「『橘さんが銃をバババーって撃ってる時にかかってる曲』下さい!」  
「はい?」  
変人バーガーに見切りをつけ、CDショップ「しろへび」でバイトを始めた少女は困った。  
心機一転頑張るぞと意気込んだ初日、しょっぱなからヘンな客が来やがった。  
指を突き出すやや幼い顔つきのその客は、銀色の変態衣装やら蝶々覆面に比べれば  
平凡な、いやむしろ愛らしい容姿だが、にじみ出るオーラは何つーか前者二つよりも厄介な雰囲気だ。そもそも橘さんって誰よ?  
「あのうちは… マリリンマンソンとかヨーヨー・マとかの洋楽しか…」  
「あった! これのコトだよー」  
口を挟む間もなく、人生楽しくてたまらないといった勢いの顔が、レジ前に置いてある赤いジャケットのCDを差し出してきた。  
”「仮面ライダー剣(ブレイド)」 オープニングテーマ Round ZERO〜BLADE BRAVE”と書いてある。  
いや、ジャケット見て分かるなら最初からタイトル言ってよ。  
などと思いつつ胃の痛みを抱えつつお会計を済ますと  
「ありがとう。また来るねー」  
厄介な客第一号はお釣りをレジ横の募金箱へ朗らかに入れ、去っていった。  
(できれば来ないで! ああ、なんで私が働く先々にはヘンな人が来るのよ…)  
バイト少女は泣きたくなった。バイトはまだ始まったばかりだ。ガンバレバイト少女。  
 
さて数時間後、その厄介な客第一号こと武藤まひろは寄宿舎の廊下をほくほくした顔で歩いていた。  
(これでちーちんとさーちゃんとの約束が果たせるよね)  
桃園で友情を誓ったり誓わなかったりする彼女たち3人は、お金を出し合いこのCDを買う約束をしていたのだ。  
主題歌もいいが、カップリングされている挿入歌はそれ以上に良いのだ。  
そして今それを手にちーちんの部屋へと歩いている。ルンルン気分で。  
途中、大浜が前を歩いてのが見えた。手には白色のCDラジカセを持っている。  
「あ、大浜先輩、また水飲み場へラジオ聞きにいくのー?」  
ブンブンと右手を大きく振りながら声をかけると、大浜は彼らしくのっそりと振り向いた。  
「うん。あそこが一番ラジオを聞きやすいから」  
ラジオ番組への投稿が趣味の彼にとり、採用されていてもそれを聞けなければ意味がない。  
そして外の方が、とりわけ何故か水飲み場が一番ラジオが聞きやすい。  
だから外へ行くのは必然なのだ。  
 
「ところでまひろちゃんはドコへ?」  
良くぞ聞いてくれましたとばかり、CDを警察手帳のようにビシぃっと差し出すと  
「コレを聞きにちーちんの部屋へ!」  
幸せそうに笑った。そして思い出したかのように「ところでお兄ちゃんと斗貴子さん見なかった?」と訪ねた。  
「カズキ君とはコンビニで会ったけど…帰ってからは見てないよ。  
斗貴子さんは病院で見たっきりだね。あと岡倉君もいないけど、どうしたんだろ」  
「ブラボーもいなかったよ」  
と言うのは、病院からCDショップ「しろへび」を経由して寄宿舎に戻った時のコトだ。  
ちーちんがあいにく外出中だったので、CDを聞くのは後にして、さーちゃんと管理人室へ遊びに行った。だが誰もいなかった。  
その頃戦士長は、キレた斗貴子を相手に聖サンジェルマン病院の屋上で必死こいて戦っていたせいだ。  
で、誰もいないねーとかいいつつ黒板を見ると、誰が書いたのかすごく謎な「カズキ・斗貴子」てな字が相合傘が目に入った。  
「あー私もー!」  
こういうのが好きなまひろは、目をきらきらさせながら「お兄ちゃん・斗貴子さん」と相合傘を書いた。  
それを当の二人に見てもらいたくて、しばらく親友二人との約束も忘れて探し回ったのだがいなかった。  
大浜にカズキと斗貴子の所在を尋ねたり、帰ってからちーちんの部屋に向かうまで時間が空いたのには  
以上のような理由がある。  
 
ちなみにその頃、まひろにつられる形でさーちゃんが書いた「岡倉・ちーちん」という相合傘が  
思わぬ波紋を管理人室とちーちんの部屋に広げていたのだが、間接的な元凶のまひろは全く知らない。  
「せっかく相合傘を書いたのに、なんか寂しいねー」  
などとのん気に大浜に言ったりしていた。  
 
