−初イベント−  
 
「まったくねぇ・・・」  
桜花はそう独り言をつぶやくと、たった今コーヒーショップのカウンターから受け取った、  
熱いコーヒーを一口すすってタメイキをついた。  
駅からこのコーヒーショップまでの、ほんの5分の道のりで、体が芯まで冷えてしまって  
いたので、そのコーヒーは桜花にとってことのほか美味しく感じられた。  
(津村さん、こんな大事な日に呼び出して。そんなヒマあるのかしら)  
コーヒーショップの窓から見える、銀成市の大通りは、いつもの5割増しでカップルが  
歩いている。  
1ケ月前からキラキラ街を彩っていたイルミネーションが、今日はさらに華やかに見えた。  
このイルミネーションは、ちょっと趣向を変えつつ来月の中旬までは続くことになる。  
(まぁ、私には関係ないけど)  
桜花は店の入り口から入ってくるであろう待ち人を目で探しながら、そうひとりごちた。  
 
今日は2月14日。  
菓子メーカーと広告代理店の策略にまんまと引っ掛かっていると言えばそれまでだが、  
逆にこの日にチョコを送れば、それはイコール告白の代わりになるのだから、  
日ごろウジウジしている乙女達の絶好の告白のチャンスと言えばチャンスだ。  
しかし、桜花は「自分には関係ないこと」だと思っていた。  
今までそんな世間一般のイベントに首を突っ込むことなんてなかったし、その必要も  
なかった。あくまで、秋水と永遠の命を手に入れることだけを目標に生きていたのだから。  
でも決して、まったく興味が無かった訳ではなかった。はしゃぐクラスメイトを横目で  
見つつ、少しは今の自分を寂しく感じる時もあった。  
そんな時は、LXEの活動を熱心に続けることで気持ちを無意識のうちに誤魔化していた。  
「まったくねぇ・・・」  
さっきと同じ独り言を吐きつつ、桜花は昨日の出来事を思い出して、ついクスクスと  
笑ってしまった。  
 
昨日の夕方。桜花は斗貴子と買い物に出ていた。  
カズキが六桝達と映画に出かけるというので、ヒマになった斗貴子に誘われたのだ。  
カズキ達は「一緒に行こう」と斗貴子も誘ったらしいが、丁寧に辞退して桜花と  
過ごすことにしたらしい。  
「たまには女同士で。な?」  
そう言いながらニッコリする斗貴子の顔を見ると、桜花は嬉しくなった。  
斗貴子の表情が少しずつほぐれて行くのは、日常に溶け込んできている証拠だったし、  
もてあました時間を過ごす相手に自分を選んでくれたことが、なんともくすぐったかった。  
暇な夕方の時間を気の置けない友人と街でブラブラする―――。桜花もこんな時間が  
過ごせる日がくるとは、夢のようだった。  
街に出ると、あたりは2月14日を目指して一気に盛り上がりを見せていた。  
それもそのはず、今日は2月13日。一年に一回のイベント前日だ。  
「人通りがすごいな」  
「ほんとね。まぁ、明日はバレンタインデーですからね」  
「あんなもの、何を夢中になっているのかねぇ?桜花は興味あるか?」  
「?」  
 桜花は嫌な予感がした。  
(まさか、この人ったら・・・・・・)  
「ん?どうした?桜花はこういうイベントに興味あるのか?」  
「まっ、まさか津村さん。明日はカズキ君に・・・チョコは・・・」  
「やるか、そんなもん」  
(やっ、やっぱり)  
桜花も別にバレンタインデーに興味は無い。斗貴子も今までそんなものに興味を引かれる  
暇さえなかっただろう。それは分かる。  
しかし、カズキはどうなのか?もしカズキも私達と同じ感覚であれば何も言うまい。  
しかし、カズキは1年前までは普通の高校生だったのだ。  
この手のイベントに興味が無いわけがない。  
「武藤君はいらないって言ってるの?」  
「いや、何も言っていない。興味があるのか無いのかもわからん」  
「もっ、もし、武藤君がくれるのを待っていたらどうするの?」  
「うーん、じゃあ今日のうちに『私はバレンタインには興味が無いからな』  
って言っておいたほうがいいかな?」  
(だっ、駄目だわ、この人……)  
桜花は予想通りの斗貴子の回答にこめかみを押さえてうなだれたが、そんな斗貴子が  
ちょっとおかしかった。  
 
