すとろべり
すとろべりの事は
小物語にも作り
よく人の知るところなれば
こゝに略しつ
私立銀星学園大学学生寮は朝食の時間を迎えていた。
「おっ!おはよう六舛!」
「オハヨ、カズキに斗貴子氏」
「ああ、おはよう」
寄宿学生たちの朝はあわただしい。朝食等の時間は全体主義的で、個人の余裕は少ない。
それにも関わらず朝から行動を共にしている二人を見て、六舛孝二は微笑ましい気分になる。
最も、それが彼の表情に出る事はないのだが。
「今朝もいつも通り並んで朝食ですか。本当に仲がよろしい様で何よりです」
「なっ、何が言いたいんだ!……べ、別にいいだろう…私達は…その…」
勢いよく言い出した割に、津村斗貴子の言葉は尻すぼみになっていく。
代わりにその先の言葉を察した武藤カズキが続ける。
「俺達付き合ってるんだもん、ね?」
「……ぁぁ…」
斗貴子の返事はより一層小さい声だったが、それを聞いたカズキは満足そうに笑った。
「ハイハイ分かりました。お熱いのも結構ですが、折角借りられた銀星大学寮を
追い出されない様にだけはして下さい…夜は慎重に、お願いします」
すっかりアテられてしまった六舛は、皮肉だけ残して早々に二人の元を離れる事にした。
彼女がいない六舛にとって、この二人のやり取りを見続けるというのは流石に楽しくない。
何か喚く声となだめる声を背に、六舛は岡倉英之と大浜真史のいるテーブルに座した。
「あ、おはよう六舛君」
「よう六舛」
「おはよう大浜、岡倉」
この二人とカズキは、六舛の中学時代からの親友だ。しかし学力には結構開きがある。
それでも皆同じ大学に入れたのは、各々の努力があってこそだ。
「それにしてもカズキの奴、近頃ずっと斗貴子さんと一緒だよな」
岡倉がカズキの方をちらちら見つつ言う。やや棘のある口調だ。
まぁいいんじゃない、と大浜が言った。
「別に僕達の事蔑ろにしてるんじゃ無いんだし、一緒なのは近頃どころの話じゃないし」
「そりゃそうだけど――」
「要するに俺もストロベリなお相手、って事だろ岡倉が言いたいのは」
六舛が岡倉の心情を代弁する。岡倉はぐうの音もでなくなって落ち込んでしまった。
岡倉はお相手を高校時代から受け付けているが、一度の申し込みも無い。
逆に岡倉からの申し込みは一度として受理されていない。
「でもカズキ君に嫉妬したって始まらないでしょ?」
「た、確かにそうだけどな…ハァ…」
「そういえば――」
丁度今思い出した、という風に六舛が話を始めた。
「俺の入ってるサークル、知ってるだろ?」
「宇宙の神秘とか人間の神秘、超常現象の探求とかしてるんだっけ?」
「ウチュージンやUFOの類好きだよなぁ、お前」
「まぁな。で、そのサークルの女の子が最近彼氏との仲がかなり悪いらしくてな」
「相談でも受けたのかよ?」
「というか…サークルで皆が集まった時、話してる拍子って感じで」
「でもそんなの、余計な事しない方がいいんじゃない?」
「俺もそう思った。けど、どうも思い詰めてるみたいで、最近その子元気がないんだ。
他の皆も心配してるし、何とかできないかと考えてたんだが……」
六舛はそこで一旦言葉を切り、緑茶を飲み干した。
「…二人とも、少し協力してくれないか?もしかしたら何とかなるかもしれん。
とりあえず彼女が語ってくれた事をお前らにも話すから、よく聞いてくれ」
