*プレゼント*  
 
 
 空の低い場所を、色づき始めた雲が流れていく。  
 遠く連なる山の稜線にかかる靄も、西日を受けてうっすらと黄金色に光っている。  
 時折涼やかな風が吹き抜ける。  
 その風を受けて、女は微かに目を細める。  
 眼下に広がる町並みに、恐怖の残滓は見当たらない。  
 通りには人や車が行き交い、その喧騒が風にのって運ばれてくる。  
 あの騒乱と惨劇が嘘のように、銀成市は平穏な日常を取り戻していた。  
 屋上の給水タンクに一人腰を降ろす女の表情にも、かつての険しさはない。  
 顔を真横に横切る傷跡は、依然そのままだ。  
 その傷が、彼女のくぐりぬけてきた修羅場を物語っている。  
 だがその目は、この街を、そして世界を守った男と同じ優しい色をしていた。  
 彼女がこんなに穏やかな気分になったのは本当に久しぶりのことだ。  
 しかしその安らぎは同時に、どこか焦燥感にも似た甘い切なさを含んでいた。  
 女は腕時計を見て、大きく伸びをする。  
 何度も時計を気にしているのが自分でも可笑しくて、思わず苦笑が浮かぶ。  
 しばらくして、陽光が遮られた。  
 すぐに後ろを振り返る。  
 待ち人を期待して大きく微笑みかけた顔が、きつい表情に変わった。  
 どこからどう見ても変態としかいいようのないコスチュームの男が、空中にふわふわと浮かんでいた。  
「津村斗貴子、ずいぶんヒマそうだな」  
「……蝶野、攻爵」  
「その名前で呼んでいいのは武藤カズキだけ。って、何度言えばわかるんだ。いい加減覚えろ。俺は超天才にして全ての生命の頂点、パ、ピ、ヨ〜〜〜〜ン♪」  
 男は宙に浮かんだまま両手を伸ばし、わけのわからぬポーズを決める。  
 斗貴子はあからさまに不快な表情で、吐き捨てるように言った。  
「で、何の用だ?」  
「武藤はどうした?」  
「剣道場。早坂秋水につきあってる……」  
「ふぅぅん、それで一人ってわけか。さてはお前、フられたのか。蝶サイコーに愉快な話だ」  
「うるさい! たまたま先に一人で来ていただけだ。カズキは、えっと、……もうすぐ来る」  
 斗貴子の目がつり上がっていた。  
 跳ね上がるようにしてその場に立ち、罵声を投げ掛ける彼女に、パピヨンは小さく笑いを返した。  
 マスクをしてはいるが、その目があざけるように歪んでいるのは隠せない。  
「まあいい。今日はお前に用があって来た」  
「こっちにはない。カズキの手前生かしてやっているが、私はお前のことなど一切信用していないからな。死にたくなければすぐに消えろ」  
「その尊大さ、相変わらずだな」  
「お前が言うな」  
「オレは人間でもホムンクルスでもない至高の存在──。尊大さもまた必然、見ろこのかぐわしいスタイル、そして美しきかほり」  
 
「さっさと消えろ、目障りだ」  
「超蝶人にして超人気者のオレが、わざわざお前に忠告しに来てやったんだが」  
「忠告? 笑わせるな」  
「はっきりいってお前はキれやすすぎる。特に武藤が絡むとな。今も、フられたのかと言われただけで、そのザマだ。  
 ……お前、恋に自信がないんだろう」  
「な、何だと!」  
 今にも掴みかからんばかりの勢いで、斗貴子は全身を怒りに震わせている。  
 黒色火薬の羽で空中を漂うパピヨンは、ふわっと後ろに下がって言った。  
「武藤カズキはこのオレが唯一認めた男。ヤツを慕う女が多いのも当然のこと。お前が武藤を好きになるのは当たり前だ。  
 ……だが、お前自身はどうなんだ? ヤツにふさわしい存在か?  
 もちろん武藤もお前を憎からず思っているらしいことはオレも知っている。しかしそれは一種の幻想、一時の勘違いに過ぎない」  
「わ、私とカズキは一心同体だっ。カズキだって、そう思ってくれている……」  
「アイツならそう言うだろうな。  
 だが、お前のようにガサツで口汚く女らしさの微塵も感じられぬ態度をとり続け、しかもそれでよしとするような女に、いつまでその幻想が続くことやら……」  
「なななっっ、何をっ」  
 斗貴子にしては、これまでよく堪えたといえるかもしれない。  
 だが、次のパピヨンの言葉で、さすがにブチ切れた。  
「おまけにその貧相な身体で一心同体などと言われて、喜ぶ男がいると思うか?」  
「き、貴様っっ、ハラワタぶちまけろっ!!」  
 怒号とともに、斗貴子の足が給水塔を蹴っていた。  
 核鉄は戦団に回収されている。今の彼女に武装錬金は使えない。  
 しかし、せめて拳のひとつ、いや、可能な限りのラッシュをその見苦しいマスクの顔にたたき込む……。  
 ──頭でそう考えた訳ですらなく、ただ怒りに任せただけのジャンプだった。  
 それでも、訓練と実戦で鍛えられた脚力に加え、折からの風が軽い身体を思いの他遠くまで飛翔させる。  
 しかし相手はホムンクルスを超えた存在だ。  
 優雅な動きで空中高く舞い上るパピヨンに、彼女の攻撃は寸前で届かなかった。  
「ちっ」と、小さく舌打ちをして、給水タンクの後ろに着地する。  
 息を整える斗貴子をあざけるように、パピヨンが高らかに笑った。  
 
「どうやら、思い当たるフシはあるようだな」  
「ふざけるなっ!」  
「お前、武藤に抱かれたか?」  
「なななななっ、答えるか、そんなことっ」  
「キスはしてるとヤツの妹から聞いた」  
「くそっ、まひろのヤツ、余計なことをっ」  
「なんだ、今度は逆恨みか?」  
「黙れ馬鹿!」  
「一心同体というくらいだ。当然、つがったんだろうな?」  
「失せろ、変態っ!!!!」  
「その様子では、もしかしてまだなのか……」  
「うっ、うるさいっ! 死ねっ」  
「まさか、その貧相な身体を出し惜しみしているというわけではないよな?」  
「百回殺すっ! 脳漿ぶちまけろっ」  
「津村斗貴子、お前がどうであろうとオレにはどうでもいい。だが、それが一時の幻想だとしても、武藤はお前を好きらしい」  
「だっ、だからどうした?」  
「ヤツにせめて人並みの悦びを与えたい。……そうでなければ、オレの心が羽ばたけない」  
「……羽ばたくなっ」  
 憎々しげに睨みつける斗貴子に、パピヨンは不敵な笑みを浮かべる。  
 そしてマスクに手をやり、もう片方の手で自らの股間を掴み、空中でくいくいと腰を振った。  
「何故さっさとヤツに抱かれない? お前のような女でも、好きな時に好きなように抱けるというなら、それはそれで価値があるぞ?」  
「ふ、ふざけるなっ!! カズキはそんな、そんなっ、こと、望まないっ。……お前のような変態じゃないっ!!!」  
「そうかな? 男は多かれ少なからず変態するものだ。まあ、オレのように超完ぺきな変態は遂げられないとしても」  
「一緒にするなっ!! カズキは違うっ……」  
「甘いな。──というより自分の甘えを武藤に背負わせるのか。なかなか上手いやり口だ」  
「うるさいっ」  
「まったく笑える……。傷つくことを恐れず闘いを好み、ホムンクルスはもちろん人間を殺すことすらいとわぬお前が、何故セックスを拒む? ははんっ、そのみすぼらしい身体を恥じてのことか、……あるいはすぐに飽きられ捨てられるのを恐れてか」  
 ぐっ、と喉を詰まらせて斗貴子が黙った。  
 相変わらず憎しみを込めた目で睨みつけているが、その奥で瞳が揺れている。  
 そんな彼女を、パピヨンは真剣な表情で見つめ返す。  
「図星か? どうやらお前は、武藤を信頼しきれていないらしい……」  
「ち、違っ……」  
「だが、たとえ幻想だとしても、そんなお前を武藤は気に入っている。……というわけで、これ!」  
 パピヨンが妙に明るい声を出し、大きく腕を突きだした。  
 その手には、核鉄が握られている。  
 だがそれは、斗貴子が見た事のない薄紅色をしていた。  
「何っ?」  
「武装錬金!!」  
 パピヨンの掛け声と共に核鉄は姿を消し、かわりに夥しい数の蝶が現れた。  
 
