「……参った」
どうするべきか、津村斗貴子こと斗貴子さんはひどく悩んでいた。溜め息混じりに沈む
その姿には哀愁が漂っている。夏休み前の校舎の屋上、放課後の部活生しか残ってい
ないような時間に独り給水塔に座り込んで脚を投げ出していた。
事の発端はLXEとの決戦直前、カズキの突然の言葉だった。夏休みに海。
しばしの時が流れ夏休みが近づくにつれ、斗貴子さんの知らぬ内に海へ行く日にちが
決まりあれよあれよとその日が迫ってきた。
困ったのは斗貴子さんだ。まさか本当に行くことになるとは思っていなかった。戦士長
ことブラボーも面には出さずとものりのりなのが空気で分かる。
「…………ふう」
何を悩んでいるかは至極単純。自分に合う水着がない、という事もあるが、それ以前の
欠点、かなづちを悩んでいた。
水泳の授業はほぼ欠席。たまに出ても5メートルも進まぬうちに溺れる、水深1メートル
50ほどのプールで。疑惑のバスト72センチも白日の元に晒された。幸い水泳の授業は
男女別なのでカズキらには(いろんな意味で)ばれてはいないが、それが明かされる日も
遠くない。
「………………はあ」
斗貴子さんとしては自分のイメージを守りたい。突っ込み役で隙のない完璧なる小乳の
お姉さん。他の者はそう思っていなかったりするが、斗貴子さんはそう信じて思い込んでいる。
なんとしてもこの危機を乗り越えねば……!
「戦士・斗貴子!」
「!!」
それは唐突に斗貴子さんの背後に現れた。ばくばく打つ胸を押さえて斗貴子さんは振り
返った。
「せ……戦士長……驚かさないでください」
「お前ともあろう者がそれほど悩むとは情けない!」
斗貴子さんの主張を無視し戦士長・ブラボーは続ける。
「思い出せ、錬金の戦士となるべく行った辛い訓練の日々を」
「はぁ……」
いきなり出てきて何を言うのだこの人は?と思いながら曖昧に応えると、すかさずブラボー
は察した。
「さてはお前、俺が何を言ってるのだわけが分からないぞと思っているな?」
「仰るとおりです」
「俺をナメてるのか? 部下の悩みも把握できずに戦士長などやってはいられんのだぞ」
「はぁ……」
またしても生返事をする斗貴子さんに、ブラボーはコートの中から何かを探り当て、斗貴子
さんに突き出した。
「? これは」
それを受け取って目を落とす。布と……ビニール製の何かと一通の便箋だ。
「ふ、聞いて驚け。それは俺が用意したかなづち矯正のリーサルウェポンだ」
「せ、戦士ちょ……!!」
本当に私の悩みを知っていたのか!?信じられずに顔を上げて声を荒げるが、すでにブラ
ボーの姿はなかった。
寄宿舎の自室に戻るとブラボーから授かったリーサルウェポンを広げてみた。
「……スクール水着に、浮き輪ですか……?」
しかもスクール水着には胸に大々的に「つむらときこ」と平仮名で名札が縫い付けてある。
ブラボーのセンスの良さにしかし斗貴子さんはがっくりとうな垂れた。
そういえば便箋もあったか……。無駄だとは思いつつも手を伸ばし、中から手紙を取り出した。
どうやら二通あるようだ。開いて最初の一通目に目を通してみる。
戦士・斗貴子へ
この手紙をもって俺の水泳指導員としての最初で最後の仕事とする。
まず、お前のかなづちを治すためのリーサルウェポンを用意しているのでそれを使うように。
以下にかなづちについての愚見を述べる。
かなづちを根治する際、第一選択は実戦に限りなく近い模擬戦を繰り返し、生きた泳法感覚
を身に付けるという考えは今も昔も変わらない。
しかし現実には、お前自身がそうであるように、実戦を放棄し見学をして感覚を磨くことに意欲
を見せないという例がしばしば見受けられる。
