それぞれの想い
「アラアラ、津村さんなんだか眠そうですわね」
そう言うと桜花は戸棚からマグカップを2つ取り出し、斗貴子の前の席に座った。
そのマグカップは桜花が自費で買ったマグカップで、その触り心地が好きだった。
ファイヤーキング。桜花の好きなブランドだ。
その柔らかなフォルムとツルリとした触り心地は、自然と桜花の気持を落ち着けてくれた。
気分が落ち着かない時やイライラしている時、そのマグカップにお気に入りの
アールグレイを入れて触っていると、不思議と気分が落ち着いた。
我ながら変な癖だとは思っていた。
しかし、そうすることで桜花はいつも自分が平静でいられる事を知っていた。
イライラして叫びだしそうなことがあっても、マグカップのその触り心地を楽しむことで、
いつでも生徒会長としての役割を冷静に全う出来たのだ
「うむ、昨日はよく眠れなくてな」
斗貴子はあくびを1つすると、頬杖をつきながら桜花の問いに答えた。
ここは銀成学園の生徒会室。
先日、学園祭が終わり、生徒会も今は落ち着いている。
先月までの忙しさがウソのようだった。
桜花はSainsbury's のアールグレイのティーバックを1つずつ、2つのマグカップに丁寧に
入れて熱いお湯を注いだ。
その途端にアールグレイの濃厚な、それでいて「芳しい」という言葉がピッタリの、
上品な香りが生徒会室に充満した。
「さっどうぞ」
桜花は斗貴子の前にマグカップを置くと、砂糖とミルクを1つずつ差し出した。
「む。すまんな」
斗貴子は礼を言ったあと、砂糖とミルクは入れずに、一口そのアールグレイを口に含んだ。
「!……コレ、すごく美味しい」
斗貴子はちょっと吃驚したような顔をして桜花を見ると、すぐにそのマグカップに視線を移した。
この紅茶がかなり気に入ったらしい。
「で、なんで寝不足なんですの?昨日は寝るのが遅かったとか……?」
桜花は斗貴子の反応に「当然」と言いたげな微笑だけで答えると、斗貴子に問いかけた。
「う……うむ。まぁ、そんな所だ。」
その後は言葉が出てこない。
斗貴子がこういう反応を見せるときは大抵何かある。
カズキがヴィクターから人間に戻って半年。
戦団の手伝いをしつつ、カズキ、斗貴子、剛太、桜花、秋水、毒島の6人は同じ学校に通っていた。
要請があれば書類整理の為に、週に何度か戦団の本部に行くこともある。
大体がペアで行くが、組み合わせは戦団が決める。
斗貴子と桜花の2人だけで行くことも今まで多々あった。
ちょっと前までは、斗貴子は桜花を警戒していた。
それは、今では錬金の戦士として戦団に協力している桜花だが、以前は信奉者としてLXEという
組織に所属していたこと。それからカズキに対しての言動があやしいこと………
しかし、何度か一緒に仕事をしているうちに、わずかだが打ち解けあってきていた。
それは、お互いをそれなりに認め合ってきていることと、カズキがヴィクター化した際に
パピヨンの元に丸腰で単身乗り込み、カズキを助けるために尽力したことを、斗貴子が半年前の
一件をまとめた報告書で読んだから。
報告書は千歳がまとめ上げ、戦団の日本本部を通って、イギリスの本部までまわされた。
今、原本はイギリスの本部の保管庫に眠っている。
長い長い錬金の歴史の1ページとして、これからも何百年何千年と貴重な資料として残ることだろう。
千歳は、資料を提出する前に関係者に資料を回覧して、訂正箇所がある場合は訂正させている。
その際に、斗貴子は全ての資料に目を通していた。
その報告書を読んで、斗貴子は桜花が自分の知らない所で何をしていたのか初めて知った。
また、斗貴子が入院中、カズキを失った自分を毎日のように見舞ってくれたことも覚えている。
時には叱咤し、時には一緒に涙を流してくれた。
斗貴子が泣きつかれて寝ている日にも、ベットの横のイスに座り斗貴子の寝顔を泣きながら
見ていたことがあった………と、後に看護師の人から聞いていた。
そんなことが、斗貴子の桜花への警戒心を溶かしてくれていた。
カズキに対する言動ですこし引っかかるが、特に何もしてこないことから、
