飛行要塞ガーディアンベースの司令官、プレリーの自室はぬいぐるみでいっぱいである。  
空飛ぶ魔法使い、二本足のチーター、トンカチを持った騎士、貝を抱いたラッコ、顔と手足が生えた時計、同ストップウォッチ……  
どれもこれも両手でないと抱ききれない巨大なものばかりである。  
 
「もふもふ」  
 
などと言ってベッドを完全に占拠した状態の小山のようなデカさの目の隠れた茶色いイヌのぬいぐるみの腹に甘えるように抱きついていた  
プレリーの様子をうっかり目撃してしまった時に聞いた彼女の弁解によれば、  
 
「こ、これは昔私が初代司令官と一緒に活動していた際に育てていたサイバーエルフをモデルに作ったものでかくかくしかじか」  
 
つまるところ、プレリーの大切な友達であり今はもう使命を全うしてここにはいない電子妖精達をしのんで、彼らの姿をかたどった愛らしい  
ぬいぐるみを作って部屋に置いているのであり、大事な思い出の品であって決して趣味で可愛がっているのではないということだが、まぁ  
それはだいたい嘘だ。  
 
「う、嘘ではありません! 半分は本当なのです! 確かに趣味もちょっとだけ入っていますが、これは女性的な嗜好性を抱く女性であれば  
抱いてしかるべきの嗜好であって、決して恥ずかしい趣味ではないはずというか、私だって司令官とはいえ一応女の子なんですから  
このくらいの趣味のひとつやふたつあっても別にいいではないですかヴァン!」  
 
ああ悪いなんて言ってない。少女趣味大いに結構だ。どっちかというとプレリーにもそんなところがあったって分かってちょっと嬉しい。  
 
「……どういう意味ですか?」  
 
初めて会ってからこっち、俺と同じくらいの年みたいなのにガーディアンのボスなんかやってたりこんな空飛ぶ船持ってたり、いつも  
真面目くさった顔ばっかして何なんだコイツって正直思ってた。それからプレリーが「お姉さん」である初代司令官から引き継いだ、この  
ガーディアンって組織やイレギュラーへの対策、それにライブメタルの調査なんかをすごく大事にしてるってのは少しずつわかってきたけど、  
でもやっぱりお前も女の子なんだなって、ほっとした。ぬいぐるみだけじゃなくてこの部屋の壁紙とか、そこに並んでる写真とかもさ、  
懐かしくて大切で大事にしたいって優しさがなんか伝わってくるっていうか。ほら俺運び屋もやってるじゃん。引っ越しの手伝いとか慣れてる  
から分かるんだよ。  
 
「ヴァン……」  
 
でもなぁプレリー、この数はいくらなんでも集めすぎじゃないのか。そのうち雪崩が起きて生き埋めになっちまうぞ。  
 
「えっ、でも、押し入れやロッカーに押し込むのって、暗くてかわいそうじゃないですか!」  
 
そういうもんなのかね。女の子の考える事はやっぱりよくわからん。  
 
まぁ、そんな事があってから俺はある意味メンバーでも立ち入り禁止だったプレリーの自室にたまにお邪魔するようになった。  
最初にいきなりドアを開けてしまったのはミッションレポートで渡し損ねたデータディスクを届けてやろうと思ったからだったんだが、  
同じようなおみやげができる度にプレリーの部屋にわざわざ持っていく。さすがにノックくらいは覚えたさ。  
 
「お帰りなさいヴァン」  
 
確率的には司令官席に座っていることの方が多いはずのプレリーだが、いつからか俺が行こうかなと思っている時は何故か必ず部屋で  
待っているようになった。こういうのが女の勘ってやつなんだろうか。よくわかんないけど。  
 
ところで、最初は任務ご苦労様でしたとか悪くないミッションでしたねとかまぁ司令官らしい迎えの挨拶だったはずなのだが、いつの間にか  
お疲れ様とかお帰りなさいとか、そんな感じになっていた。足を運ぶようになるにつれ部屋中にあふれかえっていたぬいぐるみが知らず知らず  
のうちに天井近くに立て付けられたベランダみたいな棚の上に移動して、空いた床にはクッションとかテーブルとかが用意された。  
 
