねて来たのだ。今日は飲む約束をしていたんだとその時になって  
思い出し、彼には気の毒だったが、風邪を引いてしまって今日は飲めそうに  
無いんだと言って謝った。すると彼は、「そうなんですか、それじゃあ  
お大事に…」と一瞬帰りかけたが、クルリと向き直って、「あ、そうだ、  
ちょっと待っててください!」と嬉しそうに言うと小走りに部屋に帰って  
行った。何なんだろうとその時は思ったが、一〜二時間以上何の音沙汰も  
無く……俺もすっかりその事を忘れて、ベッドの上でウトウトしかけて  
いた十一時頃に、再びインターホンの音。扉を開いたところにいたのは、  
鍋をお盆にのせてこちらに差し出ながら、ニッコリと笑うカズキ君だった。  
曰く、「風邪なら、やっぱりお粥かなと思って!」らしい。…くわしく  
聞くと、どうやらお粥を作る方法が分からず試行錯誤する内に時間が経って  
しまい、こんなに遅くなってしまったのだと言う。「ごめんなさい、遅れ  
ちゃって」と彼は謝ってくれたが、そう言えば今日一日なにも食べていない。  
作るのが手間だったし、ベッドから出たくなかったからだ。だから、有難く  
頂戴する事にした。しかし、その後彼はとんでもない事を口走った。  
「ええ、斗貴子さんが作ってくれた物だから、きっとおいしいですよ!!」  
……自分の耳を疑った。更に詳しく聞けば、どうやって作ろうかと悩んでる  
うちに斗貴子君が帰宅し、代わりに作ってもらったのだと言う。…それって  
いくらなんでも斗貴子君に迷惑かけすぎだったんじゃなかろうか。こんな  
遅い時間に……しかもその原因の九割は俺にある訳で。斗貴子君に  
悪い事したなぁと思いつつ、カズキ君に礼を言った。勿論、斗貴子君に  
よろしくとも。  
さて、問題のお粥は、とてつもなくおいしかった。米の硬さといい、  
塩加減といい、病人でも楽に食べられる様にある程度冷ましてある事といい、  
彼女の料理の腕が随所に見られた。だし巻き卵も作ってくれていたのだが、これも  
絶品だった。おかげですごく体調が良くなった。少なくとも日記を書ける程には。  
……それにしても、いいなぁカズキ君は…斗貴子君が料理できる時だけとは言え、  
こんなおいしい料理が味わえるんだから。勿論その晩は斗貴子君の方を味わ……  
おっと!羨望のあまり筆が滑った。こんな下品な事平気で考えるとは、俺も  
ホント「いい年」だな。心根までオヤジ、って感じか。  
……彼らと俺の違いって何なのかなぁとか、分かりきった疑問を考えつつ、  
今日の分の日記を完成としよう。  
 
2月11日 土曜日 雨  
この間のお粥に加え、いつぞやのライターのお返しもまだしていない。  
という訳で、今日は最寄の百貨店に足を運んだのだが、中々どうして、彼ら  
とは縁があるらしい。前に書いた通りエプロンを探すつもりだったのだが、  
どこに売っているのか分からず、とりあえず服の売場に入ると……斗貴子君  
が、何やら難しい顔でマフラーを品定めしていた。思わず棚の影に身を  
隠して、斗貴子君を観察できる位置についた。別に声をかけても良かったの  
だが、お返しでも彼らの為に買い物に来ているという事が何だか照れ臭かったし、  
何だか声をかけない方がいいような雰囲気だったのだ。その証拠に、彼女は  
マフラーとずーっとにらめっこして、彼女にしてはかなり珍しい表情を  
見せていた。手に取っていたのは、純白のマフラーと、太陽光の様な色のマフラー。  
恐らくはカズキ君に、だろう。眉根にシワを作って悩んでいたかと思えば、唐突に  
頬を染めて一人恥らっていた。(予想に過ぎないがカズキ君の笑顔でも思い出して  
いたのだと思う)結局、彼女は陽光色のマフラーを買った様だ。以外にも、  
と言ったら失礼かも知れないが、二人で巻ける長いマフラーではなかった。  
…俺はと言えば、店内で特定の女性の方をジッと見るという、ともすれば  
変態まがいの行動をしておきながら、お目当てのものは見つけられなかった。  
俺自身、そろそろお返しをして、彼らの好意に報いたいのだが、何故俺の人生  
とはこうも一筋縄で無いのだろうか。とにかく早めに行動を起こさねばなるまい。  
……全くもって他人事ながら、あのマフラー、カズキ君は気に入るだろうか。  
斗貴子君がくれたと言う時点で嫌がると言うことは無いだろう。それに、  
あの色はカズキ君に似合う気がする。俺は、斗貴子君の選択は正解だったと  
思う。本当、彼らは良い夫婦だ。開いた口が塞がらない程に。  
 
