Visit of spring.  
 
 
夜8時。  
もうあたりはすっかり暗くなっている。  
息が白い。  
コートがなければ、一歩たりとも外に出たくない。  
そう思いながら、薄暗い街灯を頼りに桜花は家路を急いでいた。  
ここの所、生徒会の引継ぎ作業で遅くなることが多い。  
もう大学進学は決定しているので、授業自体はあってないようなものになっている。  
毎日、生徒会の引継ぎ作業に行っているようなものだ。  
 
公園の角を曲がると、桜花と秋水の2人が住むアパートが見えてきた。  
窓は暗く、人の気配は無い。  
鍵を開けてドアを開く。  
「…ただいま」  
言ってみるものの、誰もいない真っ暗な闇が出迎える。  
暗闇を見ていると、つい子供の頃を思い出してしまう。  
あの忌まわしい時代のことを。  
ため息を1つついて、部屋の明かりを点ける。  
秋水の部屋に目をやるが、そこに部屋の主はいない。  
「…秋水くん……」  
 
秋水は卒業後にお世話になる剣術の先生の所に一週間ほど前から行っている。  
4月から始まる、向こうでの新しい生活の為に色々と準備が必要だから。  
それに、ついでといってはなんだが10日ほど修行をしてくる予定になっている。  
期間は全て込みで2週間。  
4月からの1人での生活に慣れるため、この機会は喜ぶべきなのだが、もう既に心細くなっている。  
 
前も秋水が長い間修行に出たことがあったが、あの時はカズキのヴィクター化の件があり、  
心細いなどと言っている暇は無かった。  
私達2人を暗闇から引きずり出してくれた人を救うために奔走していたからだ。  
そして、気がつけば秋水と共に錬金戦団にスカウトされ、錬金の戦士として働いていた。  
全ては、あの人を救うために。  
 
今日は遅くなったので、スーパーで出来合いの夕食を買ってきた。  
(簡単に済ませて、今日は早く寝よう)  
桜花はそう思っていた。  
熱いお茶をお気に入りのマグカップに注ぎ、  
ガサガサとスーパーの袋から買ってきた惣菜を引っ張り出した。  
割り箸でつつくが、イマイチ食欲が出ない。  
「はぁ・・・」とため息をつくと、箸を置いてしまった。  
 
前に進もう、新しい世界に自分一人の力で一歩踏み出そう、・・・その気持ちに揺らぎは無い。  
それは確かだ。  
これから進む道に明るい期待も持っている。  
だけど、このもやもやとした不安な気持ちはなんなのか?  
(これから始まる一人での生活に不安なだけ?)  
いや、4月からは一人で一歩ずつ前進していかなくては。  
そうでなくては、秋水に心配をかけるだろうし、  
せっかく新しい道に導いてくれたカズキにも申し訳が立たないような気がしている。  
(私は、結局弱い人間なのだろうか・・・)  
桜花は、カズキや斗貴子のような、強い心が欲しかった。  
あの2人は、あれだけの困難に真正面から立ち向かい、そして自分達の力で未来を作り出した。  
(それに比べて私は、秋水くんがいなくなるだけで、こんなに不安になっている)  
(こんな馬鹿馬鹿しい理由で、悩んでいたら彼らに笑われる)  
そう考えると、桜花はますます落ち込んでしまう。  
しばらくお気に入りのマグカップを指でもてあそんでいたが、  
桜花は気分を変えるために、風呂に入ることにした。  
髪を入念に洗い、ゆっくりとバスタブに身を沈めて体を芯まで温める。  
この時ばかりはいやなことを忘れられる。  
至福のひと時。  
 
風呂から出て髪を乾かしていると、携帯が鳴った。  
斗貴子からのメールだ。  
 
Subject : 明日の件  
本文:明日の放課後の件、まひろちゃんも連れて行っていいか?  
 