 毒々しい紅色をした小さな蝶たちは、優雅に宙を漂うパピヨンのまわりを覆い尽くすように飛んでいる。  
 斗貴子の顔に緊張が走った。  
「何のつもりだっ!」  
「超天才にしてハイセンスなオレが生みだした新しい核鉄、そこから生まれた新たな武装錬金、それがこれ、ニアデスハピネス・バイ・エロス!  
 これまでの核鉄が生命エネルギーと闘争本能を源として武装錬金を成すのに対し、この核鉄は性エネルギーと欲望を具現化する……」  
 パピヨンが指を鳴らした。  
 その途端、紅色の蝶がいっせいに斗貴子めがけて羽ばたいた。  
 ほとんど同時に斗貴子が跳んだ。  
 姿勢は低い。ほぼ水平に真っすぐ前へ向かって跳んでいた。  
 迫り来る無数の蝶の下をかいくぐり、かすんだ薄紅色の向こう側で身体を丸め、衝撃を吸収して着地する。  
 蝶たちはすぐさま方向を変え、再び一斉に襲いかかる。  
 だが斗貴子は、着地とほぼ同時に再び跳躍していた。  
 今度は高く舞う。  
 斜め後ろに身体をひねり、給水タンクの影に隠れた。  
 一瞬遅れて、そこへ蝶が押し寄せる。  
 タンクにぶつかり、みちゃっと嫌な音をたてて蝶が弾けた。  
 極彩色の飛沫が四方に散らばり、しかしそれはすぐに跡形もなく消えていた。  
 パピヨンがゆっくりと降りてきた。  
 給水タンクを回り込み、仁王立ちで斗貴子の前に立つ。  
「核鉄なしでオレの武装錬金をここまで避けるとは、さすが錬金の戦士。……と言いたいところだが、どうやらすべては除け切れなかったようだな」  
 斗貴子はその場にうずくまっていた。  
 片手で腰のあたりを押さえている。  
「き、貴様っ!!」  
「残念だったな、すでに身体の内側に入り込んでいる」  
「何っ?!」  
 斗貴子は腰を押えながら、鋭い眼光でパピヨンを睨みつける。  
 蝶人は自らに陶酔し、高らかに言い放った。  
「ニアデスハピネスの名の通り、ハイパーな快感で『限りなく死に近い陶酔』を与える武装錬金。  
 ああ、なんというエスプリ、めくるめく絶頂、超サイコーのオルガスムス、死を望むまでのアクメ。  
 ……ちなみにさっきの紅色の蝶は催淫効果のある特殊なコロイド、もっとも物質的な存在ではなく超エレガントなエネルギー体だが。  
 脳に入り込んだが最後、どんな女でも激しく欲情し男を求めるようになる……」  
「冗談じゃないっ! そんなんなるかっ」  
「頭部はうまくかわされたが、……でもっ! 問題まるでナッシング、超〜大丈夫!  
 身体に入り込んだ蝶は小さな芋虫のように形状を変え、頭を目指して這い進む。名付けてメルトハニーキャタピラ!  
 ホムンクルス研究の余剰生産物だが、なかなか可愛い疑似生命体だよ。  
 ……ほら、動いてるのがわかるだろ?  
 脳に到達するまで10分、長くても20分はかからない。  
 たどり着いたその先は、──そう、ハ・ピ・ネ・ス♪」  
 いかれたポーズを決めて、パピヨンが自己陶酔に浸る。  
 左右の唇の端は大きくつり上がり、いらやしい笑いを形作っていた。  
 
 ぞくっと、嫌な感触が走った。  
 斗貴子はうずくまったまま腰に手を当て、微かに苦悶の表情を浮かべる。  
 だが、瞳の奥に滲む憎悪はさらに激しく、目の前に立つ異形の男を睨みつけた。  
「絶対に殺すっ!」  
「何を怒ることがある? このオレがわざわざお前を調教し、肉奴隷としての悦びを教えてやろうというのに」  
「させるかっ!!」  
「調教が済んだら、武藤の下に返してやるさ。最初は戸惑うかもしれんが、ヤツもすぐに満足するだろう。  
 お前にとっても悪い話じゃないぞ。素晴らしい快楽が手に入るのだ。  
 ……肉体的な快楽はもちろんのこと、愛する武藤に奉仕する悦びは無限大!  
 なんという至福、それこそが最も麗しく正当な永遠の愛……」  
「妄想乙っ」  
「妄想ではない。隷属こそ真実の関係」  
「あり得ないっ」  
 斗貴子は再び立上ろうとした。  
 だが、上半身を起こそうと床についた手の、肘から力が抜けた。  
 ぐらっと身体が崩れた。  
 驚きの表情を隠せない彼女を見下ろし、パピヨンが楽しげに言った。  
「エネルギードレインだよ。ビクターほど強力なものではないが、身体の内側からお前の生命エネルギーを吸収している。  
 ……オレは研究熱心なもんでね」  
 ぐっと喉をつまらせる斗貴子の手が、身体を押える場所を僅かに移動させていた。  
 腰の内側で、何かがゆっくりと這っている。  
 ぞわっと、全身に鳥肌が立つ。  
 特に痛みはないが、何かが動いているのがわかる。  
 押える手には何の感触もない。ただ、皮膚の下に何かがいる。  
 それは、次第に熱を帯びてくるようだった。  
 そして、確かに上へ向かって移動している。  
 いくらきつく手で押えても、その動きを止めることはできなかった。  
「き、貴様っ!」  
「知っての通り、錬金によって生成されたものは、錬金の力によってしか消すことはできない。核鉄すら持たぬ今のお前に、それを止める術はない」  
「くそぉぉぉっっ!」  
 大声で叫び、彼女はその場に立ち上っていた。  
 体重を感じさせぬ動きで一瞬のうちに距離を縮め、パピヨンに掴みかかる。  
 だが、その手は何も掴めぬまま、空気をかき乱しただけだ。  
 自在に宙を舞うパピヨンは、すでにその場にいなかった。  
 
