20XX年、発達した科学は心を持ったロボットを誕生させた。  
 人は感情豊かなロボット達と、時に親しみを感じ、時に親睦を深め、時に反発しあい、  
 また時に愛を結んだ……。  
 
 
*  
 
 
 あの日、僕は人気のないビーチの少し離れた沖の方で、いつものように波間をたゆたっていた。  
 子供の頃から海が好きだった僕は、休日にはよくこうして海に遊びに来ていた。泳ぐのはあまり得意ではないのだが、海を楽しむ分には支障はなかった。  
 暑い季節は海の上でクラゲのように身体を浮かべながら遊泳し、それ以外の季節では浜辺に腰掛け、寄せては引く波の音にゆっくりと耳を傾ける。  
 夏が始まりを迎えようとしていたその日も、潮に身体を委ねながら、日を反射してきらきらと光る海面や綺麗な空の青さを眺めていた。ぷかぷかて浮かぶ感覚が気持ちいい。そっと目をつむると、心地よい子守歌のようなさざ波が、日々の疲れを癒してくれているようだった。  
 海は良い。改めてそう思った。  
 どれくらいそうしていたのだろうか。ふと気付くと、夕日が少しずつ水平線へと傾き始めていた。人もすっかり帰りきってしまったようだ。  
 
 僕もそろそろ帰ろうかと、海水に浮かぶ身体を動かした時だった。  
「!!」  
 前触れも何もなかった。いきなり、右足にビシッと鈍い痛みが走ったのだ。  
(つった……!)  
 突然襲いかかった鈍痛は、容赦なく僕の身体の浮力を奪い、海中へと沈めにかかった。パニックに落ちた僕の口鼻に海水が入り込み、喉に押し寄せてきた。息苦しさが混乱に拍車を掛ける。  
「だ……、誰、か……」  
 必死で助けを呼んだ後で、周りにもう人などいない事を思い出した。  
 体勢を立て直そうとしても、右足の痛みと息苦しさのせいでどうにもならない。浮き上がろうにも、混乱して手足をジタバタと動かすだけだった。  
 肺から酸素が泡となって消えていくのを感じた時、僕の身体は完全に海水に沈んでいた。苦しい。苦しくてたまらない。  
(死ぬ……のか……)  
 段々四肢に力が入らなくなり、少しずつ視界もぼやけてきた。気付けば、もう海面は遙か上空だ。  
 もう死ぬかもしれないというのに、死に対する恐怖はまるでなかった。それどころか、海中に優しく差し込む陽光を、美しいとさえ思っていた。  
(なんだ……死ぬのって、意外と怖くない……)  
 
 遠ざかっていく水面に力無く手を伸ばしたところで、世界はゆっくりと暗転しだした。  
 闇に包まれる寸前、視界の隅に、黒い人影が入り込んできたような気がした。  
 
 
<しっかり、しっかりして下さい!>  
 
(声が……聞こえる……)  
 
<脈は……あるみたい。でも意識が……>  
 
(誰だ……?)  
 
<気道確保、人工呼吸します>  
 
(何を、言ってるんだ……?)  
 
 
「目を覚まして!」  
 
 途端、僕の意識は喉の苦しさと共に一気に戻ってきた。  
「げほっ、げほっ」  
 思わず咳き込み、海水を吐き出した。  
 何があったのだろうか。先程まで海の中にいたのに、今僕は顔を空に向けて、大の字になって倒れていた。身体の感触から、少なくとも水の中ではないとわかった。  
 僕は、助かったのか……?  
「大丈夫ですか?」  
 突然の声に僕はびっくりしてそちらを向いた。驚いたのは、すぐ傍から声が聞こえてきたからだけじゃない。それがあまりに綺麗な、女性の声だったからだ。  
 心配そうな顔をした女性が、僕のすぐ傍に座り込んでいた。いや、正確には『女性型のロボット』だった。  
 
 澄んだマリンブルーの瞳に長い睫毛、少し高めの鼻に、淡い色の唇。頭は瞳と同じマリンブルーのヘルメットで覆われている。  
 顔だけではない。細い首に綺麗な白い手、胸から腰にかけての、綺麗な身体の稜線。  
 ロボットだというのに……いや、ロボットだからこそだろうか。僕の知っているどの女性よりも、彼女は本当に美しいと思った。  
「あ……、貴方が、助けてくれたんですか?」  
 尋ねた僕の顔は、少し赤みがかっていたかもしれない。女性には(それがロボットであったとしても)正直あまり免疫がない。  
「はい。海難反応が入ったので、すぐに向かわせてもらいました。もう大丈夫です。大事に至らなくて、本当に良かったですわ」  
 先程の美声で、目の前の女性ロボットは答えた。  
「あ、有り難う、ございます」  
「いえ、お礼には及びませんわ。これがあたしの役割ですから」  
「役割……?」  
 僕はゆっくりと上体を起こした。  
「ええ。あたしは海難救助用ロボットですの」  
そう言いながら彼女は、自分の白い腕を自らの足元へと、そっと動かした。  
 そこには綺麗な足が二本……と思っていた僕は驚いた。彼女の下半身は人の足ではなく、青い鱗で覆われた、魚の形をしていたのだ。  
 