なんともぶっきらぼうなメール。  
(津村さんらしい)  
そう思って、つい噴き出してしまった。  
 
明日の放課後、2人で買い物に出かける約束になっている。  
珍しく斗貴子がフリーだと聞いたので、桜花の方から誘ったのだ。  
 
「あらあら、じゃあ明日はフリーなのね」  
「ああ、明日カズキは六枡達と遊びに行くんだと」  
「へぇー、一緒じゃないなんて珍しいわね」  
「たまには男同士の時間も作らないとな・・・  
 カズキは彼らとの付き合いの方が長いんだし、そういう時間は大切だ」  
「・・・なるほど」  
 
桜花はこういう斗貴子の感覚が好きだった。  
独占欲が無いわけではないだろうが、それでもカズキの今までの付き合いや、  
カズキが一人だけで過ごす時間を斗貴子は大切にしたがった。  
(それでも、この2人が離れて行動するのはほんのわずかですけど・・・)  
しかし、そういう気持ちを持っている斗貴子に桜花は好感を持っていた。  
 
「じゃあ、明日は一緒に買い物に行きません?」  
「買い物?」  
「ほら、春モノの服が欲しいって言ってたじゃないの」  
「ああ・・・、そうだな。そうするか。カズキを連れて行くとなかなか落ち着いて選べないからな・・・」  
「じゃあ、決まりですわね」  
「ああ」  
 
Subject : Re:明日の件  
本文:ええ、どうぞどうぞ。人数が多いほうが楽しいからね。明日が楽しみ。おやすみなさい。  
 
メールを返信して、パチンと携帯を閉じる。  
「はぁ・・・」  
明日は楽しみなのに、なぜかため息が出る。  
またもや不安な気持ちが頭を覆い始めた。  
テーブルの上に上半身を投げ出すようにうっぷして、桜花は目を閉じた。  
 
返信メールを確認して、斗貴子が携帯からまひろに視線を移す。  
「OKだ」  
「わーい、やったぁ!明日は斗貴子さんと桜花先輩とお買い物だぁ!」  
はしゃぐまひろを斗貴子がにこやかに見ている。  
斗貴子はまひろのこの純真無垢な明るさが好きだった。  
最初の頃こそ戸惑ったが、この子の明るさで周りがどれだけ助かっているか。  
自分がどれだけ助けられたか。  
そして、今のこのまひろの笑顔は、決して薄っぺらな笑顔ではないことを斗貴子は知っていた。  
それだけに、まひろの笑顔は、斗貴子にとって意味のあるものだった。  
それに、自分になついてくれているのが斗貴子には嬉しかった。  
家族がいない斗貴子にとって、本当の妹のように感じてしまう時が多々あった。  
 
「斗貴子さん、斗貴子さんとお出かけするのも久しぶりだね!」  
「そーいえばそうだな」  
「凄く楽しみ、クレープ食べようね!」  
「ん、そうだな。楽しみだ」  
「うふふふ・・・」  
 
自分とのイベントを心から喜んでいる所を見ると、くすぐったい気分になる。  
本当にこんな妹がいたら・・・と考える時がある。  
そうすると、大抵(カズキと結婚したら・・・)という所に考えが行き着いて、  
顔が赤くなってしまうのだが。今日はまひろの手前、そこまで考えないようにしていた。  
 
今回、まひろを誘ったのは斗貴子の方からだった。  
最近、桜花が元気が無いような気がしていたので、まひろの明るさを少し分けてやりたい  
という考えがあったからだ。  
斗貴子は(最近、桜花はちょっとおかしい・・・)と感じていた。  
受験が終わって気が抜けたのかとも思ったが、どうもそれも違うようだ。  
すごく寂しそうな顔をすることがあるかと思えば、何かに焦っているように感じる時もあった。  
(明日がいい気分転換になればいいのだが・・・)  
そう斗貴子は考えていた。  
 
次の日の放課後、銀成駅前の大通りに3人の姿があった。  
斗貴子、桜花、まひろがクレープを手に歩いている。  
かなり目立つグループだ。  
 
「あー、斗貴子さん、斗貴子さん、アレ!、あれが似合いそう!」  
「んー・・・」  
「あ、コレも似合うかも。あーでも、やっぱり斗貴子さんは黒のイメージかなぁ・・・」  
「んー・・・」  
「あら、まひろちゃん、これもいいんじゃない?」  
「あっ、ホントだ、これも似合いそう。ねー、斗貴子さん、次コレ試着して〜」  
「んー・・・」  
 
さっきから「んー、んー」と言っているのは斗貴子。  
まひろと桜花の着せ替え人形になっていて、疲れ果てている。  
これで、4件目だ。  
 
「あー、コレコレ、コレ雑誌に出てたよ」  
「あら、津村さんに似合いそうね〜」  
「ほらぁ、斗貴子さん、早く早く!」  
「んー・・・」  
 
結局、斗貴子の気に入った服がみつかったのは6件目の店だった。  
精も根も尽き果てた斗貴子は、近くの公園で休憩することを提案した。  
3人は、公園のベンチに座り、自動販売機で買った暖かいお茶を飲む。  
斗貴子はようやく一息つくことが出来た。  
 
