授業参観、それは津村斗貴子にとってあまり好きではないものの一つだった。
『授業参観のお知らせ』なる紙を貰ってなにか期待しつつ責任者に渡しても
いつも目を通されるだけで何もなかった。
しょうがないのだろうとわかっているが
なにか言葉なり反応なりが欲しかったものだ。
小学生のときまでは。
しかし自分もすでに中学生となってすでに期待も何もなくなっていた。
そんなものだから『お知らせ』をもらって斗貴子は渡すか渡すまいか
一週間ほど迷ったのだった。手元に持ちつづけている間に
刻々と授業参観の期日は近づいてきている。
出さないと叱責されるが、出しても無関心なのはやりきれない気持ちになる。
それでも一応渡さなければならないだろうとなんとか決心して、彼女は責任者の元へ来た。
斗貴子は扉を開けてアジトに入った。
だがそこには誰もいなかった。
なんだか肩透かしを食らった気がした。
しかし待つつもりはない。無駄な時間をすごす気はなかった。
貰った紙をもう一度ざっと目を通し、机の上に置いておいた。
ここなら多分来た誰かが見つけてくれるだろう。
もちろん見つけられなくても彼女としては一向にかまわない。
提出したという事実さえ残ればいいのだから。
斗貴子は外へ出て今いる錬金の戦士のアジトから
そう離れていない自分に与えられている部屋へ戻っていった。
錬金の戦士の長キャプテン・ブラボーはあまりアジトへは来ることはない。
たまに来るのは報告を行うときくらいだ。
忙しすぎる彼は常に各地でホムンクルスと戦っていたので
戻ってきてもすぐに次の任務が決まるか、すでに次の任務が決まっていた。
けれども今回は次の任務は決まってるが珍しく一週間ほど間があいていた。
忙しいブラボーにはいい骨休みだった。
彼は銀のコートをひるがえしながら屋内に入ると、
がらんとした一室を見回して誰何した。
「誰もいないのか。」
答える者はいない。
ブラボーは報告書を置くべく机に近寄った。
「ん?」
先客があったらしい。
机の上には一枚の紙が置かれていた。
紙の右上には「津村斗貴子」と手書きで名前があった。
報告書を隣に置くとその紙を持ってブラボーは読んだ。
彼は読み終わると紙を元に戻して外へ出ていった。
授業参観当日。
教室はいつもとは違う興奮があった。
親が来る生徒はもちろんのこと、来ない生徒も、もちろん教師も
そわそわと期待や不安がないまぜとなって浮き足だっていた。
少しずつ生徒の親たちが入って来ている。
教室はざわめいた。
誰がどの生徒の母親なのかが、生徒の中でささやき交わされた。
さすがに中学生にもなると恥ずかしいのか親の顔を見ると
そっぽを向いてしまう子も中にはいた。
斗貴子はというと、自分は冷静を保とうと思ってはみたがどうも落ち着かない。
関係ないはずなのだが雰囲気に押されて
自分も浮き足だっている中の一人に入っているようだと感じて心の中で苦笑した。
授業の用意をすべく、彼女は机の中から教科書や筆箱を取り出そうとした。
そのとき、ざわざわっとさらに大きく教室がざわめいた。
気にせず彼女は用意をしていたがざわめきは一向に収まる気配はない。
一体何が起こったのかと彼女もつい後ろを向いた。
(え?)
斗貴子は目を疑った。
そこにいたのはメタルジャケットの武装錬金、シルバースキンを
着こんだキャプテン・ブラボーであった。
(戦士長!どうしてここに……)
呆然と見ていたらメタルジャケットの中の目と自分の目があった。
ブラボーはグッと小さく親指を突き出した。
彼女はそれに答えずにくるりと前に向き戻った。
(冗談じゃない。戦士長が身内だなんて知れたら……)
斗貴子は頭を抱えた。
そんなことになったらと考えると泣きたくなった。
ただでさえ自分は顔の傷で目立ち、浮いた存在なのだ。
これ以上厄介な事態にはなりたくなかった。
しかし生徒たちはブラボーに視線が釘づけで頭を抱えた
彼女にはどうやら気づかなかったようだ。
少し彼女は安堵した。
最初のざわめきは去った。
その代わり異様な緊張が教室を支配していた。
緊張の元であるブラボーは異様な雰囲気を漂わせて監視するがごとく
教室の後ろに立っていたが、それ以上のことはしないようで
他の生徒の母親と一緒に授業をただ見ているだけだった。
(一体何が目的で戦士長は学校へ来たんだ?
