「もう行くのか?」
寮の玄関で声をかけると、靴を履こうとしていたカズキは
私を見てうなずいた。
「そろそろ行かないと予約の時間に間に合わないからね。」
今日、カズキはサンジェルマン病院で検査をする。
核鉄が黒く変化し、ヴィクター化した身体を綿密に調べるのだ。
検査の中にはかなり苦しいものもあると聞く。
私は核鉄を渡してしまった自分のせいでカズキに
こんな検査を受けさせるのは、なんだかやるせなかった。
「大丈夫なのか?」
「うん。たぶん大丈夫。午前中には終わるらしいから
すぐに戻って来られると思うよ。」
私のそんな思いをやわらげるかのようにカズキは笑顔を見せた。
「そうか。なら昼食は取っておいたほうがいいか?」
「そうして貰えるとうれしいかな。……あ。」
「なんだ?忘れ物か?」
「うん。」
カズキはいったん部屋に戻って大きなかばんを持ってきた。
きっとその中に必要書類が入っているのだろう。
そんな大事な物を忘れるなんて、やっぱりカズキはおっちょこちょいだ。
靴を履いてこちらを向いてカズキが言った。
「斗貴子さんもあとで来ない?」
普段の私なら一蹴するような申し出だが、あのとき「なんでもする」と
言った手前、断るのも気が引けた。
まさか検査が怖いのだろうかと思ったが
カズキの様子を見るとそうでもないらしかった。
いぶかしんだ私の様子を見て、カズキはさらに言った。
「桜花先輩のお見舞いに行こうかと思うんだけど。」
そのとき私はどういう顔をしていたのだろう?
きっと不機嫌な顔をしていたのかもしれない。
「私はいい。キミ一人で行ってきなさい。」
そう答えたときのカズキの表情はさびしげだった。
「じゃあ行ってくるよ、斗貴子さん。」
断ったからか少し元気がないゆっくりとした足取りでカズキは出て行った。
昼食の時間から一時間過ぎた。
カズキはまだ戻ってこない。
どうしたのだろう?
検査に思ったより時間がかかっているのか、それとも
早坂桜花に会っているためなのか。
ところで、この寮の食事は取って置ける時間というものが決められている。
食卓に出されてから3時間しか取って置けない。
それを過ぎると捨ててしまう。
来た当初はなんてもったいないんだろう、と私は思ったものだ。
あとで食事を取って置いたまま腐らせてしまった
寮生がいたとか食中毒予防のためとか聞いて
仕方がないと思うようになった。
確かに多くの寮生の食事を取って置けるほど寮の食堂に置いてある
冷蔵庫は大きくない。
昼食を取って置いてくれとカズキは言ったがそういうわけで
時間を過ぎると例外なく捨てられるのだ。
捨てられると7時までは次の食事が出てこない。
カズキもそのルールを知らないわけではないが
一応知らせに行ったほうがいいのかもしれない。
それに早坂桜花、彼女の動向も気になる。
L・X・Eは壊滅したとはいえ彼女はその信奉者だったのだ。
なにか良からぬことをカズキに吹き込まないとも限らない。
彼女の言葉でカズキが左右されて精神面に悪影響が出るということが
あってはマズい。
カズキは自分がヴィクター化してショックを受けているから
動揺しやすいかもしれない。だからずいぶんと操りやすい相手だろう。
まさか下っ端である彼女がヴィクターや黒い核鉄について
知っているはずもないだろうが、それでも私は気になった。
食堂に行くと昼食が乗ったトレイが並んでいる中の二つをとり、
ラップをかけてその上にペンで名前を書いた。
それを冷蔵庫に入れる。
試験休みで皆出かけているのか、いつもよりも冷蔵庫に保存されている
食事は多かった。
「斗貴子さん、ご飯食べないの?」
「急に出かけるところが出来た。」
横で食事をとるまひろに聞かれたが、場所は言わない方が
いいかもしれないと私は判断した。
「もしかして斗貴子さんも検査?」
「私が行くのはカズキとは別のところだ。」
「別のところで検査なの?」
「いや、検査じゃなくて……。」
「じゃあなに?」
「それは……。」
「あ、わかった!お兄ちゃんみたいに斗貴子さんも
かっこいいから秘密ってやつ?」
「そ、そんなものだ。」
カズキがまひろに何がかっこいいから秘密だと言ったのかわからないが、おかげで
まひろは勝手に自分で答えを出してしまったので、これ以上聞かれなくて私は安堵した。
「捨てる15分前までにカズキと私が帰って来なければ昼食を誰か欲しい人に
あげてくれ」とまひろに頼んで、私は寄宿舎を出て病院に向かった。
前に行っていたので場所はすぐわかった。
早坂桜花の個室の前に行き私は様子をうかがった。
ドアの横に立ってそれとなく聞き耳を立てる。
ぼそぼそと話声が聞こえ、たまに笑い声が混じるけれども
ドアが閉まっているので内容までは聞こえないし、誰が桜花とともに
中にいるのかはわからない。
果たして中にいるのはカズキだろうか?
