◆緋色の風車◆
その燃えるような赤い髪はいつからのことだっただろう?
彼は炎そのもののようにすべてを焼き尽くす。
しかしそれは命を燃焼し続ける危険な行為。
それ彼が知ったのは極々最近のことだった。
「火渡様、電話です」
首から上、顔全体を強固なガスマスクで覆った少女。
錬金戦団の中でも特殊部隊である再殺部隊を彼は率いる。
その忠実なる部下の一人がこの少女。
「おう、誰からだ?」
「大戦士長様からです」
「…………暇人め…………」
携帯を受け取り、眉間に皺を寄せる彼を見つめる姿。
(火渡様、また怪我してる……)
煙草の紫煙が充満した室内、ますます彼女はガスマスクが手放せない。
その結果、直属の上司である火渡ですらもこの毒島華花の素顔を知らなかったのだ。
「おい、毒島」
「はい」
「お前、照星さんに何か言ったのか?」
錬金戦団もその活動を縮小し、現段階で自由に動けるものは少ない。
戦団に残るもの、去ったもの。そして、迷うもの。
少女は戦団に残ることを選択した。
「大戦士長さまは何か仰ってたんですか?」
「全裸で部下の前にたつな、だってよ」
「…………………………」
「お前だって俺の前じゃ絶対ぇガスマスクとらねぇもんな。防人んとこじゃとってんだろうけど。
ま、煙草(これ)があるから取れねぇよな」
いつだって伝えたい言葉はのどの奥で消えてしまう。
掠れるほどでも良いから、彼人に届けば良いのにと。
「あと、休みん時も普通に寮に居ろ。照星さんもハウスキーパーに部下を使うなってよ」
望んで傍に居たいから、戦団に残る選択をした。
ただ、この人の隣に居たいから。
「…………はい…………」
激情は時として己の首を締め上げる。
火は、すべてを灰に返してしまう。
灰の中から芽吹く新しい何か。
それを人は希望というらしい。
「どうした?毒島。誰かにいじめられたか?」
聞きなれた声に振り返る。
「戦士長さま」
「それとも火渡か?あいつは部下をいじめるのが趣味だからな!!ははは!!」
「あの、その…………」
「ん?どうした?」
「火渡様の昔のこと、聞かせてくれませんか?」
少しでも彼のことを理解したい。
そのための努力は厭わないと決めたのだから。
小さな小さな一言でも、彼女にとっては大きな一歩。
「茶でも飲みならがらでいいか?」
「はい」
一つずつ染み込んでくる彼の過去。
理解しあうことができなくとも、彼を理解したいと望むように。
淡い初恋はどこまでも幸福を生み出してくれる。
一方通行だからこその幸福論。
「甘いものとか、嫌いですかね……」
「どうだろうな。食わせれば犬のえさでも食うかも知れんぞ」
「がんばります」
少しずつ彼女が変わっていくように、彼もまた変わっていくのかもしれない。
身近な戦友にもたらされるかもしれない小さな光。
「それとな、毒島。ここでは戦士長でなくていいんだぞ。俺は寄宿舎の管理人の
キャプテンブラボーだからな」
「はい。キャプテンブラボー」
春の夜に靡く琥珀の髪。
満開となる桜はいよいよ美しくて栄華を極める。
学校の近くに見つけたお気に入りの洋菓子店。
閉店間際に駆け込んで。
呼吸を整えて直通の番号を震える指で押して。
聞こえてくる機械音に脈動があがっていく。
「おう」
「あ、あの!!火渡様!!」
「何だよ?何かあったのか?毒島」
「その……あの……っ!!桜がとっても綺麗なんです!!だから、一緒に……」
「あ?花見?あー……良いけどよ。お前熱でもあんのか?声がおかしいぞ」
漂うその香りを、少しでも分け合えたなら。
きっとそれこそが春の訪れ。
人は火を使うことで繁栄を極めてきた。
その反面また、それを恐れてもきた。
けれども凍える体を温めてくるのは優しい炎。
灯火も、炎がなければ生まれることはない。
「火渡様!!」
待ち合わせた駅口で、彼は思わず煙草を落とした。
小柄な少女であることは想像していたが予想よりも遥かに幼いその姿。
「お前、毒島か?」
「はい」
いつもよりも少しだけ優しそうに見えるのは春の幻なのかもしれない。
珍しく羽織ってきた春物のジャケットといつも通りのジーンズ。
これが夢であったとしても、それでかまわないのだから。
「桜、綺麗ですね」
「おう…………春、だからな」
すれ違う人々もまた、花見の帰りなのか。
恋人たちも多く、少女は小さなため息をついた。
白馬に乗った王子様を素敵だと思ったことはない。
「!!」