「じゃあまた明日ー」と去っていたまひろを見送った後、大浜は気づいた。  
「あ… 海水浴のコト、言った方がよかったかな?」  
そのコトを深く悩んだりもしたが、脳裏に浮かんだ『愛=理解! 海水浴=スクール水着! 誰か一人くらいはッ!』という思いに吹き飛ばされた。  
特にさーちゃんは、スクール水着の正当な後継者たる顔と体型だから、大浜はすごく楽しみなのだ。  
想像にランドセルを付与してみた。……おお! すごくいいぞ!! 想像力バンザイ!  
大浜はハッピーな気分に浸った。その夢がカズキの一言で瓦解するとも知らず。  
 
ちーちんの部屋への道すがら、まひろはさーちゃんも誘うべく彼女の部屋に寄ったが、誰もいない。  
「ちーちんの部屋かな」と、別段疑いもせずにまひろは歩き、やがて目的地に着くと  
 
コンコン。  
 
古い引き戸をノックして、極めて脳天気な声でいう。  
「ちーちんいるー? まっぴーだよー CD買ってきたから一緒に聞こうよ〜」  
この時、ちーちんとさーちゃんは部屋にいたのだが  
諸事情により女同士でイケない行為をしていたのでひたすらに黙った。  
「あれ? ちーちんもいない… さーちゃんとどこか出かけたのかな?」  
うーんと考えるが、どうも心当たりがない。  
(そういえば最近のお兄ちゃんも夜はどこかに出かけてる…   
岡倉先輩もブラボーもどこか行ってるみたいだし、夜に出かけるのが流行っているのかな)  
「じゃあ待ち伏せだ! 何を隠そう私は待ち伏せの達人よ───ッ!!」  
「いや帰ってよ!」と部屋の二人に突っ込まれたのも知らず、まひろは部屋の前へ腰掛けた。  
 
その近くの天井裏で、夢を見ている者がいた。  
 
夢の中の彼は、座り込み、ホムンクルスに体を侵食され喚き散らす花房をぼんやりと眺めていた。  
未踏の領域への期待感と昂揚を含みながら、表情は何もない。  
床に血だまりができていた。いつの間に吐いていたのか。  
用はないと気だるく言った顔が「大丈夫ですか創造主?」と眼前に屈み、ハンカチを差し出した。  
叶った安い願望を無表情のまま跳ね除けて、ベッドに潜り込みむと、天井をぼぅっと眺め始めた。  
 
そこで意識を取り戻した彼─パピヨンは、まぁそんなコトもあったかな。と思った。  
「当面の問題はだ…」  
ここがどこか分からない上に、毒のせいで体調は最悪だ。武装錬金も消え、目すら霞んで何も見えない。  
体のどこよりも尻が痛い。尻肉と天井板の間に手を入れ軽くさすると「すまない武藤カズキ」。小声で謝った。謝るなよ変態。  
 
読者の中には、パピヨンの身に何が起こったのか覚えておられる方もいるだろう。(横山光輝風)  
要約すると、彼は、武藤カズキと津村斗貴子の「仕上げ」を覗く為、天井裏へ侵入し、  
桜花と秋水の意思の下に悪巧みをしていたエンゼル御前と遭遇、媚薬を没収後  
岡倉英之がたまたま発動させた武装錬金に階下へと引きずり下ろされ  
戦士長ら3名とビデオの処遇について揉めた後、運悪く毒を受け陵辱され  
ちーちんとさーちゃんがその場に入ってくると、それで生じたスキを突き天井裏へと遁走したのだ。  
どこをどう逃げたのか。彼は今、まひろの近くにいる。大浜ともいずれ絡むだろう。(六舛孝次/談)  
 
