「お疲れ様」
千歳はそう言うと、冷蔵庫から良く冷えたペットボトルのお茶を取り出し、
俺の目の前に差し出してくれた。
よく喋ったので、先程から喉の渇きを覚えていた。
ペットボトルを受け取ると、一気に半分ほど飲み干す。
千歳が(相変わらず豪快な飲み方ね)と言いたげな顔でこちらを見ている。
ペットボトルをテーブルに置いて、イスに座るとようやく人心地ついた。
時計を見るとまだ午後2:10。
次の打ち合わせまで、まだ2時間近くある。
「防人君、どうするの?また暫く時間を潰していく?」
「ああ、すまないが、そうさせてもらう」
ここは千歳のオフィス。
千歳は錬金戦団本部内に個室を持っている。
元々後方支援型の武装錬金なので、前線の我々よりもデスクワークが多い。
最近は本部に来ると、大抵ここで時間を潰す。
簡単な応接用のソファーに冷蔵庫。
TVもあれば、諜報活動で必要になるのだろう、
ビデオやDVD、あらゆるメディアのハードが壁面の棚に並んでいる。
千歳もまだ20代だが、第一線で働ける戦士としてはもう古株に近い。
職業柄、歳を取ると第一線には出辛くなる。
体が衰え始める40を過ぎると、死傷率がグンと上がるからだ。
だから、必然的に若手が活躍する場が増えるというわけだ。
「定例報告は?すんなり終わったの?」
「いや、色々と突っ込まれたよ。要員の配置換えまで話が大きくなってな」
「めんどうね」
「ああ・・・まぁ、しょうがない。今週はしこしこと要員計画を修正するさ」
千歳はまた仕事にもどり、端末を叩き始めた。
静かなオフィスにカチカチとキーボードを叩く音だけが響く。
壁面の棚に千歳の若い頃の写真が飾ってある。
その中に訓練所時代の集合写真があった。
千歳の少し離れたところに俺と、火渡もいる。
歳はバラバラだが、まだ皆若い。
同期は20名程いたが、今は12名しかいない。
みんな、作戦中の事故、又は戦いの中で命を落としていった。
『戦士の敗北はすなわち死』これは戦士としての定めだ。
それは仕方の無いこと・・・戦いの中で死ぬのであれば戦士として本望・・・、
そう思っていないと、心が折れそうになることがある。
しかし、妻や夫、子供を残してこの世を去った戦士は、本当に『本望だ』と思っているのだろうか。
残された家族は『仕方がない』と割り切れているのだろうか。
皆、口では『本望だ』『戦士の家族であれば仕方がないことだ』と言うだろう。
でもそれは本心なのか・・・。
先週、大規模なホムンクルスの制圧作戦があり、1名死亡、多数が負傷した。
死亡したのは、まだ32歳の戦士長。
奥さんを去年ガンで亡くしたばかりで、父一人、子一人で暮らしていた。
斬り込み役だった彼は、突入時に待ち伏せていたホムンクルスに殺害された。
決して彼が弱かったわけではない。
諜報活動の失敗で、奇襲攻撃の情報がもれ、逆に待ち伏せを食らったのだ。
結果的に制圧は成功したが、多数の負傷者が出てしまった。
彼は核鉄の治癒力では間に合わないほどの傷を負っており、制圧完了の1時間後に死亡した。
まだ9歳の子供を残して。
錬金戦団の活動をやめたら、もっと犠牲者は増える。
そんなことは分かっている。
しかし、同胞が死に、残された家族を見るたびに
彼らは無念ではなかったのか?
なぜ彼らが死ななくてはいけなかったのか?
彼らの 『人々を救いたい』 といういう強い意志は
悲しみにかき消されて
この世から消滅してしまうのではないか?
