「ひゃっ…!?」  
 
 バイザーを通してエルフのデータを解析していたシエルは、不意に脇腹を撫でられてイスに座ったまま飛び上がった。   
 狼狽している間に温かなものが背を覆い、体を拘束する。後ろ抱きにされているようだ。  
 ひたりと首筋にあてられる柔らかい感触と、僅かに漂う埃とオイルの匂い。視界を閉ざしていても、奇襲を仕掛けてきたのが誰かわかった。  
   
「ゼ、ロ…っ、ゼロでしょ?」  
 
 返事はない。代わりに抱き締める力が強くなった。相手に余裕のないことを悟ってシエルは必死で言葉を選ぶ。  
 
「お願いだから、少し、っ…!」  
 
 項を舌で辿られて、続きを飲み込んだ。  
 身を竦ませた隙に、バイザーを外され、頭を引き寄せられる。  
 唇を塞がれる。キスされたと認識する間も与えずに舌が歯列をこじ開けて侵入してくる。  
 
「ん、んん……っふ…ぁ、む…」  
 
 後ろからがっちり捕まえられながら、口の中を好き勝手に弄ばれる。舌を追い回され、力の抜けた体を無骨な手がなぞっていく。  
 口腔で液体が混ぜあわされる音に混じって、バイザーが床に落とされる音を聞きながら、シエルは否応にも高まる体の熱に耐えるように眼を瞑った。  
 いやだ。こんなところで、こんな昼間から―――解析の途中なのに。言いたいことはたくさんあるのに、意識はもうふわふわして、生理的な涙が滲んでくる。  
   
「――っは、ぁふ……っ」  
 
 ようやく口を解放されたのも束の間、脱力した体をイスから引きずり上げられ、うつ伏せに壁に押し付けられた。  
 後ろからゼロが被さってくる。ぴったり密着した体の、尻のあたりにぶつかるものを感じて、思わず怯む。  
 
「あ、ぁ…!」  
 
 大きな掌が下着越しに秘所をさする。鼻にかかった声を漏らしてから今どこにいるかを思い出して、シエルは慌てて唇を噛んだ。  
 ここは専用の研究室として割り振られた部屋ではあるが、私室とは違うのだ。いつ誰が来るともわからないし、防音設備だってプライベートエリアと同等のものが施されている保証はない。  
 隣は、セルヴォのラボだ。  
 もし彼にこんなはしたない声を聞かれてしまったら―――私とゼロのしていることを知られてしまったら。  
 
「やだ…っ」  
 
 耐えがたい恐怖がシエルを襲う。必死で逃れようとする腰は、しかしたやすく押さえ込まれる。執拗にそこを擦られ、乱れていく息にシエルは絶望的な気分になる。指の腹で小さな突起を捉えられると、体が跳ねてしまう。  
 
「…や……ゼロ…いや…こんな……んっ」  
「…シエル」  
 
 名前を呼ぶ低い声が耳元に降りた瞬間、ぞくりと体が震えた。  
 
「…、…や、ぁ……」  
 
 弱弱しく声を漏らし、シエルはふるふると頭を振るった。強引な行為に否を唱える理性に反して、快楽に慣らされた体はゼロの手に応えるように疼き、より強い刺激を欲していく。  
 自分の女の部分が喜んでいるのだ。想い人から求められることに。  
 
「ゼ…ロっ…だ、めえ……」  
 
 羞恥と戸惑いで一杯になりながら、シエルはゼロを振り返る。涙で霞む視界の中、すぐ傍のミッドナイトブルーの瞳が暗い炎を宿したように輝いていた。  
 
 ああ、と妙に納得してしまった。どうやらスイッチが入ってしまったらしい。  
 
 シエルの体を開くときのゼロは、大抵こんな目をしている。いつにも増して読めない表情も、平素の穏やかさから想像できない程荒々しい振る舞い方も、初めてのときから変わらない。  
 抑制が利かなくなることを彼自身も自覚しているらしく、こうしている時以外は前にも増して気遣ってくれるようになったが、態度の落差が広まった分、シエルはかえって人が変ってしまったような印象を受けていた。  
 0から1に信号が切り替わるように、彼をまるまる別人にする何かが、その思考回路の中にあるのではないかと思うことさえある。  
 だが、獣のような眼差しや性急な行動に恐れを抱きつつ、自分はそれを決して拒んではいない。現に今も体を弄るゼロの手を受け入れつつある―――こんな危険な状態にあるにもかかわらず。  
 