「何とかなるかもって…何するんだ?大丈夫なのか?」
そう言いつつも岡倉は一応乗り気らしい。
「僕も構わないけど、僕ら三人だけで解決するの?」
「…いや……あいつらにも手伝ってもらうことになるだろうな」
そう言った六舛は、彼らが知る限り最も仲睦まじい男女を親指で指し示した。
彼女との喧嘩の原因。それは別に大したことでは無かったと、彼の記憶は告げる。
確か――映画を一緒に見て、最後のストーリー展開が好きだとか嫌いだっただとか、
そんな事だったと思う。映画ではなく小説だったかも知れない。
―――もうどうでもいい、か。
彼は携帯電話のスケジュールを見て回顧する事をやめた。乱暴に携帯を閉じる。
―――とっとと寮に帰ろう。
今日はサークル活動をする気も起きなかった。意欲というものがすっかり殺がれていた。
どうでもいいなんて考えつつも、破局による精神的ダメージはすっかり彼を蝕んでいる。
「よ、良かったらどうぞ」
「!」
不意に、真横から声が掛けられて、歩みが止まる。
大柄でふくよかな体つきの男がいた。柔和そうな顔立ちにはぎこちない笑み。
その手元を見ると、ポケットティッシュが差し出されていた。
考え事をしながら歩いていたせいか、ティッシュ配りの存在にさえ気付かなかった様だ。
「あ……あぁ、どうも…」
完全に立ち止まってしまった手前、それを受け取らない訳にもいかない。
広告面を表にして渡されたので、嫌でもその内容が目に付いた。
―――……占い、か。そういえばあいつ、そういうの好きだったな。
サークルもそういうのの関連だった筈だし……
意識せずにそんな事を考えている自分に気付き、ハッとする。
想いを振り切るように、彼はさっきよりずっと速く歩き出した。
もう五分程で寮に着くかという所まで歩いた時、いつもと違う何かが目についた。
―――易者?
朝通った時にはいなかったはずだ。しかしそんな事よりも、客の存在が彼の気を引いた。
―――あいつ……!
易者の前には『彼女』がいた。占ってもらっているらしく、易者と何か会話をしている。
そこでふと、さっき見た広告を思い出した。慌ててカバンからティッシュを取り出す。
―――『数日間限定!恋の悩み、解決させます・・・易者屋台』…場所は……ここだ!
あいつ多分この宣伝見て……『恋の………悩み』?まさか俺達の事を?
彼がそんな事を考えて立ち尽くしているうちに、彼女はこちらに背を向けて、
小走りで去っていった。彼には気付いていないらしい。
―――あッ……
追いかけようと駆け出したが、足が思った様に動いてくれない。
結局、易者の前程まで走った時点で追走は終わった。
「…お知り合い、ですか?」
易者が声を掛けてきた。まるで黒子の様な被り物を被っているが、色だけは違う。
目の周りを切り取って眼鏡をかけているのだが、それ以外の特徴はわかりづらい。
「今の子、あなたに何を占ってもらったんですか?どういう結果が?」
彼は易者の問いには答えず、逆にそう聞いた。
「それをあなたに教える訳にはいきません。少なからず彼女のプライベートに触れます。
…一種の守秘義務というやつですね。……ただ」
「ただ?」
「あなたを占ってあげる事ならできます」
―――それじゃあ意味が無い。
彼はあからさまに落胆して見せたが、易者は独り言の様に口上を続けた。
「どういう関係かはともかく、その言い方、さっきの子が気になるのでしょう?