(私は、この人のこういう所が好きなのよね)  
そう思いながらも、(でも、このままではいけない) と考えていた。  
斗貴子には幸せになってほしいし、カズキにも幸せになってほしい。  
桜花はそう願っていた。最近はカズキの件もかなりふっきれて、楽しそうにしている2人を  
見ているのが楽しくなっていた。  
幸せそうに笑っている斗貴子を見ていると、自分までが幸せな気分になる。  
そんな不思議な感覚が芽生えていた。  
桜花もこんなイベントはバカバカしいと思いつつも、明日斗貴子からカズキにチョコが  
渡されれば、きっとカズキは喜ぶだろうし、それは絶対斗貴子の笑顔に跳ね返ってくる  
と思った。  
そして、斗貴子をもっともっと日常に溶け込ませることで、少しでも過去の辛い記憶を  
今の幸せで打ち消して欲しかった。  
桜花は自分のバレンタインに関する興味の無さを棚に上げ、見えなくなるまで奥に奥に  
押しやってしまうことに決めた。  
(フー、仕方が無い・・・・・・)  
桜花は深呼吸を1つすると、銀成市の有名な洋菓子屋のチョコに群がる少女達を、  
のんきに眺めている斗貴子に向かって口を開いた。  
「津村さん、チョコ、買いにいきましょう」  
「ん?」  
「行くわよ、あの群れの中につっこみましょう」  
「へ?桜花ちょっと、わっ私はいい。桜花はあんなの買うつもりなのか?」  
「津村さん、明日は何の日かわかる?」  
「え?あっ、あしたはバレンタインデーだろ?私は興味はないぞ」  
「何をする日が分かる?」  
「え?あ、い、いや。こっ告白とかだろ?」  
「違うわ。それだけじゃないわよ。明日は、好きな人にチョコを送ることによって、  
愛を確かめ合う日よ」  
「え?あ、そっ、そうなのか」  
「そうよ、だからあなたは武藤君にチョコを送らなきゃ駄目なの!」  
「おっ、桜花」  
「なっ、なに?」  
「さっきから顔が真っ赤だが、恥ずかしいんなら無理してこんなこと言わなくていいんだぞ?」  
「ええい、うるさい!とにかく行くわよ!」  
「わっ、ちょっと桜花、ひっぱるな」  
「とにかく、明日は好きな人にチョコを送る日なの!ほら、突撃!」  
「わっわっわっ、ちょっと桜花!」  
 
桜花と斗貴子がチョコに群がる少女達の群れに突撃してから1時間後、駅前の公園に二人の  
姿があった。二人はベンチに腰掛け肩で息をして、少し呆然とした顔で空を見上げている。  
しばらくすると、どちらからともなく、お互いの顔を見合わせて笑い出す。  
それは、予想以上の混雑とチョコ争奪戦の凄さ、お互いがバレンタインのチョコを買うなど  
とキャラらしくないことをした事。それに、それを結構楽しんでしまった自分達に対しての  
笑いだった。  
ひとしきり笑ってから、二人ともフーフー言いながら笑い過ぎて出た涙を手でぬぐい、  
しばらくクスクスと笑い合っていた。  
「結局、私は1つしか買えなかったぞ」  
そう言って斗貴子が紙袋からハート型の大きいチョコを出して見せた。  
「ふふっ、大丈夫。私はいっぱい買えたわよ」  
そう言うと、桜花は紙袋から小さめの沢山のチョコを出して見せた。  
「わっ、すごいな桜花。お前、将来いいオバさんになれるぞ」  
「あー、ひどいわね」  
そんな何気ない冗談も今の二人には貴重で楽しいものだった。  
二人は、日常という彼女達にとっての非日常を、たっぷりと謳歌していた。  
 