そう考えることがしばしばあった。
その度に、俺はその場で足踏みをしている気分になる。
その場に一人取り残された気分になってしまう・・・。
棚の写真を手に取る。
千歳が横目でこちらを一瞬見たが、またすぐに端末に視線を移した。
俺もまだ若い。
まだまだ幼い顔をしている。
そして、俺の隣に一人、
無精髭の良く似合う男が笑顔で立っている。
写真の中の俺と同じくまだ若いが、その目は力強く、ゆるぎない信念をみなぎらせている。
そして、この男は
今はもうこの世にはいない。
あいつは、親をホムンクルスに殺害され、
小さい頃から錬金戦団の施設で育った。
戦士としての素質アリと判断されたあいつは
物心着いた頃から訓練に次ぐ訓練の日々を送っていた。
だが、あいつにはそれしか生きる術がなかったのだ。
身寄りがなく、小さい頃から戦うことを叩き込まれたあいつにとって
強くなり、戦士として生き延びることだけが、
たった一つの生きていく選択肢であり、
それがあいつの望みでもあった。
そのせいか、あいつは訓練所では、いつもトップクラスの成績だった。
どの能力についても、俺も火渡も千歳も敵わなかった。
そして、ホムンクルスを憎む気持ちも、
罪のない人々を守る気持ちも、
決して誰にも負けなかった。
あいつは完璧な戦士のはずだった。
ただ1つの欠点を除いては・・・。
あいつは、休日になると戦団の施設に出かけ、子供達の面倒を良く見た。
ホムンクルスに親を殺された、自分と同じ境遇の子供が多数いる施設なので
その気持ちは良く分かる。
何度か俺も付き合ったが、あいつは毎週のように施設に顔を出していた。
子供をあやしたり、大きい子の悩みを聞いたり、
施設の子供達を、かいがいしく世話していた。
クリスマスには訓練所でカンパを募り、プレゼントまで贈っていた。
「俺は戦士よりも保父の方が合っているかもな」
そう言って、あいつはいつも笑っていた。
しかし、訓練所を卒業して3回目の作戦中、あいつは命を落とした。
親をホムンクルスに殺害され、負傷して捕らわれている子供の救出作戦。
ホムンクルスの制圧は成功。
子供も負傷はしているが、無事・・・のはずだった。
あいつが負傷した子供に駆け寄り、傷口に核鉄を置いた途端、
いきなり発動した槍型の武装錬金に切り裂かれあいつは即死。
発動させたのは、負傷した子供だと我々が思っていた『人間型ホムンクルス』だった。
あいつのチームはいっぱい食わされたのだ。
核鉄は一旦奪われたが、チームメンバーが奪回し、
その人間型ホムンクルスも撲滅。
作戦は成功したが、1名が死亡。
子供は親の殺害と同時に、すでにホムンクルスに食われていたそうだ。
あいつの唯一の弱点。
それは、ホムンクルスに親を殺害された子供・・・自分と同じ境遇の子供に対しては、
無条件に手を差し伸べるその優しさ。
そして、それは戦場では甘さに繋がる。
上層部は『本件は十分予測できたはず』として、
戦士長に責任を取らせてそのチームを解散。
当時のあいつのチームは今はもう存在しない。
そして、その時あいつのチームを率いていた戦士長は去年心不全で亡くなり、
同チームメンバーの一人は、一昨年に作戦遂行中に事故死している。
もう、あいつのことを覚えている人間は少ない。
それでもあいつは『本望だ』と思っているだろうか?
戦士として育ち、あっという間に散っていった命で
それでも『本望だ』と思っているのだろうか?
あいつは、戦団の施設にいる子供達の中にPTSDの子供が多いことを気にしていた。
戦団本部にもカウンセラーはいるが、
施設専属ではないので24時間のフォローは出来ない。
それを気にしていた。
目の前で親を殺された子供。
ホムンクルスに片腕を切断された子供。
みんな心に重大なキズを負っている。
決して癒されないキズ。
そして、その心のキズは24時間、
いつ、その子供達を襲うかわからない。
一晩中パニック状態で泣き叫ぶ子供。
うつ状態が続いて、自殺を試みる子供。
あいつは、いつもそんな子供達を気にしていた。
戦団本部に、施設内にカウンセラーを常駐させることを掛け合ったが、
有能なカウンセラー不足と、資金の不足でそこまで対応は出来ないと本部会で決定された。
そこで、あいつは戦団内に基金を立ち上げようとした。
基金の資金でカウンセラーを育て、戦団専属のカウンセラーを育て上げる計画。
あいつは、慣れないワープロで説明用の資料を作成し、
戦いの日々の中の、わずかな休息の時間を使って上層部に説明して回っていた。
結果、あいつの熱意により基金は設立。
基金の名前はもう忘れたが、あいつは本当に喜んでした。
その後、施設の子供と同じような境遇で育った者達がどんどん加入したおかけで、
あいつの死から2年後、初めて基金から進学する子供が出た。
それは、戦団の施設の子供。
笑顔のかわいい女の子だった。
その子のことは俺も知っている。
初めて会ったとき、もうすでに高校生ぐらいだったはずだ。
一度、あいつに施設の子供達を遊園地に連れて行く際の
引率者を頼まれたことがあった。
あいつと、千歳と、あと数人の同期も一緒だった。
その子は楽しそうに乗り物に乗って、よく笑っていた。
(明るい子だな・・・)
そう思っていたが、後からあいつがその子の過去を教えてくれた。
その子は半年前に親をホムンクルスに殺害され、
それ以来ほとんど笑わなくなったこと。
いつも塞ぎ込んで、将来を悲観してばかりいること・・・。
あいつは、それが辛くて辛くて、今回の遊園地行きを企画したらしい。
その子の笑顔を見て、あいつは泣きながら俺と千歳の手を握って、何度も礼を言っていた。
まるで、自分の家族のことのように喜び、何度も何度も俺たちに礼を言っていた。
こんなすばらしい感情が仇となって
あいつの命を奪うとは、
この時は誰も思ってもいなかった・・・。
あいつが死んだと聞かされた時、その子はその場に泣き崩れたという。
暫くは食事も取れなかったと聞いている。
しかし、その子の話は最近聞いていない。
基金の資金で進学したとは聞いているが、その後どうなっているのか、
全く分からない。
あいつを知っている人間がほとんどいなくなったように、
皆、忘れ去っているのかもしれない。
そして、もしその子がいつかカウンセラーとなりこの世に出てきたとしても、
一番喜ぶべき、あいつはいない・・・。
やはり、無念ではないのか。
立派になったその子と一緒に喜び合いたかったのではないか?