「無駄無駄。……それに、そろそろ効果が現れている筈だ」  
 パピヨンに言われるまでもなく、斗貴子は身体の内側にだるい熱を感じている。  
 それは移動するメルトハニーキャタピラから、身体全体に向かって放射されているようだった。  
 相変わらず、手足に力が入らない。  
 倦怠感が全身を覆っていた。  
 さらに、身体の内側を這い上る熱が、徐々に強くなっていく。  
 ほとんど無意識に、再び手のひらで押える。  
 おぞましい感触はすでに脇腹にまで到達していたが、押さえた手のひらには何の変化も感じられなかった。  
 
 
 
 
 人気のなくなった校舎を、一人の男子生徒が屋上に向かっていた。  
 鼻歌まじりに二段飛ばしで階段を駆け上がるのは、武藤カズキだ。  
 屋上の出口にたどり着き、スチールの重いドアを開く。  
「斗貴子さん、お待たせー」  
 だが、見上げた給水タンクの上に、彼女の姿はなかった。  
 そのかわり、切迫した声で呼ばれた。  
「カズキっっ!」  
 声の主を探して給水タンクを回り込む。  
 突然目に飛び込んできたのは斗貴子の姿ではなく、「ばぁっ」と顔を突きだしたマスクの男だ。  
「蝶野、……来てたのか」  
「待ちくたびれたぞ。そこの女がすぐに来るというからタイミングを見計らっていたのに、ずいぶん遅かったな」  
 パピヨンの向こうに斗貴子がいた。  
 だが彼女は、身体を折り曲げる形で床に横たわっている。  
「斗貴子、さん? ……どうしたっ!」  
 慌てて駆け寄る。  
 一瞬カズキは、今にも泣きだすのではと思われるような彼女の顔を見た。  
 だが斗貴子はすぐに鋭い眼光を宿し、パピヨンを睨みつけて小さく叫んだ。  
「気をつけろ、カズキ。こいつにやられたっ」  
「何っ?」  
 斗貴子の身体を抱き起こしながら、カズキがパピヨンへ顔を向ける。  
 超蝶人は空中を舞っている。  
「責められるようなことは何もしていないぞ」  
「嘘だ、騙されるなっ」  
 斗貴子が小さく叫ぶ。  
 外傷は見当たらないが、両腕で支える彼女から、普段の活力が感じられない。  
「斗貴子さんに何をしたっ!」  
 その目に怒りを浮かべながら、カズキが問い正す。  
 だが、パピヨンは小さく笑って答える。  
「安心しろ。女を傷つけるようなことはしていない。……そう言っただろう」  
「それなら、どうして?」  
「詳しくはそいつに聞け。繰り返すが、傷つけるつもりはない。お前も、お前の女も、な」  
 斗貴子が叫んだ。  
「嘘つくな! こいつは、……新しい核鉄で」  
「新しい核鉄?」  
 カズキが二人の顔を見比べる。  
 だが、パピヨンは笑って答えず、苦しげな表情の斗貴子も何故か歯切れが悪い。  
 話しづらそうに、ようやく斗貴子が唇を動かす。  
「コイツは新たな核鉄を完成させ、身体に直接作用する武装錬金を作り出した。悔しいが、それでやられた。私を拉致って、……その、奴隷にでもするつもり、らしい」  
 そういうと彼女は再び小さく呻き、カズキの腕の中で身じろぎする。  
「ど、奴隷? ……蝶野、お前っ」  
 カズキがパピヨンを睨みつける。  
 
 蝶人は相変わらずいやらしい笑みで答えた。  
「津村斗貴子の身体には、メルトハニーキャタピラが入り込んでいる。──どんな女でも強制的に発情させる疑似生命体だ」  
「は、発情!? ……斗貴子さんが? それって……」  
 斗貴子を見つめるカズキの目は、澄んでキラキラと輝いていた。  
 いつもの真っすぐな男の目だ。  
 だが斗貴子は、どこか期待の入り交じった好奇の色を感じ取った。  
 次の瞬間、カズキの頬が小気味のいい音をたてた。  
 強烈な平手打ちだった。  
「や、ヤらしい目で見るなっ」  
「ご、ごめん、心配だよ、斗貴子さん」  
 カズキは目をうるうるさせながら、謝る。  
 だが彼女は、目を三角にしてカズキを睨んだままだ。  
 赤く手のひらの形が浮かび上がった頬にだらだらと涙を流しながら、カズキがパピヨンに言った。  
「そんなこと、このオレが、……もし本当なら楽しみではあるが、痛っー!」  
 再び、ぱしんと頬が鳴っていた。  
 もう片方の頬にも強烈なビンタの跡が浮かび上がる。  
 斗貴子が小さく吐き捨てるように言った。  
「まさかお前ら、グルじゃないだろうなっ?」  
「んなわけないだろ! 冗談だってば、斗貴子さん。……蝶野っ! そんなことオレが許さないっ!」  
 大真面目にそう言ってカズキはパピヨンを睨みつける。  
 だが、どこか真剣味の足りない声に、斗貴子の怒りは収まる気配を見せない。  
「もういいっ、放せ、馬鹿っ」  
「ホントだよ、オレがなんとかするから……」  
 ふりまわされる拳固を何とか除けながら、それでもカズキは彼女を支える腕を離そうとはしなかった。  
 二人が争っている僅かな隙に、パピヨンは空中をゆっくりと後方へ下がっていく。  
 気づいた時には、すでに数10メートル離れた位置を、ふわふわと漂っていた。  
「……蝶野っ、待てっ!」  
 だが、カズキは追うことができない。  
 腕の中では、まだ斗貴子が暴れている。  
 パピヨンはニヤニヤしながら、二人に告げた。  
「今日のところはこの辺にしておこう。ちなみに、メルトハニーキャタピラは30分もすればその役割を終え、勝手に消滅する。しかし、影響は最低でも数時間は続くぞ。楽しみだな、武藤」  
 
「楽しみ、……なんかじゃないっ。斗貴子さんを苦しめるなら、この俺が相手になる。戻ってこい」  
「核鉄のない身で、オレと闘うつもりか?  
 ……そうだな。武藤カズキ、確かにお前は普通の人間とは違う。  
 白い核鉄で元に戻ったとはいえ、もともと錬金の力で死から蘇った男だ。心臓の替わりに核鉄を埋め込んだことで、全身の血と肉に錬金の力が染み込んでいる。  
 だが、オレとの決着はついた筈だ。闘う必要はない。  
 それに、お前ならメルトハニーキャタピラに触れ、破壊することができるだろう。  
 ……後は時間との勝負だな」  
「破壊? どうすればできる?」  
「そこまで教えてしまったら楽しみが減る。……じゃあな、武藤、また会おう」  
「ま、待てっ」  
 カズキの制止に薄ら笑いを返し、パピヨンは天高く舞い上がった。  
 その姿はすぐに遠ざかり、やがて消えてしまった。  
「ちくしょうっ」  
 腕の中で、斗貴子が小さく毒づいた。  
 その華奢な身体は、熱を帯びているようだった。  
 
 
 