冗談にひとしきり笑った後、桜花は紙袋からチョコを1つ取り出すと、紙袋の方を  
斗貴子の目の前に突き出した。  
「さ、これ持って行って」  
「え?だってこれ、お前が買ったんじゃないか」  
「残念ながら、私は秋水君の分しかいらないのよね」  
「え?じゃあこれは?」  
「あなたから六桝君たちと、まひろちゃん達にもあげて」  
「ああ・・・そうか・・・・・・」  
斗貴子は、「今気付きました」というような顔で口をあけている。  
「ちゃんと人数分買っておいたわ。剛太くんと華花ちゃん、戦士長の分もね。  
私とあなたからって言って、ちゃんと手渡ししてね」  
「ああ、わかった」  
「あなたから貰ったら、きっとみんな喜ぶわよぉ」  
斗貴子は、なんで桜花が顔を真っ赤にしてまであんなことを言ってチョコ争奪戦に参戦  
したのか、少し理由が分かった気がした。  
カズキが月にいってしまった時から、桜花は斗貴子のことをよく気に掛けてくれた。  
戦いの日々から日常に足を踏み入れた斗貴子のことを心配して、色々と相談に乗って  
くれたのも桜花だった。  
桜花はこのイベントを通じて、さらに自分を日常の世界に招きいれようとしている。  
そう感じていた。  
「なんか、こういうのは慣れていないから照れるけど。せっかく桜花と苦労して買ったん  
だからな、絶対渡すよ」  
斗貴子は紙袋を両手で受け取った。  
「みんなには、私と桜花で頑張って争奪戦から奪取したんだぞ!って報告しておくよ」  
そういうと、斗貴子は桜花に長年の友人に対して投げかけるような親愛の情を込めた  
笑顔を向け、1つウンと頷いて見せた。  
 
そして今日、朝起きると桜花の携帯電話に斗貴子からメールが入っていた。  
『昨日はおつかれさま。今日の17時、駅前のコーヒーショップに来てくれ』  
ぶっきらぼうなメール。斗貴子らしい。  
(多分、チョコを配ったことの結果報告ね)  
桜花は『OK』とだけメールしておいた。  
そして学校がはけた後、カップルの波を掻き分けながら指定のコーヒーショップまで来たが、  
周りのカップルがなんとも目の毒だった。  
しかも、いつもよりカップルの浮かれ度合いが増しているように感じた。  
「まったくねぇ・・・」  
桜花は、またさっきと同じ独り言をつぶやいていた。  
コーヒーがちょっと冷めて、半分以下にまで減っている。  
指定の時間は5分を過ぎていた。  
(もう津村さんは皆にチョコを渡しただろうか?朝一番で渡したかな?)  
桜花は、チョコを受け取って幸せそうに笑っているカズキと、ちょっとテレぎみで渡した  
チョコを見つめている斗貴子の幸せそうな顔を思い浮かべた。  
そのあと、六桝達とまひろ達にチョコを配って照れる斗貴子に、まひろが抱きついて  
喜んでいる姿が目に浮かんだ。  
「フフフ」  
見慣れたあの面々がいつもの調子で冗談を言い合って、笑い合い、楽しいひと時を  
過ごせたかな?と思うと、つい笑いがこぼれてしまう。  
(まぁ、私には縁が無いイベントだけど)  
そんなことをあれこれ考えていると、入り口に昨日一緒に争奪戦の戦火をくぐり抜けた  
戦友が見えた。  
 