2月14日 火曜日 晴れ  
……………斗貴子君が何故プレゼントを買っていたか。今日になって、  
気付いた。バレンタイン・デー…俺にとっては、職場の女の子から儀礼的な義理チョコ  
を頂くだけの日。……いいよねぇ、夫婦になってもバレンタインにプレゼントなんてさぁ。  
 
2月15日 水曜日 曇り  
朝、部屋を出ると、ほぼ同時にカズキ君が隣室から出てきた。首には……  
まぁ当然、あのマフラーが巻きついていた。俺がマフラーを見ている事に気付くと、  
彼はエヘヘと嬉しそうに笑い、「コレ、昨日斗貴子さんに貰ったんです。あ、あと  
手作りのチョコレートも!凄いおいしいんだけど、勿体無いから毎年ちょっと  
づつ食べてるんです!!」だそうだ。『手作りチョコも』『すごいおいしい』  
さらに『毎年』貰っていると、彼は天然自慢癖がある様だ。そりゃ嬉しいだろうが、  
一人身の俺にあんまりじゃないか。朝から生気を奪われた様な一日だった。  
その後は…ダメだ、朝のショックが強すぎてこれ以上思い出したくない。  
今日は、もう筆を置いてしまおう。  
 
ы月Ъ日 月曜日 晴れ  
晩飯の買出しに出たスーパーで、後ろから声をかけられた。誰かと思えば  
斗貴子君。「こんにちわ」と挨拶をしてくれる彼女に挨拶を返そうとした時、  
ふと彼女の買い物カゴに目がいった。…買い物の量が、とんでもなく多かったのだ。  
恐らくカレーでも作るのだろう、カレールゥやら各種スパイス、人参、玉ねぎ、  
ジャガイモ、牛肉。何故かは分からないが粉末青汁なんかもあった。俺が思わず、  
買い物多いですねと言うと、彼女は笑ってこう言った。「今日は、カズキが帰って  
来るんです。」…今思えば、カズキ君が出張から戻るのが確かに今日だった。今回の  
出張は少し長めだったから、三週間ほど空けていただろうか。俺とした事が  
すっかり失念していた。斗貴子君は更に「カズキが帰ってきた時は、いつも  
カレーなんです。あのコ、ホントにカレーが好きだから…」と続けた。  
その場はそれで別れたのだが、カズキ君が帰ってくると言った時の彼女の笑顔が  
今でも心に残っている。カズキ君はいいお嫁さんを貰ったモンだ。亭主の好物を  
作って帰りを待ってる家内なんて、今時彼女以外にいるのか?羨ましい……。  
 
э月Я日 金曜日 晴れ、後曇り  
ウチのマンション前にある公園辺りだったろうか。夜の街を散歩していると、  
急に怒声が聞えてきた。気になって声のする方に行ってみると、そこにはカズキ君と  
斗貴子君の姿が。お互いに声を張り上げて、何を言っているのか俺には聞き取れない  
程だった。あの二人でもやっぱり夫婦喧嘩ぐらいするもんなんだなとも思ったが、  
いがみ合ってる彼らを見るのは気分が悪かった。やはり彼らは、回りの事を考えず  
イチャついている方がいい。(飽くまで「方が」であって自重はしてもらいたいが)  
と思ったので仲介に入ろうと近づいた刹那、急に声のトーンが低くなった。そして、  
弱弱しい斗貴子君の声が聞えてきた。  
「…だから、少しはキミも、自分の体の事を考えて欲しいと言ってるんだ……」  
それまで何を話していたかは分からないが、カズキ君があまりにも自分を顧みず  
動く事を注意でもして、互いに熱くなってしまったのだろう。彼女の一言から、  
俺はそう推測した。……とは書いたものの、その時はそんな暇はなかった。  
斗貴子君がそう言った後、カズキ君は彼女をギュッと抱きしめて、「ゴメン……」  
なんて謝ったからだ。さっきの険悪な雰囲気から反転、一気に恋人ムードになった  
彼らを前に、俺はそれ以上歩む事すらままならなかった。幸い、彼らは俺になど  
気付いていなかったので、そそくさとその場を立ち去り、今に至る。彼らの事だから、  
あの後キスの一つでもして、手を繋いで帰ってくる事だろう。俺の心配など、  
おせっかいもいい所だった。  
先人に曰く「夫婦喧嘩は犬も喰わぬ」なんていうが、その通りのようだ。これから  
は妙な気をかけない様にしよう。彼らのますますの幸福を祈りつつ…祈らなくても  
彼らの先には幸福しかない様な気もするが、とにかく祈りつつ、今日の日記を終えよう。  
 

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