大浜はその頃、「名作劇場イボンヌとゴンザレス 第18話 セザンヌ大爆発!」を聴いていた。  
以下は抜粋。  
──ゴリっ! ゴリゴリっ! イボンヌがゴンザレスの後頭部にレンガを叩きつけていく!  
うらぶれた路地裏で繰り広げられる淫靡なショータイムは、まだ始まったばかりだ。  
「おいこらゴンザレス! カゼ治りましたかッ! 鼻水はひきゃァがったか!!?」  
「ゴゲゴゲゴゲゴゲェェェ! グルッ! グルルンヴァシャアアアッ!!」  
ゴンザレスは妖怪なのだ。返事の代わりか、口から緑色の粘液を撒き散らし、醜い雄たけびをあげた。  
「死んじゃわないでゴンザレス! インフルエンザは暖かくして寝てなきゃダメだ多分! 死ね!!」  
イボンヌはレンガをゴンザレス目がけ振り下ろした。  
ゴキャ。引きつった断絶の音が夜の帳にこだまし、イボンヌは屍にすがり号泣した。降り始めた雨が、冷たい。  
どかーん☆! 時を同じくしてセザンヌはガス漏れに気づかず電気つけたから大爆発した。続く。──  
大浜はなんでこんな番組聞いているのかと思った。  
 
吐き掛けた血が、まるで醤油のように難色なく拭き取られていき、パピヨンはどうも奇妙な気分だ。  
「あ、ところでコレ…どうしよう?」  
「いちいち聞くな。ゴミ箱にでも捨てればいいだろう」  
血を拭いたティッシュのコトを聞かれ、パピヨンは面倒くさそうに答えた。  
楽になり再び座っているが、腕も体もまだ動かない。  
まひろはちょっと困った顔をした。  
「なぜ困る?」  
「なんていうか、その、そういうのって失礼のような気が……」  
おかしな理由で迷うまひろに、パピヨンは嘲るようにため息をついた。  
「オマエは鼻血を拭いたティッシュを取っておくのか? いいから捨てろ。目障りだ」  
「う、うん」  
不承不承頷きながら、まひろは立ち上がった。  
ゴミ箱は扉の左、パピヨンから見て机に隠れている部屋の隅にあるらしい。  
そこにティッシュを捨てると、まひろは手を合わせた。  
「…フン」  
吐かれた血は汚物と変わらない。そういう扱いを受けてきたし、パピヨン自身もそう思う。  
なのになんでいちいち気遣うのか。そういう自分と違う感覚をパピヨンは認める気になれない。  
 
ゴミ箱の方から、「リンゴ食べるー?」と何も考えて無さそうな声がした。  
 
とりあえずリンゴを喰う。  
フォークで差し出された細かいのを丸ごと口に入れて。  
しゃくっ、しゃくっと音がなるたび、口の中には  
程よく咀嚼されたオリゴ糖の甘く瑞々しい匂いが広がるが、  
別に美味いとも不味いとも言わず、とにかくパピヨンはリンゴを食べる。  
「気持ち悪くなったらちゃんと言ってね。無理しちゃダメだよー?」  
とまひろがまたリンゴを差し出したが、やはり答えないままリンゴを食べる。  
(変態さん意外に元気… けど油断は厳禁! 安心するにはまだ早い!)  
まひろはパピヨンに変調あらばすぐ対応できるよう、じーっと様子を見ながら  
とりあえずリンゴをあげる。  
長いフォークの柄のほとんどを握りこぶしに収めて、手を伸ばしきり、力いっぱい差し出しながら。  
その様子はなんだか、やる気まんまんの銀行強盗が包丁を突きつけているような格好にも似ているが  
しかし二人は全く気にしない。この二人にはそれはない。  
あるのはシンプルな、たったひとつの思想だけだ。たったひとつ!  
(リンゴを喰うッ!)  
(リンゴをあげる!)  
(それだけだ…)  
(それだけが満足感よ! ああでもちょっとお腹すいた…)  
フォークで差し出すリンゴを見ていると、胃袋がスカスカな気分になってくる。  
だが看護の達人が患者より先に食べていい訳がない。  
(ガマンしなきゃ…今はまだ…)とまひろは必死に言い聞かせた。  
 