万が一、あの子に出た占いの結果があなたに通じるものだったなら―――
あなたを占っても、あの子に通じる結果がでるはずです」
そこまで言って、初めて易者は彼と目を合わせてきた。
「どうです?やりませんか?」
彼は迷いを振り切るように、事の次第を易者に語り始めた。
音を立てて自動ドアが開く。
「いらっしゃいませー」
と彼を出迎えたのはリーゼント頭のウェイターだった。
「お一人様ですね?あちらへどうぞ」
ウェイターに示されたテーブルにつき、彼はまず易者の言葉を反芻した。
―――『食事処、特にファミリーレストランの様に多く人の集まる場所が吉と出ています。
つまりそういった場所に、よりを戻すための糸口ないしはきっかけがあると…
しかし日が経つ毎にその運も薄れてしまいます。行動を起すつもりならお早めに』
彼の心は逸っていた。またあいつと仲良くできるのならと考えると歯止めが効かなかった。
彼はあの易者の屋台の位置から最も近いこのファミレスまで、ひたすら駆けてきたのだ。
息切れが酷い。目の前に出されたグラスを一口に空けると、肩を上下させながら店員を呼ぶ。
「ご注文はお決まりですか?」
注文を取りにきたのはさっきのウェイターだった。
―――…改めて見ると凄い髪型だ。バイト君とはいえ、よくこんな奴を雇う気に…
「…あのぉ〜?」
「あ、どっドリンクバー一人分、お願いします」
「他には?」
「以上です」
「かしこまりましたっ」
―――イカン、自分で店員呼んどいてどもっちまった…恥ず……
しかし思考が彼女からずれた事で、彼の心にほんの少しの余裕が生まれた。
ドリンクバーでグラスに氷とコーラをなみなみと注いできて、席に戻る。
一気に半分まで飲み下すと、彼は渇きと疲れが癒えていく様な感覚を覚えた。
―――ふぅーっ………さて、何が起こるのかな…
それとなく、回りを見てみる。特に気になるものはない。
と、その時。自動ドアが開く音が店内に響いた。
「いらっしゃいませー。二名様でよろしいですか?こちらへどうぞ」
最早見慣れてしまったリーゼント頭が、二人連れを彼の隣のテーブルに案内する。
―――…男と女……カップル…なのかな…
向かい合わせに席についた途端、その男女は会話を始めた。
「にしても岡倉、意外と真面目に働いてるみたいだね」
「新しいバイクのため、だったか?まぁ何にしても、働く事は悪い事じゃないからな」
「そうだね。……斗貴子さん何食べるの?」
「私は…ホットミルクだけでいい」
「え、それだけ?お腹すかないの?」
「ああ。もうすぐ寮の夕食の時間だし、私にはそれで十分だ」
彼は何故か、この二人に僅かな興味を持ち始めていた。
女――トキコというらしい――の顔には大きな一本の傷跡があったので、
彼自身はその傷に対する不健全な好奇心の所為だと解釈した。
だが実際には、彼がこの二人に昔の自分達を重ねて見ていただけである。
「んじゃ、決定ね。店員さーん」
「はーい。ご注文はお決まりですか?」
店の制服を着たリーゼントが駆け寄って来る様を見て、男の方がクスクス笑い出した。
「岡倉、やっぱりその頭で敬語は色々ヤバイって!」
「うるせーぞカズキ!ちゃんと店長さんはOK出してくれてんだからな!!
…で、ゴチューモンは!?」
リーゼント改めオカクラが拗ねた様な声でオーダーを取り出した。
「えーと、斗貴子さんがホットミルクだけ…ホントにいいの?」
「ああ。キミは私に気兼ねせずに、好きなものを食べなさい」
「…分かった。じゃあこのスパゲティ大盛りで!」
「カズキは飲みモンは要らね…ゴホン!お飲み物は如何なさいますか?」
「プッ…じゃ、じゃあ、ウーロン茶お願い」
「かしこまりました」
オカクラが去り際カズキに、笑ってんじゃねぇ、と小声で言ったのを彼は確かに聞いた。
そう言われてなお吹き出しそうなカズキを見て、トキコは呆れ顔だ。
「全く…確かに似合っているとは言い難いが、ちょっと笑いすぎじゃないか?」
「でもあの髪型でウェイターだよ?」
「まぁ言いたい事は分かるがな。…フフフ」
「ホラ、斗貴子さんも笑ってるじゃない!」
「え、あっイヤこれは…」
―――ふん……
彼はいつの間にか、二人の話に聞き入っていた。しかし、彼の心は恐ろしく冷めている。