その場合には、強引にでも泳がせるべきだと思うが、未だ満足のいく成果には至っていない。
俺は、お前がかなづち撲滅の一翼を担える数少ないかなづちだと信じている。
錬金の戦士としてそのような欠点は許されない責任がある。
お前には夏休みの海を楽しんでもらいたい。
遠くない未来に、かなづちを恥じ仲間とともに海へ行けぬ者がいなくなることを信じている。
ひいてはお前の特訓成果を悩めるかなづちに教え広め、かなづち撲滅の一石として役立てて欲しい。
かなづちは生ける恥じなり。
なお、自ら水泳指導するつもりだったが、一足先に妻とバカンスを楽しみに行くことを選んだ己を
心より恥じる。
キャプテン・ブラボー
「武装錬金ッッ!!」
手紙を読み終えた後、斗貴子さんはそれをずたずたに引き裂いた。読んでいて的を射る点
もあったが、それ以上に馬鹿にされた気がしてならなかったからだ。
「何を考えているんだあの人は!?」
毒を吐きながらどさっとベッドに腰掛けると、小さなお尻の下にもう一通の手紙がくしゃりと
音を立てて押し潰された。
「…………」
どうせ読んでも得るものは何もない。強く言い聞かせるが、かなづちは確かに恥ずかしい。
直したい。心からそう思う。
「……まあ、目を通すくらいならば」
またずたずたに引き裂くかもしれないが、それくらいならばうんよしとしよう。納得すると行動
は迅速だ。お尻で潰していた手紙を素早く手に取り文面に眼を通す。
内容は数日間に及ぶ詳細な訓練メニュー。訓練場として指定された市営プールまでの地図。
そしてブラボーの励ましの言葉。少しほろりときてしまう。
が、それと訓練を行うとは別問題。なぜならスク水に浮き輪だから。未だ踏ん切りのつかない
斗貴子さんであった。
なんだかんだで結局市営プールに来てしまった斗貴子さん。なぜならかなづちを治したい
から。更衣室で着替える際、自分の平坦ボディを誰かに見られやしないか内心びくびくであ
ったがそれは自意識過剰である。世の中、平坦ボディはありふれているものである。しかも
斗貴子さんのように無駄な肉のない身体は世の女性の一つの理想型である。
ただ、そうただ、斗貴子さんの周りには胸の大きな女子が多くいるというただそれだけのこと
であるし、周りには胸の大きな女子を好むエロス全開の性少年が多くいるというただそれだけ
のことである。
身にまとう戦闘服を制服からスク水――サイズぴったり――に変えた。鼻の傷はブラボー
便箋に同封してあった絆創膏で隠した。ちょっとした気遣いに鼻頭が熱くなったのを今でも覚え
ている。小さな身体であるにもかかわらず、戦士として鍛えた強靭な肺活量で浮き輪に生命を
注ぎ込む。リーサルウェポン誕生。
いざ、出陣。浮き輪を抱え戦場に舞い下りた戦乙女は、頭に叩き込んだブラボーの訓練メニュ
ーを正確に思い出した。
まずは入念なストレッチである。銀成市の市営プールは大小さまざまなプールにスライダー
なども充実、夏場は市民の人気スポット上位に位置している。斗貴子さんは小プールの側で
ストレッチを行った。ぶらぼーの指示である。以下手紙の内容を抜粋。
入水前のストレッチは入念に行う必要がある。だがしかし!決して大きなお友達がいるほうを
向いてストレッチを行ってはならない。エロスに満ちる飢えた野獣どもの好奇の視線がお前の
局部を絡みつくように舐め回すだろう。
必ず小さなお友達がいる方を向いてのストレッチを行うことを勧める。
斗貴子さんは戦士長の指示を受け小プール――つまり小さなお友達が埋め尽くすプール
を向いて柔軟を行った。ぴちぴちスク水は斗貴子さんが身体を伸ばすたびに身体にこれで