グウウウ…  
 
だが腹は鳴った。なんか崩れまくった表情で懸命に弁明する。  
「い、今のは気にしないでね! コレが生まれつきだから!」  
その様子にパピヨンは舌打ちした。先ほど騒ぐなと言ったのに騒がれている。  
「勝手に喰え。鬱陶しい」  
とだけ言って、12切れ目のリンゴを飲み込んだ。一切れのリンゴで静かになれば安いと思っている。  
「いいの? ありがと──!!」  
二切れ。まひろは本当に嬉しそうに頬張った。  
丸っこい目で頬をぷぅぷぅ膨らませているその顔は、パピヨンにはハムスターかリスに見えた。  
 
このどこかおかしな光景に、おかしな歌が加味されている。吐血の直後。  
──そうだ歌を聞こうよ変態さん! 歌は健康にいいし和むんだよー(カチャ。←CD再生した音)  
『殴(や)れ! 刺(や)れ! 犯(や)れ! 殺(や)れ! 壊(や)っちまえ―――!!!』──と  
パピヨンが和まなかったり和んだりする曲の後に、色々なのが流れているのだ。  
ビルの街でガオーだったり、姉三六角でカエルピョコピョコだったり、  
上野発の夜行列車がどうとか、ベーダーの一味に狙われているから任せろとか、とにかく色々流れている。  
『メタルファイヤぁ…(ジャカラバンバ-ン!) 燃えてきィたァッ!(ジャカラバンバ-ン!!) メェタルフゥゥゥゥルコォォオ─ツッ!!』  
(選曲の基準がわからん)  
リンゴ食べるパピヨンの横で、まひろが「あーそうだ覚醒!」と立ち上がった。  
「待っててね。いい歌があるけどちーちんの部屋の前に忘れてきたから取ってくる!  
……えと、そうだ! ケータイ渡しておくから、具合悪くなったらこのケータイでこのケータイに連絡してね!」  
慌しくケータイを渡すと、まひろは脱兎の如く部屋を出た。  
 
「待て、オマエ今すごく矛盾したコトを言わなかったか?  
どう連絡をつけ……ま、別に頼る気はないけどね」  
ナースコールの代わりらしい携帯電話を掌握しながら、一人ごちる。  
『まーずしさーにまけたぁー いいえ、世間にまぁけたー』  
辛気臭い曲が流れ始めた。選曲基準は全くもって分からない。  
「どうせならあの曲かけろあの曲… ん? いや待て」  
とパピヨンが思ったのは歌に対してではなく、手のコトだ。動かないハズなのに携帯電話を掌握してる。  
「コレはひょっとすると」  
腕が上がるかどうか試してみる。上がった。左腕も同様だ。  
足の方はまだ動かないが、しかし大分状況は良くなった。リンゴだって自力で喰える。  
そう。自力で。皿に盛られた残り二切れのリンゴを──…  
「…満腹か。まぁリンゴ二個くらい喰ったからな」  
誰にともなく呟き、手を止める。  
(それにしてもヒマだ。アホでもヒマ潰しにはなっていたらしい)  
『しーあわーせーなんてのーぞまぬが ひーとーなーみでいたーぁい』  
跳ね上がった声量に顔をしかめたが、しかしヒマだからちょっと歌ってみたくなった。  
で、時は流れた。(横山光輝風)  
 
