「いやーしかし、高校中退のうちらががまさか、ねえ?」
「ほい、マツリは高校、行ってないよ」
「高校中退と、未開のタリホ族が、先生だってんだから笑えるわー」
そういって、実験手順書をぱらぱらとめくる。
作用・反作用から始まり、無数の実験が載っている。高校時代の理科資料集を思い出した。
次のミッションは、NHKからの依頼によるものになりそうだ。SSAによる、有人宇宙飛行の
脅威的価格破壊を受け、本格的に宇宙実験やらなんやら、宇宙を題材とした教育資料を
作ろうと動いたという。シャトルからの、イベント的な「宇宙授業」とは違い、体系立てて
何百もの実験や説明を、最高のハイビジョンカメラに収める。
教育番組で年間を通じて活用されるほか、教育資料として学校へと販売もされるらしい。
いま、木下と共に茜が、そのビデオの"先生"役として、先方に概要を聴きにいっている。1番適役だろうと
こちらから推薦した。頭は勿論、なによりあの子が宇宙を語る時の溢れるようなエネルギー。
良い"先生"になると、素直に思う。
「これだけ沢山あると、大変そうだねえ」
「なんか、3度に別けるんだってね。NHKも奮発したなあ」
とそこで、手元のトランシーバーがゆかりを呼び出す。
「あれ? なんだ一体。はいはいもしもーし」
『ゆかりさん、お客が来てるとのことで、呼び出しがかかっています。
いまどちらですか? 迎えにいきますが』
「えーなんで? NHKなら茜がいってるよ。まだ本格的なミーティングじゃないでしょ?」
『それとは別件だそうです』
「…仕事としての呼び出し命令?」
『どうやら、そうみたいですね』
「うええ…しまった、茜待たずに、先に泳いどけば良かったかな」
「ほい、でもなんだろうね」
「さあね…。あー、もしもし。さっき下してもらった、いつもの砂浜です。お迎えよろしくー」
「急で申し訳ありません。どうしても、先に直接話をしたいというもので」
「なに、構いませんとも。先のミッションでは本当にお世話になりました。」
本当に、ともう1度強調してくわえる。
応接室で那須田が来客を迎えていた。
「ただ…我々としては喜んで受けたい所ですがね、
内容が内容だけに、最後はうちの3人に判断を任せようと思う。
彼女らが受けるかどうか」
「ええ、勿論です。我々も、そして我々の娘も、無理を通すつもりはありません」
「しかしなぜ、この実験を受けたんです?」
同席していたさつきが口を挟む。
「失礼ですが、余りに時期尚早に思います。正直、意味があるかも怪しいところかと」
「ええ、まあ…理学的にはそうなんでしょう。
人が宇宙に適応できるか、まだ研究はそのレベル、今回の実験の遥か手前ですし、
今回のミッションのその"先"だって、既に動物実験が否定的な結果をだしている。
なんでいまそんなことを、とは私も思いました」
その通り、というようにさつきが頷く。
「ただ、SSA、そして我々によって、宇宙環境の研究は一気に加速しました。
後を追う勢力も見えはじめています。今後益々加速することでしょう。
そんな状況をうけて、既にいまのうちから、これも並列で進めておきたい、
人の宇宙進出が確実に見えてからでは遅い、というのが先方の主張です。
我々としても、彼らの事業に将来関係することは明白ですから、
研究も共にできるならそれ幸い、といったところです」
「そりゃあ、理屈はいくらでもつきますが、なんというか…」
「まあさつき君。特別困難なミッションでもないんだ、ビジネスとして悪い話ではないさ。
我々にしたって、ミッションが困難でないとはいっても、SSAのオービターでは出来ないものだ、
それを誘って戴けるというのは、ありがたいことこの上ない」
「それは、そうですが…」
「問題は、ゆかり君が受けるかどうかだ」
「それはかなり難しいと思います」
「だよなあ」
「うちの娘も、無理にとは思っていないようです。
なんとか説得したいようですが」
「げえっ、ソランジュ!」
「いきなりなによ」
「こっちの台詞。なんであんたが居るわけ?」
「突然来たのは謝る。どうしても直接話したかったの」
「いや直接はいいけどさ、事前に連絡くらいできるでしょうに。
大体さ、なんで宿舎よ。仕事の話で」
「会議室や応接室で話すものでもないからよ。
そういう部分は、正式な場で話せばいいこと」
「ふーん?
まあ、いいや。良くわかんないけど。。
だったら、食堂とかどう? このすぐ奥。
飲みものもあるしさ。フランス娘のお口に合うかは知らないけど」
「遠慮するわ。
他の場所はない?」
「…いいじゃん、飲まなくたっていいよ別に。
とりあえず立ち話じゃ疲れるでしょ」
「そうじゃない。
出来れば2人っきりの場所で話したい」
「…じゃあやっぱり会議室でいいんじゃあ」
「だから、会議室って内容でもないのよ。
あまりビジネス然と"交渉"したくないの」
「なんだそりゃ…。仕事でしょ?」
「ええ、仕事」
「…変な奴。じゃあいいよ、あたしの部屋で。
階段大丈夫?」
「とっくに完治させたわ、あの程度」
「おーおー、よく言う」
「じゃあ早速だけど」
「うんうん」
「ゆかり、いま好きな人はいる?」
「は?」
間の抜けた声で返してしまう。
「ソランジュ、あんたなにいってんの?」
「仕事の為よ。訊いておきたいの」
ソランジュの青い目は、どうも真面目そのものだった。
「はぁ…。好きな人ねえ…いないよ。いませんとも」
「そう。よかった」
「よかないっ」
「だったらもう一つ」
ツッコミは華麗にスルーされた。よくはないだろうってば。華の17才で恋の一つもないこと、少しは気にしてんのに。
「男性経験は?」
「はぁぁ!?」
さっき以上に間が抜けた。
「ふざけてんの?」
「いいえ。仕事のため」
その目は変わらず大真面目。…真面目だからっていいってものでもないが…。
「ないよ、そりゃ」
「そう。困ったわね」
「困るかっ! これであったほうが困るわ!」
「まあ、いいわ」
またも華麗にスルーされた。こいつは…。
「ねえ、ゆかり」
「なに。今度は離婚歴?」
「質問はもう終わり。仕事の話に入るわ」
「あ、そ」
「大切なものを、悪いんだけど」
「んー?」
「私に、初めてをくれない?」
「…はぁぁぁぁぁぁ!?」
間はこれでもかと抜け続ける。
それでもソランジュは真面目な顔で、
「私とセックスして欲しい。これが仕事」