 
 斗貴子はカズキに支えられて上半身を起こし、片手で後ろに手をついて横座りになった。  
 ようやく真剣に心配した表情で、カズキが顔をのぞきこむ。  
「大丈夫?」  
「大丈夫じゃないっ」  
 怒った顔でそういって、彼女はセーラー服の上着の裾をまくり、左の脇腹を右手で押えた。  
 白い腹部があらわになり、カズキは目を細める。  
「前にも、ホムンクルスの幼生に寄生されたことがあったね」  
「ああ。……だが、今度は目にも見えないし、こうして触ってみても、皮膚の外からはわからない。  
 ただ、身体の中を何かが移動している感触だけがはっきりある。もぞもぞしていて、正直気持ち悪い……。  
 ってキミ、ヘソばっかり見るなっ!」  
 
 斗貴子は慌てて左手でヘソをカバーし、セーラー服を下ろした。  
 目のまわりが薄く染まっている。  
「仕方ないよ。斗貴子さんのおへそ、可愛いから」  
「うるさいっ。時間がないんだぞ。冗談言ってる場合か」  
「冗談じゃない、ホントのことだ。……でも安心してくれ。斗貴子さんはオレが必ず守る。  
 ヤツが埋め込んだ虫の効果が出る前に、必ず破壊方法を見つけ出す!」  
「だが、ホムンクルスの時みたいな余裕はないぞ。後10分もしないうちに脳に達する」  
「ええっ?」  
 カズキはマジマジと斗貴子の顔を見る。  
 彼女は眉間にしわを寄せ、真剣な表情で彼を見つめた。  
「キミが来る前に聞いた話だが、こいつはエネルギードレインで私の生命エネルギーを吸収し発動しているらしい。  
 私が生きている限り、活動をやめないだろう。  
 だから脳に到達する前に、私を殺せ!」  
「そんなことできるわけないだろ? 簡単に自分の命を捨てるなんて言うなよ。  
 ……それに、今回は別に斗貴子さんが化け物に変わってしまうわけではないんだ。  
 危険はそれほど大きくない。ただ発情してHにな……ぐぇっ」  
 全てを言い終わる前に、カズキは大きくのけぞった。  
 顎の下に、斗貴子の掌底がヒットしていた。  
「いちいち言わなくていいっ。……そんな無様な姿を晒すくらいなら、死んだ方がマシだ」  
「ぶぁ、ぶぁかった。そべべもボレは、斗貴子さんに生ぎていて欲しい。だがら、ボレが治すっ!」  
 打撃で舌を噛んだらしいカズキは、それでも毅然と言い放った。  
 そして、じっと斗貴子の目をみつめる。  
 その顔は真剣そのものだ。  
 まっすぐ見つめる視線の奥で、瞳が揺れていた。  
 見返す斗貴子の目も、複雑な色に塗れている。  
「わ、わかった。頼む」  
「じゃあ斗貴子さん、ごめん、あの……」  
「ど、どうする気だ?」  
「まずは敵の正体を知らないと。蝶野が、俺なら触れられるし破壊もできると言っていた。だから……」  
「……そ、そう、だな。わかった」  
「辛いかもしれないけど……、その、変なことはしないから」  
「わ、わかってる」  
 そういって斗貴子は、再びセーラー服の裾をまくりあげた。  
 
 カズキが手を伸ばし、彼女の脇腹に触れる。  
 一瞬、びくっと斗貴子の身体が震えた。  
「……どの辺?」  
「も、もう少し上だ」  
 カズキが指先を滑らせる。  
 すっと肩を竦めて小さく身じろぎしたが、斗貴子は何もいわない。  
 彼女の肌は、想像以上に滑らかで、しっとりとしていた。  
 それに、クールな外見に似付かわしくない柔らかさで、しかも強い熱を帯びている。  
 その熱を確かめるように、カズキはゆっくりと指を運ぶ。  
「蝶野の言う通りなら、オレにはわかる筈なんだ」  
「その辺だ……」  
 小さく掠れた声で、彼女がそう告げた。  
 カズキは自分の指先に、ちりちりと痺れるような感覚を感じた。  
 その感覚に導かれるように指を進めると、はっきりとした違和感が感じ取れた。  
 間違いなくそれは、皮膚の下を移動している。  
 指先で、その感触を確かめる。  
 だがすぐに、カズキの指から逃れるように、するっと移動していく。  
 少し強く押えた。  
 くっ、と、小さく斗貴子が喉を鳴らす。  
「ごめん。痛かった?」  
「痛くはない、大丈夫だ。その……、いや、何でもない。……どうやら見つけたようだな」  
「うん、触ることはできる。後はどうやって破壊するか」  
 “それ”はすぐに指先から逃れ、脇腹を上に上っていく。  
 その動きを追って、セーラー服の奥へ手を進める。  
 逃げる疑似生命体の感触を追ううちに、指先がぴったりとした布地に届いた。  
 斗貴子が小さく身じろぎする。  
 溜め息と共に彼女が低くつぶやく。  
「……じろじろ見るなよ?」  
 そう言うと斗貴子は身体をひねり、斜め後ろを向いてリボンを外し、セーラー服の上を完全に脱ぎ捨てる。  
 ふわっと、甘い匂いがした。  
 小さな胸の膨らみは、飾り気のないグレーのスポーツブラに包まれている。  
 華奢に見える肩や細い腕は、シャープなくせに女らしい曲線を描いていた。  
 白い肌が、ほんのりと桜色に染まっている。  
 内心の動揺を表に出さないよう真剣な表情で、カズキは彼女の胸の脇へ手を伸ばした。  
 
 ブラの脇を押さえた。  
 生地が邪魔して感触がよくわからない。  
 ただ、指先がちりちりする感じだけは、相変わらず続いている。  
 強く押えると、“それ”が再び逃げる。  
 上へと進む侵攻を食い止められない。  
 すぐにブラの生地を通過し、わきの下へ潜り込もうとする。  
 それを追って、カズキも指先を進める。  
「きゃっ、馬鹿っ」  
 甲高い悲鳴を上げて、斗貴子が肩を震わせた。  
「ご、ごめんっ」  
「は、早くしてくれ。くすぐったい。……それに、恥ずかしすぎて死にそうだ」  
「わかった。頑張るっ」  
 だが、カズキが指を動かすと、また斗貴子が悲鳴を上げ、身体をくねらす。  
 そのせいで指が離れ、メルトハニーキャタピラの位置もつかめなくなってしまった。  
 上気した顔に恨めしそうな表情を浮かべ、斗貴子が小さくつぶやく。  
「こ、こんなんじゃ無理だ……」  
「なんとか脳への到達を防げれば……そうか!」  
 何を思いついたのか、カズキは大きく開いた左の手のひらで、斗貴子の首を掴んだ。  
 そのまま右手を彼女のわきの下へ差し込む。  
 指先でちりちりとした感触を探る。  
 するっと、逃げるものがあった。  
「ひゃぁっ、やっ」  
 普段絶対に出さないような甲高い声を上げながら、斗貴子の身体がくねる。  
 だが、カズキはおかまいなしに指先を動かす。  
「もう少しだから我慢して」  
 指先から逃れようとするものの速度が上がった。  
 わきの下から鎖骨へと回り込む。  
 だが、その先にはカズキの左手が首筋を押えていた。  
 カズキは両手で“それ”を挟むように、間隔を狭めていく。  
 そして、右手の指先が左手と重なった。  
「よしっ」  
 カズキが小さく叫んだ。  
 一瞬、指先の痺れが強くなった。  
 だがすぐにそれは消え、確かに指先で捉えたと思った感触も見つからない。  
 首を掴んだ左手はそのままに、右手の指先で鎖骨の上のあたりを探る。  
 斗貴子が再び身体を震わせ、小さく鼻を鳴らした。  
 念のため、首の後ろにも手を這わし、気配を探る。  
 しかし、やはり疑似生命体の気配は見つからなかった。  
 
