2月14日早朝5時に目を覚ました秋水は自宅のマンションの庭で竹刀の素振りを始めた。
毎朝早朝2000回の素振りはLXE時代からの日課である。
そこへ同じマンションに住む5歳の女の子が駆け寄ってくる。
「ねぇねぇ早坂のお兄ちゃん。」
「1341!・・・ん?何だい?」
「あのね。お兄ちゃんカッコいいからこれ上げるね。」
女の子が差し出したのはチロルチョコだった。
きっとこの子の少ないお小遣いではこのくらいが限界だったのだろう。
「ありがとう。おいしそうだなぁ。」
秋水は普段とは違う子どもへ対する口調で女の子の頭を撫でながらニッコリ微笑んだ。
女の子は照れたように笑うとマンションの入口へ走っていった。
「バイバイお兄ちゃん。ホワイトデー期待してるね〜。」
最近の子どもはマセているなと思いながら秋水はあることに気がつく。
「あれ?何回までやったっけ?まあいいか。最初からやり直そう。1!2!3!4!・・・」
素振りを終えてマンションに戻ると自分の部屋に入ってさっきのチョコを机の上に置いた。
その後は制服に着替えて朝食を用意して桜花を起こす。
最近桜花は大学へ向けて勉強漬けなので中々自力では早起きできない。
「姉さん起きて。今日は高校の登校日だから起きないと遅刻するよ。」
「ん〜秋水君あと5分・・・」
「1,2,3、・・・(中略)・・・299、300。はい5分経過したから起きて。」
「ん〜あと10分・・・」
深夜まで勉強してよほど眠たいのだろう。
しかしさすがにこれ以上時間はロスできない。
秋水は桜花の耳元で叫んだ。
「姉さん起きろ!!」
耳元の大声にビックリして桜花は飛び起きる。
「ハァ・・・ハァ・・・ビックリさせないでよ。」
「さっさと目を覚まさない姉さんが悪い。」
眠たそうな表情の桜花はリビングに出てくるとすでに秋水が用意していた朝食を食べ始めた。
目は覚めたようだが、目は虚ろである。
食後に洗面台で顔を洗ったことで桜花はやっと完全に目を覚ましたようだった。
制服に着替えて学校へ行く支度を整える。
「今日必要なものは・・・これと、これと、あとこれと・・・あ!!忘れてた!!秋水君!!」
桜花が少し慌てたように部屋から飛び出してきたので秋水は思わず振り返る。
「何?どうしたの姉さん?」
桜花は綺麗にラッピングされた箱を手渡した。
「これはチョコレート?」
「そう。バレンタインだから。」
「ありがとう姉さん。今お腹一杯だから後でいただくよ。」
桜花のチョコレートもさっきと同じく部屋の机の上に置く。
「そろそろ行かないと遅刻するよ。」
「そうね秋水君。」
マンションから歩いて10分で銀成学園高校へ到着する。
道行く生徒達はチョコを渡そうと構えている女子、すでにチョコを渡されてホクホク笑顔の男子、そしてチョコが
未だもらえていない期待にあふれた男子、既に諦めている男子とそれぞれいつもとは違う表情をしている。
「今年は秋水君何個もらえるかしら?」
「去年は200個くらいか。おすそ分けにLEXに持ってったら太と細が全部食べて俺は1個も食べてないけど。」
校舎に入って秋水が下駄箱を開ける。
ドドドドドドドン
すでに何十人もの女の子が入れていたようで中から数十個のチョコレートが噴出してきて秋水の顔面に直撃した。
「フフフフ。大人気ね秋水君。」
「さっそくか。こんなに持てないな。」
「大丈夫よ。そこのダンボールに入れれば。」
桜花が指差した先、下駄箱のすぐ横には家電製品が入っているような特大ダンボールが置いてある。
中にはチョコレートが百個近く入っていた。