自分とこの二人との決定的な違いが、今の彼には許せなかったのだ。
―――どんなに仲が良くても、結局は他人同士だろうが…
「お待たせ致しました。こちら、ホットミルクとミートソーススパゲティの大盛り、
それからウーロン茶で御座います」
しばらくして、オカクラとは違うウェイターが二人のテーブルに注文を運んで来た。
トキコがそれを受け取り、カズキの前に大皿とグラスを置く。
「ありがと斗貴子さん。それじゃ、いただきます!」
「どうぞ。…って、私が言うのもおかしな話だがな」
カズキは楽しそうに笑いながら、がっついた様子でスパゲティを口に運んだ。
ズルズルという音はスパゲティには厳禁であるが、この男には似合っていると彼は思った。
「…ウン、美味いよこれ。斗貴子さんも一口どう?」
「いや私は――」
「はい、あーん」
上手く麺が絡んだフォークをトキコの前に突き出すカズキ。結局、
「あ、あー…ん」
わずかな逡巡の末、トキコはそれを口にした。
「ねぇ、おいしいでしょ?」
「…あぁ」
トキコの顔が赤くなっていたのは、決してあまりの美味しさに興奮したからでは無いだろう。
しかし、すぐにその表情は変化してしまった。
「…キミ、口もと…」
「ん、え?」
トキコはすばやくハンカチを取り出す。
「ソースがついてるじゃないか…」
カズキが行動を取る間もなく、トキコがそれを拭き取った。
「全く子供じゃないんだから…」
「えへへ、ありがと。でもまだ一口しか食べてないのに…」
「乱暴に食べるからだ!ゆっくりしてもいいんだから、ゆっくり食べなさい」
「ウン、分かった…ありがとう斗貴子さん」
カズキのその言葉に、トキコは微笑んだ。
「二回もお礼言われる様な事はしていないぞ」
「それでも、ありがとう」
「三回目だな。…フフフ」
―――…バカップルって言葉はこいつらの為に作られたんだったか?
聞いている彼の中の嫉妬はただ膨らむばかりだった。
彼の怒りはこの二人に関係ない、理不尽なものである。
その事を承知した上ででも、彼はひたすらに悔しかったのだ。
―――どうせくっ付いたばっかりで浮かれてるだけなんだろ。
一ヶ月もすればそんな雰囲気、微塵も無くなっちまうさ。
…そうだ、きっとそうだ……
そう心の中で毒突いて、言い聞かせた。情けない程苛々している。
「あ、ねぇ斗貴子さん」
突然、カズキの語調が変わった。
「ええと……考えて…くれた?折角二人きりなんだし、その〜……そろそろ返事を」
語調だけではない。カズキの頬は、徐々に紅に染まっていく。
そしてその様子を見たトキコの表情にも、恥じらいの色が浮かんできた。
「…あ、あー……あの話か?」
「そう、その話だと思う」
何とも要領を得ない会話である。しかし、彼の興味を引くには十分だった。
「…………わ、わた、私の答えは……決まったぞ」
―――何の話なんだかねぇ。
「ほ…ほんと?………今、聴かせてくれる?」
トキコは短く頷き、そして深く深呼吸をした。
「私は、キミと……け、けっ……婚…………したい」
ここまで聞いて、彼は口の中のコーラを噴き出しそうになってしまった。
―――結婚!?バカじゃねぇのかこいつら!?付き合えたから即結婚って……
しかし、彼の心中の呟きはそこでかき消されてしまった。
店内の全員が呆気に取られるほどの大声によって。
「ほ、ほんと!?本当なんだね斗貴子さん!!!俺と、俺とけっこ――」
「やっ止めろぉ!!皆見てるだろうがっ!もっと声のトーン落とせっ!!」
トキコも必死になって叫ぶと、カズキもああゴメン、とやや落ち着いた。
店中の視線が、カズキとトキコの席に集まっている。
「で、でもっ!嘘じゃないんだよね!?」
「話を聞けっ!……大学を卒業できたら、だ」
「………え?」
―――……?どういう意味だ?
声の調子が落ちた事で、客や店員達の関心は薄れていたが、彼の関心は深まるばかりだ。
トキコは続けて言う。
「もし私達の仲が、卒業するまで続いてたら……その時は、結婚しよう」
「…それでも構わないけど、それじゃ二年後だよ?今すぐじゃ……駄目なの?」
「べ、別に駄目じゃないんだ………実はな、学業の修了と同時に戦団に預けてある私のお金が
自由に使えるようになるんだ」
―――せん…だん?船団……か?でも意味が通らんよな………?