「あーたのしかったぁ!ねーねー、また3人で買い物に行こうね!」  
まひろが満面の笑みで大きな声で話す。  
「そうね、また行きましょう」  
桜花がつられて、笑いながら答える。  
「ん、そうだな、また行こう」  
斗貴子も、疲れ果てたが、まんざらではなかったようだ。  
 
その後、3人は色々なことを話した。  
学園生活のこと、ファッションのこと、最近出来たスイーツの店のこと。  
話をしているとまひろはコロコロとよく笑った。  
その笑顔を見ていると、なんとも穏やかな気分になる。  
不思議な魅力だった。  
 
「うっ・・・ごめんなさい、ちょっとおトイレ・・・」  
 
まひろが席を外した時に、桜花が斗貴子に話しかけた。  
「ほんと、まひろちゃんって明るいわね。あの笑顔を見ていると癒されるわ・・・」  
「ああ、ほんとだな。私もそう思う・・・・・・」  
そう言うと、斗貴子は少し考えて、再び口を開く。  
「あの笑顔は、あの子の強さに裏打ちされたものだ。  
 だから・・・不思議な力があって当然だと思う・・・」  
「強さ?」  
「ああ・・・」  
「強さって?」  
斗貴子は数ヶ月前のことをゆっくり話し始めた。  
「・・・カズキが月に消えた後、私がしばらく入院していた時・・・」  
 
カズキがヴィクターパワードと月に消えてしばらく、斗貴子は病院に入院していた。  
最初の3日ぐらいは口もきけず、食事も殆ど取れなかった。  
桜花が何度も足を運んだが、斗貴子は窓の外を眺めるだけで、何の反応も示さなかった。  
4日目の夕方、桜花が帰ってからしばらくして、まひろが見舞いに来た。  
 
まひろは見舞いに行く前日の夜、初めて錬金戦団の話をブラボーから聞いた。  
LXEの学校襲撃の件もあり、今までの常識では計れない何かがあるとは思っていたが、  
最初はその突拍子のない話を信じられなかった。  
ただ、そのブラボーの真剣な眼差しと、カズキが最後にまひろに言った  
「長いお別れになる」の一言が、まひろに現実として認識させることになった。  
そして、ブラボーから斗貴子が入院していること。  
もう3日も口が聞けなく、食事を取っていないこと。  
体も心も、ひどく衰弱していることを聞かされた。  
まひろはしばらく呆然としていたが、やがて何かを決心したように、立ち上がると  
ブラボーに礼を言って自室に戻っていった。  
そして、その次の日、まひろは一人で斗貴子の見舞いにやってきた。  
 
まひろが病室に入って斗貴子を見ると、顔面蒼白で泣きはらした目が腫れ、  
以前の凛とした斗貴子の面影はどこにも無かった。  
「斗貴子さん・・・」  
まひろが斗貴子の名前を呼ぶと、斗貴子はピクリと体をゆらして、  
ゆっくりと顔をまひろの方に向けた。  
斗貴子は以前から、まひろに負い目があった。  
大事なお兄さんをこんな危険な目に巻き込んで、  
しかも今回はその大事なお兄さんを亡くしてしまった・・・。  
責任は全て自分にあると考えていた。  
「ま・・・まひろちゃん・・・わ・・・わたし・・・」  
目からは涙が止めども無くあふれてくる。  
もう4日も泣いているのに、枯れることのない涙。  
斗貴子は謝罪の言葉を口にしようとした。  
しかし、先に言葉を発したのはまひろだった。  
 
「斗貴子さんごめんなさい」  
そう言うと、まひろは頭を深々と下げた。  
斗貴子は吃驚してしまった。  
自分が責められこそすれ、まひろが謝ることではない。  
自分のせいで、大事な兄弟が亡くなったというのに。  
これでは立場が逆ではないか・・・斗貴子はそう思った。  
 