そして箱の側面には『下駄箱は満タンですので秋水様へのチョコレートはこちらへ』と書かれた紙が貼るってある。
「こ・・・・こんなにも・・・・。」
恐らくは常人には持ち上げることすら困難な重さのダンボールを抱えて3年生の教室まで階段を登る。
階段を登りきって「ふぅ・・・」と秋水が一息つくと同時に女の子が駆け寄ってきた。
「あ!!早坂君!!私のチョコレート受け取って!!」
「今年もチョコ作ったの。これで中学から5年連続よ!!」
「今年のチョコは去年よりもすごいのよ!!」
中には去年も渡してくれた女の子もいるのだろうが、それが誰か桜花以外は全く覚えていない。
それほどに秋水は毎年チョコレートを貰っていた。
「オラ!!何を廊下で騒いでるんだ!!燃やすぞ!!」
女の子に囲まれた秋水を見てものすごく不機嫌そうな英語教諭火渡が現れた。
「ったくチョコチョコ毎年飽きもせず騒ぎやがって!!没収するぞお前ら!!」
没収されてはかなわないので女の子たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「チッ・・・・」
舌打ちをして去っていく火渡。
「秋水君。彼は自分がチョコをもらえなくてひがんでいるだけだから気にしたらだめよ。」
桜花が秋水に耳元でつぶやくが、どうやら火渡の地獄耳にも届いていたようだ。
「うるせぇよ!!ひがんでねぇよ!!何だチョコぐらいでくだらねぇ!!」
とは言うもののどこをどうみてもひがんでいるようにしか見えない。
再びダンボールを担ぎ上げて教室に入る。
よいしょとダンボールを席の後に置くと同時に再び女の子が群がってきた。
次々へと思い思いの言葉を秋水に述べてダンボールにチョコを渡していく。
現段階ですでに去年の記録をはるかに凌ぐ量が集まっている。
「早坂すげぇな!!何百個あるんだよ?」
「うぉおおお!!早坂ずるいぞ!!コノヤロー!!」
「鉛筆型チョコがあったらくれ。信奉者仲間、10年来の付き合いだろ。」
「俺のチョコを受け取ってくれよ。愛してるぜ秋水。」
うらやましそうに見る者、嫉妬する者、チョコをたかる者、そしてハードゲイ。
女の子がひと段落すると今度は男も集まってくる。
非日常な光景に秋水自身も困惑してしまう。
「すごいな早坂。何個あるんだそれ?」
「何だそのチョコは!?ふざけた野郎だ!!燃やして溶かしてやろうか!?あぁ!?」
「ははは。先生も若い頃はそれくらいもらったもんだよ。ゴメン嘘だ。」
授業ごとに教室にやってくる教師もそれぞれ異なった反応を見せてくれる。
これは中学校くらいから毎年の光景である。
休み時間ごとにチョコが集まるのですでにチョコレート回収BOXは2箱目に突入した。
お昼休みにはカズキを除いた3馬鹿がやってきた。
「ギブミーチョコレート!!賊軍秋水!!貴様のチョコレートは俺がいただく!!」
「いちいち暴走するな岡倉。まだチョコがもらえないからって見苦しいぞ。」
「六舛君はもう17個ももらってるからそういえるんだって。」
カズキがいないのに少し不思議に思った秋水は岡倉に尋ねる。
「武藤はどうしたんだ?」
「カズキのクソボケなら斗貴子さんとラブラブストロベリーッス。チックショー!!カァアアズキィイイ!!」
「ちなみに剛太君もちーちんさんと2人でストロベリーにお弁当食べてます。」
「バレンタインなんて所詮製菓会社の陰謀なんだ!!バレンタインなんか大嫌いだチクショォオオ!!」
チョコに飢えた獣と化した岡倉は再び暴走を始めようとしていた。
ドガァ!!