「想像してたよりなんてコトはなかったな… むしろカイカンだけど」  
荒々しい無機の異物感を思い出すと、まだ血の滴るそこがムズムズしてきてたまらない。  
「一度狙った獲物(カズキの様子ね)を二度も逃がすなんて生まれてはじめてだ… ちょっと許しがたいねあのエロスは…」  
死神っぽいセリフも吐いてみる。ダイ17巻P116のだ。  
仮面は既にクリアしてるから、あとはバルスカと御前を使えれば13本の透明な刃やらトランプを使えるだろう。ごめんね。分かり辛い例えでごめんね。  
それはさておき、蒸し暑く淀んだ空気の中で、ジトジトと嫌な汗が滲む。  
無様だと思う。嫌いなイモ虫のごとく動けない自分を。  
「一人では高くも遠くへも飛べない出来損ない」  
盗み聞いたバタフライの言葉を反復し、くくっと笑う。逃げを打った点ではそうかも知れない。  
(だが世界のせいだ)  
いつだって何かを得ようとする度に、世界はそれを阻む。  
栄誉は病魔に、不老不死の夢は弟に、ビデオテープは変態どもに。  
常に阻まれ、変わりに欠陥を背負わせる。誰もかもが一つ覚えの嘲笑と優越感とで見下せる欠陥を。  
(それでも飛ぶさ)  
予想外に出てきた高熱に息を激しくしながら、核鉄を手にとり武装錬金を再発動した。  
ニアデスハピネス。  
暗闇に溶け込む黒色火薬の蝶の群れが、彼の背中へと集まり羽となる。  
(とりあえず横だね。横が一番いい)  
上の屋根はブ厚いから無駄手間がかかる。下にはせせら笑う人間がいる。  
脱出するならば、円滑に吹き飛ばせる横の壁を探さなければならない。  
幸い無事な聴覚を集中し、ここがどこか分かりそうな音を一つ一つ拾っていく。  
 
パピヨンの左からは、雑談やら女同士で絡んでいるらしい甘ったるい息と声が  
前からは歌のようなモノを唸り散らしている女の声が、それぞれ聞こえた。  
かすかに覚えている寄宿舎の間取りとそれらを照らし合わせる。  
(つまり、左が部屋で下が廊下だな。というコトは)  
右へのろのろと這っていき、手で闇先をつついてみる。はたして、壁があった。  
基本的にこの寮は、屋外と部屋が廊下を挟んで向かい合う構造なのだ。  
些細なコトだが、推察が当たるのは心地よい。  
パピヨンはニヤっと笑いながら黒死の蝶を一匹、手元に手繰り寄せた。  
脱出してもアジトには戻らず、どこかその辺りで回復をまとう。  
野ざらしで臨死の恍惚を味わうのも悪くは無い。保護されるよりは。  
皮肉めいた笑みを浮かべ、手をかざし蝶を飛ばそうとした瞬間。  
バケツを床に叩きつけたような音が天井裏に響いた。  
大量の血が口から溢れたようだ。  
しまったと思う間すらなく。  
コントロールが乱れた蝶は下の板に着弾し、パピヨンもろとも吹き飛ばした。  
意識は一度、そこで途切れた。  
 
「気のせい?」  
この時、水飲み場でラジオを聞いていた大浜は  
寄宿舎の方からかんしゃく玉が弾けたような音を耳にした。  
 
「何っ!?」  
まひろは驚いた。突如、屋根が乾いた爆音と共に崩れたかと思うと、何か降ってきたのだ。  
立ち上がり、おそるおそる近づいていくと、蝶々覆面をしたなんとも奇妙な格好の人物が  
焦げた天井板の破片と共に横たわっている。  
「うわ、変態さんが降ってきた!」  
驚愕の声を上げたが、しかし、ぴくりとも動かず所々に傷や火傷があるその変態さんを見ると  
看護の達人としての使命感が巻き起こる。  
「手当てをしなきゃ!」 あ、丁度あんな所に荷物とか運ぶのがあるっ! 何を隠そう私は搬送の達人よッ!」  
都合よく存在するカートを持ってくると、変態さんを乗せてまひろは走る。  
走りながら探し当てる最後の(最後の)切り札といった気分だ。  
 
ガラガラ走る! メロスのようにまひろが走る!  
風に栗色の髪をなびかせながら、グラグラ揺れる変態さんを見ると、まひろは思い出した。  
「ひょっとしてこの前お兄ちゃんが探してた人かも!」  
掟をつらぬいて朽ち果てれれば不老不死などどうでも良さげな似顔絵と比べると  
線が細いが、しかし仮面は同じ蝶々だ。  
「でも、配色間違ってるよね。ちょうちょならピンクと白のが可愛いのに。そして部屋へ到着ー!」  
引き戸を跳ね返るほどの勢いで開け、カートを中に入れた。  
 