彼にはよく分からない単語が出てきたが、カズキとトキコの会話は止まらない。
「それって…」
「そう、私が戦団所属の頃に給料として稼いだ分だ。
入団当時は、成人で制限解除という規約になってたんだが…いわゆる新方針の煽りを受けてな。
三年前から学生、ないしはそれに準ずる身分の内は自由に使えなくなっている」
「じゃ……じゃあ!!」
「あぁ…結婚、しよう!ちゃんと結婚式も挙げて!!」
トキコは、耳まで桜色の顔に満面の笑みを浮かべていた。
カズキはばっと立ち上がり、外まで聞えるのではないかと思うほどの大声でトキコの名を呼んだ。
「斗貴子さん、斗貴子さんっ!俺すっっっごく嬉しいよ!斗貴子さぁあああん!!」
余りの声量に窓ガラスがびりびりと震え、今度は通りすがりの人々までが二人を注視した。
だがそんな事はお構い無しに、カズキはそのままトキコに抱き付いた。
正面で目を丸くさせているトキコに向かって、テーブルを間に挟む形である。
「俺絶っ対斗貴子さんの事幸せにするから!!もう二度と悲しい思いもさせないよ!
だいすきだ斗貴子さぁーん!!」
カズキは感動のまま、トキコを腕の中で思い切り揺さぶっている。
周りにいる皆には最早どうする事も出来ないという雰囲気が漂っていた。
当のトキコでさえも、見るも哀れな程真っ赤っ赤になってカズキにされるがままだったのだから。
―――………何なんだよ、こいつら…
大声の所為で強い耳鳴りを覚えながら、彼はやっとそれだけ考えられた。
―――何でこんなに仲良く出来るんだよ……
「……カズキ、おいカズキ。あと斗貴子さんも」
いつの間にか、オカクラが二人のテーブルまでやって来ていた。
呆れたという感情と羨ましいという感情がない交ぜになった様な、複雑な表情を浮かべている。
「一応店の中なんだからさ、もちょっと気ィつけてくれねーか?」
「あ……あぁ、岡倉。ゴメンゴメン」
「ったく……」
カズキの着席を確認して、オカクラは何事か呟きながら厨房の方に戻って行った。
その際、彼は、オカクラが自分の方を幾度か見た様な気がした。
―――……?
カズキが大人しくなると、どよめきを残しつつも集中した視線は消えていった。
窓の外の人々も、何度も二人を見直しながら歩き去っていく。
トキコはこの状況に完全に萎縮してしまい、ただただ俯くばかりだったが、
カズキはまるで困難に打ち勝ったかの様に満足げな表情を浮かべていた。
「…………もう死なせて………」
「何言ってるんだよ斗貴子さん!俺達これからでしょ!?」
「そういう意味じゃないッ……!!」
トキコはもう泣き出しそうな顔をしているのだが、カズキは気にもしていない様だ。
―――…俺とあいつの仲もちゃんと続いてたら……いつかはプロポ−ズとかしたのかな…
心の真ん中に穴が空いた様な気分に浸りながら、彼はコーラを一口分だけ口に含んだ。
「……実を……言うとね…高校卒業する時にも、言おうかなって思ってたんだよ」
「結婚の話を……か?」
「ウン。でも、流石に付き合い始めて一年ちょいで言うのは失礼かな…なんて」
―――……『高校卒業時で付き合い出してから一年ちょい』だと?
という事は高二の途中から交際開始ってワケだ………
『あと二年で卒業』みたいな話もしてたな。ならこいつらは大学二年生……
ってオイ!!!こっ、こいつら、しっかり三年以上も付き合ってやがる!!!
そこに思い至ってしまった彼は、とうとうコーラを噴き出してしまった。
次はなんなんだよという周囲の空気が、彼の席を取り囲んでいく。
「あ、あの、大丈夫ですか!?」
唐突な出来事に心配したのだろう、カズキが彼に向けて話しかけて来た。
「あ、いやいや大丈夫です、ハイ」
「それならいいんですけど…」
トキコも彼の方を見詰めて言う。
「何か気分でも悪いのですか」
「え、あぁ、ほっ本当に平気なんで、あは、アハハハハ……」
彼は手の甲で口元を拭いながら、テーブルに掛かってしまった液体をティッシュで拭った。
幸い口に含んでいた量が少なかったので、大した騒ぎにもならなかった。
―――何やってんだ俺は……
テーブルを磨きつつ、彼は考えていた。
―――……この二人は、三年も一緒なのにこんな見事なバカップルやってるんだ。
対して…俺達はどうだ?まだ一年程しか付き合ってないのに……もうお仕舞いなのか?