「ふぅたぁりは〜枯れすすぅきぃ〜!」  
「おお、変態さんが歌ってるー」  
歌のラストをちょっと歌った瞬間、ソロモンよ、まひろが帰ってきた!  
(クソのようなタイミングで!!)  
パピヨンは顔を紅潮させた。あくまで怒りにだ。うん。  
まひろは相変わらず楽しい顔だ。  
「一緒に歌う? 昭和枯れすすき。時々お兄ちゃんと歌っているから得意よ!」  
「う、歌うか!!」  
「あ、リンゴ! 残してくれてたんだ。ありがとー」  
皿に残っているリンゴを認めると、まひろは嬉しそうにお礼を述べた。  
(違うね。俺が満腹なだけさ。それ以上でもそれ以下でもない。  
誰が人に配慮をするか。してやった所で何の得になる。そう、俺は満腹なだけだ…!)  
思っていると、まひろが冷蔵庫からリンゴが山と盛られた皿を取り出した。  
「リンゴね、まだあるから一緒に食べよう!」  
「そこにあるのになんでさっき俺のを取ったァッ!?」  
パピヨンはキレた。なんかこういうアホな行動が腹立つ。つかリンゴはあんたのじゃないだろ。  
まひろは思案の色を浮かべながら歩いてきた。そしてパピヨン前に到着。そして結論。  
「うーん、なんでだろう?」  
「質問を質問で返すな! 疑問文に疑問文で…」  
怒鳴ろうとした口に、人差し指が当てられた。  
「ダメだよ怒鳴っちゃ。また血を吐いちゃうから。ね?」  
まひろはマジメな顔をしながら言い聞かせて、最後に優しく笑いかけた。  
確かに一理はあるが、しかし腹の虫は収まらない。置かれたリンゴの山をちらりと見ながら  
「少しはこちらの都合も考えろ。……いいか、しばらくリンゴは食べないからな」  
パピヨンは憮然と答えた。  
どうも調子が狂う。  
(照れてるのかな…? あ、そうだCD聴かなきゃ)  
まひろは「仮面ライダー剣」と書かれた赤いCDジャケットから  
ビニールをペリペリ剥がすと、机の方まで歩いていきCDを入れ替えた。  
 
「この歌、覚醒って言うらしいけど、昭和枯れすすきよりもカッコいいから、きっと変態さんも気に入ると思うよー」  
ニコニコしながらまひろが語るが、パピヨンにはどうでもいい。そしてミュージックがスタートした。  
 
その頃大浜は、リクエストした曲が採用されていて喜んでいた。  
『ハイ、というワケで最初の曲は銀成市にお住まいの  
ラジオネーム、ハチミツボーイ君からのリクエスト。  
仮面ライダー剣より「覚醒」。EDらしいけど実質的には挿入歌だよねコレって。  
あとゴメン! 時間が無いから最後の部分だけをどうぞー』  
「やった! コレで99通連続採用! あともう一曲は…掛かるかな。どうだろう」  
考える大浜をよそに、ラジオから物騒な感じの音楽が流れ始めた。  
 
…Gonna shake it up!  
浅い眠り醒めたように気付く 未知の強さ   
走りながら探し当てる 最後の(最後の)切り札  
 
飛び込んでく 嵐の中 何も迷わずに ためらう瞬間 その闇に飲まれる  
疑うより信じてみる 自分の可能性 目醒めて行く未来の世界を 諦めない  
 
叫んでいる 嵐の中 かき消されたって 動きを止めたら 自分を失くしそう  
誰より今信じてみる 自分の未来を 目醒めて行く心誰にも 止められない…  
 
Gonna shake it up,and keep you alive Gonna shake it up You keep me trail  
Gonna shake it up,and keep you alive Gonna shake it up Just stir away  
 
Gonna shake it up,and keep you alive Gonna shake it up You keep me trail……  
 
「どう? カッコいいでしょー?」  
傍でまひろが熱を帯びた口調で言う。片手にリモコン持ちながら。  
CDラジカセのいいも悪いもコレ次第で、敵に渡すなで、再生とかが手元でできるらしい。  
パピヨンは答えない。  
強いて言うなら「疑うより信じてみる 自分の可能性」という部分が  
自分に合っているとは思ったが、それ以外は騒がしいだけの曲で興味はない。  
 
「特に最初とかの『こにしきらぶ ざぴーぴーらぶ こにしきらぶ でぃすぷぇあれー』ってトコが」  
まひろは調子外れに歌う。  
「Gonna shake it up,and keep you alive Gonna shake it up Just stir awayだ」  
パピヨンは突っ込んだ。天才だからヒヤリングはお手の物だ。  
「おぉ───っ!! 何言ってるかわかるんだー! すごいよ変態さん!」  
まひろは尊敬やら感心に瞳をキラめかせながら、マネをしだした。  
「えと、がなせきら きーぴゃらい がなせきら じゃすとろーくれ?」  
黒目がちにこちらを見据える瞳は、バカな小型犬に似ていると思いつつパピヨン。  
「Gonna shake it up,and keep you alive Gonna shake it up Just stir away」  
ちっとも合ってないんだよと侮蔑を込めて、ゆっくりと流暢に聞かせてやる。  
まひろは真剣な表情で反復する。  
もっともパピヨンから見れば、怒り眉毛を描かれたマヌケなチワワの顔だが。  
「ごなしぇいくあっぷ あんどきーぴゅーあらいぶ ごなしぇいくあっぷ じゃすとすてぇあうぇい…かな?」  
チワワの分際で確実に上達している。  
パピヨンは苦々しく舌打ちをすると「まぁ歌えなきゃ意味ないけどね」と続けた。  
チワワは確かにそうだという顔をした。…なんだか、犬同士のやり取りを描いてる気分だ。  
「やってみるっ! 何を隠そう私はごなしぇいくあっぷの達人よ!」  
「ウソつけ」  
「あ〜信じてない! Gonna shake it up,and keep you alive Gonna shake it up Just stir awayでしょ!」  
驚きながら怒る顔をよそに、覚醒が再生された。  
 