キョロキョロと周りを見渡している斗貴子に手を振る。  
桜花に気付いて、近づく斗貴子は走ってきたのか、息を荒げていた。  
「お待たせ、すまんな」  
「いいえ。走ってきたの?」  
「ああ、掃除当番だということをすっかり忘れていた」  
斗貴子は桜花の隣にストンと腰を下ろした。  
「で、今日はどうしたの?チョコはみんな喜んでくれた?」  
「あ、いや。まだ渡してない」  
「え?なんで?もう夕方よ!」  
「ああ、これから寄宿舎で渡す」  
「なぁんだ、朝一番で渡したかと思っていたのに」  
斗貴子は荒い息のまま、いきなりカバンからキレイなリボンに包まれた箱を取り出すと、  
桜花の目の前に突き出した。  
「桜花、これ」  
「?」  
桜花は何のことか分からなかった。  
昨日2人で苦労して手に入れたチョコとはちがう包みだった。  
「なっ、なに?これ?」  
「やる」  
「え?」  
「だって、今日は好きな人にチョコを送る日なんだろ?だから、やる」  
桜花はしばらく言葉が出なかった。  
「まだカズキにも渡していないんだからな。桜花が一番だ。ふふふ」  
なかなか声が出ない。  
「あ、言っておくけど変な意味じゃないぞ。そっちの趣味はないからな」  
自分には縁のないイベントだったはずが、目の前に自分宛のチョコがある。  
そのキレイなリボンから桜花は目が離せられなかった。  
「ふふふ。昨日一旦帰ってから、お前に渡す分がなかったことを思い出してな、  
街に引き返して買ったんだ」  
桜花はまだリボンを見つめていた。  
「だから―――。ん? 桜花?」  
桜花はいつのまにか、鼻の周りをまっかにしていた。泣き出しそうなのを我慢している顔が  
いつもの桜花より幼く見せていた。  
斗貴子は桜花の頭をポンポンと叩くように撫でると、何も言わずに今日学校であった、  
たわいもない話をしばらく続けた。  
そして話が放課後の掃除当番にさしかかる頃、ようやく桜花は小さい声を出すことが出来た。  
「・・・ありがと」  
 
そう言うと、桜花は鼻をひとつすすって顔を上げ、斗貴子の背中をパシンと叩いた。  
「いたっ!なにすんだ桜花!」  
「ほらほら、こんなとこにいないで、早く寄宿舎に帰ってチョコを配っていらっしゃいな!」  
桜花はまだ鼻の周りを赤くしていたが、声は元気だった。  
斗貴子はフッと笑うと、カバンを持って立ち上がった。  
「桜花」  
「なに?」  
「ホワイトデーにもらった物は、二人でわけような」  
「ふふふ、そうですわね」  
「あとな」  
「ん?」  
「来年もまた2人でチョコを買いに行こうな」  
そう言うと、バイバイと手を振って斗貴子はコーヒーショップから出て行った。  
 
桜花はしばらく斗貴子からもらった箱を大事そうに眺めていたが、やがて身支度をして  
コーヒーショップから外に出た。  
外はもう暗く、天気予報の『今晩は雪が降る』という予報もめずらしく当たりそうだった。  
(それにしても、友達からチョコをもらっただけで泣きそうになるなんて)  
なんとなく寂しい気分の時に斗貴子の気づかいに不意を突かれてしまった。  
桜花は、ちょっと恥ずかしかったが、嬉しい気持ちのほうが勝っていた。  
今まで興味のなかった このイベントに初めて参加し、ちょっと暖かい気持ちになれた。  
それは事実だ。  
(寒い・・・)  
桜花はコートのポケットに手を入れた。  
すると、昨日 斗貴子と買ったチョコが1つ入っていることに気が付いた。  
そのチョコを手にとってまじまじと見つめる。  
(このチョコは秋水君にあげよう)  
菓子メーカーと広告代理店の策略にまんまと引っ掛かてやろう。  
それで、もし誰かがちょっとだけでも心が温かくなるのなら、いいではないか。  
桜花はそう考えるようになっていた。  
「よし!」  
気合を入れるようにそう言うと、桜花は自分の家までの帰路を  
いつもより少しだけ暖かい気持ちのまま歩いていった。  
そして、この年からずっと2月13日は斗貴子と桜花で毎年一緒に  
チョコを買いにいくのだが、それはまたの機会に。  
 
おわり  
 

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