クリスマスも近いその日。突然の雨に私達は橋の下に避難を余儀なくされた。
「かなり雨、強くなってきたね。斗貴子さんの言ったとおり、早めに雨宿りして大正解!」
「天候の予測は戦士に必要な能力のひとつだ。キミも身に付けておくべき…
いや、もう戦士じゃ無かったな…それに正直、朝の時点では降り出すとは思わなかった。
だから傘も無し。私も戦士失格かな?」
それでもハンカチで拭える程度の被害で済んだ。まあ良しとしよう。
雨雲の所為か、あたりは薄暗い。日没にはまだ早い筈だが。
「ゴメン。待っててもらわなければ、雨に遭わせなくて済んだのに。
それと折角の土曜の午後を潰させて、それもゴメン」
「気にするな。待ちたいから待っていただけだ」
カズキが剣道部、というより早坂秋水との練習に付き合った為、遅くなってしまった。
それでも今日は早いほうなのだ。
もうすぐクリスマスだからって。…変わったな、秋水。
私達が銀成学園に戻ったとのほぼ同じ頃、秋水も『武者修行』から戻って来た。
それ以来、カズキは秋水を相手に剣道部で週に数日、稽古に汗を流すようになった。
もっとも傍から見れば、相変わらずとても剣道とは言い難い代物であったが。
部外者なのに、とも思うが、秋水のほうでも歓迎しているようだ。
あの男の相手になるのはカズキしかいない所為もあるだろうが、それだけではないだろう。
「しかし何故、キミは秋水の練習に付き合うんだ?もう鍛える必要は無いだろう?
剣道部員という訳でも無いし」
冷たい冬の雨。強まる雨脚の、その雨音に負けない様に声を大きくする。
どうせ橋の下には私達しかいない。
話題の主、早坂秋水とその双子の姉・桜花が敵であるL・X・Eに所属していた時、
お互いそれとは知らず、『強くなれるだけ強く』なる為に稽古をしていた。
やがて私達は早坂姉弟と対決することになったのだが――
もう随分、昔のような気がする。
あれから色々なことが起こり――そして今、もう戦いは終わり。戦士は廃業だ。
もっとも秋水は剣の世界で生きていくつもりのようだから、これからも修練は必要だろう。
が、カズキは違う。
「ん〜なんというか、鍛えるのが習慣になってしまったというか。そういう斗貴子さんだって
トレーニングやめてないでしょ?」
そりゃトレーニング中はキミを独占できるし。
それにやめると太りそうだからという理由もあるのだが、どちらも言える訳がない。
増加分が胸にくるならともかく。
…話題を変えよう。
「ところで帰り際、秋水と話し込んでいたようだが。どうかしたのか?」
「うん…実は剣道部に誘われてるんだ」
…そうか。
あの夜の対決の結果、早坂姉弟はカズキに絶対的な信頼を寄せるようになった。
いや再殺部隊からの逃避行時の桜花の献身的サポートを思うと、それは…
それは秋水も同じことだ。もし彼が知っていれば、共に戦ってくれただろう。
彼らもカズキの為なら、なんでもするだろう。…私と同じように。
あれはいつのことだったか。寄宿舎で、いつものメンバーが集まっていたときのことだ。
「桜花先輩って、カズキ先輩に気があるのかなぁ?」
「沙織?!斗貴子さんいるのに!そんな飢えた虎に生肉を見せびらかすような真似を!!」
…安心してくれ、いきなり襲い掛かりはしないから。少なくともキミ達には。
とはいえ、その場の空気は凍りつき、私も飲み掛けていた水を吹くところだった。
けれど彼女は気にせず続けた。
「え〜でも桜花先輩がカズキ先輩を見る眼って…斗貴子さんと同じだと思うんだけどな〜」
「それって獲物を狙う眼?」
…ちーちん、後でお話があるから。
「それなら秋水先輩だって、お兄ちゃんに向ける表情は同じだよ、斗貴子さんと」
「?まっぴー!それって、まさかウH」
「腐女子禁止!!」
近くにあったお菓子を口に押し込んで黙らせるとはナイスだ、ちーちん。
さっきの発言は不問としよう。
「ん〜そうじゃなくて信頼してる感じ?」
「ま、まぁ、剣道の稽古で相手になるのがカズキだけだからな。
