電気を消したまま、カズキは天井を眺め続けていた。
星空を見るように目の力を弛緩させていると色々なことが頭をよぎる。
「これがオレにとって最後の夜になるのだろうか」
「明日オレはいったいどうなってしまうのだろうか」
戦士長から今回の任務後の生存率について聞かされたとき、カズキはある意味では納得した。
それは絶望的な数字であり、けれど、ごく当然の値だった。
戦士長のいる寮の管理人室から出て、ほとんど言葉をかわすこともないまま斗貴子さんと
階段のところで別れて、自分の部屋へ帰ってくると、カズキはそのまま毛布にもぐりこんだ。
明日の決戦のために早く寝るように言われたにも関わらず、もとから寝つきの良い方ではない
カズキの目は、起きている以外になすすべも無いほど冴えきっていた。
結局朝まで眠れそうもないな、とカズキは思った。
それこそ自分の意志とは無関係に、次から次へと思考や映像が目の前に現れた。
なつかしく、どれもが愛すべき思い出だった。
今まで自分を成してきた情報の奔流を、カズキは終わるあてもなく眺め続けていた。
コンコン
突然の物音にびくっと体を強張らせて上半身を起こしてみると、
部屋のガラス戸を斗貴子さんがノックしていた。
驚いている間に静かにドアが引かれる。
「カズキ」
戸口に立ったまま、開いたドアの隙間から、斗貴子さんは小さな声で名前を呼んだ。
「入ってもいいか?」
斗貴子さんも眠れないのだろうか、とカズキは思った。
「どうぞ、もちろん」
カズキは周囲を気にしながら小さな声で答えた。
毛布を体からはがして、足を床につける。
斗貴子さんは戸を閉めて、ベッドの側まで歩いてきて足を止めた。
いつもどおりセーラー服を着た斗貴子さんが、少しだけ落ち着きを失っているように見える。
「どうしたの?」
「いや」
斗貴子さんが口ごもる。
「いよいよL.X.E.との決戦だ。よく眠っているかと思ってな」
「そっか」
見回りに来たのか、とカズキは思い直した。
「それだけ?」
「いや」
再び斗貴子さんは口ごもった。
「キミは」
語尾の音がすぼまり、斗貴子さんが目を伏せる。
暗い部屋の空気が、しん、と耳を傷めるほどに静まり返った。
「私は、キミに、謝らなければならないと思って」
斗貴子さんはぽつりと呟いた。
「キミをこんなことに巻き込んだのは、そもそも私のせいだ。
私があのとき、ホムンクルスに正面から戦いを挑んでいれば」
「ちがうよ斗貴子さん、あのことは」
斗貴子さんは冷静さを失っている、とカズキは判断した。
「それに!」
斗貴子さんは強くさえぎって続けた。
「私は、キミの優しさに甘えていたんだ。
いつでも突き放すこともできたのに、
こんなことになる前に、君の前から
姿を消すことだってできたのに!」
突然に、少し乱暴に、カズキは斗貴子さんの肩をつかんで引き寄せ、
頭を、抱えるように抱き締めていた。
「ちがうよ、斗貴子さん、オレの言うことをよく聞いて」
カズキはなだめるよう低い声でつぶやいた。
「あれはオレの意志だったし、今までのことだってそうだったよ。
斗貴子さんといっしょに闘ってきて、ここまで強くなれたのはオレの誇りだし、
誰がなんと言おうと今まで自分の意志は曲げてこなかった。
だから結果として、斗貴子さんにも出会えた。
オレは後悔なんてしてない」
最後の言葉にビクッと身をすくめて、腕の中で斗貴子さんは肩を震わせていた。
やがて、震えが少しずつおさまり、斗貴子さんは小さく息をついた。
「そうだな」
ぽつりと斗貴子さんが呟いた。
「キミはそういう男だ」
普段の斗貴子さんに戻っているな、とカズキは思った。
「うん」
とカズキは短く答えた。
強すぎる力で抱き締め続けていることに気付いて、力を緩めて斗貴子さんの肩から手を離した。
けれど斗貴子さんはカズキから離れず、カズキの胸板に両手と耳を当てて顔を横に向けたまま、
カズキの体に寄りかかっていた。
「私は、キミに感謝している」
やがて少しの間をおいて斗貴子さんが静かに呟いた。
「うん」
少し赤くなりながらカズキは答えた。
「礼がしたいのだが、私にはその術が無い。
