ココは銀成学園高校屋上、給水塔の上。私のお気に入りの場所だ。
眼前に広がるは、雄大な夕日、やけるような雲、赤く染まる銀成市街。
そしてぶざまにブッ倒れている、年下の少年一人。
<タクティクス桜花>
先日の一件(伝説の桜花バトル)以来、カズキの気の緩みを憂慮した私。
放課後、有無を言わさぬ猛特訓をすることにしている。
屋上を吹く爽やかな風が、うっすら滲んだ汗を拭き取ってくれる。心地よい。
ふと気がつくと、力尽きていた少年がもそもそ動き始めている。そろそろお目覚めの時間か?
特訓を始めた初日は、ちょっとシメてやっただけで一日中ブッ倒れていたカズキだが。
それそれ体力がついてきたようだ、まあ当然。
この二週間、私がつきっきりで特訓を行っているのだから。
私はひらりと、給水塔から身を躍らせる。どれ、今日はもうひとひねりしてやろうか。
バタン
「あらあら、今日も頑張っていますわねー」
非常口の扉が開いて、また「あの女」が姿を現した。
早坂桜花。一週間前に病院を退院し、今は既に学業に復帰している。
「…なんだ? 訓練の最中だが」
「少し休憩にしたらいかが? 私も今さっき、生徒会の会議がひけたところですし…」
「あ、えーっと…」
カズキは子犬のような目をこちらに向け、どうすればいいのか指示を仰ごうとする。
しかしその頃にはもう、桜花はちゃっかりとカズキの隣にハンカチを広げ、その上に座り込み始めている。
丁度会議が終わったなんて嘘じゃないのか?
毎度毎度、こちらの訓練の区切りの良いところを狙ってやってくる。
まるで見計らっているかのように。…仕方ない…
こぽこぽこぽ
夕日の照らす屋上に、魔法瓶から発せられる紅茶の香りが漂う。
「午後のお茶には遅い時間ですけど…。ハイ、武藤クン。お疲れ様」
カズキに紙コップが渡される。風が、桜花の長い髪をふわりと揺らす。
漂う紅茶の香りとは異質な匂い…上品なコロン、大人の女性の匂いが、控えめに自己主張を始める。
「…ありがとう。桜花先輩」
「どうしたカズキ? 訓練の疲れが出たか?」
別にたいした意味もないが、なんとなくカズキに話をふってみる。
「……え、あ、いや、平気だよ! 俺もっと強くなりたいし! ハハ…」
急いで顔をうつむせたようだが、それはありきたりで陳腐な仕草だ。
第一、キミの前髪の長さでは、顔の赤みを隠せはしない。
・・・・・・・・・ゴク。
あつい・・・・・・自分で飲み込んだ紅茶の熱さに辟易する。苛々するのはそのせいだ。
「それと、もしよろしかったら・・・」
ごそごそと、桜花が可愛らしい紙製の箱を取り出した。
「あ、クッキー・・・これって、もしかして桜花先輩の手作り・・・!?」
「あらあら。でも、大して手間をかけずに作ったものですから、お口に合うかどうかは・・・」
「・・・いや、うまいよ先輩! なんかいいよなぁ、こういうの!
もし俺に姉ちゃんがいたら、こういう風に色々作ってもらえたのかなぁー」
大型の旅客機が、騒音と振動を発して通りすぎていく。うるさい。
両手の中の紅茶の水面が波立つ。苛々する。
「あらあら〜。武藤クンにだって、津村さんみたいな素敵なお姉さんがいるじゃないの〜?
それともやっぱり・・・カノジョなのかしら?」
なっ!
「な、何度も言っているがっ! 私とカズキはそうゆう間柄でわっ!」
「・・・アハ。斗貴子さんは俺の大切な命の恩人だし、今は厳しいお師匠様かな」
そ、そうだ。まったく・・・。・・・べつに・・・好きで厳しくしているわけでは、ないぞ・・・?
「あらあらあら・・・冗談よ、冗談。ごめんなさいね、うふふふ・・・。
津村さんも、もっとクッキーいかが?」
「ン、いや・・・私はもう結構だ。それよりカズキ、荷物はまだ教室だろう?