で、俺は今その女の子女の子してる応接セットでプレリーが自分で淹れてくれたお茶を飲みながら彼女と話しているわけだが。  
 
「この間のようにミッション中に見つけたライフアップやサブタンクの件でしたら、ヴァンが自分の為に使ってくれて構わないのですよ。確かに  
戦利品は共有するべきものですが、単独で任務について貰うことの多くなったあなたにこそ、今は優先的に回すべきです。大事な体なのです  
から」  
 
などと言ってる内容は事務的なのだが迎えの挨拶だけじゃなくて態度もなんだかやわらかくなった感じだ。でもまぁプレリーが俺をいたわって  
くれるのは今回に限っては理由がないわけじゃない。  
 
「……落ち着きましたか?」  
 
おかげさまで。プレリーのミルクティーって甘くてあったかいよな。じんと来る。  
 
「あんなに怒っていたあなたは初めて見ました。辛かったでしょうね。悲しい記憶の中に飛び込んで敵と向き合わなければならないというのは」  
 
今回クリアしたミッションは立入禁止になって久しい遊園地からライブメタルの欠片を探してくるというものだった。しかしそこは俺が10年前に  
イレギュラーの襲撃で母さんを失い、ひとりで生き残ったあまり思い出したくない場所だったのだ。その時の光景が甦って、そうでなくても  
苛立ちをおさえられない所へ出てきた敵の親玉というのが、こともあろうに、その襲撃を指揮していたというイレギュラー本人だったのだ。  
 
何が何だかわからないままムチャクチャに戦ってそいつを倒した後、引きずり出したライブメタルの欠片を持って俺はベースに帰ってきた。  
ひどい気持ちでいっぱいだったが、プレリーの顔を見たせいか、今はそうでもない。むしろあの過去に自分の手で一区切りつけられて、少しだけ  
楽になったかもしれないな。  
 
「ヴァン……無理しないでいいのですよ。まだ辛そうな顔してます」  
 
そうか? もう割と大丈夫だけど。いや本当にさ。  
 
「そんなことを言って。あなただってまだ子供なのですよ、こういうときに無理して感情を溜め込むのはよくありません」  
 
……言うなぁ。お前だって子供のくせに。  
 
「少なくとも、そうやって強がるあなたよりは大人のつもりです。ほら、こっちにいらっしゃい」  
 
な、なんだよ急に……膝まくらか? いいってそんなの。恥ずかしい。  
 
「いいから早く」  
 
こういう時は結構強引なヤツなんだよな、プレリーも……。まぁ結局言われるままになってしまうあたり、今の俺も確かに弱ってるんだろうか。  
……小さい太ももだな、まぁ俺より背低いくらいだしな。でもふにふにしててじんわりあったかい……ああ、落ち着くな、これは。  
 
「いい子いい子」  
 
あーもー、頭なんか優しく撫でやがって俺は子供かよ。悔しいけど今は好きにさせてやる。それにしても、こういう事されてるとぬいぐるみの  
気持ちが少しわかるな。  
 
「ヴァンはぬいぐるみではありませんよ……少しずつ少しずつ、私のもっと大切な……」  
 
何か言ったかプレリー、聞いてなかった。  
 
「ううん、なんでも……」  
 
そういやプレリー、いつもと違うけどお前に渡すものが。  
 
「何です?」  
 
寝そべったままポケットから取り出したものをプレリーに押しつけると、プレリーはそれを見て目を丸くする。プレリーからすれば珍しいもの  
でもなんでもないはずだが、驚いたのはたぶんそいつを持ってきたのが俺だったからだろう。  
 
「ヴァン、このぬいぐるみは……」  
 
帰り道、遊園地の壊れたクレーンゲームの中から拾ってきた。誰の目にもつかないまま置いてきぼりにされてるより、お前みたいに可愛がって  
くれるヤツのところにいた方がコイツも幸せだろうと思ってさ。ま、一匹増えるくらいどうってことないだろ? 貰ってくれよ。  
 
「……うん、ありがとう……」  
 
正直なところ、何で俺がそれをプレリーへのおみやげにする気になったのかよくわからない。単にプレリーがこういうのが好きだからというだけ  
で説明がつきそうな気はするが、それだけではない気もする。そいつを見かけた時、俺にはそいつが誰かに苦心して手に入れられることもなく  
ずっと置き去りにされている様子がなんだかたまらなく感じられたのだ。  
 