ふぅふぅと息をつきながら、座椅子をベッドに敷き、カートに横たわるパピヨンの左腕を  
自分の左肩に預け立ち上がったまひろは、一拍置いて、やや深刻な顔をした。  
「お兄ちゃんより背が高いのに…」  
体重を預かっている変態さんはひどく軽い。  
ちらりと右を見てみると、仮面越しでもわかる大まかな顔の造りから  
さほど年齢は離れていないと分かる。だが、雰囲気に溌剌とした若さはない。  
「若いのに苦労してるのかな… でもなんで天井から降ってきたの?」  
一人ごちながら、まひろはパピヨンをベッドの上に横たえた。  
その足元、部屋の片隅にある淡いピンクのビニールロッカー(服を収納する家具)を開けた。  
取り出したるは看護婦の制服一式だ。それとパピヨンとを交互に見比べて、うーんと唸るとまひろは呟いた。  
「その、ちょっとだけガマンしてね。…見ちゃダメだよ?」  
掛け布団でパピヨンの顔を覆うと、もぞもぞとした動作で長いスカートを脱ぎ、どこかの豚さん曰くの「下着」を露わにした。  
そのまま、パピヨンをちらちらと見ながら、クリーム色のシャツのボタンを外す。  
やがてシャツも床に落ち、たわわに実った胸が、下着一枚越しに外気へと晒された。  
ほんのりと赤い顔でパピヨンに背を向けて、彼女にしては迅速に看護婦の制服を着てナース帽を被る。そして一言。  
「これで完成! 看護婦! まひろ!!」  
ちょっとパピヨンが反応したが、知らぬまま服をビニールロッカーに投げ込んで、布団を元に戻した。  
次に、机とベッドに挟まれている本棚の上から救急箱を手にすると  
取り出した脱脂綿で、パピヨンについた血やススを拭き取っていく。  
真剣な面持ちでそーっとそーっと、傷口を探し、触れないように。  
やがてそれが終わると、薬指に軟膏をつけて傷口に塗る。  
 
ふと、指の動きが止まった。  
「熱があるかも?」  
軟膏越しに触れる肌はじんじんと熱い。  
手を伸ばし、蝶々の触覚を模した仮面の部分に潜り込ませて、自分の額のそれと比べてみる。  
「ウン、やっぱり熱い。37度7分くらいある」  
一人で勝手に喋るのはクセらしい。薬箱から体温計を取り出すと、血色の悪い唇に突っ込んだ。  
「ポッキーと似てるけど食べちゃダメだよ。食べても卵や牛乳飲んだら大丈夫だったけどね〜」  
食べたコトあるのか? まぁそれはさておき、ビニールロッカーの隣(正確には多少の隙間がある)の小型冷蔵庫の前へ行く。  
その中から2リットルのミネラルウォーターを、上からは入浴用の洗面器とタオルを、それぞれ手に取った。  
「あと2分くらいかなー その間にタオルの準備準備」  
とぷとぷと洗面器にミネラルウォーターを注ぎ、更にタオルを浸してぎゅーっと絞る。  
「もうそろそろ。……ホラやっぱり37度7分。寝てた方がいいね」  
小声で一人呼びかけながら、体温計を引きタオルを乗せる。  
「このちょうちょの触覚の部分って、タオルが固定できるから便利だね。  
…あ、そうだちょっと待っててね。変態さんが見つかったってお兄ちゃんに知らせなきゃ」  
ひたすら一人で喋りながら、まひろは一旦部屋を出た。カートも戻しにいくらしい。  
 
その頃大浜は、野球中継の延長でお気に入りの番組が潰れたので  
何かいい番組はないかと、ラジオの周波数を変えていた。  
ちなみに彼のラジオの周波数の変え方は、ツマミを回す前時代的なモノではなく  
デジタル式で調整が可能なタイプだ。CDプレーヤーのトラックを変えるような感じで変えられるのだ。  
ボタンをぽちぽちと押して、9KHz刻みのAM放送を変えていく。  
夜空の下でそんな地味な作業をするのも、ラジオを聞く醍醐味の一つなのだ。  
 
目を覚ましたパピヨンは、一瞬、蝶野攻爵時代に戻った気がした。  
嗅ぎなれたアーモンドっぽい部屋の匂いがそう思わせたのだ。  
しかし自分の部屋ではない。ハッスルした鷲尾にブチ壊された部屋があるわきゃない。  
「じゃあココはどこだ?」  
額に置かれたタオルで熱が下がったせいか、視界は戻っている。  
そして布団から漂う甘い匂いに気づき、奇妙なざわつきを感じた。  
 