顔を上げたまひろを、斗貴子が少し驚いた顔で見ている。  
今にも泣き出しそうに目が潤んでいるが、涙を流さないように我慢しているのが分かる。  
そして、まひろの目の奥に斗貴子は何かをを感じていた。  
「斗貴子さん、お兄ちゃんが斗貴子さんを悲しませてしまったこと、本当にごめんなさい  
 お兄ちゃんに変わって謝ります。  
 私で出来ることがあったら何でもします。  
 だから・・・だから、はやく元気になってください・・・・・・」  
「ま・・・まひろちゃん・・・・」  
しばらく沈黙が流れたが、次に言葉を発したのは斗貴子だった。  
「・・・まひろちゃん・・・どうして泣くのを我慢しているの?  
 あなたの大事なお兄さんが亡くなったのよ。  
 それに・・・それに、一番悪いのは私なのよ・・・。私が殺したようなものなのよ・・・」  
うつむきながらボソボソと喋る。  
「私に謝る必要なんか・・・」  
 
「私は・・・」  
最初は下を向いていたまひろは、斗貴子の顔に視線を移して、はっきりと喋りだす。  
「私は、お兄ちゃんのしたことだから、それが正しいと信じます。  
 だから、決して泣かない。  
 でも、お兄ちゃんのしたことで、大好きな斗貴子さんが傷ついたから、  
 それは私が一生掛けてでも償います。  
 わたしの人生を投げうってでも、絶対に償います」  
ハッとして斗貴子はまひろの目を見た。  
その目は潤んでこそいるが、どこかで見たことのある目だった。  
そう、それはあの日、カズキが屋上の高架水槽で白い核鉄の使い道を決めた時の目に似ていた。  
何があってもゆるぎない強い意志を持った目。  
自分の信じる道を貫き通そうとする、強く、それでいて優しい目・・・。  
(この子は、カズキのしたことの責任を引き継ごうとしている  
死ぬほどつらいはずなのに、いつ泣き崩れてしまってもおかしくはないのに、  
歯を食いしばって耐えている。  
当然のことのようにカズキの意志を引き継いで、それを全うしようとしている・・・)  
 
しばらく呆然としていた斗貴子の目から涙が溢れ出した。  
それはこの4日間流し続けたカズキを亡くした悲しみの涙ではなく、  
自分の不甲斐なさを責める涙だった。  
(わたしは、カズキと一心同体ではなかったの?  
カズキを失った自分のことだけを考えて、カズキのことは何も考えていなかった・・・。  
カズキが月に行かなかったら、やがでヴィクター化したカズキと、  
ヴィクターパワードの2人のエネルギードレインで人類は滅亡していた。  
私は、カズキのしたことを信じ、誇りに思って生きていけばいい。  
そして、私がまっさきにすることは、悲しむことではなくて、  
カズキのために何が出来るかを考えること・・・。  
・・・なにが一心同体だ・・・私は・・・私は・・・)  
 
それから少しの間沈黙が続いた。  
そして、ひとしきり涙を流した斗貴子は、ゆっくりと顔を上げ  
まひろの目をまっすぐ見つめてこう言った。  
「ごめんなさい、まひろちゃん。私はもう大丈夫・・・もう大丈夫だから・・・」  
その目には、まひろと同じく何か強い意志が込められていた。  
つい数分前までの斗貴子とは違い、いつもの凛とした斗貴子の顔に戻っていた。  
その日からもう斗貴子は泣くのをやめた。  
斗貴子は最後にカズキのためにしてあげられることは何かを考え始めたのである。  
 
 
「・・・そんなことがあったの・・・。  
 確かに、ある日の朝から、津村さんは泣くのをやめてましたわね・・・」  
「ああ。あの子は私なんかよりずっとずっと強かった。だから、あの子の笑顔は、  
 けっして薄っぺらいものではない。  
 常に真剣に精一杯生きている人間の笑顔だ。  
 何か、不思議な力があってもおかしくはないだろう?」  
「・・・ええ・・・そう思うわ・・・」  
 
桜花は、ちょっと驚いていた。  
斗貴子はとても心の強い人間だと思っていた。  
あの一件も、斗貴子の強い精神力のみで切り抜けたのだと思っていた。  
(そんなことがあったなんて・・・)  
そして、あの、いつもにこやかに笑っているまひろが、そんなに強い心を持っていたなんて。  
(秋水くんが同じ目にあったとしたら?・・・・・・私にはきっとマネが出来ない・・・)  
桜花は自分の不甲斐なさを身にしみて感じていた。  
そして、無意識にうな垂れて深いため息が出てしまう。  
 