「ふぐぉ!?」
その時、岡倉の背後から岡倉の後頭部に六舛の辞書攻撃が降り注ぐ。
「はいはいはい。昼の授業始まる前に帰るぞ大浜。」
辞書の一撃で失神した岡倉を引きずって六舛と大浜は教室へ戻っていった。
お昼休みの間にもチョコは集まり続けてすでに回収BOX2箱目も限界近い。
結局放課後までに2箱目も一杯になってしまい、3箱目を用意することになってしまった。
さすがに常人以上の身体能力があるとはいえ秋水1人でこんなに持てるはずもない。
桜花に手伝ってもらおうにも女性の身体能力では普通に家まで抱えるのは不可能だろう。
結局職員室で台車を2台借りて、桜花にも手伝ってもらって乗せて帰る。
校門の前には他校の生徒が多数待機していた。
剣道部の試合に出ているために秋水は他校の生徒にも大人気だった。
「きゃー!!秋水さんよ!!」
「誰よあの女!!秋水様にべったりして!!」
「馬鹿ね。あれは早坂君のお姉さんよ。」
その数ざっと120人ほど。
「はいはい押さないで押さないで。1人ずつ順番にね。」
このままではパニックになるので桜花が女の子たちを整列させている。
「ちょっと!!押さないでよ!!」
「私が先よ!!どきなさいよ!!」
「順番守りなさいよ!!みんな秋水様のために並んでいるのよ!!」
ほとんどアイドルのサイン会状態である。
それを校舎の屋上の、普段は斗貴子の特等席である貯水タンク上から眺める手負いの狼が1人。
「チックショー!!俺は未だゼロなのに秋水のヤロー!!カズキも剛太もストロベリーだし、六舛も女の子に囲
まれてチョコもらってるし、大浜もちゃっかり1個もらってるし、まひろちゃんは今年は本命にしか渡さない
って言っているし・・・。神はそんなに俺が嫌いか!!俺をもてあそんで楽しいか!!チクショー!!」
岡倉はそのまま日が沈むまで貯水タンクの上で叫び続けた。
ゴロゴロゴロと台車の音が地面に響く。
女の子があまりにも多くて、結局開放されたのは校舎を出て1時間半後の夕方5時過ぎだった。
結局回収BOX3個半まで使用してしまい、すでにゲットしたチョコは300個を超えていた。
「大量ね秋水君。これには女の子の気持ちが込めてあるんだから全部1人で食べるのよ。」
「ぜ・・・全部1人で?何か月かかるだろうか・・・。」
「太や細なら2日で平らげるんでしょうけどね。」
「あんな化け物と一緒にしないでくれよ・・・。っていうかホワイトデーどうしよう。」
自宅のマンションに着くと、マンションの入口の前にまひろが立っていた。
「あら?まひろちゃん?どうしたのこんな時間に?」
桜花は不思議に思ってまひろに尋ねる。
「あの・・・秋水先輩!!チョコレート受け取ってください!!」
「あ、ありがとう。でもなんで学校で渡さなかったの?」
「学校では他の女の子がたくさんいてゆっくり渡せそうになかったから・・・。」
まひろのチョコは自分でラッピングしてあるようだ。
「まあ、自分でラッピングしているってことは手作りかしら?やるわね、まひろちゃん。」
「あまり美味しくないかもしれませんけど是非食べてみてください。」
秋水がまひろのチョコの包みを開けると中からハート型の手作りチョコが現れた。
「I love you.」とホワイトチョコで文字が書いてあり、チョコレート全体に粉砂糖がまぶしてあるように見えた。
秋水が一口かじると同時に秋水の顔色は苦々しくなった。
「・・・・・・!!!!?お・・・美味しいよ・・・。ところでこれはいったいどうやって作ったの?」
「えーっと。桜花先輩に秋水先輩はビター系のチョコが好きって聞いたんで、去年話題になった99%チョコを
ベースにしたら苦すぎたんで、蜂蜜を入れたんですけど今度は甘すぎかと思って豆板醤で少し辛味をつけて、
やっぱり辛すぎると思ったんでバニラエッセンスとブルーベリージャムを混ぜて作りました。」
芸術的なほどの不味さをかもし出すまひろのチョコ。
さらにまひろの口で言ってはいないが、文字の部分はホワイトチョコではなく古くなって少し固まったマヨネーズ、
振りかけてあるのは粉砂糖ではなく食塩で、きっとまひろのことだから間違えて使ったのだろう。
「さあ、秋水君もまひろちゃんに答えてあげないと。ほらほらよく噛んで。」
桜花はチョコの味を知っていながら味わって食べるように秋水に言う。
「もぐもぐ。うぉがぁ!?もぐもぐ。ぐはぁ!?もぐもぐ。へぶるぁ!?」
悲鳴と奇声を発しながら少しずつチョコを食べていく秋水。
まひろの嫌がらせかと思ったが、まひろの目はいつも自分達を取り巻く女の子のそれと同じ恋する瞳だ。
秋水はまひろの気持ちにこたえようと必死になってチョコを完食した。
既に秋水の顔は真っ青で生気は失われ、目は死人の目をしている。
「どうですか秋水先輩?」
「おい・・・し・・・い?」
秋水はその場に倒れこんで白目を剥いて泡を吹きながら失神した。
「秋水先輩!?大丈夫ですか!?しっかりしてください!!」
「あらあら。チョコレートで秋水君を倒すなんてやるわね、まひろちゃん。さすが武藤君の妹ね。」
まひろは慌てているが桜花はいたってのん気である。
「きゅ・・・救急車!!桜花先輩救急車!!」
秋水はそのまま救急車で病院に搬送され、即刻入院となった。
秋水が目を覚ましたのは倒れてから3日後の事だった。