……………………………。
彼は心の中でかぶりを振る。
―――違うっ!まだ、まだ終わってなんか無いっ!!ここで終わるなんて嫌だ!
ちょっと喧嘩したぐらいで何やってんだよ俺は!
まだあいつの事一年分しか見てないのに、こんな早く諦めていいのかよっ!?
彼は立ち上がり、伝票を握り締めた。そして、一足飛びでレジへと向かう。
―――会計なんか今はどうだっていい!
ズボンのポケットから財布を抜き取り、そこから千円札を一枚引き抜いた。
そしてそれをレジ係に渡し、
「お釣りはいいです」
と言うと一目散に店を飛び出して行った。
走りながら携帯を取り出し、短縮ダイヤルを使って電話をかける。
不思議な事に、1コール目で相手は出てくれた。
「も、もしもし!?春子か!?冬輔だけど、今お前ン家に向かってる!!
今更メーワクかも知れないけど、言いたい事があるんだ!電話じゃなくて、直接…!
ちょっとだけ、聞いてくれないか……!!」
こっそり持ち場を抜け出した岡倉が店の外に出ると、そこには大浜と六舛がいた。
「岡倉くん!どうだった?上手い事いった?」
「確信はねぇけど、多分な。代金だけ置いてどっかにスッ飛んで行ったみたいだぜ」
「なら、何とかなったんじゃないか」
和服姿の六舛がそう言う。
「あ、六舛、易者役はどうだったんだよ。
って言うか、和服はそのままなのにあの目出し帽っぽいのはもう着てねーのか?」
岡倉はけらけら笑いながら六舛を茶化した。
「普通易者はあんなの被らないだろ。どうしても顔を隠す必要があったからしてただけだ。
それと、服は着替える時間が無かった」
「で、ちゃんと誤魔化せたの六舛君?」
「ああ。春子氏には『静かに待つのが良し。相手からの働きかけをもって良い方向に事が収まる』
と伝えておいたよ。話のこじれ具合によっては着信拒否してる可能性とかもあったからな、
こう言っておけばそれも解除したくなるだろ?…まぁ、二人の話をちゃんと聞いてみたら、
そんな心配は要らなかったみたいだが……」
「そうなのか?」
「ああ。詰まる所、意地の張り合いだったんだろうな。落とし所が見つからなかっただけなんだ」
それってつまり、と大浜が後を引き継いで喋る。
「お互いに仲直りしたかったんだけど、喧嘩して時間も経ってるから
謝るのが難しくなっちゃった、と」
「そういう事じゃないかな」
六舛は大きく息を吐いた。
岡倉は標識のポールに寄り掛かり、六舛の次の言葉を待っている。
「…まぁ、最初に言った通り、春子氏を占いで釣って話を聞いて、駄目そうだったら
この計画はご破算になる予定だったんだからな。その程度の事で良かったんじゃないか」
「…そうだね。」
「大浜はどうだったんだよ?ティッシュ配りのフリ」
ボクの役は一番簡単だったから何とか、と大浜は笑った。
「六舛君の携帯に春子さんの写真があったしね。
一瞬受け取ってもらえないかとおもったけど『占いやってます』って言うと飛び付いてきたよ」
「冬輔さんの方には渡せたのか?」
岡倉のその問いに、大浜は困った様な顔を見せた。
「さぁ〜?冬輔さんの方は、顔が分からなかったからね。六舛君が春子さんから聞いてる話だけを
手掛かりに、似た様な男の人に渡しただけだから……」
「…冬輔氏にはな、広告は不要だったんだ」
岡倉と大浜、両名共が驚きの声を上げた。
「ハァ!?な、何で?」
「屋台の場所と、春子さんの話に出てくる冬輔さんの住居、思い出せよ」
ヒントを貰って尚、しばらく頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた二人だったが、
すぐにそれは電球に変わった。
「あ、そうか!確か冬輔さんは寮住まい!そして屋台は大学から寮までの最短距離上に……!」
