「はぁ……、はぁ……」  
 二人とも、荒い息だった。  
 何だか、意識にもやがかかっているような、ぼんやりとした心地だった。  
「ご、ごめんね……」  
 ゆるゆると上半身を起こしながら、僕は謝った。  
「?」  
「断りもせずに、その、出しちゃって」  
 僕がそう言うと、スプラッシュはちょっと困ったような表情を作った。  
「もう、最初に言ったじゃないですか。……好きな時にイッていいって」  
「まあ、それはそうなんだけど……」  
 タイミングとか心の準備とか、彼女にもあっただろうに。スプラッシュはそんな事を思っている僕を見つめ、やがてクスリと微笑んだ。  
 ふと、先程己を放ったばかりのスプラッシュの顔に改めて目をやる。  
 彼女の頬を、つうっと精液が一筋垂れ落ちていた。  
 思わず僕は、彼女のその垂れ落ちた跡に、舌を這わせてしまった。  
「あ……」  
「あっ、ご、ごめん」  
 慌てて謝る僕の姿を見たスプラッシュは、急に悲しそうな顔になって、  
「遠慮なんてしないで」  
 と言いながら、僕の身体にしな垂れかかってきた。  
 
 後頭部と背中に手を回し、彼女の綺麗な唇が僕に吸い付いてくる。  
 不器用ながら僕もそれに応えた。二人の舌が、ヌルヌルと絡み合う。甘い香りが、再び口内を覆う。  
「ふふ、人工呼吸には、もう慣れました?」  
「もう、その話は止めてよ……」  
 悪戯っぽく笑うスプラッシュに、僕は苦笑した。  
 先程あんなに出したばかりなのに、僕の下半身はすぐに元気を取り戻し、彼女の尾びれの辺りに触れる。  
 やがて、僕は彼女をゆっくりと押し倒した。彼女の全身が、視界に映る。  
 視線は下へ移る。青い鱗に覆われた、魚の形をした下半身へと。  
 人間の、下腹部に当たる所。  
 分かっている。  
 そこにあるはずの、女性として最も大切な器官……男が最後に行き着く所、女性器。彼女には、それが備わってはいない事を。  
 メスの魚にも、産卵のための生殖孔がある。魚の下半身をした人魚にも、恐らく同じように付いているだろう。  
 だが、いくら美しくとも、いくら優しくとも、彼女はロボット。我々生き物ではない、人工物。  
 生命の受け渡しは、できない。  
 
 ましてや海難救助ロボット……、海上の人を助ける、そのためだけの存在。例え彼女が人魚型でなかったとしても、そういうものは付けないだろうし、付ける理由もない。  
 分かっているつもりだったのに、彼女のその姿を改めて見て、今更になってひどく悲しく思えた。  
(やっぱり……人とロボットは、結ばれないのか……)  
 そう思った僕の心を読んだかのように、不意にスプラッシュが僕の名前を呼んだ。  
「来て」  
 え、と思わず僕は呟いた。彼女は繰り返す。  
「来て、貴方を感じさせて」  
 自分の下腹部付近にそっと手を当てている。まるで、僕をその中心に誘うかのように。  
「ここに、貴方のを押し付けるだけでもいいから……」  
 その一言で、僕は目を覚まされた気分になった。  
「お願い」  
 返事の代わりに、彼女の淡い唇に噛み付いた。  
 何をバカな事を考えていたんだと、自分を叱りたくなった。  
 僕は彼女を愛していたんじゃなかったのか。  
 こんな事でためらって、どうする。  
 互いの口が離れ、透明な橋がつうっと垂れ落ちる。  
 それが合図であったかのように、僕は自分の両足で彼女を挟むようにのし掛かる。  
 
 そして、二つのマリンブルーの瞳を見つめながら、スプラッシュの中心目掛け、昂ぶりを押し付けた。  
「ふぁ……」  
 可愛らしい声が、彼女の喉から漏れた。  
 
 そうだ、ロボットだって、生きているんじゃないか。  
 例え人工物だろうが、彼女には意志がある。心がある。  
 本当の意味で交われなくったって、いいじゃないか。  
 そこに愛があるのなら、僕達は、心の奥深くで、強く結ばれる。  
 
「う……動くよ……」  
 無言で頷くスプラッシュの顔は、心なしか赤くなっていた。  
 すりすりと己を擦り付ける。思わず声を上げそうになり、歯を食いしばる。  
 ゆっくりと腰を引く。喘ぐスプラッシュの顔が例えようもなく美しい。  
 勢いを付けて再び押し付ける。充血した亀頭が、ぬるりと鱗の上を滑る。  
 もう一度、腰を引き、押し付ける。  
 もう一度、もう一度。  
 みるみる内に、スプラッシュの身体から強い熱が放たれ始めた。  
 回路がオーバーヒート気味になっているのか、それとも本当に火照っているのか。  
「貴方を助けて、貴方が有り難うと言ってくれたあの時に、心のどこかに、これまで知りもしなかった感情が生まれていて……」  
 