「くそ、逃がした……」  
「……蝶野は30分で消滅すると言っていた。それが本当なら、脳に到達させなければそれでいい」  
「わかった。でも、また上ってくる筈だ。今度は絶対に逃がさない」  
 カズキは斗貴子の目をじっとのぞきこみ、力強く頷いた。  
 斗貴子もうなずき返す。  
 彼女の息が上がっていた。  
 赤い顔で、はぁはぁと荒い息をしている。  
 かすかに潤んだようにも見えるその目は、まるでキスをせがんでいるようにも見える。  
 だがすぐにまた戦士の顔になって彼女が言った。  
「……疑似生命体と言っても、ホムンクルスとは大分違うな。どうやら大した知能はないらしい。遠隔操作なのだとしたら近くにパピヨンがいる筈だがその気配もないし、恐らく単純なプログラム通りに動いているんだろう」  
「オレは錬金の技術に詳しくないからよくわからないけど、斗貴子さんの言う通り、何か考えているようには思えない。もっと本能に近い動きで、動いているみたいだ。本当の虫みたいに……」  
「……だが、それなら必ずまた、脳を目指す筈だ」  
「うん。その時が最後だ」  
 斗貴子は小さく微笑みを浮かべ頷く。  
 だが、一瞬その表情に不安が混じった。  
 何かを探るように、瞳が大きく動く。  
 そして突然、ぶるっと身体が震えた。  
「あ……」  
 小さく開いた口が完全には閉じずに、再び目をきょろきょろと動かす。  
 首筋を押えたままのカズキの左手の上に自分の手を重ね、そのまま強く身体をひねる。  
「斗貴子さんっ、どうした?」  
「あ、あの、いや……」  
「必ず俺が何とかするからっ」  
「え、嘘っ、そ、そのっ、……あああっ、ヤツが、胸にっ!」  
 小さく呻いた彼女の息は、さらに熱を増していた。  
 
 一瞬すがるような目になった斗貴子は、しかしすぐにぷいっと顔を反対側に向けてしまう。  
 耳が真っ赤だ。  
 肩から首にかけてのラインもほんのりと桜色に染まっている。  
 カズキはそんな彼女の背中にまわり、力いっぱいその小さな肩を抱きしめた。  
 びくっと、彼女の身体が震えたが、すぐにそれは止まった。  
「斗貴子さん……」  
 耳元で囁くと、再び彼女の身体が震える。  
 そして、ゆっくりとその背中をカズキに預けてきた。  
「ど、どうしよう……」  
 彼女は自分自身を守るように、身体の前で両腕を交差し、その小さな胸を抱え込んでいた。  
「……オレは斗貴子さんが好きだ。だから、その、いつか一つになりたいと思っている」  
「言っただろう。わ、私とカズキはいつだって一心同体だ」  
「うん。……だから、身体もひとつになりたい」  
 く、っと、小さく彼女が息を飲む。  
 それから、虫が鳴くくらいの小さな声で言った。  
「わ、私だって、いつかそうなりたいと、思ってる……」  
「よかった。オレだけじゃなくて、ホントによかった」  
「あ、当たり前だ。くだらないことを言わせるな。顔から火が出そうだ」  
「うん、ごめん。……でも、そうなるのは今じゃない。パピヨンの力のせいでそうなるなんて、オレは望んでいない」  
「……私だってごめんだ。絶対に嫌だ」  
「だけど、ヤツの武装錬金は何とかして解除しなけりゃならない」  
「わ、わかってる……」  
「できるだけ、すぐに終わらせる」  
「……うん」  
「だから、ちょっとだけ、我慢してくれ」  
「だ……大丈夫だ、私のことは気にせず、好きにしろ」  
 そう言って斗貴子は、静かに目を閉じた。  
 カズキの手が、彼女の腕をつかんだ。  
 一瞬、僅かに抵抗したが、すぐに力が抜け、彼女の腕が左右に開かれた。  
 くふっ、と、斗貴子の鼻が鳴った。  
 
 スポーツブラの上から、カズキの手のひらがそっと右胸を包み込む。  
「こっち、だよね?」  
「う、……うん」  
 彼女の声はか細く、そして甘く掠れていた。  
 カズキは指先で、気配を探る。  
 微かにちりちりと痺れるような感触がある。  
 だが、ブラの生地に邪魔され、位置まではわからない。  
 小さな胸の膨らみにそって、静かに指を移動させる。  
 くふん、と、再び小さな鼻息が漏れる。  
 少し強く押してみる。  
 ブラ越しだったが、何ともいえない柔らかさが伝わってくる。  
「ん……」  
 斗貴子が小さく喘いだ。  
 だが、淫らな虫の位置は掴めなかった。  
 他に逃げないように、胸の膨らみ全体を手のひらで覆う。  
「ここにいるのは確かなんだけど」  
「わ、私も、……その、いるのは、わかる。ぞわぞわして、おかしくなりそうだ」  
「ごめん、でも、正確な場所がわからない」  
「そ、そうだよな……」  
 すっと、斗貴子が大きく息を吸った。  
 その丸い肩が小さく上下する。  
「斗貴子さん、……あの」  
「できるだけ急いで済ませろ」  
 カズキが小さくつぶやきかけた言葉に、怒ったような斗貴子の声が重なった。  
 それから彼女は突然大きく手を動かし、カズキの手を横へどける。  
 そして次の瞬間、自分でスポーツブラをまくり上げていた。  
 
 ふわんと、甘い匂いが広がった。  
 その匂いがカズキの鼻の奥にまで入り込んできた。  
 小さいが美しい輪郭を描く胸の膨らみは、白く滑らかだった。  
 その頂点で、透き通った薄いピンク色の突起が震えていた。  
「と、斗貴子さんっ」  
「は、早くしろ、ヤツが逃げるっ」  
「う、うん」  
 カズキの手が、膨らみを掴んだ。  
 首を反らして、斗貴子の唇から甘い吐息が漏れた。  
「んっっ」  
「あ、ご、ごめんっ。強過ぎた?」  
「うる、さいっ、いいから作業に集中しろ。絶対に逃がすなっ」   
「わかった」  
 指先で感触を探る。  
 今度こそはっきりと、“それ”の位置がわかる。  
 胸の膨らみを上下に移動しながら、なんとかカズキの追跡をかわそうとしているようだった。  
 ──もう躊躇わない。  
 そう心に決めて、カズキは前よりも強く、乳房を掴んだ。  
「あっ……」  
 驚いたような声で、斗貴子が身体を震わせた。  
 それと同時に、手のひらの下に感じる淫らな蠕動が、その動きを強めていた。  
 斗貴子の身体の中に入り込んだ疑似生命体を破壊する──。  
 何度も繰り返し頭の中で確認し、そのことはよくわかっている。  
 だがカズキは、手のひらで掴んだ感触の素晴らしさに、どうしても抗えなかった。  
 ──メルトハニーキャタピラを追い立てるには、こうするしかない。  
 そう自分に言い聞かせ、その柔らかな胸をそっと揉みしだく。  
「んくっ」  
 今まで一度も聞いたことのない斗貴子の喘ぎ声が、たまらなく刺激的だった。  
 それに、そのサイズからは想像もつかないほど、彼女の乳房は柔らかだった。  
 どこまでも指が沈んでいきそうだ。  
 にもかかわらず、ちょっと力を緩めただけで、カズキの指を押し返す。  
 その滑らかな肌は、手のひらに吸い付くみたいな感触だった。  
 乳房の内側に入り込んだ蠕動は、カズキの動きにあわせて逃げ惑い、力の及ばない場所へ向かって這い上がろうとする。  
「あ、んっ、んんっ……」  
 斗貴子の喉が反らされ、甘い喘ぎが上がった。  
 