もかと密着し、そのボディラインを怪しく際立たせる。黒い布地の質感はビキニ等では醸
し出せぬ 臨死 (ゴクジョウ)の 恍惚 (エロス)である。
脚を大きく開いて胸をアスファルトの大地につける。綺麗なほどぺったりとつく、貧乳の素晴
らしさを垣間見た気がする。開いた股から恥ずかしい毛がはみ出ないか……というのはまった
くもって杞憂である。斗貴子さんに毛などない。高校二年生(実質三年生)であるにも、だ。まさ
にある種の女性の肉体美の完成型、至高の存在である。
三十分にも及ぶストレッチを終え、シャワーを浴びた斗貴子さんはいよいよプールへ向かう。
濡れた水着は黒光り、斗貴子さんの肌に妖しく吸い付く。けど斗貴子さんは気にしない、泳げる
ようになりたいから。
流水プールへ向かう途中、その歩が次第に重くなるのを自覚した。先ほどまではブラボーの
指令書通り実行していればよかったのだが、いざプールが近づくとなると元来抱いていた水への
トラウマが斗貴子さんの内でがんがん跳ね回った。
だがそんなものに屈する斗貴子さんではない。持ち前のブチ撒け精神を奮い立たせプールへと、
「ああ、こら君!」
「はい?」
そこで上から声がかけられた。声の主はプールにいなくてならない監視員のお兄さん。
監視台の上から斗貴子さんの方を見ている。斗貴子さんは、自分ですか?と視線で訴えると、
お兄さんは真っ直ぐ斗貴子さんの瞳を見据える。間違いないらしい。
「小学生の子はお父さんお母さんと一緒じゃないとプールに入っちゃダメだよ!」
「………………は?」
小学生?誰が?
もちろん斗貴子さんが。
津村斗貴子、銀成学園二年生(実質三年生)。一応は高校生である。
低身長に凹凸のないボディ。加えて胸にでかでかと名前入りのスク水と浮き輪を装備。
さらに付け足せば実はこの監視員のお兄さんは視力が良くない。メガネからコンタクトに
変えたばかりでどうにもしっくりこず、目が少し痛いのでコンタクトを外していたのである。
この条件ならば斗貴子さんを小学生と見間違えても無理はない。彼に非があるとすれば、
監視の仕事中にコンタクトを外したことだろうが、双眼鏡を首からかけているのでしっかり
仕事はできる、責められるものではないだろう。
この時、斗貴子さんの中にどれほどの怒りが渦巻いたことか。よりによって小学生……?!
監視員のお兄さんが小さな友達を諭す時の優しい口調でたしなめるが、斗貴子さんには
届いていなかった。ああ、ブチ撒けたいブチ撒けたい、今目の前に降りてきて頭をよしよし
しながら温和な態度で接してくる悪意のないこの善人をブチ撒けたいブチ撒けたい。
どうにか監視員のお兄さんをブチ撒けずにすんだ斗貴子さん。まだ燻る憤慨を胸に、
水への恐怖心もなんのそのプールに飛び込んだ。
「――っぶあぁッ!?」
すぐ浮き輪にしがみつく。流水プールの水深は1メートル40。大きなお友達サイズで
ある。斗貴子さんも背伸びをすれば何とか顔が出るのだが、足先が底につく前に「これ
は危険だ、溺れる!」と警鐘が頭に響き渡った。
今やビニール製の浮き袋だけが斗貴子さんの生命線だ。命の危機に直面している斗
貴子さんをよそに、他の大多数の人はすいすいと泳いでいく。中には小学生低学年の子
までいたりした。
…………何をしているのだ、私は
それを目にした時、斗貴子さんの中で何かが変わった。しがみつき、恐怖心に犯されて
いるだけの惨めな自分を心より恥じた。
泳げるようになるために来たのではないか
意を決す。真っ直ぐな瞳に宿るのは錬金の戦士として気丈に、美しく、力強く振舞う斗
貴子さんの色に染まっていた。
「――よし、まずはバタ足からだ」