…それと別に怒ってなどいないから、そこ、固まらない」
まひろちゃんの言葉にすかさずフォローをいれ、話を終わらせた。
それと情けないぞ、男共。
しかし普段はボケたこともいうが、見るべきところは見ている。お義姉さんも鼻が高い。
…でもね、まひろちゃん。それは信頼じゃない、私と同じなら。
あのとき。
夜の校庭で早坂姉弟と戦ったとき。
敗北した彼らを死から、いや絶望から救ったのはカズキだった。
そして死を与えようとしたのは、私。
「キミの戦士としての命を今ここで断つ!」
だからカズキと刃を交えることになった。…いや斬りかかったのは私だけ。
カズキは防ぐのみ。
あのとき。
キミが私の前に立ち塞がったとき。
「元より私はキミが闘いの世界に来るコトを望んではいなかった!」
…嘘だ…キミと一緒にいたかった。
キミは日常の世界の住人。でも私は闘いの世界でしか生きられない。
だからキミがこちら側に来てくれたことを、言葉とは裏腹に心のどこかで喜んでいた。
あのとき。
その腕章を引き裂いたとき。
キミと私は、やはり住む世界が違う。それを思い知らされた。
求めても得られぬなら壊してしまえ。心のどこかが命じた。
それが私の心の闇。――鬼。
闇の世界の化物を退治する私もまた、化物。
裏切られ鬼となった鉄輪の女は、しかし最後の瞬間にその男を殺せず、けれど人に戻る
ことも叶わず、闇に消えたという。
私もいずれ闘いの世界で敗れ、消える運命(さだめ)だったのだろう。人に戻れないまま。
――もしもキミに会わなければ。
でもキミは
早坂姉弟の閉じ篭る世界の扉を打ち破り、二人を新しい世界に導いたように
私には見つけられなかった日常へと続く扉を開いて、私を連れ戻した。
この愛しき日常へ。陽光煌めく、この世界へ。
だから。
キミの笑顔で暖かくなる。
キミを想うと胸が熱くなる。
キミの為なら、なんでもできる。
だから。
この気持ちは、あなたへの想いは、信頼じゃない。
雨音もいつのまにか小さくなってきた。もうすぐ止むだろう。
「…でもって、剣道部の監督さんや他の部員からも頼まれてるくらいだから、入部すれば
みんな大喜びだって秋水先輩は言ってくれるんだけど」
「なら入部したらどうだ?もちろんキミが嫌でなければ、だが」
「ん〜嫌じゃないけど、そうすると岡倉達や斗貴子さんと一緒にいられる時間が減るし」
「なにを甘ったれたことを!もうすぐ高校三年生だぞ」
「うん、だから。高校を卒業したら、みんなバラバラになっちゃうだろうし…
みんなといると楽しいから…って、やっぱり甘えてるのかな?」
ズルイな。キミが微笑むと言葉に詰まる。
だから、少しはぐらかして意地悪を。
「…まぁ友人や妹、家族を愛するのは当然のことだ。
別に甘えているとは思わない。…それに私はキミとずっと一緒の筈、だろう?」
「もちろんだよ、斗貴子さん!この胸の核鉄込みで、ずっと一緒さ!!」
真剣なカズキの表情と声に思わず吹き出してしまった。
「わかった、わかった…雨も小降りになったようだな。もうすぐ上がるだろう」
「ホントだ…もうこの時間じゃ無理かな?」
「何が?」
「虹!」
「虹?あの空に掛かる…?」
「うん。好きなんだ、虹。明日へ続く橋みたいで」
「まるで詩人だな」
「何を隠そう!オレは詩的表現の達人だ!
…そうだ、斗貴子さん!今日の午後の埋め合わせに、お茶してこうよ」
まったく、このコはいつも突然だ。それなら。
「それも詩的表現、というヤツか?まわりくどいな」
「…デート…しよ?」
「素直にそう言いなさい。…OKだ」
「どうやら止んだようだ…虹は無理のようだが、ほら夕陽がキレイだ…どうした?」
「斗貴子さん、キレイ。夕陽に映えて」
「どうして突然そういうことを言うんだ、キミは?!ほら、いいから行くぞ!!」
手を引いて夕陽へ向かって歩き出した。良かった、夕陽で誤魔化せる。
眩しいから、少し眼を細めた。夕陽も、笑顔も。
もしもあなたに会わなければ 心のドアは閉じたままだった
―終―