 彼女の唇から漏れる吐息は、激しい熱を帯びているようだった。  
 時折、耐え切れないように身体をひねる。  
 だが、カズキの手から逃れるほどの力はない。  
 そして彼にも、斗貴子の羞恥心を気づかう余裕は、残っていなかった。  
 胸の膨らみを、きゅっと掴んだ。  
「……あっ、やぁっ!」  
 いびつに歪んだ膨らみの先で、ピンク色の突起が僅かに色を濃くしている。  
 そこにはまだ触れていない。  
 内部を移動する淫らな芋虫は、まさにそこへ逃れようとしていた。  
 カズキは手のひらでその動きを感じ取りながら、追い立てるように乳房を揉みしだいた。  
 人さし指と親指が挟み込む肉の隙間を、するっと“それ”が抜け出るのがわかった。  
 びくん、と、斗貴子の腰が跳ねた。  
「くぅっ!」  
 大きく胸が反らされた。  
 次の瞬間、カズキの指先がそこを挟んでいた。  
 斗貴子の乳首は小さい。  
 その小さな突起を逃さないように、付け根のあたりを親指と人さし指でつまんでいる。  
「捕まえたっ」  
「あ、あ、あ……」  
 僅かに力を加えた。  
 そこは、固く凝っていた。  
 そして、その内部では、逃げ場を失った疑似生命の虫が蠢いていた。  
 
 斗貴子は、全身を火で炙られるような熱を感じていた。  
 苦痛はない。  
 もともと痛みには慣れている。  
 だが、今感じている熱は、痛みよりも余程苦しかった。  
 胸の奥では、心臓が弾けそうなほど脈打っている。  
 その脈は、間違いなく乳首に感じるきつい刺激と繋がっていた。  
 ずきずきと、泣きだしそうなほどの快感がある。  
 それが快感であると意識された途端、余計に苦しくなった。  
「ああっっ」  
 また生々しい声が唇からこぼれた。  
 恥ずかしくてどうしようもなく、なんとか声だけはあげまいと我慢しているつもりだった。  
 にもかかわらず、勝手に声が漏れてしまう。  
 それがさらに羞恥心を煽った。  
 恥ずかしい。  
 カズキの指が、乳首に触れている。  
 ただそれだけで、切ない快感が絶え間なく湧き上がってくる。  
 そのことが、余計に恥ずかしい。  
 自分で触れてもそんな風にはならない。  
 淡い快感を感じたことはあるが、それとはあまりにレベルが違いすぎた。  
 このままでは、自分がどうなってしまうのかわからない。  
 身体の奥に突然熱が膨らむような感触と欲求は、カズキと唇を重ねた時に経験している。  
 自分の肉体がどう変化するかも、それなりにわかっているつもりだった。  
 傷を負うことは最初から恐れていない。  
 カズキに抱かれることだって、いつかはと望んでいたことだ。  
 確かに羞恥心はあるが、不安はさほどない。  
 だが、この快感とそれに煽られて沸き上がる欲求は、未知のものだ。  
 常軌を逸した状況に加え、錬金の力で強制的に生み出されたものだ。  
 カズキに触れられているだけでもおかしくなりそうなのに、乳首の内側に“それ”がいる。  
 カズキの指から逃れようと、くねくねと中で動いていた。  
 その感触がまた、異様な快感となって襲ってくる。  
 まるで電気を流されたような衝撃が、乳首から乳房全体へ広がっていく。  
 それが延々と続く。  
 今にも叫びだしそうな自分を何とか抑えて、吐き捨てるように斗貴子は言った。  
「か、カズキっっ、終わりにしろっ」  
「わ、わかった……」  
 きゅっと、強くそこをつままれた。  
 それだけで、全身が震えた。  
「ああっっ!!」  
「だ、大丈夫?」  
「気にするなっ、さっさとやれ」  
「うん……」  
 カズキの優しさが、今は余計につらかった。  
 固く目を閉じ、真っ赤に染まった顔を限界までそむけながら、斗貴子は叫んだ。  
「いいから、もっと強くっ! 捻り潰せっ」  
 
 聞きようによっては強引な愛撫の催促ともとれる言葉だった。  
 もちろん彼女にその自覚はないことを、カズキはわかっていた。  
 指の中で固く膨らんだ乳首は、燃え上がりそうなほど熱を帯び、どくどくと脈打っている。  
 その大きさと熱が、津村斗貴子のまだ知らぬ秘密を表しているように思えた。  
「……斗貴子さん、ごめんっ」  
 指先で強く挟んだ。  
 そのままこりっと捻り、潰すようにした。  
 乳首の奥で何かが弾ける感触があった。  
「くぅっっっ!」  
 斗貴子の身体が伸び上がった。  
 後ろから支えるカズキの身体を乗り越えようとするみたいに、大きく背中を反らす。  
 ぶるっと全身が震え、そしてすぐに腰が崩れる。  
 もたれかかってきた彼女の身体は力を失い、ただぜいぜいと荒い息を繰り返している。  
 いつの間にか乳首から離れてしまった指先が、何かに切り裂かれたような痛みをカズキに伝えてきた。  
 離れているにもかかわらず、じんじんと痺れる感触がしている。  
 慌てて彼女の乳首を探った。  
「あんっ」  
 そっと触れただけで甘い声をあげ、斗貴子はまた身体を震わせる。  
 だが、その乳首から疑似生命体の蠕動は消えている。  
 念のため、その周辺を探る。  
 ソフトに指先で撫でるだけで、斗貴子の息がすぐに熱く切迫したものに変わる。  
「か、カズキ……」  
 名前を呼ぶ声も、甘く溶けている。  
 だがやはり、疑似生命体の感触はどこにも感じ取れなかった。  
 胸からそっと手を離し、カズキは斗貴子に告げる。  
「斗貴子さん、やったよ。なんとかやっつけたみたいだ……」  
「そ、そうか……」  
 背中をカズキに預けたまま、彼女は身動きひとつしようとしない。  
 まるで快感の余韻に浸るように、あるいは離れた指の感触を惜しむように、大きく肩を上下させている。  
「あの、……身体は大丈夫?」  
「あ、……う、うん、まだ息が荒いが……平気だ」  
 ぎりぎり聞き取るのが精一杯の小さな声で、彼女が答える。  
 だが次の瞬間、彼女が小さく叫んだ。  
「くそっ。まだだっ!」  
「えっ、何っ?」  
 カズキの左手が、強く掴まれた。  
 斗貴子が手首を掴み、彼女の左脇腹に持っていく。  
「そこにもう一匹いるっ」  
 ろっ骨の下あたりへ、手を押し付けられる。  
 カズキは慌てて指先で探った。  
 