 
 静かにシエルを射抜いていたゼロの眼がふっと細められる。  
 
「だめ、か」  
「あ…っ」  
 
 下腹部をさまよっていた手がスカートを押し上げ、タイツを捲り下ろす。腿から尻にかけて指でゆっくりと辿られただけで、シエルの体は面白いように反応する。  
 
「…い、や…いやなの、ゼロぉ…」  
「…そんな顔で言われても、説得力がないな」  
「んぅっ…!」  
 
 下着の中に指が潜り込んで直接割れ目をなぞる。滑らかに擦られる感触ですっかり潤っているのがわかって、顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。  
 
「うぅん…っはぁ……ほんとに、だめっ…だれか、きたら…」  
「カギはかけた」  
「…こえ……きこえちゃ…あぁんっ…!」   
 
 ずぷりとゼロの指が奥に侵入してくる。とろけた内部を擦られ掻き回されると、もう声を殺してはいられなかった。抗議も拒絶も、口から漏れれば嬌声にしかならない。  
 ぎゅっと目を瞑って壁に頭を押し付ける。顔に当たる冷たさで気を紛らわせようとしても、熱は散らずひどくなる一方だ。  
 
「やぁん、あ、あぁうっ…ひあっ」  
 
 二本、三本と増やされる指をきゅうきゅうと締め付けて、そこは後から後から蜜を溢れさせる。  
 ぼうっと頭に靄がかかって、何も考えられない。置かれている状況もひしめいていた感情も全て遠ざかって、ただ与えられる快感を享受することだけに意識が集中していく。  
 
 溶けきった心身が高みに上りかけたところで、内側で暴れていた指を引き抜かれた。  
 腰を押さえていた手が頬に移動する。存外に優しく涙を拭われて、シエルは薄目を開けた。  
 
「シエル」  
 
 軽く唇をノックされる。おずおずと開いたそこから、指が中に入りこむ。  
 
「……噛んで構わない」  
 
 
 短く告げられるや否や、熱い塊がシエルを貫いた。  
 
「ふっ……う、んん…!!!」  
 
 苦悶と悦びの入り混じった叫びは外に出ることを許されず、喉元に掻き消えた。  
 圧迫感と異物感に硬直する体を後ろから突き上げられる。引きつれた粘膜も、数度中を往復されればすぐに馴染んで、収縮を始める。  
 
「んっ…ん、くぁ……ふぁう…んむっ…」  
 
 荒い抽送に合わせて熱っぽい吐息と淫らな水音が漏れる。塞がれた口元からはだらしなく唾液が零れ、ゼロの手を濡らしていく。  
 壁に追い詰められて、犯されて、追い立てられて。ひどいことをされているのに、シエルは奇妙な安心感を感じていた。  
 受け入れている間は、完全にゼロのものになれている気がするから。必要とされていることを体で実感できるから。  
 激しければ激しいほど、より強く求められていると思えるから――――だから嬉しい。  
 
「うぅん…っ!! んんっ…!」  
 
 一度火をつけられた体が上り詰めていくのはあっという間だった。  
 しきりに弱いところを突き立てられ、シエルは耐え切れず口の中の指に歯を立ててしまう。  
 ゼロの方ももう限界らしく、蹂躙する動きがますます激しくなっていく。  
 
「…っシエル……シエル…シエル…ッ!」  
「ふぁむ…!…んッ…く、ううぅっ―――!」  
 
 自分を呼ぶゼロの声と荒い息を聞きながら、シエルは大きく体を痙攣させた。  
 
 
 
 
「ひどいよ、私いやって言ったのに」  
「すまん」  
「こんなところで、こんな時間に。誰かに聞かれたらどうするの」  
「…口は塞いだのだが」  
「そういう問題じゃない」  
 