ばさり。肩に掛けられる男物の上着。
「寒ぃだろ。まだ四月だ」
暗闇に灯る煙草の火。ぼんやりと彼の横顔を映し出す。
「ありがとうございます……」
彼の匂いに包まれることがこんなにも幸せだなんて思っても見なかった。
どうやっても手の届くはずのない人だと思っていたから。
ただ、愛しいと思うだけで胸が温かくなる。
これがきっと『恋』というもの。
「あ、このあたり…………」
「ああ。見事な桜だな」
ベンチに二人並んで、見上げた桜。
風に少しだけ散るその花びらがこんなに綺麗だとは思わなかった。
いや、きっと。
街の灯も、星空も、彼がいるから綺麗と思えたのだろう。
「火渡様、甘いものとかお嫌いですか?」
「あ?あれば食う」
「犬の餌でもですか?」
「……防人のヤロウ……殺す!!」
「きゃあああああ!!だめですっ!!だめですっ!!」
たとえ口癖だとわかっていても。
「あ、あの!!これ食べましょう!!凄く美味しいんですっ!!」
差し出された箱の中に鎮座するミルフィーユに今度は彼が目を丸くした。
それを知らないわけでも、食したことがないわけでもない。
ただ、自分で買うことだけはまずありえないというのも確かだ。
「学校の近くのお店なんです。まひろちゃん……カズキさんの妹さんたちと一緒に
よくいくんです。だから、火渡様にも食べてもらいたくて……」
「確かに犬の餌よりは遥かに美味ぇな」
指先を舐めとって笑う唇。
こうして隣に並べば凶刃無比といわれる男も、二十七歳の青年に戻る。
「食べたんですか?」
「冗談だよ。食うわけねぇだろ?」
はらはらとこぼれ行くこの夜の夢。
金曜の夜はいつだって幸せをくれる。
土曜になれば彼に会えると、それを願って。
「綺麗ですね……火渡様は、ずっとこの光を守ってくれたんですね……」
「……………………」
少しだけ勇気を出して触れ合わせた肩口。
ただそれだけで十分だった。
これ以上を望めばきっと、自分でも歯止めが利かない。
「学校、楽しいか?」
「……はい……」
「そっか……ならいーんだ……」
煙草の匂いも、彼の一部。
嫌だと思ったことなどない。
「お前を何かほっとけないのがあったんだけども……もう、大丈夫だな」
「え…………」
「再殺部隊からはもう抜けろ。普通に生きていけ」
「……………………嫌です。私、火渡様の隣に居たいです……」
初恋は実らないから綺麗だと言う。
思い切り泣きたいようなこんな夜の力を借りて、声を振り絞る。
「私、火渡様のことがすきなんです」
涙交じりの告白は、桜月夜の美しさ。
この上ないロマンティック。
「バカヤロ……もう少しましな男捕まえろ……」
「私にとっては一番、火渡様がましです!!」
「確かに、再殺部隊(ウチ)はろくなのがいねぇ……照星さんもうっすらと変態だしな……」
「……………………」
「選択肢狭ぇな。ろくな女もいねぇ。千歳は防人んだしな」
涙を払う指先が温かくて、また泣きそうになる。
「常識的に考えて、ロリコンだな。俺……また防人に強請られるネタ増えんじゃねぇか」
十二時の鐘がなっても解けない魔法。
王子様は少しだけ凶暴で口が悪くて爆裂弾に乗ってやってきた。
「まずは泣き止め。顔がブサイクになるぞ」
「……ふぁぃ……」
「あとな、火渡様は止めろ。俺にも赤馬って名前があんだ」
「はい……」
「最初に言っとくけどな、俺ぁ浮気したやつは灰にするぞ。防人にも言われたくれぇ
嫉妬深いぞ。覚えておけ」
「はい」
桜咲く、この夜満開に。
幾千回の殺した言葉など一瞬で吹き飛ぶように。
「わかったか、華花」
「ひ…………火渡様ぁぁぁっっ!!」
ぎゅっと腕に抱きつく小さな恋人。
「オメーの頭は鳥か!!俺にも名前はあんだって言ってんだろ!!」
「赤馬様っっ!!」
「様付けかよ!!」
「はいっっ!!」
生まれたての恋人たちを祝福するのは春の桜。
無粋に切り裂く携帯電話の着信音。
流れるのはもちろんブレイズオブグローリー。
「照星さん?あ?ああああアアあぁぁああっ!!??」
「せ、赤馬様?」
「んな無茶だって!!ありえねぇって!!」
携帯をポケットに閉まって今度は彼が頭を抱えた。
「……俺、もしかすっとお前の学校に赴任かも……しかも防人つきかよ……」
「えええええええええっっっ!!??」
「教師と生徒……あのおっさんどこまで俺を不幸にしてぇんだ!!」
春の夜に炸裂する火炎爆発。
今宵満月、生まれたての恋人たちに祝福を。