 すぐに例の痺れる感覚が生まれた。  
 慌てて周囲を取り囲むようにガードする。  
「一体じゃなかったのかっ」  
「すまん、カズキ。私の判断ミスだ。さっきの活発なヤツの動きに誤魔化され、複数いることに気づかなかった」  
「斗貴子さんが謝ることじゃないっ。オレも迂闊だった」  
「今は破壊に集中しよう。……その、できるだけその場で終わらせて」  
 そう言った途端、依然熱を帯びた彼女の身体が、小さく揺れた。  
 僅かにまた呼吸も荒くなっている。  
 カズキはすぐさま右手も伸ばし、指先で“それ”を追い込む。  
 脳を目指す疑似生命体の上昇を阻むために、左手は彼女のろっ骨に沿って、大きく広げて押えている。  
 右手の指先が、ちりちりとした痺れを伝えてきた。  
 そして突然、斗貴子が小さく悲鳴を上げた。  
「あっ」  
「えっ?」  
 ほぼ同時にカズキも声を出していた。  
 指先から、追いつめた筈の感触が消えていた。  
 慌てるカズキに、斗貴子が短く叫んだ。  
「下だっ」  
 指を下ろすと、確かにくびれたウエストから、蠕動が伝わってくる。  
「くそっ、待てっ」  
 思わず手で押える斗貴子の手のひらをかいくぐり、カズキは指先でそれを追った。  
「嘘っ、何故だ?」  
「ん? 何?」  
 カズキの問いに、小さく喘ぎながら彼女が答えた。  
「本能的に脳を目指す筈じゃないのか? だけどコイツは下へ逃げてるっ」  
 
 うっ、と、小さく呻いて斗貴子が腰を押える。  
 疑似生命体は予想外の速度で、彼女の腰にまで到達していた。  
 カズキは指先で追うが、すぐにスカートの生地に阻まれた。  
「もう、嫌だっ」  
 彼女は自らの拳を勢いよくそこへ叩きつける。  
 何度も繰り返し自らを打ちながら、身体を震わせる。  
「斗貴子さんっ」  
 その手を掴み、カズキは何とか彼女を止めた。  
 それでも斗貴子は怒りを収めようとはせず、今度は激しく足を蹴るように動かす。  
 ミニスカートからのぞく大腿がまぶしかった。  
 カズキの手をふりほどき、彼女は自分のふとももを押さえつける。  
 薄い水色の下着が露になっていた。  
 足の付け根、下着の縁のあたりを、斗貴子の白い指先が押えている。  
「あああっ」  
 躊躇っている余裕はなかった。  
 カズキは彼女の指先に重ねるように、そこを押えた。  
 痺れるような感触が、ひときわ強く感じられた。  
 それは蠕動し、股の間に入り込もうとしていた。  
「ごめんっ!」  
 そう言ってカズキは、指先を足の間に埋め込む。  
 くっと喉を詰まらせ、斗貴子の身体が震えた。  
 一瞬遅れて、彼女の口から熱い溜め息が漏れた。  
 今までの激しい動きが嘘のように、斗貴子の身体が止まっていた。  
 押えた指の位置にそって、手のひら全体を下腹部に当てる。  
 足の間、秘めやかな場所に触れているのは左手の薬指、中指、そして人さし指の三本だ。  
 その一番外側、薬指の脇に、疑似生命体の感触がある。  
 それは、脳を目指すのとはまた別の本能なのか、あるいは脳への到達が不可能だった場合に発動する別のプログラムか、──わかっているのは淫らな刺激を与えることを目的としているということだ。  
 その証拠に、芋虫にも似た動きで彼女の秘部に侵入を試みるかのように、度々薬指へ身体を押し付けては、また離れる動きを繰り返し、決してどこか別の場所へ消えようとはしなかった。  
 ぶるっと、斗貴子の身体が再び震えた。  
「か、カズキ……」  
「斗貴子さんの大事な場所は守った。すぐそばにいるけど、今のところ、入ってくる心配はなさそうだ」  
「そ、そうか……でも」  
「追ったら逃げるかもしれない。でも、なんとか上手くやってみる」  
 そういってカズキは左手をそのままに、斗貴子の背中からゆっくりと身体をずらしていく。  
 右手で彼女の頭を支え、仰向けに床に寝かせる。  
 斗貴子は何も言わずにそれに従った。  
 まくりあげられたブラからは白い胸を露出し、スカートもほとんどめくれ大腿を露にした姿で、錬金の戦士・斗貴子はしどけなく床に横たわっていた。  
「頼む、カズキ……、頼むから、直接触るのだけはっ!」  
「わかった」  
 逸らした顔も首筋も、ブラがひっかかったままの胸も、真っ赤だった。  
 股間に埋め込まれた指先は、ぞくぞくするような感触をカズキに伝えてくる。  
 恐らくパピヨンの開発した疑似生命体の発情効果もあるのだろう。  
 そこは信じられないほど熱く、そして濡れていた。  
 
 触れているのは下着の上からだというのに、彼女が身体を震わす度に指先がぬるっと滑る。  
 その度に、彼女の口から切迫した喘ぎが上がる。  
 だが、それだけだ。  
 それ以上動くことはなく、声も上げない。  
 斗貴子の上げる喘ぎ声はとてつもなく可愛い。  
 彼女の乳房は最高に美しかった。  
 その乳首は信じられないほど敏感で、魅力的だ。  
 それに、彼女の身体からは甘い匂いがしていた。  
 その腰がくねる様も、震える身体も、何もかもが素晴らしい。  
 そして、指先で感じるぬるぬるした感触は、どうしようもなくカズキを興奮させる。  
 下着の中がどうなっているのか、知りたくてたまらない。  
 だが斗貴子は、何とか自分自身の感覚や欲求と闘っているらしかった。  
 そんな彼女をこれ以上辱めるわけにはいかない。  
 カズキはそう感じていた。  
 そして同時に、そんな彼女の乱れた姿を目に焼き付けようと思った。  
 床に横たわる斗貴子の左側にしゃがみこみ、彼はそっと右手を伸ばした。  
 半ばまくりあげられたスカートから投げ出された滑らかな大腿に、指先で触れる。  
 それだけでまた彼女の身体がびくんと反応する。  
 股間を押えた左手の指先で、カズキはそのぬるぬるとした感触を余すことなく味わっていた。  
 
