旅館に戻って、明日になって本格的に調査を始めよう、と二人で話し合い、早々と寝ることにした。  
 すでに敷かれていた、なぜか一枚だけの布団に赤面しつつ、もう一つ敷いて潜り込む。  
 正直、寝れない夜になるんじゃないかと思っていたけれど、存外にすぐに瞼は重くなってくれた。  
 疲労のせいなのか。  
 斗貴子さんの寝息が優しかったからか。  
 それとも、そのシャンプーの香りがリラックスさせてくれたのか。  
   
 
 次の日。  
 朝起きてからまずは民宿の女将さんから聞き込みをすることにした。当然、聞く内容は昨日岬で亡くなられたハイヒールの人について。  
 朝ごはんを済ましてしばらく、女将さんの用事も一段落するくらいに斗貴子さんと一緒に聞きにいく。  
「あらまぁ、お客さん」  
「女将、少し聞きたいことがある」  
 挨拶もそこそこに、斗貴子さんがずいっと身を乗り出した。昨日までとは違う――いや、いつもそうだけれど今はもうスイッチが入ったように――凛とした顔つきで。それは錬金の戦士の貌。見習うように、俺も顔を引き締めた。  
「えー、と。昨夜のことでしょうか」  
「そうだ」  
「あのー、昨日も申しましたけど、他のお客様には」  
「別に新聞記者なんかではないから安心しなさい」  
 まぁ現場を見に行かれたのなら、と女将さんはもう一度言葉を濁して、口を開いてくれた。  
 重々しい口どりで。  
 重々しい表情で。  
 暗い目で。   
 
 曰く――古くより伝わる自殺の名所。  
 曰く――そこより落ちれば死体さえあがらぬという。  
 曰く――激しい波から、落ちれど地獄の穴に吸い込まれるように音さえせぬ。  
 曰く――故にその岬の名を『飲みこみ岬』という。  
 
 
 話が一段落して、女将さんは冷え冷えとした麦茶を一杯出してくれた。受け取ろうと手を伸ばしたときに初めて、じっとりと、手の平に汗がにじんでいるのに今更気付いた。クーラーの十分に利いた涼しい部屋だというのに。  
 その岬からは昔から自殺者が多かった。何やら鬼とか色々出てくる昔話さえ、この土地にはあるという。自殺者は珍しくなく、ただその数が桁違いに多いこと以外は。  
 自らの命を絶つ、という人の心はわからない。馬鹿なことをしている、だなんて一概には言えないかもしれない。  
 だって武藤カズキという人間は家族もいて、友達もいて――好きな人もいて、一日一日を大切に生きていけてると信じているからだ。けれど、人それぞれには事情がある、というのも忘れてはいない。明日に何が起きるかなんて絶対にわからない。  
 幸不幸。いま充実していたとしても、いつどんな不幸が来るか、誰にも予想なんて出来やしない。大地震起きるとか、隕石ふって来るとか――ホムンクルスが襲ってくるとか。  
 それでもこれだけは断言できる。自殺は、馬鹿じゃないと断言出来ないとしても、でも絶対に、ダメなことなんだと。  
 生きなきゃ。  
 自殺が利口だなんて、賢いだなんて、絶対に間違っている。  
 それだけは断言できる。  
 賢く死ぬくらいなら、馬鹿みたいに生きたほうが、何倍もいい。いや、比べること自体間違ってる。  
 生きて欲しい。  
 誰にも死なないで欲しい。  
 しかし自分に何が出来るというのか。  
 ぐるぐると渦巻くやりきれない感情を、まるで八つ当たりのように、貰った麦茶をゴクゴクと一気に飲み干した。  
 ゴクゴク。  
「ぷは」  
「ぷはっ」  
 タンと、二つ重なるコップの音。ふと見ると目が合った。斗貴子さんも、麦茶を一気にゴクゴクとやっちゃったようだ。  
 気持ちは一つ。こみあげる、共感。使命感。  
 二人して、勢いをつけて立ち上がる。  
「ありがとう、女将さん」  
 
「あの」  
 付け加えるように、女将さんが言った。  
 何か戸惑う風に視線を彷徨わせ、口元に手をあて迷い、やがて意を決したように、言った。  
「避妊はしっかりとしましたー?」  
 
 自分が真っ赤になるより先に、斗貴子さんの口を押さえて部屋を退避した。  
 手の平の下でもがもがと口を動かしながら、その口と舌の動きが、バルキリースカートっ、と叫んでいるに違いないと察したときには、自分ナイスと思わず内心思った。  
 あやうく女将さんがブチ撒けられる大惨事。や、あのクスクス笑いは、女将さん間違いなく確信犯。  
 腕をブンブン振り回すバルスカ使いを何とか外まで連れ出したときには、コブの一つや二つや三つや四つは、流石に覚悟していたけれどやっぱり痛い。  
 天高く太陽光ふりそそぐ夏の日差しに出ると怒りの熱も周囲に溶け込むのか、ようやく斗貴子さんのメンタルは安定してくれた。  
 けれどかわりといっては何だけど、次は俺が赤くなる番だった。  
 避妊、ていうことは、あの、その……あの、なんだろう。  
「今ここで照れるなら、私を止めるな」  
「う、うん……」  
「全く、君は何というか、私と似て不器用だな」  
 ふん、と言って陽炎立ち上るアスファルトをいく斗貴子さん。  
「行こう。出来れば今日中に真偽のほどをはっきりさせたい」  
「真偽、って」  
「敵なら、殺。もしただの自殺騒ぎなら、ふざけたあだ名の岬を粉みじんに砕くだけだ」  
 ニヤリ、と笑む斗貴子さん。なんていうか、生き生きしてるなぁ、と思う。  
 そして思い出す。たとえ自分の非力に嘆くことになろうとも、立ち止まることに意味はないんだと。  
 出来ることに、全力を。  
「歩くのも時間がかかる。自転車を取ってくるから待ってなさい――ああそれと、私が帰ってくるまでにその照れて真っ赤な顔を元に戻しておくこと。またこっちまで伝染しそうで叶わない」  
 そういって、駆け足で駐輪場のほうへと走っていった。  
 俺は言われて、ごしごしと頬をこするけど、それで治るのなら人間苦労しないと思う。  
 あと、斗貴子さんにはもうすでに伝染した後だ。  
「でも、暑さのせいにするんだろうなぁ」  
 素直じゃないのも――口には出せないけど――可愛いとか、思う。  
 
 そしてまた頬をこするはめに。  
 
 

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