今日の放課後のことだった。私はカズキを探すうちに、校舎裏に来ていた。
角を曲がった私の眼に飛び込んだのは――
カズキと女子生徒、ではなくて…千歳さん?銀成学園の制服を着た千歳さんだ!
何故、そんな格好を?思わず身を隠した。何故って、知り合いと思われたくなかったから。
いやそれよりカズキ!千歳さんの手を引いて、そんなに急いで何処へ?
それに顔を真っ赤にして、辺りを見回している理由は?
やがて二人は反対側の校舎の影に隠れた。あっちは確か体育館倉庫だ。
私は追いかけることも無く、その場を立ち去った。理由?――自分にも判らない。
気が付くと誰もいない教室の自分の席に座っていた。
さっき見たあの光景に納得の出来る答を求めて、忙しく思考を廻らす。
この時間、体育館倉庫には誰もいないだろう。そして体育館倉庫には当然のように、
埃臭い体操用マットがある。
色々と運動をするには最適だ、うん。マット運動とか。
いや待て。なんであの二人がわざわざそんな所で運動しなけりゃいけない?
大体、マット運動ならマットを拡げなければならないのだから、体育館ですべきだ。
いやだから、そうじゃなくて。
つまり
「斗貴子さん、どうしたの?」
カズキだ。いつもと変わらない、カズキ。
「具合悪いの?ボーッとして。大丈夫?」
「あ、ああ。大丈夫だ。ちょっと考え事をな。それより、もう帰れるんだろう?」
「うん。オレも一緒に帰ろうと思って、斗貴子さんを探してたんだけど」
探してた?では、その前は?…なんて訊ける訳が無い。
帰りの道中も、寄宿舎での夕食時も、皆で過ごした夕食後の時間も、更に就寝前の
貴重なストロベリータイムも、カズキには何も変わったところはなかった。却って私のほうが
おかしくて怪しかったくらいだ。
そしてもちろん、おやすみのキスも。
そう、私達はまだキスまでの関係。カズキが「オレ達はまだ高校生だから」と言っている為だ。
私を大事に思ってくれているのであろう彼の気持ちはとても嬉しい。それにいくら年上とは
いえ、私のほうから誘う訳にもいかない。私にとっても未知の領域なんだから。
でもカズキは血気盛んな若者だ。眠れない夜もあるだろう。
そう、今の私のように。
自室のベッドに横になっても眼は冴えたまま。だからまた考える。考えてしまう。
そんな夜に、カズキはその燃えたぎる情念を私にぶつけようとはしないのだろうか。
私にあんなことを言ってしまった手前、今更言い出し難いのかも。
それとも私では不満な所があるのだろうか。例えば胸とか。
カズキの部屋のグラビア雑誌を見る限り、彼も大きいほうが良いのだろう。
千歳さんは私より胸が豊かだ。キレイなお姉さんで、しかもクールな感じが少しHっぽい。
…確かにカズキ好みかもしれない。
しかし千歳さんのほうはどうなのだ?年下が趣味なのか?それなら別にカズキでなくとも、
他に沢山いるだろう。
その胸のサイズなら――って、いい加減、胸から離れろ、私。
そういう問題ではないのだ。
あの八月の夜。月へ昇ったカズキを私は諦めてしまったのに。
パピヨンは諦めなかった。アイツは彼が生きて戻ってくることを疑わなかった。
私はアイツほどカズキを信じていなかったのか。
私のカズキへの想いはその程度だったのか。それが今でも心の奥に澱となって沈んでいる。
――いやだ!もう、あんな思いをするのはご免だ。
人間だろうが運命だろうが、カズキを奪われて良いのか?それで諦められるのか?!
もちろん、NOだ!!
ではどうする?しばらく考えて、そして――私は決心した。
シャワーを浴び、身体を清める。この寒い時期にシャワーだけでは厳しいが、時間が時間だ。
仕方あるまい。
洗い立てのパジャマに着替えると、カズキの部屋へ。施錠されていたが、この程度の物では
私を止められない。易々と扉を開け、中に入った。
カーテン越しに室内を照らす満月の光で、室内は充分に明るい。
カズキはベッドでスヤスヤと安心しきった顔で眠っていた。…私は今、どんな顔をしているの
だろう。
扉を閉めて、再び施錠。
しかし私が入ってきた気配に気付かないとは、戦士失格だな。
そんなことを考えつつ枕元に立った。
覚悟を決めてきた筈なのに。決心が鈍る。やはり…
「どうしたの、斗貴子さん?」
ここで大声を出さなかった私は戦士合格だろう。
「お、起きていたのか?」
「ううん。斗貴子さんが入ってきた気配で眼が覚めた」
…訂正。カズキも戦士合格だ。
「そ、そうか。さすがは元・錬金の戦士だ。先輩として私も鼻が高い」
「ありがと…で、どうしたの?」
上体を起こしながらながら、にっこりと微笑むカズキ。お陰で頭の中は真っ白。考えていた
手順もすべて吹っ飛んだ。
心臓が早鐘のように、という言葉を初めて実感した。耳の奥で血液の流れる音が響く。
口の中が渇いてくるのが判る。舌が痺れたようになって言葉が出せない。
それでも彼の隣に腰を降ろして、心を占める言葉をそのまま、やっとの思いで口にした。
「カ、カズキ。…抱いて欲しい」
「うん、判った。このままギュッが良い?それともお姫様ダッ」
…こういう状況で目潰しというのも、まあ何だ、少なくともムードはブチ壊しだな。
「え〜と。じゃあ、どういう意味?」
核鉄の治癒力は偉大だ。ついでにこの鈍さも直してくれると良いのに。
どう言えば判るのだろう、このコには。
「だから、そのつまり……私とまぐわえッ!!」
他に言いようはないのか、我ながら…
「?あの、十二時を過ぎると食べ物を与えちゃいけないっていう、あれ?」
「んのぉ、バカズキ!!今時そんなボケを言うのはこの口かァァァッ?!」
カズキの両の頬っぺたを摘んで引張った。本当にムードとか雰囲気とか。
その私の手にカズキがそっと触れた。思わず、彼の頬から手を放してしまう。
「それは…前にも言ったけど、オレ達まだ高校生なんだよ。だから――」
カズキの優しい笑顔。あのときの、月へ飛び立っていったときの笑顔。
それなら
「判っている!…判っているんだ、でも…」
今、私はどんな顔をしているんだろう?