最近では(気のせいだろう)と思うようにもなってきていた。
2人はそのアールグレイの香りにうっとりとしつつ、窓の外を眺めていた。
すこし肌寒いが、日差しが射すとまだ暖かい。
生徒会室の前を楽しそうな声でおしゃべりしながら通り過ぎる生徒達。
校庭のグラウンドでは陸上部が練習をしている。
隣の棟では、吹奏楽部が練習を始めた。
いつも通りの放課後の風景。
窓から見下ろす校庭の反対側にある体育館で竹刀のぶつかる音がし始めた。
剣道部の練習が始まったようだ。
今日は秋水の部活の練習にカズキが顔を出す日。
そして、斗貴子と桜花はそれぞれ カズキと秋水の練習が終わるのを待っている。
最近何度かある風景だった。
「でも、私……本当にカズキ君には感謝してますの」
「?」
「1年前まで、こんな穏やかな日々が送れるとは夢にも思っても見なかった……」
「……ああ」
桜花は本当に心の底からそう思っていた。
早坂真由美からの呪縛に苦しみ、世間から隔離され見捨てられていた時代。
今思うとゾッとする時代。
秋水と2人の世界にとじこもり、世間を拒絶していた。
つらくて切なくて、2人だけの世界を作ろうと本気で思っていた。
暗く、冷たい、暗黒の時代。
だが、暗闇で凍えてもがき苦しんでいた2人を、まるで太陽の光のようにやさしく、
それでいて力強い想いで包み込み暗闇から引きずり出してくれた人がいた。
その光で、2人の硬く冷たい暗闇を溶かしてくれた人……
桜花は心の底からカズキに感謝していた。
その人に特別な感情が芽生えるのは自然なこと。
そして、その特別な感情には桜花自身も気付いている。
「……私もそうだ。戦いの中から日常への道を、日の光で足元を照らしてくれたのはカズキだ」
「本当に感謝している」
斗貴子はマグカップに視線を移し、ポツリポツリと話し始めた。
言葉を選ぶようにゆっくりと。
「カズキがヴィクター化して月に行った頃からな……夜、よく夢を見るんだ」
「夢?」
「そう……カズキが月に行って二度と帰ってこない夢」
そう言うと、斗貴子は少し照れたような顔で桜花を見た。
いい歳をしてバカみたいだろ?……と言いたげな顔で桜花を見る。
しかし、その目が少し潤んでいるのを見て、桜花は困ったような微笑しか返せなかった。
いつもの気丈さがなくなり、今、自分の前で弱い面を見せている斗貴子の顔に、
カズキが月に行ってしまった後、しばらく病院に入院していた時の斗貴子の顔が重なったからだ。
斗貴子はまた窓の外に視線を移すと、話を続けた。
「そんな夢を見たあと、きまって眠れなくなる。そうなると、あとは朝が来るのを待つだけ……
一番いいのは頭から水をかぶって、寄宿舎の中庭で月を見上げることでな。そうすると、少しだけ
落ち着くんだ。そしてその夢はカズキが帰ってきてからも時々見てしまう」
「……カズキくんは知っているの?」
「……うむ……ちょっと前に……バレた」
「バレた?」
「ああ……カズキに心配を掛けさせたくないから黙っていたんだが、
こないだ中庭で立ちすくんでいる所を見られてな……」
「そしたら?」
「……怒られた」
「怒られた?」
「ああ……怒られて……泣かれた。『なんで自分を頼ってくれないんだ』と思い切り怒られた後、
『でも、それは俺のせいだ……ごめん……ごめん……』と泣きながら謝られた……」
「……カズキくんらしいですわね……」
「それからは、夢を見た時は携帯にメールをいれることになっている。そうすると、夜中でも、
明け方でも、嫌な顔一つしないでカズキが来てくれる……」
「それから一晩中一緒に?」
「ごっ……誤解するなよ!なっ……なにもしない!///」
「たっ……ただ、手を握っていてもらうだけだ……あっ……あとは、何も無い!」
斗貴子があまりに慌てて否定するので、桜花はつい笑ってしまった。
「プッ……わかりました、そういうことにしておきますわ……ククッ」
「ほっ……本当だぞ、本当なんだからな……」
実際、カズキは斗貴子が再び寝付くまで、手を握ってやるだけだ。