ブラボーかなづち矯正指令書の指示に従い、斗貴子さんは基礎の基礎から始めていった。
五分後、場所は再びプールサイド。監視台。先ほど斗貴子さんにブチ撒けられそうだった
青年は持ち前の真面目さで熱心に仕事(アルバイト)に打ち込んでいた。双眼鏡をのぞきな
がら危機に瀕した人はいないか、特に小さな子は要注意だ。だから彼は小さな子を主に探し
ていた。是非ともその仕事に対する情熱が変な方向に曲がらないことを祈ろう。
「ん? んん?」
流水プールに怪しげなものが浮かんでいるのを発見した。黒光りする怪しげな物体。そうい
えば以前海の家でアルバイトしている時もあんなものを見たことがあったな。あれは確か……
どざえも
「溺れてるぅ!?」
彼は急ぎ救助すべく監視台を降りようとしたが、
「先輩、ここは私がっ!」
監視台の横を駆け抜けていく一陣の人影。
「君は新しく入ったバイトの……」
後ろでちょこんと結んだ二つのおさげがトレードマークの新人バイト。準レギュラーの座を手中
に収めた変人バーガーのバイトの子である。最近店の売り上げが落ちてきたのでバイトを掛け
持ちし始めた。
「何を隠そう、私は泳ぎの達人です!!」
勢いよく彼女が流水プールへと飛び込んでいった五分後、二つのどざえもんが引き上げられ
たとかられなかったとか。
救助された後、それでも斗貴子さんはめげずにプールに入った。今度は小さなお友達で
も安心できる小さなプールであるが。水は斗貴子さんの腰辺りまで、溺れる心配は皆無だ。
まずは……そうだなまずは水に慣れ親しむことから始めなくては
水に対する恐怖心があるから溺れてしまうと考えた斗貴子さんは、ブラボー指示を実行
する前に蝶基礎の基礎を行わなくてはいけない。プールサイドに手をかけ、水の中に顔を
入れて我慢する練習をしようとした時、斗貴子さんはありえないものを見てしまった。
「武藤クン……私、やっぱり怖いわ」
「大丈夫だよ桜花先輩。おれがちゃんと手握ってるから」
流水プールサイド、963のロゴ入りのトランクスタイプの水着をつけた武藤カズキと、
純白のビキニタイプの水着……鋭いスリットに、乳首しか隠れてないんじゃないのか!?
と斗貴子さんに思わせるような水着を身にまとう早坂桜花こと桜花先輩が仲良さげに手を
つないでいるではないか。
「な、な、な、な、な、な、なぁぁ…………ッ」
斗貴子さんはプールサイドに手をかけ、頭半分だけをのぞかせて二人を凝視した。
「ありがとう。やっぱり武藤クンに水泳のコーチを頼んだのは正解だったわ」
桜花先輩がカズキの腕に抱きつき、胸の谷間にすっぽり腕が収まった。
「あ、い、っいや、桜花先輩の頼みなら喜んで聞きますよ!」
あはあははとだらしない笑いをしまりない口から放り出す。
桜花先輩のボディ、それは斗貴子さんと対なす存在。正と負。陰と陽。表と裏。同時に
存在しうることのない相対するボディ。豊満に育った胸、美しいくびれ、ぷりっぷりのお尻。
そうまさに二人はヘビとマングースの如き間柄であった。
堪らないのは斗貴子さんだ。自分が必死に隠れて特訓しているのに、なぜ二人はあんな
にストロベリってプールにいるのだ?あれでは恋人同士ではないか……!
斗貴子さんは恋愛を知らない、したことがない。だから武藤カズキに対する想いが恋なの
かどうなのか判断できないただ!二人が並んでいるのを見ると、ひどく落ち着かない気分に
させられた。それどころか不快である。
なんなんだ…………なんなんだこの感じはぁっっ!
誰に聞こえるともない慟哭が吼え猛る。珍妙奇天烈な銀成市営プールサイド横恋慕事件
はこうして幕を上げた――。
ただ単に斗貴子さんがヤキモキするだけの話だが。