あいつはこれでも本当に『本望だ』と思っているだろうか?
俺には・・・そうは思えない。
気付くと千歳がこちらを見ている。
「なんだ?」
「・・・何を考えていたの?」
「いや・・・なにも・・・」
「そう・・・」
「・・・」
「・・・そろそろ打合せの時間よ」
「あ・・・ああ、そうだな・・・。そろそろ行くか」
千歳が幾つかのファイルを抱えて立ち上がる。
俺は写真を置いて、歩き出した。
ふいに千歳が話しかける。
「そういえば防人くん、先週亡くなった彼の葬儀・・・・行った?」
「ああ・・・行ってきた・・・」
雨の中での葬儀だった。
「彼、お子さんいたでしょう」
「ああ・・・そうだな。まだ9歳なのに、気丈にも泣くのを我慢していたよ・・・」
そのまだ9歳の幼い子は、泣くのを我慢しながら葬儀が済むまで、いつまでも棺のそばに座っていた。
父親の形見のメガネを握り締めて。
「彼、奥さんをガンで亡くしているから、その子も戦団の施設に入ることになったそうよ」
「・・・そうか・・」
また一つ、悲しみの中に一人の戦士の意志が、かき消されていく。
「それで、昨日、'臨床心理士育成支援基金'設立後、初めて生まれた臨床心理士が迎えに行ったわ」
「臨床心理士育成支援基金・・・設立後初めての・・臨床心理士・・・」
「忘れた?・・・あの人が設立した基金よ・・・そして初めての臨床心理士、
つまりカウンセラーは、あの子・・・」
「・・・」
「覚えてる?遊園地に連れて行った子のこと・・・」
「・・・」
「彼女、臨床心理士の資格を取ったその日に、あの人のお墓に報告に行ったらしいわ・・・。
そして、今月から施設にカウンセラーとして勤務してるそうよ」
「・・・」
「私たちのことを覚えていてくれてね、先日挨拶に来たの。
大学院も、臨床心理士資格試験も全てストレートで通ったそうよ。
施設の子供達の為に頑張るって張り切っていたわ」
「・・・」
「あの人の意志は、私達に見えないところでまだ走り続けていたのね・・・」
「・・・」
「何を悩んでいるか知らないけど」
「・・・」
「あなたには、立ち止まっている暇なんてあるのかしら?」
「・・・」
「そんな顔をしているあなたを見て、あの人は・・・・・・なんて思うのかしら?」
あいつは走り続けていた。
昔と同じように
見果てぬ夢を追いかけて走り続けていた。
子供達の中に宿り走り続けていた。
俺はもう一度あいつの写真を見た。
さっき見た時と変わらず、笑顔のまま力強くこちらを見つめている。
こんな所で足踏みしている俺をよそに
あいつは走り続けていた。
(おい防人、なにやっているんだお前は・・・)
きっと、そう思いながら、あいつは今までずっと全力で走っていた。
そして、これからもずっと
自分の夢を追いかけて
あいつは走り続ける・・・。
千歳がこちらを見据えている。
小声だが、自分に言い聞かせるように、
噛み締めるように、俺は口を開く。
「善でも」
あいつの意志はあの子の中に生きている。
「悪でも」
千歳の中にも。
「最後まで貫き通した信念に」
そして俺の中にも。
千歳が声をかぶせる。
「偽りなどは何一つ無い」
「偽りなどは何一つ無い」
「・・・ブラボーだ、戦士千歳」
俺が歩き出すと、下をむいて含み笑いをしながら千歳が俺の後に続く。
俺はもう悩むことはないだろう。
俺はこれからも全力で自分の信念を貫き通す。
亡くなっていった戦士達の意志は
決して消え去ることはない。
偽りのない真実の心は
誰かに引き継がれて生きていく。
今、俺たちに出来ることは
彼らを忘れることなく
その意志を引継ぎ生きていくこと。
そして俺の亡き後
この意志は必ず誰かに引き継がれるだろう。
そう信じて
全力で走り続ける。
あいつと一緒に
いつまでも走り続ける。
了