ズ ズズゥ…ダン!(ヒュンヒュンヒュン…) タンカンカンカンカン(チャッチャッチャッチャ!) カンカンカカッカン(ビュヴォ─z__ン!)  
タンカンカンカンカン(ウゥ〜ッ! チャッチャッチャッチャ!) カンカンカカッカンッ ギュゥゥルルウ〜ウンッ!  
 
何だか景気の良いイントロが終わや否や、まひろが歌い出す!  
「ごなしぇけあっ… あ、あんだきーぴゅー…ごな… じゃす すてあ…んがっ!」  
だが追いつけなかった!  
「舌噛んだぁ〜!」  
せいらしい。心底痛そうな顔を向けられたパピヨンは、バカめ…と冷笑で返してやった。  
しかしまひろは気分を害した様子もなく、口をぐにゃぐにゃの曲線にして  
頬をほんのり朱にそめて、バツが悪そうにはにかんだ。  
パピヨンはそれを見ながらやや黙り込み、不意にまひろの鼻をつまんだ。  
 
「みぎゃあー! 」  
中国人に投げナイフを40本位刺されたドイツ人死刑囚みたいな  
もしくは尻尾を踏まれたネコみたいな、そんな素っ頓狂な悲鳴を上げると  
まひろは「痛い痛い」と両手をバタバタさせた。  
反応が面白くて、パピヨンはニタぁっと笑いながら、手を離す。  
「な、何をするの突然! もー!」  
涙目になりながらの必死な抗議がますます楽しい。  
パピヨン自身、別に意味なんてなくスカっとしそうだからやっただけだが  
この下らない思いつきは予想以上の成果だ。スカっと爽やかな笑いが止まらない。  
まひろは鼻をさすりながら恨めしげに睨む。チワワの眼光は可愛いだけだが。  
 
その頃大浜は「そろそろ点呼の時間だ。一旦部屋に戻らなきゃ」  
とCDラジカセを片手に、部屋へ戻る最中だった。  
途中、なんだか顔が赤いさーちゃんを見かけたが  
ジュースでも買いに行ってたんだろうと別に気にも留めない。  
彼女の身にどんな異様なコトが起こったのかなんて知らないのだ。  
大浜だけは、本当に変わり映えしない日常の中に居る。  
…え、六舛? 彼は存在自体が非日常さ。  
 
一気に上機嫌なパピヨンは、得意顔で勿体ぶりながら話を始めた。  
「ところで、さっきの英語の意味を知りたくないかな?」  
「教えて!」  
好奇心が一気に怒りを押し流した。ストレス無さそうな性格だ。  
「『目醒めよ、生きるために。目覚めよ、今この時』だね。  
もう一つの、Gonna shake it up,and keep you alive Gonna shake it up You keep me trailは  
『目覚めよ、生きるために、目覚めよ、さぁ続け』さ。つまり──…」  
「『覚醒』ってタイトルにかかってるんだー! すごいねー。変態さんも作詞した人も」  
得意げな説明に割り込まれたパピヨンはムっとした。  
その顔色を機敏に察したまひろは、ハっとした様子で鼻を抑えた。  
(…まぁいいか。このアホの制御法は覚えた)  
おかしなコトしたら、その都度脅していけばいい。  
我が意を得たと思うパピヨンだったが、しかし思惑はまひろの次の一言で吹き飛ばされた。  
 

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