「キミを他の誰にも渡したくない!誰にも奪われたくないんだ!!」
醜い顔?
「その為なら、何でもする!キミが望むことなら、キミを引き止めておけることなら何でも!!」
淫らな顔?
「だから!だから…」
惨めな顔?
キミには私がどう見える?
キミは私をどう見ている?
「斗貴子さん」
カズキが再び私を抱きしめた。さっきより少しだけ強く。
「斗貴子さん。オレが好きなのは…愛しているのは斗貴子さんだけだよ」
カズキの鼓動を感じる。
「オレはもう何処にも行かない。ずっと、斗貴子さんと一緒だ、この胸の核鉄と共に」
声が聞こえる。すすり泣く声だ。誰が?…私だ。私がカズキに縋り付いて泣く声。
私の頭を優しく撫でる優しい手。暖かい手。カズキの手。――離したくない。
どれくらい経ったのだろう。カズキが囁いた。
「落ち着いた?」
黙って、ただ頷く。
「どうしたの?何があったの?」
「今日の…今日の放課後、キミが…千歳さんの手を引いていくのを見たんだ…それで」
「えっ?…ああ、アレね!」
その言葉に思わず顔を見上げる。
「ほら、火渡がウチの学校の英語の先生になったでしょ?で、アイツのことだから何か無茶な
ことをしているんじゃないかって、千歳さん、調べに来てたんだって」
「それがなんでキミと――」
「いやだから。千歳さん、ウチの制服着てたでしょ?
それが何と言うかホラ、以前襲ってきた二人組のホムンクルスとは、別の意味で怪しくて。
で、そのことを遠まわしに話そうとしたんだけど、そのままじゃナニなので、とりあえず人目の
無い所へと思ってさ。
でもそういうことか。下校のときから、何か斗貴子さんの様子が変だと思ったら」
「言わんでくれ……しかし何だってあの人は銀成学園の制服を?」
「うん。変装だって。郷に入れば郷に従え、とか木を隠すなら森の中、とか言ってたけど。
ただ、これは任務の都合であって絶対に趣味じゃないから、って強調してた」
…それを信じているのか、キミは?
え〜と、つまり。
………
……
…
「すると何か。千歳さんの変装による潜入捜査の為に、私がこんな恥ずかしい思いを
することになったのか?」
「う〜ん。そうなる…かな?」
「アホかぁぁッ!!それなら普通のスーツ姿で出入りの教材業者とか、そういうものを装えば
良かろうが!」
「そうか、さすが、斗貴子さん!!今度、千歳さんに教えてあげなきゃ!」
「そういう問題じゃあないッッ!! 私がどれだけ恥ずかしくて、悲しくて、悩んだか――」
後の言葉は行き場を失った、キスのお陰で。
やがて、彼の胸に頭を預けながら。
「…キミは卑怯だ。すぐそういう方法で私を黙らせる」
「ゴメン。…悲しませたのも、悩ませたのも、ゴメン。それで恥ずかしいのは」
そう言って指差した、その先には
「オレだって、いつもこうなってるのを我慢してるから。これで勘弁…は無理かなぁ」
………カズキのパジャマの股間がなんか凄いことになってるぅぅぅ?!
いや私も戦団の戦闘訓練時の知識として、ソレについては知っていたつもりだが。
そのとき確か、日本人の平均的な…いや、明らかに越えているぞ、コレ。
なんというか、その…怖い。
「……って、駄目?」
でも、カズキなら。
「あ、うん。…じゃあ、おあいこで」
あさっての方向に顔を向けて答えた。きっと顔が赤くなっているに違いない。
「大体、ブラボーの彼女にそんなこと出来ないよ、オレ」
「千歳さんが?戦士長の?そうだったのか、知らなかった…」
どうもそういうことに私は疎いようだ。
「ところで…ね、斗貴子さん」
今度はカズキの様子がおかしい。
「このまま、朝まで一緒に…あ、絶対に何もしないから!ただ一緒にいたいだけなんだ。
信じて!…やっぱり駄目かな?」
クスッと笑みが洩れた。本当にこのコは。
「いいぞ。信じているから。…それにさっきも言ったろう?キミになら何をされてもOKだ」
「えっ?でも、それじゃ――」
それ以上は喋らせない。今度は私の番だ。
そして――その先は、秘密。
ところで、と。
今回の一件で、カズキとの仲が深まったことを考えれば、千歳さんに文句を言う気は無い。
ましてや戦士長の恋人であるならば、尚更だ。
元はといえば、火渡戦士長の信用の無さが原因なのだ。
で、だ。かの人物が我が銀成学園高等学校に教師として赴任することが決まったとき、
『手におえなくなった場合』に備えて、私は大戦士長のメールアドレスを教えて貰っている。
さて、この不快感。どうしてくれよう。
〜オワリ〜