なにもあげられるものが無いからな」
自分の胸板の上で声を出されるので、斗貴子さんの頬と息の動きが、少しくすぐったい。
長い時間密着しているせいで、体温が高まっていることに、カズキは沈黙して初めて気付いた。
それだけではなくカズキの体も、自ら熱を発し始めている。鼓動が徐々に早くなってくる。
心臓のあたりに耳を当てている斗貴子さんにも、きっと聞こえてしまっている。
それに気付いてカズキはさらに赤くなった。
斗貴子さんの肩をつかんで体を離すべきなんだ。
きっと普段の自分ならそうするだろう、とカズキは思った。
けれど、あまりに斗貴子さんが近く、それでいて、
今ここで体を離せば永久に遭えないような哀しい予感がしていた。
それは今、斗貴子さんの心の中にもあるかもしれない、むしろあってほしい感覚だった。
カズキはそっと斗貴子さんの頬に手を触れた。
温もりのある頬の肌が指に吸いつき、カズキは、斗貴子さんのあごに沿って人差し指を滑らせた。
あごの先まで来るとカズキは親指と人差し指でおとがいをつまむようにして、
斗貴子さんの顔をそっと自分の方に向けさせた。
暗くてそれまではわからなかったのだが、斗貴子さんの頬は赤く染まり、
目は、光がその表面にかすかにゆらめくほどに潤んでいた。
その可憐な表情に自分の中の嗜虐心にも似た感覚が昂ぶり、
また、斗貴子さんの内にも同じ感覚が存在する、という予感が間違ってはいなかったことを、カズキは悟った。
それを知ったとたん、斗貴子さんが触れている部分が、とろけるように甘い感覚を催してくる。
思わず、ゆるやかに吸い寄せられるようにして、カズキは斗貴子さんの唇に自分の唇を重ねた。
しっとりして柔らかい、見た目よりも張りのある、小さめの形のいい唇と斗貴子さんの香りが一瞬、
カズキの意識する対象のすべてになっていた。
斗貴子さんの目が、驚いた表情で目の前のカズキの眼と見つめ合った。
ゆっくりと斗貴子さんは目を閉じ、斗貴子さんの体が未知の何かにおびえるように小さく震え出した。
唇を触れ合わせたまま、二人は止まった時間の中にいた。
やがて、カズキがゆっくりと唇を離すと、斗貴子さんは震えながら視線をカズキの唇に移し、
小さくのどを嚥下させた。
その仕草のあまりの可憐さに、カズキの首筋に鳥肌が立った。
反射的に、カズキ自身も唾を飲み込んでしまう。
優しく、それでいて食い入るような視線で、カズキは自分から唇を離した斗貴子さんを見つめた。
斗貴子さんの唇との間に、かすかに唾液が糸を引いていた。
興奮していると粘度が増すってホントだな、と冷静を保っているのか思考が混濁しているのか、
自分でもよくわからない頭で、今自分の身に起きていることを捉えようとカズキは努力していた。
いまにも目尻から涙がこぼれ落ちそうなほど潤んだ瞳で、斗貴子さんはカズキを見ていた。
静かに視線をからめながら、カズキはおもむろに斗貴子さんの肩をつかんで、
もう片方の手で斗貴子さんの頭を支えると、ベッドにゆっくりと斗貴子さんの体を預けさせた。
「カ、カズ」
自分の名前を呼ぼうとした斗貴子さんが、それを言い終わらないうちに、
カズキは再び、斗貴子さんの唇にキスをした。
頬の肌に斗貴子さんの頬の熱さを感じる。
斗貴子さんの頭を支えていた手を斗貴子さんの首筋から肩にすべらせて、
さらにセーラー服の下の斗貴子さんの肌を感じながら、わき腹を降下させていき、
カズキは斗貴子さんの腰に手を触れた。
そしてスカートに包まれた細い太ももをなでながら、その内側に手をすべらせようとする。
そのとき斗貴子さんの手が、そっとその手首をつかんだ。
しかし抵抗をするわけではなかった。確かめるようにそっと触れているだけの力。
カズキは斗貴子さんとキスを続けながら、ゆっくりと奥に手を進めた。
スカートの内部の、少し汗ばんだ斗貴子さんの肌。
斗貴子さんのからだに少し力が入り、硬くこわばるのがわかった。
それ以上進むのは気後れしてカズキは手を引っ込めた。
その代わりに手を上の方に肌伝いに這わせて斗貴子さんのセーラー服の端に触れた。
「斗貴子さん、制服、脱いで」
カズキは唇を離して斗貴子さんにささやくように言った。