まさか私の学校での様子を見に来てなにか評価しようというのか?
それとも……)
最悪の事態が彼女の頭に浮かぶ。
錬金の戦士の中でも手練である彼が出てくるということ、それは
この中のどこかにホムンクルスが紛れこんでいる可能性があるということだ。
(まさか……)
それとなく周りを斗貴子は見回してみる。
だが、周囲はいつもと変わりはなかった
授業が終わって生徒の母親が去るのと同じくして
ブラボーも何もせずに去って行った。
斗貴子はブラボーを追いかけてなぜ来たのかと問いたかったが、
まだ授業があったので学校が終わるまで待たねばならなかった。
学校が退けると彼女はまっ先にアジトへと走った。
アジトの扉を開けると果たしてそこにはブラボーがいた。
「戦士長!」
椅子に座ってくつろいでいるように見えるメタルジャケットに足早に近づき
中の人物に彼女は声をかけた。
「なぜ今日学校へ来たのですか?」
「なぜって……、授業参観だからじゃないか」
「……まぁ、そうですけど、それだけですか?」
「他のみんなに聞いたら行かないというし、ちょうど俺が休暇中だから
保護者として行ったんだが、来ちゃ、ヤバかったのか?」
「いえ、そういうわけでは」
行くのが当たり前のような感じで答えるブラボーに斗貴子は拍子抜けした。
てっきりなにか重要な任務で授業参観を利用して
学校の様子を見に来たのかと予想した自分が馬鹿みたいだった。
確かにお知らせを置いたのは自分だし、戦士長であるブラボーが部下の様子を
見に来てもおかしくない。理屈で考えるならば、だ。
ただブラボーがこんな理屈が通じる相手か微妙だった。
「俺が合図したときに無視したからてっきり嫌なのかと思ったが……。
そうか、戦士・斗貴子!」
「何ですか、戦士長?」
「キミは照れていたのか!」
「……はぁ、そんなものです」
斗貴子としては上司にはっきりと「嫌です」などといえるわけがなく
遠まわしに「もう来るな」と言えればいいのだが、話の糸口がつかめなかった。
「あ!」
「今度は何です、戦士長?」
「そのあと保護者会があったのか?」
「え?」
「一応今日はキミの保護者だから行かないとな」
メタルジャケットのままでまた出かけようとする
ブラボーを慌てて斗貴子は押し止めた。
「ちょ、ちょっと待ってください!もう保護者会は終わってます!」
「そうか」
残念そうに椅子にストンと腰を降ろした。
「しかし、戦士・斗貴子。」
「はい?」
「今日のキミはブラボーだった!」
ブラボーはそう言うと親指をぐっとつき出した。
「あ、ありがとうございます」
何がブラボーなのかわからないが一応礼を言って斗貴子はアジトの外に出た。
これ以上ブラボーと話すと、また授業参観や体育祭などに来ると言い出しかねない気がしたからだ。
ふらふらと彼女は自分の家に帰っていった。
斗貴子が出ていったあとまた別の人物が入ってきた。
彼らと同じく手に持つ核鉄から錬金の戦士だろうと思われた。
「戦士長、今日はどうだった?」
来るや否やその人物はブラボーに尋ねた。
「今回は異常なしというところだな」
「戦士・斗貴子に気づかれなかったかい?」
「んー、俺が来た時点で気づいたみたいだったが、あとでごまかしておいた」
「気づいたのはさすがというべきかな?でもまた自分の学校がホムンクルスに
襲われるかもしれないなんて、彼女の場合キツいからね」
「そうだな、今回のところは彼女に黙っておいたほうがいいか」
メタルジャケットの隙間から見える彼の眼差しは優しかった。