「そ。それで春子氏を占う時に、彼の写真があればより正確に占えるとか言って、
冬輔氏の顔を覚えとけばいい。案の定、春子氏の携帯に冬輔氏の写真が入ってたよ」
「冬輔さんは自然に屋台の前を通ってくれるんだね……あ、でもさ」
大浜が次の疑問を口にする。
「それじゃあ、冬輔さんが屋台に興味を示さなかったら、どうするつもりだったの?」
「目の前を通った時に、春子氏の名前を出して呼べば……止まらざるを得ないだろう」
「……成程な。で、ここまでがお前らの役目だったってワケだ」
「……まぁ、屋台に来る順番も問題だったんだけどな。
春子氏のが遅かったら、明日もう一回屋台を開かなきゃいけなかったから」
岡倉は繰り返し頷いて、納得した事を示して見せた。
「…話聞いてると、一番俺が楽だったみてェだな。殆どフツーにバイトしてたし。
やった事といえば、冬輔さんの隣になる様にカズキと斗貴子さんを座らせただけか」
俺の仕事はその程度かよ、と岡倉は項垂れて見せる。
すると、それが一番重要なんだよ、と六舛は言った。
「お前が居なきゃ成り立たない仕掛けだったんだぞ」
「そうは言ってもよぉ……。
他にした事といえば、無茶苦茶にテンションが上がってたカズキに釘刺したぐらい…
例によって『斗貴子さんだいすき』とか言い出してるし、散々だぜ」
「まぁ、あの二人には説明無しの素でやってもらったからな。そういう発言が飛び出して当然だ」
「…だな。あの二人がああなるのは自然の摂理だし……」
「………え!?じゃっじゃあカズキ君達には、何にも言ってないの!?」
大浜が急に大声を出したので、岡倉もビクッと体を震わせた。
しかし六舛がこれといった反応を見せないのは、いつもの事である。
「正確には、ここで斗貴子氏と暫く飯食っててくれって頼んだだけ。
あの二人には、むしろ余計な芝居をさせない方がいいと思ってな」
「そ…それでよく上手くいったねぇ」
「バーカ、何言ってんだよ大浜。お前だって知ってるだろ?」
あいつら二人が近くに居る時に感じる人肌恋しさはよと、岡倉は結んだ。
あ、そういう事かぁ、と大浜も理解した。
この仕掛けの最大のポイントはカズキと斗貴子に掛かっていたのだ。
この二人が揃うと、本人達にその気が無くても惚気が生まれる。
又、その惚気には、聞いている者達に著しく恋人を欲させるという、とてつもない効果がある。
最も多い回数その被害者になっているのは勿論、岡倉、六舛、大浜の三人だ。
身を持ってそれを知る彼らが、今回はそれを利用したという訳である。
不意に岡倉が、自分の腕時計を見た。
「あ、やっべ。そろそろ戻らなきゃバレちまう。じゃあ、寮でな!」
岡倉は、小走りに店の中に入っていった。
「頑張ってね、岡倉君」
「オウ!……あ、言い忘れてた」
岡倉は扉からひょこっと顔だけ戻す。
「……カズキと斗貴子さん、卒業と同時に結婚するみたいだぜ」
「へぇ!」
「ほ、ほんとに!?」
この報には流石の六舛も目を丸くさせ、大浜に至っては他人事にも関わらず赤面している。
「……そうか…じゃあ二年後に向けて……何かサプライズ、考えないとな」
六舛は爽やかに笑いながら、二人を魂消させるための策を練り始めた。
「おい、『あの』二人の結婚式なんだから、パーッと派手に行こうぜ派手によォ!!」
無責任な事をのたまいながら、岡倉は店の中に消えて行った。
「折角なんだからさぁ、まひろちゃん達とも一緒になって、何か考えようよ。
剛太君とかも、協力してくれるかもよ?」
大浜はウェディング姿の二人を想像しつつ、六舛にそう提案した。
彼らの繋がりは、まだまだ途切れそうに無い。
巷説苺物語―――了(元ネタの体裁とれてないけど……許して)