ドアを開けてのぞきたい気分になったが、それをやったら間違いなく
桜花にばれるだろう。それに廊下には他の患者や看護師の目もある。
そんなことが出来るわけもなかった。
やがて中の話声は止み、静かになった。
一体中では何をしているんだ?
ほんとはドアに耳をつけてでも、のぞいてでも、中にいるのが
カズキなのか知りたい。
もしカズキだったら早坂桜花と二人で何をしているのか?
嫌な考えが思い浮かぶ。
嫌な考えを一人妄想して嫌な気分になっていたら
肩を叩かれた。
思わず声をあげそうになったがそれをなんとか
押しとどめた。
私は完全に中に気をとられていて周囲に注意を払ってなかったらしい。
普通ならこんな近くに人が来るまで気づかないはずがない。
私は振り向いて、肩を叩いた人物に言い訳すべく
言葉を探した。
「あ、あの……。」
肩を叩いたのは桜花の点滴を換えに来た看護師だった。
「お見舞いの時間はもう始まってますよ?」
「あ、……はい。」
「入りづらいのなら一緒に入りましょうか?」
断ることもできず、促されて私は看護師とともに早坂桜花の病室に入った。
カズキはやはりここにいた。
だが病室に入った私の目に映ったのは考えていたのとは違うものだった。
カズキはベッドのかたわらのサイドテーブルで、早坂桜花はベッド上のテーブルで
それぞれ無言で書きものをしていた。
看護師といっしょに入ってきた私を見てカズキは驚いたようだ。
「斗貴子さん、どうして……。」
それだけ言って言葉が続かない。
カズキが言った私の名前に反応して桜花も顔を上げた。
「あらあら、津村さんではありませんか?」
桜花は一瞬見せた意外そうな顔を、すぐににこやかな顔に変えた。
教師生徒からも人望の厚い生徒会長をやっているだけある、
人をひきつけるような笑顔だ。
「いったい二人で何をしているんだ?」
余裕ありげな早坂桜花の表情を見て、思わず詰問口調になってしまった。
「何って、生徒会の仕事をしてるんだけど。」
カズキが答えた。
「生徒会?」
「ええ。あれ以降、生徒会長も副会長も書記も不在で、
しかも生徒会は開かれないまま一学期が終わりそうですし。」
カズキの言葉を受けて桜花も答える。
「それで仕事が滞っているわけか。」
確かカズキもクラス委員だったはずだ。
そういうことだったのか。なんだかカズキらしくて、そして自分の想像と違って
ほっとした。
「斗貴子さんこそどうして来たの?」
なんだかちょっと勘に触る言い方に聞こえたのは私が様子を陰でうかがってたからか。
もしかして来ないといったことを根に持っているのかと思ったけれど
意外そうな表情のままのカズキを見て、それは私の思いすごしかもしれないと思い直した。
「キミが昼食に来ないものだから呼びに来た。」
「あー、そっか。捨てられちゃうもんね。」
「あぁ。一応私の分とキミの分、時間に間に会わなかったら
誰かにあげてくれとまひろに頼んできた。」
「斗貴子さんの分?斗貴子さんも食べてないの?」
「暑くて食べようと思えなかったから、時間を置いて食べるつもりだったが……。」
私は桜花を見た。それからカズキも。
「キミは仕事が終わるまで帰るつもりはないんだろう?」
「うん。」
予想通りカズキは即答した。
「なら私も手伝おう。どうせやるなら二人よりも三人のほうが早い。
もっともクラス委員でもない私がどれくらい手伝えるかわからないがな。」
「それはお二人に悪いです。帰ってお昼を食べてください。」
桜花はすまなそうに言った。
「だいじょぶ、一食くらい抜いたって…。」
しかし強がってみせた直後におなかが鳴り、カズキは顔を赤くした。
「カズキ、一階に売店がある。そこでおにぎりでも買ってきたらどうだ?」
私は桜花を一瞥して、カズキに向き直った。
「そんなのあるの?でもオレ、場所知らないし。」
「それなら御前様に案内させますよ?」
桜花のパジャマのポケットから出た核鉄は姿を変え、
エンゼル御前になった。
核鉄から姿を変えたばかりのエンゼル御前は少しばかりきょろきょろとして
状況がわかると真っ先にカズキに抱きついた。
桜花が私に視線を少し動かした。彼女も私の意図がわかったらしい。
「せっかくだから私の分のおにぎりも買ってきて欲しい。」
カズキは私と桜花を見ている。
「でも。」
私はカズキをにらみつけた。
カズキの横にいるエンゼル御前が少し震え上がった。
「早く仕事が終わったほうが早く帰れるだろう?ならキミが買ってきている間、
私が仕事をしたほうがいい。」
「そうです。こちらは大丈夫ですから、武藤君は息抜きをしてきてください。」
あくまでも穏やかな顔を崩さない桜花に後押しされてカズキは決めたらしい。
「わかった。買ってくる。」
不安そうにこちらを見ながら、カズキはエンゼル御前に引っ張られ
しぶしぶと部屋を出て行った。