 喘ぎ喘ぎ、スプラッシュは言葉を発する。  
「その次に会った時、貴方が、どうしてこっちから話しかけてきたのかと聞いてきた時、それが恋心というものだと分かって……。それからずっと、あたしの頭脳の中で、貴方の事が離れなくなって……」  
 そこから先は、ほとんど聞き取っていなかった。  
 いつものようなくだらない考えもしないほど無我夢中に、僕はスプラッシュを犯していく。  
 腰を動かしながら、彼女の細い首に、軽く朱の入った頬に、つやのある睫毛に、綺麗な胸のふくらみに、舌を這わせる。  
 僕の名前を何度も何度も喘ぎながら呼ぶスプラッシュ。  
 その甘味な歌声に酔いながら、己を突き動かす僕。  
 二人の身体がぶつかり合う音。  
 
 僕達は今、海の中を泳いでいる。  
 愛と悲しみ、快楽の海の中で二人、潮の流れに乗り、魚のように旅をしている。  
 二人の別れを惜しむ旅。二人の繋がりを確かめる旅。  
 彼女は今、何を思っているのだろう。  
 刻々と迫る死の恐怖か。思い出に対する心残りか。  
 それとも、僕との別れの悲しみか。  
 だがとにかく、今だけは全てを忘れさせてあげよう。  
 
 それがきっと、今僕が彼女にしてやれる唯一の事なのかもしれないから。  
 
 気付けば、もう海面が近い。  
 その時は、すぐそこまで来ている。  
「スプラッシュ……! もう……イクよ……!」  
「来て……。あたしの身体に、貴方の全てを……!」  
 互いを強く抱いたまま、二人はきつく目をつぶる。  
 そして……、  
「あ、ああああぁー……!」  
 
 飛沫が上がった。  
 
 
「スプラッシュ、ごめんね。こんなに……その、出しちゃって」  
 海水で己の身体に付いた精液を洗い落としているスプラッシュに、僕はまた謝った。欲望で汚れた彼女の身体は、母なる海の潮で清められていく。  
「そんな事……」  
流し落とす手を止めた彼女は、何故かひどく悲しそうな顔をして、  
「謝らなくっちゃならないのは、あたしの方」  
 と言った。  
「それって、どういう……」  
 その先は続かなかった。  
 ぐらり、と世界が揺れたかと思うと、スプラッシュの隣に仰向けに崩れ落ちていた。  
 視界が段々とぼやけていく。射精からの疲労のせいではない。  
 身体に力が入らない。何だかひどく、気だるい。  
 そして思い出した。  
 
(まさか……)  
 彼女と口付けを交わす度に、口内を襲った甘い香り。  
(スプラッシュ……まさか……君は……)  
 あれが一種の睡眠薬だとしたら。暴走しかねない僕の身を案じ、彼女が口移しで飲ませていたとしたら……。  
 身体が動かない。意識が遠のく。  
「お別れね……」  
 彼女の両手が僕の頬に触れると同時に、彼女の顔が、覗き込んできた。  
「有り難う……」  
 その泣きそうな微笑みは、あまりに哀しく、そして綺麗だった。  
 知らぬ内に睡眠薬を飲まされていた事への怒りや悲しみも、消えてしまうほどに。  
「君は死なない」  
 彼女の手が離れる寸前に、僕の喉から、自然と言葉がこぼれていた。  
「僕の心の中で、永遠に生き続ける」  
 彼女の頬を涙が伝っているのが見えた。  
 涙は流さないで欲しい。  
 君には、笑顔のまま歌っていて欲しいと言いたかったけど、  
 最後の一言を伝える事は適わず、僕の意識、霧の中へと飲まれていった。  
 
 
 目が覚めたときには、彼女の姿はなかった。  
 僕の服は整えられ、脱いだズボンと下着も元のようにはいている。  
 
ほんの少しだけ気を失っていたと思っていたのに、もう陸側から太陽が昇り始めていた。  
 
 結局、何もできなかった。  
 彼女を救う事ができなかった。  
 
 上着の内ポケットからの感触に、そっと手を伸ばす。  
 包まれたままのプレゼント。青い石を宿した指輪。  
 取り残された、想い。  
「渡し……そびれちゃったな……」  
 
 世界が、滲み始める。  
 僕の泣き声が、浜辺中にこだました。  
 
 
*  
 
 
〈立て……〉  
 
(誰……?)  
 
〈そうじゃ、立ち上がれ〉  
 
(あたしは……生きてる……?)  
 
〈お前達はまだまだ活躍できる〉  
 
(活躍……できる……?)  
 
〈お前達にも、生きる権利があるのじゃ〉  
 
(まだ……生きられるの……?)  
 
 
 
 ロボット新法によってスクラップとなったはずのライトロボット達が反旗をひるがえし、街々を襲い始めたのは、それから少し後の事である。  
 

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