「そ、そうなのか……カズキが…私しか知らないというのは…不幸なのか……私は…カズキだけで幸せなのに…
男は、そうじゃないのか……」
斗貴子は床にぺたんとへたりこんでその驚愕の事実を受け止める。
「だったら…だとしたら…」
斗貴子はエプロンの裾をぎゅっと握りながら、苦しげな顔で、何かを決意する。
ネクタイを結んであげるという朝の儀式のさなか、斗貴子はトンでもない言葉を口にした。
「浮気? って斗貴子さん! おれそんなこと一度も――」
新婚家庭に不似合いなそんな言葉を、新妻の斗貴子の口から聞いてびっくりしたカズキは、あわててそう言い訳をする。
そもそも浮気だなんて器用なことのできる男ではないのだ。
「ちがう」
斗貴子は意を決したように、カズキに向かって言った。
「…ざ、雑誌に、書いてあった。お、男が…つ、妻ひとりしか女を知らないのは、不幸だ、って…」
涙を堪えるような、そんな表情をしながら斗貴子はカズキに言う。
「だから、カズキも一度くらいウワキをしてみるといい。わ、私は、い、一度…だけなら…カズキがそうするのを、ガマンするから…」
「…こんなことを斗貴子さんに言われたんだけど、どうしたらいいか、俺分からなくて」
その日の昼食時、珍しくカズキは、勤務先の別の部署で働いている妹のまひろを誘い、相談を持ちかけた。
どこで聞きつけたのか、受付嬢の早坂桜花までくっ付いてきたのは、想定外だったが…
「お義姉ちゃんが…ねぇ…」
まひろもこの類のことには疎い。相談を持ちかける相手として適任かという以前に、実の妹にこんなことを
相談するカズキもカズキなのだが…
「武藤くんが津村さ…じゃない、斗貴子さん以外の女性を知らないってのは意外ねぇ、結構モテそうなのに」
からかうように、そう言いながら笑う桜花。その笑顔の下で何を考えているのやら…
「お兄ちゃんは、どうしたいの?」
「……」
「…まひろちゃんに聞かれて即、『おれは斗貴子さん一筋だっ、浮気なんかする気はないっ!』て答えないところを見ると、
武藤くん、奥さん公認の浮気をしてみるのも、満更じゃないって思ってるのね」
すかさずそう畳み掛ける桜花に、カズキは口元まで出掛かってた言葉を詰まらせてしまう。
しばらくの間、3人の間を沈黙が支配した。
「…相手が誰か、ってのも問題だよね。見ず知らずの人とそういうことになるなんて…お義姉ちゃん可哀想。
それに私もちょっとヤダなぁ」
そう言って、顎の下に人差し指を当て、なにやら唸って考え始めるまひろ。そんなまひろの様子を横目でちらっと
見やりながら、桜花も何事かを思案している。そして何かを決意したように、桜花が口を開こうとしたその時だった…
「…お兄ちゃん、私と浮気しよう! どこの誰かわからない相手だと後々、厄介なことになるかもしれないし…
私ならノープロブレムでしょ!」
…場の空気は、まひろのこの一言で凍り付いた。