自分のことでうなされて、今にも泣きそうな大切な大切な年上の彼女。
カズキは申し訳ないという気持ちと、少しでもラクにしてあげたいという気持ちだけで
斗貴子の部屋に来ている。
「斗貴子さん、大丈夫だから……オレはずっとここに居るから」と言いながら
手を握っていると、斗貴子はいつのまにかすぅっと寝入ってしまう。
その後は、寝ている斗貴子の前髪をかき上げて、おでこに唇を当てるだけのやさしいキスを
して出て行く。「だんだん、寝付く時間が短くなってるな……」最近カズキはそう感じていた。
はじめて斗貴子が悪夢にうなされて眠れない日があると知ったとき、
スガキは凄いショックを受けた。
自分が知らない所で斗貴子が苦しんでいた……そう思うと、自分への怒りと
斗貴子への申し訳ないという気持ちで、胸が張り裂けそうになり、自責の念に駆られた。
その日から、斗貴子が悪夢にうなされた日は
再び斗貴子が寝付くまでそばに居てあげようと決心した。
その日、初めて斗貴子が悪夢にうなされて眠れない夜があると知った日。
カズキはなぜか夜中に目が覚めてしまっていた。
窓から月の光が射し込み、部屋全体がぼんやりと明るかった。
しかし、カズキ自身はあの日のことを思い出すことなく、ただボーッと月を見上げていた。
「月が綺麗だな……」
まだ半分寝ぼけている頭でそう考えていた。
しばらく月を眺めた後、喉の渇きを覚えて冷蔵庫を開けてみたが飲み物は何も無かった。
「ああ、昨日の夜に全部のんでしまったっけ」
カズキは食堂の自動販売機にジュースを買いに行くために、自分の部屋を出た。
階段を降りて、食堂までの廊下を歩く。
何気なく窓の外に目をやると、斗貴子が立ちすくんでいた。
頭がずぶぬれで、目が赤く、今にも泣きそうな顔でぼーっと一点を見つめている。
斗貴子が見つめているのは……月。
カズキは一瞬で全てを理解した。
頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
あれから半年。
斗貴子も自分も、忙しくも楽しい学園生活で過去の辛いことなぞ忘れ去っていたと思っていた。
でも、それは自分だけだった。
斗貴子は苦しんでいたのだ。
いつからだろう。
もしかして、あの日からずっと?
毎晩?
体が勝手に斗貴子の元に走り出していた。
走って近づいてくるカズキに斗貴子が気付く。
「カッ……カズキ?」
「斗貴子さん……」
いつもならニコニコしているはずの年下の彼氏が歯を食いしばりながら立っている。
いつになく真剣な、悲しそうな目。
気付かれた……そう察した斗貴子は、下手な言い訳を考えるのをやめた。
2人ともうつむいたまま、しばらくどちらからも言葉を発しなかった。
ややあって、カズキが声を搾り出すように喋り始めた。
「ね……眠れないの?」
「……う…うむ。ちょっとな……」
「あの時の事を思い出して?」
「………う…ん……」
斗貴子は時々夢を見て眠れない日があることを正直に話した。
そして、そんな日はこんな風に一晩中月を見ていたことも。
ポタッ
涙が中庭の草の上に落ちる。
涙の主はカズキだ。
「カズキ?」
「言って欲しかった……つらいならつらいと……だって悪いのは俺なのに……」
「いや……これは…その……」
「原因はオレだけど……もっと頼って欲しかった……。
オレじゃだめ?オレでは斗貴子さんを安心させられない?」
「そっ…そんなわけないだろう!君しかいない!君の事で苦しんでいるんだ……
分かりきったことだ…」
「じゃあどうして一人で苦しむの?俺達、一心同体だって……」
「……や…約束したな……すまん……」
「ごめん……」
「え?」
「でも、その原因はオレだから……だから……ごめん………」
「カズキ……」
「ごめん………ごめん………」
「もういい……もう謝るな」
斗貴子はそう言うと、はだけているカズキのパシャマの上着とTシャツの間に両手を滑り込ませ、
カズキの体に抱きつくようにして胸に顔を埋めた。
「すまん……一人で悩んで……もう一人では悩まない……だから…だからもう謝るな」
「………うん」