斗貴子は、うな垂れる桜花の顔を覗き込むようにして、しばらく黙っていた。  
桜花が斗貴子の視線に気付いて顔を上げる。  
「桜花、お前は強い人間だと思う」  
「え?」  
今自分で感じているコトと真逆のことを言われて、すこし驚く。  
斗貴子は話を続ける。  
「お前の生い立ちは、あの日、学校の校庭で聞いた  
 私には想像の付かない生い立ちだが、あれから、自分の意志でLXEを抜けて錬金戦団にいる。  
 つまり、自分の生きる道を自分で切り開いているということだ」  
戸惑っている桜花を無視して話し続ける。  
「カズキが再殺部隊に追われているときも、パピヨンの元に単身乗り込んで  
 カズキを助けるために尽力してくれた。  
 お前は、常に自分の意志で生きてきたと思う。  
 そして、それがカズキを救うことになり、結果的に人類を救うことになった」  
そこまで一気に喋ると、少し驚いている顔の桜花の顔から目をそらし、  
ちょっと言いづらそうに続けた。  
「でも、一人で行き詰ったら、遠慮なく人に頼るといい。  
 人間なんか、決して一人でなんか生きられないんだから、  
 お前はもっと人に頼ることを覚えたほうがいいと思う。  
 無理なんかしなくてもいい、私だって、お前にだって弱い面はある。  
 一人で、あせり、もがき苦しむのもいいが、たまには人に頼ってみるのもいいことだと思う。  
 そうすることで、誰かから新しい力をもらって、また自分が強くなれる事だってあるんだ」  
桜花は、自分の心を見透かされたような気分になって、少し狼狽した。  
 
(誰かに頼る・・・)  
真っ先に秋水の顔が浮かんだが、秋水は今はいない。  
それに、それでは新しい道を歩みだしたことにならない。  
過去の2人きりの閉ざされた世界に逆戻りだ。  
(じゃあ、誰に・・・)  
 
桜花の考えが読めたのか、少し不機嫌そうに斗貴子が続ける。  
「わっ・・・私じゃダメなのか・・・」  
「え?」  
「私じゃあ、頼りないか?」  
桜花が斗貴子の顔を見ると、頬を赤くつつ、少し不機嫌そうにしている。  
視線も、わざと桜花と違う方向を見ている。  
その斗貴子の表情を見て、なんで斗貴子がこんな話をしたのかを桜花は理解した。  
そして、ずーっと心に引っかかっていた、もやもやとした不安を吹き飛ばすきっかけが  
見つかったような気がした。  
 
確かに、桜花と斗貴子は最初の頃、決して仲はよくなかった。  
それでも、カズキを救うために桜花が裏で奔走していた事実を斗貴子が知り、  
桜花が錬金戦団に入り、仕事や学園生活でふれあう内に、2人とも口には出さないが  
友情のようなものが芽生えてきていた。  
ただ、斗貴子の性格上、いちいち友情を確かめるようなことを口に出すことは無かった。  
だから、この斗貴子の言動が、桜花には予期していなかったし、嬉しかった。  
斗貴子が自分のことを気に掛けていた・・・そう思うと桜花はくすぐったい気持ちになった。  
 
桜花は今、このもやもやとした不安な気持ちを、斗貴子にぶつけてみようと思った。  
今まで、4月からの新しい生活を一人だけの力でなんとか前進させようと思い、もがいていた。  
そうしなくては、秋水に心配をかけると思っていたし、カズキに申し訳が立たないと思っていた。  
でも、それはただの気負でしかなかった。  
 
いつのまにか、暗く冷たい暗黒の時代を自分から引きずってしまっていた。  
しかし、カズキが導いてくれたこの世界は、決して暗くも、冷たくも無かった。  
この新しい世界には、カズキの他にも自分の足元を照らしてくれる人がいたのだ  
ということに気がついた。  
それも、ごく身近に。  
 
桜花が斗貴子に話しかけようかとした時、まひろが帰ってきた。  
「ただいまー。  
 ん?何話してたん?」  
席を立つ前と少し場の空気が変わっていたので、まひろが不思議がっている。  
「ううん、なんでもないわよ。  
 まひろちゃんの笑顔ってカワイーって話してたのよ」  
桜花がフォローする。  
「えーーー、そんなことないよー  
 でも桜花先輩にそんなこと言われるとうれしいなー」  
またまひろはコロコロと笑う。  
その笑顔を見て、斗貴子と桜花は、視線を合わせてニッコリと笑いあった。  
桜花は斗貴子への感謝の気持ちを、心の中でつぶやいた。  
それは、口にださなくても感謝の気持ちを伝える、もっといい方法があることを知っていたから。  
 