「人魚型……なんですか」  
 思わず言葉が漏れていた。  
「はい。海で溺れた人を助けに行くのには、この身体が適していますから」  
 なるほど確かにそうだ。魚の下半身なら、水中をかなり自在に動ける。  
「でもそれじゃあ、陸の移動が……」  
 そう尋ねると、彼女は少し可笑しそうにクスクスと笑ってから答えた。  
「そうですね、陸の上では活動は少々限られてしまいますわ。でも、あたしはこの身体を気に入ってますし、何より仕事に不自由はしませんわ」  
「不自由しない……んですか? だって溺れている人を陸に運ぶのには、その足じゃ……」  
 そう言うと、またクスクスと笑った。何か可笑しい事でも言っただろうか。  
「陸まで上がる必要はありませんわ。だって、これがありますから」  
 言いながら、彼女は座っている足元をポンと軽く叩いた。  
 ここで初めて気が付いた。僕はてっきり海に近い砂浜にでもいるのかと思っていたが、そこは砂浜ではなく、海のど真ん中だった。そこに、ゴムボートのような黄色い足場が、海上にぷかりと浮かんでる。僕達はその上に乗っていたのだ。  
「わざわざ持ってきたんですか、このボート」  
「いえ、常に持ち運んでいますから、この中に……」  
 
 彼女は手元の白いスティックを手に取った。その中にボートを折り畳んで収納しているのだという。ボートは畳二畳分はあろうというサイズなのに、あんな細いスティックに入れて持ち運べるとは、今更ながら現代の技術に驚かされた。  
「便利ですね」  
「もちろん、重傷だと判断した場合は、これに乗せてすぐさま海岸まで運びますけどね」  
「僕の場合は、大丈夫だったと」  
「ええ。海上に持ち上げてすぐに、ボートに乗せて処置を施しましたわ」  
「重くは……ないですよね、水中ですから」  
 言ってから気付いた。何で僕は彼女にこんな事を聞いているのだろう。僕の命を救ってくれた彼女に対して、まともなお礼もせず、呑気な質問ばかりしている。  
 自分でもよくわからないが、恐らく、僕が死ぬかもしれないという危機感を持ってなかったからかもしれない。  
 溺れて意識を失った時、自分が死に行く実感が湧かずに、ただ死ぬのは案外怖くないと思っていた。ただ綺麗だ、と思っていたような気もする。だからだろうか、己の危機を他人事のように感じられるのかも知れない。  
 
 考えてみればとんでもない話である。自分が死にかけたというのに、我が身を案ずる事も、命を助けてもらって喜ぶ事もしないのだから。  
 そんな事を考えていた僕の頭の中を見抜いたかのように(或いは彼女も忘れていたのかも知れない)彼女はちょっと怒った顔で、  
「もう、それよりもう少しご自身を心配なすったらどうですの? もう少しで命に関わっていたかも知れないのですわよ」  
 と言った。もっともだ。  
「ああ、す、すみません」  
 その時は何だか申し訳なく思って、思わず身体を正し、頭を下げて謝っていた。  
「そ、そんなかしこまって謝られても……困りますわ」  
 狼狽えた彼女のその反応が可愛くて、はははと思わず笑ってしまった。釣られて彼女も笑い出す。  
 海に浮かぶ救命ボートの上で、暫し二人は笑い合っていた。  
 
「ああ、もうこんな時間だ」  
 とっぷりと水平線に沈んだ太陽を見て、僕は呟いた。気付けば、足の痛みも引いている。  
「それじゃあ、そろそろ帰りますよ」  
 ボートから降りようとしたが、彼女はやんわりとそれを止めた。  
 
「足はもうちょっと安静にした方がいいとおもいますわ。また痛みがぶり返すかもしれませんし、念のため、あたしがボートに乗せたまま、陸まで送りますわね」  
 そう言って、彼女はボートから降り、スティックの無線操作で、ボートを浜へと動かし始めた。  
「今日はいろいろと、どうも有り難う」  
「もう、さっきも言いましたでしょう」  
 少し困ったような顔で、彼女は言った。  
「これが、あたしの役割なんですから」  
「いや、そんなんじゃなくて」  
 自然と笑いながら、僕は言った。  
「役割とか仕事だとか、そんなの関係無しにお礼がしたいんです。ここで貴方と会えて、助けて頂いて、話もできた。それが嬉しいんです」  
「え……」  
「今日は何だか、とても素晴らしい一日だった気がします。本当に有り難う」  
「そんな……」  
 少し戸惑っているようだった。そんな彼女の顔をみた後で、僕はハッとなった。  
 僕は何を言ってるんだ。これではまるで、『貴方に気がありますよ』と言ってるようなものではないか。  
 だがしかし、その時の僕は訂正しようとは思わなかった。多分、実際に彼女の美しさ、優しさに惹かれ、心のどこかで関係を作りたいと思っていたのかも知れない。  
 
 ボートから降り、砂浜に足を付けてから、彼女に聞いてみた。  
「ああそうだ、忘れてた。いいかな?」  
 ちょっとした照れ隠しのつもりもあったが、この時になって、ようやく大事な事を思い出したのだ。  
 波打ち際でボートを畳んでスティックにしまっていた彼女は、何事もなかったかのように、何でしょうかと尋ねた。  
「名前、教えてくれます?」  
 ちょっと驚いたのだろうか。彼女は少し逡巡した後、眩しい笑みで、  
「DRN(ドクターライトナンバーズ)067、スプラッシュウーマンですわ」  
 と答えた。  
「貴方のお名前は?」  
 尋ね返されたので、僕も笑顔で自分の名前を答えた。  
「それじゃ、さようなら、スプラッシュウーマン」  
「さようなら。また会えるといいですわね」  
 そう言って、彼女……スプラッシュウーマンは高く跳躍し、綺麗なラインを描きながら海の中へと潜っていった。  
 帰り際、空を見上げると、一番星が光り輝き始めていた。今更になって、彼女に助けてもらえて良かったと、そう思えた。  
 
 それが、僕と彼女が出会った、最初の日だった。  
 

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