遅くなりそうだから、取ってきてやる。教室に鍵をかけられると厄介だからな」
「あ、いいよ。俺、自分で取ってくるよ!」
「かまわん。私の荷物もあるしな」
階下に下りると、盛大なため息が胸をつく。
いつもこうだ。あの三人でいると、いつも私が居たたまれなくなる。
―早坂桜花
学校に戻ってきたとはいえ、一時は敵組織の末端に名を連ねていた女である。
建前としては当分、錬金の組織の監視下に置かれなければならない。
つまり…私かカズキが、お目付け役をするということだ。
それを良いことにしてか、最近あの女は事あるごとにカズキに絡んでくる。
身を張って命を救ったカズキに対する、「感謝の念」みたいなものだとは思うが…
ハッキリ言って、私達の訓練にとっては邪魔な存在でしかない。
カズキのためを思うなら、彼にあまり関わらないで欲しいものだ。
教室に戻りカズキの荷物を胸に抱えて、再び階段を上り始める。
しかしまあ、なぜみんなして私をカズキのカノジョ呼ばわりするのか。理解に苦しむ。
大体、私は錬金の戦士だ。一つところに留まることはない。
特定の場所・特定の人物に深く関わりを持つ必要はないし、むしろ持ってはいけない。
錬金の秘密は守られねばならぬ。一般人の犠牲は防がねばならぬ。あの化け物共を一匹残らず・・・
奥歯がギリッと嫌な音を立てる。・・・許すものか・・・許してたまるか!
・・・
カズキは、どうするんだろうか?
私はいずれ次の任地に赴くことになるが、カズキは戦士であり続けるつもりなのだろうか?
カズキには良い友人や家族、そして前向きな心がある。
私のように戦いに明け暮れていては、垢抜けた会話などできはしないし、つまらない人間になる。
今だって…カズキと桜花が世間話を始めたら、私はそこから席をはずすことしかできなくなった・・・
踏みしめる足取りが妙に重たい。
この階段、こんなに長かったか?
ようやく屋上の非常扉前まで辿り着いた。
ん?なにか向う側が騒がしいな。それにこの状況には既視感があるぞ…。
「お願い!武藤クンに答えて欲しいの!」
「桜花先輩…」
な、なにか修羅場を演じてませんか?この二人!?
えーっと…扉を開けて出て行っていいのかなー・・・
「そりゃ…、俺にとっても命の恩人だし…」
「そうね。でも今聞きたいのはそんなことじゃないの…武藤クン…。
…津村さん……好きなの…かな…?」
「それは…」
…出られるわけがない…
わ、私のことを…話しているのか…?
「私、耐えられないの…こんな状態…」
「………」
…だ、ダメだ。卑怯だ。こんな所で盗み聞きしているのは。
二人がどんな話をしていようが、私には関係のないことだ。
向うに行こう。
私は非常扉に背を向けた。
「どっちなのか…お願い! …教えて欲しい…。でないと私…」
とん
胸にカズキの荷物を抱えているのを、忘れていたせいだ。足が震えているせいではない…
バランスを崩して、背中が扉に寄りかかってしまう。まるで吸い寄せられたかのようだ。
背中で受けた小さな衝撃に、ピクッと肩が震える…。今の音で気付かれなかっただろうか?
こんなところに留まって、私はどうするつもりなのだ?
聞いて…どうするつもりなのだ…?
「でも桜花先輩、秋…」
「秋水クンのことは、今はいいの…。
ううん、違う! 秋水クンのためにも、今、ハッキリさせておきたいの…」
「先輩、そこまで…」
ぎゅ・・・
荷物を強く抱きかかえすぎていた。
少し腕が痛い。
「…武藤クンの心で答えて…。私は、どっちでも平気だから…」
平気・・・? 私、私は・・・。
わたし・・・
「俺…自分でもよく分かんないけど…多分、多分…」
・・・あ・・・・・・あ・・・
「…斗貴子さん……好きなんだと思う…」
ずるずるずる…ぺたん。
私は不覚にも、扉に背中を預けたまま、その場に座り込んでしまった。
< 翌 日 >
ココは銀成学園高校屋上、給水塔の上。私のお気に入りの場所だ。
眼前に広がるは、雄大な夕日、やけるような雲、赤く染まる銀成市街。
そして隣に並んで腰掛ける、年下の少年一人。
「あのー…斗貴子さん?」
「・・・なに?」
「今日は特訓、しないの?」
「訓練なら、もう済ませたじゃないか」
「済ませたって…今日はストレッチと、あと二・三回打ち合っただけじゃ・・・?」
「それで充分じゃないか。知らないのか、カズキ?
例えば筋力などは、適度な時間・適度な負荷を与えたときに最も成長率が良いのだぞ?
これは、現在のスポーツ科学においても実証済みのことだ。
やみくもに過剰な運動をすれば良いという訳ではない。
特にキミは、心臓が核鉄だからな。身体を大切に使ってやらなければ、駄目だゾ?」
「…そ、そうだったんだ・・・はは・・・」
そよ風が、隣に座るカズキの匂いを運んで、私の髪を揺らす。
−洗濯物と太陽の香り、そして少しだけ男のコの汗の匂い−
ときゅん
な、なな、なにを焦っているのだろうか私わ!
べ、べつにカズキが何を考えていようが、何を想っていようが、私には関係ないことだ!
私は戦士だ。常に一人で戦ってきた戦士だ。
あのニクイ・・・憎いホムンクルス共を思い出せ。
奴ら全員、この手で八つ裂きにすると誓ったあの日を思い出せ!