そういえば俺もプレリーもどこかこいつに似ている。形は違うが、迎えに来てくれるかも知れなかった大事な人と別れ、取り残された。  
俺たちはその後でそれぞれ立ち直って、だから今ここでこうしていられる。でも誰かと会えなくなり自分が置いてきぼりにされる気分というのは、  
やっぱりどうしようもなく悲しいものだ。  
 
「これ、お守りにしますね」  
 
そんなことをぼんやり思っているとプレリーは上から俺の顔を覗き込んで言ってきた。  
 
「ヴァンがいないときは、ヴァンが無事に帰ってこられるようにこれを持ってお祈りすることにします」  
 
喜んでもらえたみたいで俺も嬉しい。でもお守りって普通出かける奴に持たせるもんじゃなかったっけ。  
 
「……そういえばそうですね。じゃあ私からもヴァンに何かプレゼントを用意しましょう」  
 
なんだか妙に楽しそうなプレリーが俺の前髪で遊んでいる。男の髪なんか触って面白いんだろうか。  
 
そんな日々が続いたある日のことだった。  
 
絶えず空中を移動し、任務にはトランスサーバを利用して俺やガーディアンのメンバーを間接的に送り込むことで安全圏からの支援を行って  
いるはずのガーディアンベースに、敵襲があった。  
 
急襲と言って良いタイミングで、強襲としか言いようのない攻撃だった。なにしろ雲の中に潜んでいた飛行空母からこっちの甲板に強引に接舷  
して、内部に直接戦力を送り込むという海賊のような戦法で仕掛けてきたのだ。  
 
気づいた時にはもう甲板にはワイヤークロー式の敵のコンテナが食い込んでいて、中から敵の武装イレギュラーが湧いて出てきた。  
プレリーの指示で真っ先に迎撃に出た俺はライブメタル・モデルXの力で変身し、イレギュラーを片っ端から吹き飛ばしワイヤーを焼き切った。  
 
しかし、ベースに残っていたガーディアンの戦闘部隊と協力しても完全には侵入を防ぎきれず、しかも飛び込んできた敵の中には、ボスクラス  
の強敵が2体も混じっていたのだ。  
 
大鎌を担いだ死神プロメテと、帽子を被った神官パンドラ。おとぎ話から出てきたような格好のそいつらに、俺には忘れられない怒りがあった。  
最後のコンテナを叩き壊すと侵入した敵の撃退はガーディアンのメンバーに任せ、俺は奴らを追った。  
 
侵入経路を見て敵の狙いを看破したプレリーの指示通りにフルスピードで向かった動力炉室には、案の定、プロメテとパンドラの姿がある。  
そして、独り携帯火器でそいつらを動力炉から引き離そうと苦闘するプレリーの姿も。  
 
パンドラの稲妻を近くに食らい怯むプレリーをほとんど怒鳴りつけながら後退させ、俺は奴らと対峙した。  
こいつらは独りぼっちの俺を家族にしてくれて、運び屋の仲間に入れてくれたジルウェ先輩を殺した、三人の仇のうちの二人なのだ。  
 
しかし、その憎しみと怒りだけで戦っては、後ろにいるプレリーを守れない。そして同じように、動力炉を守れなければこの船は落ち、やはり  
プレリーもベースのみんなも守れない。俺は先輩が残してくれたライブメタル・モデルZの力も使い、そこにいる誰かを守るための戦いに身を  
投じた。  
 
死にものぐるいの戦いを経て、奴らは撤退していった。  
 
変身を解除してへたり込む俺のそばに、後ろに隠れていたプレリーがやって来る。  
 
「ヴァン、ヴァン! 大丈夫ですか!?」  
 
……この通り、ちゃんと生きてる。それより馬鹿かお前。敵がいるって分かってる場所にのこのこ出て行く司令官がどこにいるんだよ。  
 
「でも……彼らの狙いに気づいてから、駆けつけて間に合う位置にいたのが船の中では私だけだったから……。動力炉の防御シャッターは  
手動でなければ下ろせませんし……ヴァンが来てくれるまで持ちこたえられればと思って」  
 