「えー、ところで・・・」  
斗貴子とまひろの視線が桜花に集中した。  
「じつは2人に聞いて欲しい相談事があるんだけど・・・」  
桜花がそう切り出すと、斗貴子はまひろに気付かれないように少し微笑むと、桜花の方に体を向けて座りなおした。  
「よし、なんでも聞いてやる」  
「エー、桜花先輩が相談事なんてめずらしいーーーー!  
 でも、なにをかくそう、私は人生相談の達人よ!」  
おどけながら、まひろも桜花の方に体を向けて座りなおす。  
でも、その目は決してふざけてはいない。  
あの日、桜花と秋水を救い上げてくれた、カズキのあの目に似ている。  
強く、それでいて優しい目。  
桜花が視線を斗貴子の方に移す。  
その目は、いつも通りに真正面に桜花を捕らえて、力強くこちらを見ている。  
 
(・・・ありがとう)  
心の中で2人に礼を言った後、深い深呼吸を1つして桜花は話し始めた。  
「実は相談というのは・・・・・・」  
 
 
 
まだまだ寒い公園のベンチで、  
ヒソヒソと3人の少女達が人生の悩みをぶつけ合っている。  
10数年のまだまだ少ない人生の経験を出し合って  
お互いを補いつつ、前に進もうとしている。  
決して生きるのは楽ではないけれど、ここにいる3人の少女は  
明るい将来を目指して、苦難を楽しんでいるようにも見える。  
それは暖かい春に向かって一歩、また一歩と歩くように。  
常に真剣に、力強く。  
力強く。  
 
 
 
Epilogue  
 
カズキが月に行ってから、一度だけまひろは涙を流している。  
知っているのは、まひろとカズキだけ。  
それは、カズキが月から戻り、寄宿舎に帰ってきた晩のこと。  
カズキと斗貴子の無事生還を祝して、六桝達主催のカラオケ大会が終わった晩のこと。  
 
カラオケから帰ってきて、斗貴子はカズキの部屋で2時まで過ごし、それから自分の部屋に帰っていった。  
それを待っていたかのように、10分ほどして、まひろがカズキの部屋を訪れる。  
何も約束していないのに、ちゃんとまひろを待っていたカズキが部屋に招き入れる。  
言葉は交わさず、まひろはただ黙ってカズキの胸に顔を埋めて  
カズキが月に行ってから始めての涙を流した。  
今まで我慢してきた悲しみを、涙で洗い流すかのようにカズキの胸を涙で濡らす。  
 
何も言わず頭を撫でながらいつまでも泣き止むのを待つカズキ。  
子供の頃から、いつもそうしてきたように  
泣きじゃくる妹をやさしくあやす。  
 
ひとしきり泣いた後、まひろがカズキの顔を見ながら、いつもの笑顔で口を開く。  
「おかえりお兄ちゃん」  
「ただいま、まひろ」  
これで2人の儀式は終わり。  
カズキはどれだけまひろに迷惑をかけていたか、斗貴子から聞いていたし、  
まひろは、カズキがどんな決断をして、どんな思いで月に行っていたかを知っていた。  
でも、今の儀式で全ては終わり。  
何も言わなくても全て分かっている。  
 
部屋を出る前に、もう一度カズキがまひろを抱きしめる。  
明日、斗貴子とまひろにクレープを奢る約束をカズキにさせて、  
まひろは部屋を出て行く。  
これで3人にとっての苦難の道のりは、やっとおしまい。  
 
 
 
その晩は月が出ていた。  
部屋に戻ったまひろは、ベッドに横たわり月を見上げる。  
昨日までは怖くて見れなかった月が、今は綺麗に見える。  
自分自身に(・・・おつかれさま)とねぎらいの言葉をつぶやいて、目を閉じる。  
安堵して、ゆっくりゆっくり眠りの世界へ落ちていく。  
明日から、日常の世界へ足を踏み入れた斗貴子を迎えて  
新しい生活がはじまる。  
その期待を胸に、  
楽しい夢を見ながら  
今は、ゆっくりゆっくり  
眠りに落ちる。  
 
 
 
−オワリ−  
 
 

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