「やめろ」
斗貴子さんが初めて見せた抵抗の色に、カズキは少しだけたじろいだ。
顔を真っ赤に染めて、目をうるませながら、斗貴子さんは震える唇でそう言い放ったのだ。
「どうして?」
斗貴子さんの本当の心を見抜くように、カズキは言った。
「……明日の生存率に関わる」
斗貴子さんはカズキの体の下で、威厳を取り戻しながら言った。
「体力は核金で回復するって、斗貴子さん、言ったよね」
面食らいながらも、カズキは食い下がった。
「万全を期さなければ駄目だ」
確かに、その言葉は正しい、とカズキは少し目を醒まされながら思った。
とても心残りがしたが、このまま辞めるしかない、とカズキは自分に言い聞かせた
今は勝つことが最優先で、諦めざるをえない。自分のことで他の人にまで迷惑はかけられない。
「わかったよ、斗貴子さん」
カズキがやっとそう言うと、斗貴子さんがすまなさそうな顔をした。
「すまんな」
斗貴子さんが静かにそう言った。
「いや、オレの方こそ、ゴメン。考えがなくって」
斗貴子さんの上から、自分の身を起こしながら、カズキはあやまった。
確かに、その通りだ。明日生き残るには万全を期さなければならない。
けれど明日、二人とも生き残れる保証はどこにもない。
スカートの裾を直しながら斗貴子さんも、上半身を起こした。
さっき斗貴子さんがこの部屋に来たときのように、二人並んでベッドに座ることになった。
「すまん」
もう一度斗貴子さんがあやまった。
「いや、オレの方こそ、ゴメン」
けれど、少しずつ、思いが込み上げてくる。
「キミの向こう見ずなところは、強さでもあるのだがな」
斗貴子さんなりのフォローなのか、すまなさそうにそう言った。
しばし、沈黙が、暗い空間に漂う。
カズキは暗い部屋の中で叫び出しそうな自分の心を、静めることに集中していた。
「オレも反省してる」
カズキは心から残念そうに、喉の奥から絞り出すように、呟いた。
「カズキ」
斗貴子さんは、少し遠慮勝ちに、思い付いたことを聞きたそうに呼び掛けた。
「なに?」
カズキは溜め息を吐きたいのをこらえて返事をした。
「そんなに」
斗貴子さんはそこで言葉を切った。
「私のことを抱きたかったのか?」
少しためらったあと、斗貴子さんはそう言った。
カズキは答えを返せなかった。
「斗貴子さんが好きなんだ」
「本当に好きなんだ」
「自分の存在を擲ってでも求めたいくらい、
いや事実そうする、それぐらいに」
そう叫びたかった。
けれど、そうするわけにはいかなかった。
カズキは、歯を食いしばって、叫びだそうとする衝動を必死で押さえた。
しかし、
突然、意識が飛んでいた。
我に返るとカズキは斗貴子さんを、またベッドに押し倒していた。
「カズキ」
斗貴子さんが驚いて目を見開く。
「ゴメン、斗貴子さん、我慢できない」
斗貴子さんの華奢な体を、満身の力で抱き締めながら、カズキは絞り出すように言った。
「あ」
斗貴子さんが苦しそうに声を漏らす。
「ゴメン、斗貴子さん、好きなんだ」
斗貴子さんの目が、いまさらのように見開かれる。
カズキはその表情を見ながら、斗貴子さんの唇を、自分の唇でおおった。
そして唇を離すと、斗貴子さんの耳に自分の口を近付けて、息を荒くしながらもう一度ささやいた。
「斗貴子さん、好きだ」
繰り返し呟きながら、斗貴子さんのセーラー服の中に荒々しく手を突っ込む。
そのときカズキは、自分の頭の両側に、そっと手が添えられるのを感じた。
たしなめられたような気がしたカズキは、斗貴子さんの耳元からゆっくりと顔を離した。
顔を見合わせてみると、斗貴子さんの目は困ったように、そして少し怒ったように細められていて、
けれど、行き場のない思いを包容しようとするように、かすかに微笑んでいた。
あるいは与えられた宿命を、悩みながらも、受け入れようとする自分自身を見るように。
細められた目はうるんでいて涙が溜まっている。
いまにも顔をくしゃくしゃにして泣き出しそうな斗貴子さんは、それでも微笑もうとしている。
カズキはその表情から、斗貴子さんの思いの全てを読み取って、もう何も言わなかった。