 濃厚に非難を込めた眼差しで睨んでくるシエルを前にゼロは狼狽していた。  
 研究室の中で数回交わって、ようやくひとここちついてからシエルを抱き起こしたところで、泣き出されたのだ。  
 思えば穏やかな気性の彼女からこんな風に詰られたことなどかつて一度もなく、ゼロは本気で途方に暮れていた。  
 まだ目を赤くしているシエルの肩を、恐る恐る抱き寄せる。拒絶されないことに些かほっとしつつ、視線を合わせて懸命に語りかける。  
 
「本当にすまない。そんなに嫌がるとは思っていなかった……お前が嫌なら、もうしない」  
 
 今までの頻度から言ってとても耐えられそうに無いのだが、シエルに嫌われてしまうよりはマシだ。  
 彼女と繋がりたいと思う欲求はゼロにとっても不確定要素で、自身では抑えきれないことも自覚している。  
 
「ち、違うのっ!」  
 
 急に語気を強めたシエルに、思わず体が強張った。また何か彼女の逆鱗に触れるようなことを言ってしまったのかとゼロは内心焦る。  
 最悪の展開を回避すべくめまぐるしく思考回路を働かせて次の行動を模索していると、ふいに背中を引き寄せられた。  
 
「あ、あの、…その…えっと、するの自体が嫌とかそうじゃなくて…時と場所を選んでほしいというか」  
 
 俯いたり上目づかいに見上げたりを繰り返すシエルの頬は赤い。態度の変化に困惑しながらも、ぴったりくっついてくる柔らかい感触に再び体が疼きそうになって、ゼロは咄嗟に目を泳がせる。  
 それでも腕はほとんど反射的にシエルの体を包み込んでしまう。頭の中の理性的でない何かが、離したくないと訴える。  
 
「…今日は、いきなりすぎてびっくりしたの……おかえりも言わせてくれないなんて……あんまりだよ」  
「…すまん」  
 
 寂しそうに言うシエルの口調から、ようやく彼女の怒りの一端が垣間見えた気がした。  
 ここ四日の間、ゼロは資源鉱物の入手のため辺境に向かっていた。  
 該当する鉱物の分布域は特定不可能で、周辺には敵が大量に潜んでいたため、探索は難航した。シエルは一度ベースに戻ることを提案したのだが、ゼロが容れなかった。  
 結局未開の地をさまよい続けて、今日やっとベースに戻ってきたのである。  
 無理を通させて心配をかけていた彼女の元に向かうなり襲いかかったのだから、短慮としか言いようがないだろう。  
 
「……敵を殲滅しているときに、お前のことが頭に浮かんだ。会いたいと思ったら…止まらなくなった」  
「ゼロ…」  
「ずいぶん遅くなったが……ただいま、シエル。心配させてすまなかった」  
「あ…お、おかえりなさい」  
 
 はにかんだような笑みを浮かべて言うシエルが愛おしくて、ゼロはその額に唇を落とした。  
 瞼に、頬に、唇に、ついばむ様に口づけ、頭を撫でる。恥ずかしそうに俯いていたシエルは、はたと何かを察したように目を見開いた。  
 
「あの、ゼロ……指、平気だった? ごめんなさい、私、我慢できなくて…」  
「大丈夫だ。そんなにやわじゃない」  
「そ、そう…よかった……ところで、その… …また……あたってるん、だけど……」  
「お前の部屋ならいいんだったな」  
「え…」  
 
 ゼロは小柄なシエルの手を掴んで部屋の外に向かう。小走りになりながらついてくるシエルが慌てて腕を引いてきた。  
   
「ちょっ、ちょっと待って…私、そんな」  
「四日分だ。オレは会えなくて辛かった…お前は?」  
 
 立ち止まって振り返れば、卑怯だと言わんばかりの視線に出会う。  
 
「…辛かったに決まっているでしょう」  
 
 返ってきた答えにわずかに口元を綻ばせて、ゼロはシエルの小さな手を握り直した。  
 
 
 
 
(終)  
 
 

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