……それでも司令官にもしものことがあったらな、 ガーディアンはこれからどうすりゃいいんだよ! 初代司令官の「お姉ちゃん」が行方不明  
になった時、お前どんな気持ちだった!? 先輩の作ったジルウェ・エクスプレスだってな……先輩があんなことになっちまってから、持ち直す  
のにみんなどれだけ苦労したと……俺だってな、プレリー……  
 
「……でも、でも無事でした! ほら、お守りの……おかげ……」  
 
悲鳴と大声を上げる俺にそう言って、プレリーは服の中から小さなぬいぐるみを取り出して見せた。  
前に、俺が遊園地から持ち帰ってプレリーにあげたものだ。肌身離さず持っていたらしい。  
 
そのぬいぐるみを握る両手が震えていた。あんな化け物みたいな連中と向き合い、攻撃もされて、プレリーだって怖くないはずがなかった  
だろう。それでも動かずにはいられなかったのだということが、その時俺にも分かった。  
 
「ヴァンがすぐに来てくれるはず、絶対すぐに助けに来てくれるはずって信じてたから……だから」  
 
涙目で微笑むプレリーと見つめ合って、俺は思い出していた。  
 
全ての発端となったあの日、ガーディアンの依頼で運送をしていた途中、俺はイレギュラーに襲われていたプレリーを助けるために積荷の  
中にあったライブメタル・モデルXで偶然に近い形で変身し、無我夢中で戦ったのだ。  
 
意思を持つアイテムであるモデルXは、俺が初対面で見ず知らずの女の子に過ぎなかったプレリーを助けたいと思った、その勇気を力に  
変えて変身能力が発揮されたのだと言った。同じようにプレリーも、ガーディアンベースのみんなを守るために、そして俺が来るのを信じて、  
心を奮い立たせて必死に戦ったのだ。そこにいる誰かを守るために。  
 
……でも、それでもやっぱりプレリーは馬鹿だ。司令官のくせに、心配かけさせやがって。  
 
「いつも心配をかけているのは、あなたの方です、ヴァン。無茶で、無鉄砲な戦いばかりして、気が気でないのは、私のほう……」  
 
……だったら、お守りでも持たせたらどうだ。効果あるんだろ?  
 
「はい、そのうちに……」  
 
プレリーは涙を拭うと、笑った。  
受けた襲撃の後始末をする中で、気流や雲の動きからガーディアンベースの航路を特定され、待ち伏せされたらしいという結論が出た。  
 
確かに航路計画にある程度のパターン化があり、そして警戒にも僅かな死角が指摘されたらしい。ただちに航路とレーダー系の見直しが  
図られたが、いつまたこんな事が起きないとも限らない。ガーディアンのライブメタル捜しも佳境に入り、決戦の兆しが見え始めていた。  
 
「……ヴァン、お話があります」  
 
収集されたライブメタルと共に集まってきた情報から、敵の正体と真意が見えてきた頃だった。  
 
残された時間も多くはなく、数日中には敵の本拠地に突入し、最初のライブメタルであるモデルVの本体を破壊しなければならない。  
そのための作戦が検討され、俺は待機を言い渡された。事実上の決戦になる可能性が高いので、せめてできれば自由に過ごして欲しいと  
言われていた。俺は運び屋の方に戻って、仲間達と過ごした後、出発前にプレリーに言われていた言葉に従って、いつもの部屋を訪れた。  
 
話があるんだったよな、と切り出す。  
 
俺はなんとなく居心地の悪さを感じていた。居たくないというのではないのだが、プレリーと二人きりでこうして話す時間は、最近はそんなに  
多くはない。どういうわけか、お互いにそれとなく避けているふしがあった。  
 
「……技術者のフルーブに前々からお願いしていたものを、間に合わせてもらいました。これを、あなたに」  
 
プレリーは神妙な顔つきで、俺にアイテムを差し出してきた。それはモデルXの攻撃能力を向上させる性能を持ったチップだという。  
今のガーディアンでも完全には解明できていないライブメタルのために、そういった強化アイテムを開発するのはなかなか大変だったはずだ。  
プレリーも出来る限りの協力をして、昨日やっと完成したのだという。  
 