 太ももに滑らす指先をゆっくりと股間へ近づけていくと、斗貴子の息がすぐに熱い喘ぎに変わった。  
「カズキぃぃっ、は、早くっ」  
 それは恐らく、一刻も早くこの拷問にも似た感覚の氾濫と羞恥の時間を終わらせたいという意味に違いない。  
 だがカズキには、もはや愛撫を求める声にしか聞こえない。  
 白い陶器のような大腿を回り込み、股間を押える左手の指先に、右手を近づける。  
 蠕動を繰り返すメルトハニーキャタピラは、押し当てられた指先に沿って、下着に守られた秘部のすぐ脇を上下に蠕動していた。  
 だが、右手を近づけたことで、その動きが変わった。  
 上から迫る指先に、それはさらに深く、股間の底に向かって移動する。  
「し、まった……!」  
 それはカズキにとっても予想外の動きだった。  
 斗貴子の固く閉じられた股間は、それ以上手を差し込むことはできない。  
 だが、体内を進む疑似生命体にとっては、錬金の力を帯びたカズキの指先以外に障壁はない。  
「あ、いっ、やぁっっ……」  
 びくびくと斗貴子の腰が跳ね、濡れた下着を指が擦る。  
 その刺激で再び彼女の腰が反らされる。  
「斗貴子さんっ」  
 最早、彼女を刺激したいのか、疑似生命体を駆逐したいのか、それすら定かでなくなりながら、カズキはさらに指先を深く差し込んだ。  
 同時に、右手も大腿を押しのける。  
 斗貴子の股間が力なく開いた。  
「やぁっっ」  
 拒否の言葉を口にしながらも、最早抗う力は彼女にない。  
 しとどに濡れ変色した下着を大きく突き出して、再び腰が持ち上がった。  
 一瞬離れた指先をカズキが再び股間にあてがう。  
 下着の底がぬるっと滑る感触とは別に、激しい熱を伴った痺れが感じられた。  
「カズキぃぃぃぃっっ」  
 カズキの腕に、斗貴子がしがみついてきた。  
 背中を丸め、かがめた膝で股間に埋まった手を挟みながら、そのしなやかな大腿が細かく痙攣している。  
 下着の上から押えた指の下で、何かが膨らんでくるのがわかった。  
 それは物質的なものではなく、エネルギーの奔流とでもいうべき熱が大きくなる感触だった。  
 斗貴子のそこは熱く潤い、さらにどくどくと蜜を吐き出しながら、重く下着を濡らしていく。  
 そして、ついに熱が弾けた。  
 痛みに似た強い痺れが、カズキの指先を貫いた。  
 それと同時に、斗貴子の口からこれまで以上に大きな喘ぎが上がった。  
 時折びくっと震える以外、動きを止めていた彼女の身体が、突然大きく跳ね上がった。  
 その動きは止まることなく何度も繰り返し、やがて細かな痙攣に変わった。  
「ああ、ああ、あああっっっ」  
 カズキの腕にしがみついたまま、彼女が大きく喉を反らした。  
 大腿がさらに激しく震え、何度も繰り返し膝で締めつけられた。  
 ぎゅっと、強い力でしがみつき、そのままの姿勢で彼女の動きが止まった。  
 そしてまたぶるぶると数回震えが走った。  
 やがてゆっくりと力が抜け、彼女はまた床に横たわっていた。  
 荒い息が少しずつ穏やかなものに変わる頃、カズキはようやく指を離した。  
 彼女の身体はいつまでも熱を残していたが、疑似生命体の気配は完全に消えていた。  
 
 西の空が燃えているような赤に染まっていた。  
 東の方は、すでに群青色から濃紺に変わっている。  
 冷たい風を胸に感じて、斗貴子はようやく起き上がった。  
「うわっ!!!」  
 胸をはだけ、スカートはまくり上げたままだ。  
 どうしようもなく乱れた自分の格好に気づき、慌てて後ろを向く。  
 背中からカズキが声をかけてきた。  
「斗貴子さん……」  
「こっち見るな!」  
 全身に残る甘い倦怠感を意識の隅に追いやって、なんとかブラを直す。  
 立ち上がり、いつの間にか遠くに離れたセーラー服の上を身につける。  
 リボンを通し、ぱんぱんとスカートの埃を払う。  
 手櫛で髪を整え、それから大きく深呼吸して、だがその後どうしたらいいのかが、彼女にとって最大の難問だった。  
「……あの、斗貴子さん?」  
 能天気なカズキの声が耳に痛い。  
 身体の奥の熱い余韻が泣きだしたいほど恥ずかしかったし、生々しい記憶を呼び覚ます濡れた下着の感触も気持ち悪い。  
「なっ、何も言うな! 何か一言でもくだらんこと言ったら殺すからな」  
「わ、わかった」  
 ようやく決心がついて振り返った先には、いつもの笑顔を浮かべるカズキがいた。  
 だが、どうしようもなく気恥ずかしくて、目を合わせることができない。  
「ひどい目にあった」  
 斗貴子は低い声で、つぶやくようにそれだけ言った。  
 カズキは小さく頷いた。  
「だけどパピヨン、まったく困ったヤツだなあ。まさか、斗貴子さんをこんなふうに……ぐえっ」  
 斗貴子の拳が、カズキの腹にめりこむ。  
 それだけではなかった。  
 次の瞬間には、両頬にひとつずつ、赤い手形が張り付いていた。  
「い、痛い、痛過ぎるよ……」  
「うるさいっ。何も言うなといっただろう」  
「オレはただ、パピヨンが困ったヤツだと……」  
 カズキの言葉はそこで消えた。  
 
 斗貴子の柔らかな唇が、彼の口をふさいでいた。  
 一瞬強く押し付け、すぐに離された。  
 だが、彼女の腕はカズキの背中に回されたままだ。  
「キミが黙らないから、く、口封じだ……」  
「じゃあ、うるさくした方が得だね」  
 そう言ってカズキが笑う。  
 斗貴子もつられて微笑んだ。  
「口封じは常に殴った後だが、それでもいいか?」  
「口封じだけにしようよ」  
 そういってカズキが顔を近づける。  
 斗貴子は何度か瞬きを繰り返しながら、結局静かに瞼を閉じた。  
 今度はカズキから唇が重ねられた。  
 ちろっと、舌で唇を舐められた。  
 そのまま唇を割って、舌が入ってくる。  
 ──んっ。  
 キスは何度かしている。  
 だが、こんなのは初めてだった。  
 柔らかな感触が、口の中を這い回る。  
 ドキっとした。  
 さっき燃やし切った筈の熱が、いっきに膨らむのを感じた。  
 身体がびくんと震えた。  
 恐らく、カズキにも伝わったに違いない。  
 恥ずかしかった。  
 だが、カズキの舌を拒む気持ちになれない。  
 身体の奥に残っていた余韻が、激しい快感を蘇らそうとしている。  
 ──ああっ、おかしくなる。  
 甘く、苦しい興奮が満ちていく。  
 全身から力が抜けていく。  
 自分の荒い鼻息が気になった。  
 ──駄目っ。  
 慌てて、カズキの身体を押した。  
 ようやく口が離れた。  
 その場でしゃがみこみそうになる彼女を、カズキの腕が支えた。  
「息が、できないぞ。……殺す気か」  
「まさか。オレは斗貴子さんと一緒に生きていたい。それにさっき約束したよね?」  
「約束?」  
「いつか一つになるって……」  
「えっ? あ、ああ、……うん」  
 しどろもどろで下を向く斗貴子の手に、カズキの手が重なった。  
「でも、今日はそろそろ帰らないと」  
「ああ、そうだな」  
 二人はそう言うと手を繋ぎ、屋上を後にする。  
 後には、あたりを包みこもうとする静かな夕闇だけが残った。  
 
 <おしまい>  
 

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