(毒のせいか… 体が動かないね)  
辛うじて動く首でぐるりと部屋を見渡したパピヨンは、「…これは確か」と呟いた。  
足元にあるビニール制の家具から、一歩半ほどの距離を置いた所に冷蔵庫がある。  
彼が目を留めたのはそれではなく、更にその横に置いてある奇妙な形の器具だ。  
その長さはパピヨンが伏せているベッドの幅よりやや狭い。高さもそれ位だ。  
横から見れば「コ」の字を描くそれは、立体的には五本の線で構成されている。  
まず下部は、真上から見下ろしたなら、アルファベットの「H」を引き伸ばしたような形だ。  
四隅にキャスターが付いているその「H」の、パピヨンから見て右の交差点から垂直に、もう一本が上へと伸びている。  
それは他の3本と同様、スチールでできているらしくクリーム色の塗料の上からでも冷え冷えとした空気を滲ませている。  
登りきったその線は、横に伸びる茶色の線と交わり、「コの字」を完成させている。  
茶色の線を上から見下ろしたなら、角の丸い長方形の板だと分かるだろう。  
(だが何故ここに…?)  
実はこの奇妙な器具を、パピヨン自身も使ったコトがある。入院している時に。  
「ベッドサイドテーブル」というそれは、主に患者が食事をしやすいよう使われるのだが  
彼にはあまりありがたい代物ではない。  
いくつか種類があるらしく、今目にしているものとは違う真っ白なスチールの板の上へ  
毎日毎日、まるで機械が図ったように同じ時間に、淡々と病院食を置いてかれたり  
それが全部残っていても全部食べられていても、さしたる感情も感想も浮かべずに  
淡々と皿を引いていく看護婦の顔が、パピヨンの気分を苛立たせ、透明な寒気を覚えさせた記憶があり、好きではない。  
もっとも彼は蝶と自分以外の全てが好きではないが。  
 
ベッドサイドテーブルの後ろへ目を移した彼は、記憶より寒い思いをし、しばし固まった。  
彼の胸ほどの高さのカラーボックスの上に何かが沢山いた。  
よく見ると、蛙井が買い漁るたび、巳田や猿渡や花房に粉々にされていたタイプの人形だと分かったが  
なんだか雰囲気がおかしい。  
計6体、並んで座っている人形の首から下は、服も肩も足の付き方も、どれもが硬くどれもがプラモデルのそれだ。  
二の腕から突き出す三角形のパーツは、「鷲尾もこんな感じだったな」とパピヨンに思わせた。  
前へと無造作に突き出された黒く巨大な握りこぶしからは、きっと鋭い爪が花開くのだろう。  
体はどうもそんな戦闘的な印象があるのだが、顔は違う。  
 
パピヨンは、ヒマなので「どうしてこんなモノが地上に?」と思いつつ、人形の顔を観察する。  
日本人形的な不気味さを湛え、体との統一感の無さが異形を決定付けている顔を。  
 
見れば、みな一様に小首を傾げている。どうやらコイツらも自身の存在を疑っているようだ。  
と思ったが、しかしその思惑は「目」に打ち消された。  
眉は薄く、眼窩は落ち窪み、存在を疑うモノはいつであろうと呪殺できる、  
そんな威圧感を誇示するように6体全てが目を下へ剥いている。ぞっと悪寒が走り、体力が奪われた。  
恐らく、この真っ赤な目こそが不気味さの根源なのだろう。  
厚ぼったく結んだ唇から「オレァクサムヲムッコロス!」などと奇声が出ても不思議ではない。  
そしてバナナの房のように額の辺りで分けているセミロングの青い髪の上に、張り紙がある。  
 
「モッコスぐんだん さんじょう〜っ!」  
この人形の名前はモッコスというらしい。きっと呪術人形なのだろう。  
部屋の主が書いたのか、ひどく気楽な文字は下の不気味さがウソのようだ。  
(作中は5月。これの発売は6月。時系列はおかしいが気にしない)  
 
「あ 起きてた〜っ!」  
張り紙の文字そのままの気楽な声が響き、パピヨンは横を向いた。その先の開いた扉にまひろがいた。  
にこにこと頭が悪そうに笑っている女。パピヨンの第一印象はそれだった。  
(だが看護婦? 寄宿舎にか? いや待てこの顔はどこかで…)  
色々と考えてみたがどれも結論にはつながらない。  
実はカズキが蝶々覆面を探している時、パピヨンとまひろは水飲み場で会っているのだが  
人の顔と名前を覚えようともしないパピヨンは思い出せない。  
まひろも同じく。パピヨンが仮面を被っていようといまいと  
人の顔と名前を覚えてもすぐ忘れるまひろだから思い出せない。  
じゃあなんで似顔絵は覚えてたのか? さあな… そこんとこだがおれにもようわからん。  
とにかく言えるコトは、パピヨンは看護婦が嫌いで、まひろは変態さんを看護しようとしている。  
それだけなのだ。  
 

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