カズキは頷くと、パジャマの上着の中にすっぽりと入り込んでいる斗貴子を抱きしめて、
斗貴子の髪に顔を埋めた。斗貴子の髪の匂いがカズキの自責の念を落ち着かせ、
カズキの匂いが斗貴子の高ぶった神経を落ち着かせた。
しばらくそのまま2人共動かなかった。
その日は斗貴子が寝付くまでそばに居ることを約束して、斗貴子の部屋に2人で戻った。
手を繋いで、頭を撫でながら、最近の楽しかったことを話したり、来週の週末に行く予定
になっている映画の話をして斗貴子を和ませた。しばらく眠れなかったが、それでも外が
少し明るくなりかけた頃に斗貴子はコトリと寝入ってしまった。
カズキはしばらく斗貴子の寝顔を眺めていたが、最後に頭をひと撫でして部屋を後にした。
「もう二度とこの人を悲しませない」と決意をしながら。
次の日、カズキは斗貴子に2つの約束をさせた。
1つは夢を見て眠れないときはすぐにメールをすること。(そうしたら夜中でもすぐに飛んでいく)
もう1つは、もう二度と1人では悩まないこと。
この2つの約束を斗貴子は快諾し、それ以来その約束は破られていない。
「ということは、今日の寝不足もひょっとして……?」
「うむ。でも久しぶりだったな。最近はあの夢を見るペースは落ちてきている」
「あらあら、じゃあカズキくんも寝不足なんじゃ……」
「私もそう聞いてみたんだがな、あの子は「オレは元気だから大丈夫」だと。
剣道の練習も楽しみにしていたし、まぁ大丈夫だろう」
そう言うと、斗貴子はまたあくびを1つして紅茶のお代わりをお願いした。
「この紅茶、美味しいな。すまんがもう一杯もらえるか?」
それから、斗貴子と桜花は戦団のこと、学園生活のこと、来年入る桜花の大学のことなど、
時間を忘れて話をした。2人とも、別々の理由だが今までは味わうことが無かったノンビリ
とした時間を楽しんでいた。
しばらくして、体育館の方を見た斗貴子が言った。
「んっ、剣道部の練習が終わったぞ」
「あらあら、じゃあそろそろ行きましょうか」
2人は立ち上がってマグカップを片付けようとしたが、桜花の動きが止まった。
桜花は冷たくなったマグカップを見てようやく気がついた。
(今日はマグカップを触る癖が出なかった……)
前まで、斗貴子とカズキの話になると、いつもマグカップを忙しげに触っていた。
それは、自分がカズキに特別な感情を持っているからだと気付いてはいた。
だが、だからどうにかしようとも思ってはいなかった。
少しずつ、気持ちが整理されるのを待っていたのだと思う。
そして、今日は斗貴子とカズキの話をしていても、いつもの癖が出なかった……。
ようやく気持ちに整理がついたのだと思うと、少し嬉しくもあり、寂しくもあった。
カズキと出会うまで恋なんてする気が無かった桜花にとって、その淡い特別な感情が
消えてしまうのは勿体無くもあった。
もう少し、このくすぐったい感情と戯れていたかったが、そうもいかない。
秋水が自分の道を歩き出したように、自分も歩き出さなくてはいけない。
「やっと歩き出せる……か…」
「ん?何か言ったか?」
「あ、いえいえ、なにもありませんのよ」
「じゃあ、行こう。カズキと秋水が校門で待ってる」
桜花はマグカップを片付けながら (これでいい) と思った。
ここに留まり続けず、カズキが開いてくれた無限に広がる道を自分で選び、
そして自分で歩き出すことがカズキへの恩返しのような気がするから。
その道の先には、あの日に見た太陽の光に似た明るい何かがあるような気がするから。
そして、たとえ自分が選んだ道に太陽の光が射してなくても
決してひるまない勇気をもらったから。
だから歩き始めよう。
「さっ行きましょうか」
桜花が斗貴子の背中を押しながらしっかりした足取りで生徒会室から出て行く。
2人が出て行った生徒会室から真っ赤な夕日が見える。
焼けるような真っ赤な夕日が、雲に反射してキラキラと輝いている。
日々成長し、変化していく子供達を照らしている。
いつも通りの放課後の風景。
だが、もう同じ日は二度とない放課後の風景。
−オワリ−