「う〜、寒い寒い……。」  
雪がちらつくほど寒い二月三日の夕方、いつきが手を擦りながらアストラルへ帰ってくる。  
部屋に入ると、片隅で穂波が壁に向かって何かをしているのを認めて声を掛ける。  
「穂波、何してるの?」  
しかし、穂波は壁に向かったまま振り向くどころか返事もしない。  
いつもの穂波なら、どんなに忙しくてもいつきから呼び掛けられた時には、不機嫌そうな表情を  
作りながら、必ず即座に反応を返してくる。  
それが今日に限って無反応である事に違和感を感じた少年は、更に一回り大きな声で穂波を呼ぶが、  
穂波はそれでも何の反応も示さず、相変わらず壁に向かって慌ただしげに何やらゴソゴソやって  
いるだけである。  
心配した少年が穂波の方に歩み寄り、肩に手を掛けて三度穂波を呼ぶ、  
「穂波、どうしたの。大丈夫?」  
そう言って覗き込んだ少年の目に映ったのは、口いっぱいに何かを頬張って涙目になっている  
穂波の顔だった……。  
 
「も〜、社長ってば。せっかくの恵方巻きが台無しやないの。」  
「ご、ゴメン……。知らなくて、つい……」  
そう言って謝る少年の前で、ひとしきり咽た後、口の中の太巻きをお茶で流し込んだ穂波が言う。  
穂波の説明によると、「恵方巻き」と言うのは関西地方の行事で、節分の日に恵方の方角を向きながら  
太巻きを丸かぶりし、一年の無病息災・商売繁盛等を願う物だそうで、その際の太巻きは無言で  
食べるのがルールなのだそうだ。少年の呼びかけに反応しなかったのはその為だったようである。  
 
「まぁ、ええわ。社長の分の太巻きもあるから、社長もやってな。」  
そう言って、穂波が傍らのお皿を指差す。  
「え…僕もやるの?」  
「当然やないの。社長として、しっかり商売繁盛お願いしといてや。」  
穂波に促がされて、少年はもう一度恵方の方角や食べ方を確認すると、太巻きにかぶりつく。  
その様子を横から眺めている穂波の顔が心成しか赤く染まって見えるのは、この太巻きが昼から  
かかって彼女が丹精込めて作った物だからであろうか。それとも、黒くて長い太巻きを咥えて  
格闘する少年の姿に、何か官能的なものを感じてであろうか……。  
 
「ふぅ、食べた〜。」  
少年の声に、少年の姿に見惚れていた穂波はハッと我に返って、  
「あっ…あぁ、御苦労さま。私お茶煎れてくるわ。」  
と言うと、慌てて台所の方に駆けて行くのであった……。  
 
 
「ななな…なんですって!?」  
そう叫んで跳ねるように立ちあがったのは、魔術結社ゲーティア首領、アディリシア・レン・メイザース。  
ここは同じ日の夜、アディリシアの執務室。アディリシアの前に居るのは、以前の騒動の時に喚起した  
ミニエリゴールである。  
あの時以来、その小ささを利用してアストラルの…というよりもいつきの監視に使われているのだ。  
「い、いつきと穂波が…二人っきりで、黒くて長いものを口に咥えてモゴモゴしたり、咽たりしていた  
 ですって!!!!」  
ソロモンの魔神であるエリゴールが太巻きなど知っている筈も無いし、いつきでも知らなかった  
恵方巻きを、イギリス育ちのアディリシアが知っている筈も無い。  
アディリシアは机に叩きつけた拳をワナワナと奮わせていたかと思うと、おもむろに顔を上げ、  
寒空の下アストラルへ向かって屋敷を飛び出して行くのであった。  
 
一方ここは同時刻のアストラル。  
猫屋敷は原稿の〆切りが近くて自室で執筆中、穂波は研究室、みかんは既に就寝中である為、  
少年は一人でディスクワークをしていた。  
バタンッ  
突然扉が乱暴に開かれる音に、ビックリして振り向いた少年の視界に、息を切らせたアディリシアの  
姿が飛び込んでくる。  
「アディリシアさん、こんな時間にどうしたの?」  
驚いた少年が尋ねるが、アディリシアはそれには答えず。ツカツカと少年の側まで歩み寄ると、鬼の  
ような形相で  
「いつき、穂波にだけなんて許しませんわよ。」  
と言うや否や、椅子に座っている少年の股間に顔をうずめ、前歯を使って上手にファスナーを下ろすと  
少年のペニスを取り出して口に含む。  
「う、うわわわ……。アディリシアさん!?」  
いきなりの事に呆然としていた少年が、慌ててアディリシアを止めようとするが、アディリシアは  
一旦ペニスから口を離すと、上目使いに少年を睨みながら  
「あら、穂波には許して、わたくしにはダメだとおっしゃるの? 穂波なんかよりずっと気持ちよく  
 して差し上げましてよ。」  
と言うと、再び少年のペニスを咥え込む。  
 
「いっちゃん、どないしたん!?」  
物音と少年の声に慌てて駆け付けて来たのであろう穂波が、少年の前の怪しい影に向けてヤドリギを  
放つ。空気を切り裂く鋭い音が聞こえ、数本のヤドリギが少年の周囲に突き刺さった。  
「アディ〜、そこで何しとるんや〜。」  
影の正体を確認したらしい、低く怒気のこもった穂波の声。とっさに身を躱したアディリシアが、  
穂波に向き直る。  
「あら、抜け駆けをした張本人が何を偉そうに。」  
アディリシアは口の端に笑みを浮かべつつ、先程までの名残を堪能するかのように唇を舐めながら  
構えをとる。  
 
アディリシアの行為と突然のヤドリギに驚き、放心状態で固まっている少年に目を遣った穂波が  
少年の股間の状況を認識するや、眼鏡が光り、  
「アディ〜、今日こそ決着をつけんとあかんみたいやね〜。」  
と言う言葉と共に、怒りに満ちた魔力が周囲を覆っていく。  
「フン、望む所ですわ。今日こそどちらがいつきにふさわしいか教えてさしあげますわ。」  
一方のアディリシアからも、負けじと闘気に満ちた魔力が立ち昇っている。  
「イタタタタ……」  
なんとか股間の物をしまった少年が、今度は眼帯を押さえてうずくまる。  
 
「覚悟なさい、ミンチにしてフォルネウスのエサにして差し上げましてよ!」  
「上等や、奥歯にドリルで穴開けて氷噛ませたる!」  
およそライトノベルのヒロインらしくない台詞を吐く二人の少女が、魔術や召喚魔神を駆使して  
一帯を戦場に変えていく。  
騒ぎに気付いたのであろう、猫屋敷とみかんが姿を見せた、  
「おやおや、これは一体なんの騒ぎですか?」  
半ば呆れたように言う猫屋敷に、天井の方から降りてきた黒羽が事情を説明する。その詳細な  
説明からすると、どうやら最初からずっと様子を見ていたようだ。  
「やれやれまたですか……。豆でも投げときましょうかね。」  
と言って、溜息をつく猫屋敷。  
目の前で繰り広げられている惨劇にも馴れた様子で、眠そうにあくびをするみかん。  
目を輝かせて成り行きを見守る黒羽。  
眼帯を押さえてのた打ち回る少年。  
今日もいつもと変わらぬアストラルの夜が更けていくのでした……。  
 
おしまい。  
 

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