この手で・・・
ふと、隣に座るカズキの手に注意が向いてしまう。
年下なのに、私の手とは根本的に造りが違うかのような、大きな手・・・
私の手などは、すっぽりとその中に包んでしまえるような・・・
「どうかした?斗貴子さん?」
ときゅん ときゅん
突然、黒くて大きな瞳に覗き込まれた。
やや、ヤバイ、やめて。…今それは反則だぞ、カズキ…
「い、いや、少し夕日が眩しいな・・・」
慌てて逸らすように顔をうつむせる。
私の髪は、妙な熱量を持ち始めた両頬を、ちゃん隠せているだろうか?
こんなことなら、先週切り揃えなきゃよかった。もっと伸ばしておくべきだった。
どうしよう、カズキの手が気になってしようがない。
今、カズキの手の上に自分の手を添えたら、どうなるんだろう? 何が起きるんだろう?
ときゅん ときゅん ときゅん
何をいまさら。戦闘中に手なんて何度も握っているじゃないか。
それどころか、おんぶされたり膝枕したことだって……
…だめ……思い出したら、両頬の熱量が臨界点を突破しそうだ。
今から思えば、よくあんなことできたものだ・・・。
どうしよう。
「友達同士」でも手ぐらいは握るかな?
そのあと何がおこるかは分からないけど…それを受け入れることができるか、分からないけど…
…カズキ…私は…。
そして…ゆっくりと伸びた私の手は……私の手は・・・
バタン
「あらあらあら〜、今日は特訓はお休み?」
「よーカズキン!、アンニュイなツラさげてどうしたぁ」
・・・・・・私の手は核鉄を掴んだ。発動は必死に自制したが。
な、なんだ?今日も来たのか? しかもにこにこしながら、オプション付きで。
でも昨日の一件のせいか、顔を合わせづらい。きっとカズキも…。
「あっ! 桜花先輩ッ!」 パッ! タッタッタ…
・・・・・・カズキ???
「あらあら。武藤クン、おまたせ」
「桜花が早起きしてカズキンのために作ったんだぜー、心して食え!」
「お気に召すと嬉しいのですけど、カレードーナッツ」
「斗貴子さんもおいでよ! 桜花先輩、おやつを一杯作ってきてくれたんだぜ!」
ハァ?
「桜花先輩、斗貴子さんにお礼がしたかったんだって。ね?」
「津村さんは私の命の恩人ですし…何のご恩返しもできない状態は、私耐えられませんからぁ」
「泣かせる話じゃねぇか!なぁ、カズキン…。桜花は律儀だねぇ」
「あらあら〜。秋水クンが帰ってきたら、また改めて一緒にお礼をさせてもらいますわ〜。
でもその前に、津村さんの好みが分かってよかったぁ」
「ホラ、昨日斗貴子さん、クッキーあんまり食べなかったから。
先輩はクッキー嫌いだったのかなって、心配しちゃって。
甘い物、斗貴子さん好きなのかって、俺に聞いてきてさ。もうすげぇ真剣に」
「嫌いな物をおすすめしたら、申し訳ありませんしぃ。
でも津村さんの好みの物をお作りできますから、甘い物お嫌いでも平気だったのですけれど…」
「そうそう!! 俺自身は甘いものより辛いもの、例えばカレーとかが好きって言ったらホラ。
カレードーナッツ作ってきてくれて。先輩、器用だよなぁー」
「あらあらあら〜(照」
「斗貴子さん前に縁日で、わたがしとりんご飴食べてたよね? 甘いもの、結構好きなんだよね?
だから俺、桜花先輩に多分好きだと思うって言ったら、ホラ、こんなに色々作ってきてくれたよ!
今日はもう特訓終わりだから、ご馳走になろうよ! まひろ達も呼んでさっ!
それにしても、そんなに悩んでいるなら桜花先輩、直接斗貴子さんに聞けば良かったのに…」
「…それは…私…。最近なんだか、避けられているような気がして…」
「そんな仏頂面してるから、桜花が怯えちまんだぞ、この凶悪女っ!」
「アハハハ…そんなことないよ、斗貴子さん本当はすごく優しい人だし。
ね?斗貴子さん! ………………………ときこさん?」
<とある寄宿舎管理人の黒手帳より>
一連のL・X・Eとの戦闘の事後処理に手間取っている。
そのせいか、部下の戦士二名のケアに怠慢があった。自分の管理不足だ。
昨晩遅く戦士・カズキが管理人室を訪れ、戦士・斗貴子による訓練の苛烈さについて打ち明けてきた。
訓練中に「ブチ撒けろ!」「楽に殺してやる」などと叫び、命の危険を感じるとのことだ。
現在、戦士・カズキ及び早坂桜花両名に対し、前後関係についてのヒアリング調査を行っている。
しかし戦士・斗貴子がこのような著しい興奮状態にある理由については、全く把握できていない。