「モデルVはイレギュラー発生の原因にもなった、機械や人間の心を狂わせる力を持つ恐るべき存在です。判明しているだけでも、あなたの  
持つモデルXと同程度の質量の欠片だけでこの国一帯のイレギュラーが生み出された。そんな敵とあなたを戦わせなければならない、しかし  
戦えるものがいるとしたら、それはあなたしかいない。だったらせめて、私達もできる限りの力をあなたに添えたいの」  
 
……そうか。ありがとう、プレリー。フルーブ達にも感謝しないとな。  
 
「お礼を言うのは、私達の方。ガーディアンのことは忘れて、運び屋さんとして平和に過ごすこともできたはずなのに、戦って、危険な目にも  
遭って、それでもずっと私達と一緒に来てくれて、ありがとう」  
 
礼を言うのはこっちの方、か。そんなの、言い出したらお互いきりがないのにな。  
 
「本当ですね。そんなに長い間ではないはずなのに、色々なことがたくさんありすぎて」  
 
俺は貰った強化チップを見つめて、思い出した。  
 
なあプレリー、お前が言ってたお守りって、これのことか?  
 
「……」  
 
プレリーはうつむいて、黙り込んでしまった。忘れていたというわけでも、そのつもりではなかったというわけでもないらしい。ただ、そのまま  
じっと何かを思っている。  
 
……会話が途切れる。  
 
これだ、この沈黙が居心地が悪いと感じる原因なのだ。居づらいというか、どうしたらいいかよく分からない。「間が持たない」って言うのか。  
 
「……別に、用意してあります」  
 
そんな落ち着かない俺に、プレリーは小さい声で何かを言った。  
 
「お守りは、それとは別に用意してあります、ヴァン」  
 
今度は帽子のひさしの下から俺を見て、もじもじと言う。そんなプレリーの仕草を見ていると、余計に落ち着かなくなった。  
 
別に用意してあるって……いじり合わせていた指を開いてのばしてきたプレリーの手のひらには、何も乗っていない。  
 
そう思ったら、その手は俺の頬に触れて、包み込むようにした。大きめの白い手袋ごしに感じる指から、プレリーの心臓の音が伝わってくる。  
急にプレリーの顔が迫って、帽子のひさしが額に当たり、床に落ちた。俺は身動き取れないまま、プレリーの体の両脇で腕を半開きにしている。  
 
……唇にふわふわしっとりしたものが当て……押しつけられてる。口の中に小さく息が入ってくる。ほんのり甘い匂い……頬が熱い。頭が熱い。  
 
俺、プレリーにキスされてた。  
 
「ヴァン……」  
 
唇が離れて、眠そうにも見える潤んだ目で顔を赤くしたプレリーが俺を見た。わかる、たぶん俺も今プレリーとおんなじような顔してる。  
 
「……ヴァン、私のこの気持ちをお守りにしてください。私があなたを想うこの気持ちを、一緒に連れて行ってください」  
 
プレリーがまた唇を押しつけてくる。俺の落ち着かない気持ちは、さらに大きくなっていた。ざわざわしてどうしようもない、静まらない。  
こんなの、キスなんてしたことがなかったし、プレリーとしていいのかという気持ちになってくる。  
 
「ヴァン……迷惑ですか?」  
 
迷惑なんてそんなわけない、でも……こんなこと、初めてだし、それに好きなやつとするもんだよな……  
 
「私も初めてです……誰かとすることになるなんて、思っていませんでした。でも、それに……私、ヴァンのことが」  
 
……プレリー、本当なのかよ……本当に俺のことを?  
 
「はい。こういうことには鈍そうなあなただから、気づいていないかもと思っていたけれど……私はヴァンのことが好き。私の心は、もうヴァンの  
ことでいっぱいなの……」  
 
プレリー……。  
 
「本当は行かないでって言いたい。危険なことはしないでって言いたい。でもあなたはその道を選び続けて、ここまで来た。だから言わない、ただ  
……お願い、無事に戻って来て。モデルVを完全に止められなくてもいい、決着をつけられなくてもいい、ただいつもみたいに、私の部屋に帰って  
来て。……お願い、ヴァン」  
 
プレリーが俺の首に手を回して、胸を押しつけて抱きついてきた。俺はたまらなくなって、プレリーの背中を抱きしめ……  
 
……色んな思い出が、俺の中に蘇る。  
 
最後に抱きしめたプレリーの体の感触が、床を這う俺の指を震わせた。  
 
「よくやったと誉めてあげよう、少年。あの研究者が我がモデルVを元に造り、ガーディアンによって発見されたモデルX。最初に出会った時は  
ゴミクズだと思っていたが、撤回しよう。しかし、結局は神ならぬ人の身。人でしかありえなかった君には過ぎた運命だったということだ」  
 
上から見下ろす声が聞こえる。なんだか、ひどく遠い。  
 
俺は敵の本拠地に侵入し、防衛のためにばら撒かれたイレギュラーを蹴散らし、ライブメタルを守っていたボス達を復元した連中による防衛網も  
突破して、最深部に辿り着いた。  
 
そして、モデルVを手に入れて道を踏み外し、こんなところまで来てしまったこいつに……モデルVを作った奴の怨念に取り憑かれた男に、  
俺は敗れた。  
 
男の背後に鎮座するモデルV……その巨大な本体は、モデルXをはじめとした俺の持つライブメタルから力を吸い上げて、目覚めようとしている。  
 
「もう立つ力も残っていまい。そこで寝ていたまえ。そして存分に見るが良い……モデルVの覚醒と、それに選ばれし私による新世界の誕生を」  
 
……迷惑な話だよな。  
機械を狂わせ、人を狂わせ、この国に暮らす人達の命を丸ごと生贄にしての新しい世界……ってか。  
意味あるのか?  
 
「君には分からんだろう。今のままではこの世界は何も変わらぬ。堕落していく一方だ。偽りの平和に腑抜けた民、享楽のみを求め進歩すること  
も分かり合う事も忘れた愚か者どもの集まり。そのような輩は一度一掃せねばならん。そうしなければこの世界はいつまでも先へは進めんのだ」  
 
……分かってないのはお前の方だと思うけどな。何も変わりそうにないからっていきなり滅ぼして新世界か。極端な話だ。  
 
「なに?」  
 
それにな、偽りの平和とか腑抜けとか、進歩しないだと分かり合わないだの……お前もしかして、「人々」ってのが、「人」の集まりだってこと忘れ  
てんじゃないのか。俺は運び屋として、その「人」ひとりひとりに会ってきた……だからまとめて愚か者ってのはちょっと我慢ならないな。  
 
「ほう……それが君の意見かね。しかし、残念だが私には意味が認められないな。却下しよう」  
 
淋しい奴だな。  
 
「抗う力も己の意を通す力もない者の言葉など、意味を持たない。この世は全て強き者だけがその向きを決めることができるのだ。ゆえに私は  
モデルVの大いなる力を以てこの世界を」  
 
じゃあ俺がお前をぶっ飛ばせば、諦めもつくってことでいいのか?  
 
「……愚昧な。君はたった今私に敗れ、変身も解け、身動きすらできぬ有様ではないかね。そんなざまで、どうやってこの私を止めると?」  
 
指が動けば充分だよ。  
 
俺は床を這っていた手で、変身が解けたと同時に投げ出されたモデルXのライブメタルをつかんだ。それを引き寄せる。  
そいつを握ったまま肘を立て、体を起こした。モデルXに備わった回復能力が作用して、体に少しだけ力が戻る。ほんの少しだけだ。モデルV  
に力を吸われたせいで、モデルXの中にはほとんどエネルギーが残っていない。  
 
でも、大丈夫だ。  
 
「……そんな抜け殻のライブメタルで何をしようというのかね?」  
 
こいつを握ってする事といったら一つだろ。  
 
俺は冷たい床に服越しに皮が擦り剥けるほど手を肘を膝をこすりつけて、立ち上がる。  
 
「何……?」  
 
確かにもうモデルXにはエネルギーなんか残ってないな。でも俺の中にはお守りってのがあってな。  
 
モデルXを握るこの指の中に、プレリーの背中の、髪の感触が残ってる。プレリーは俺から貰ってお守りにしたぬいぐるみを握ることで、怯えを  
振り切って走ることができたと俺に言った。今、俺の中にプレリーが焼き付けたその感触が、同じように俺の中から力を湧き上げてくれる。  
 
ロック・オン。  
 
「……馬鹿な!」  
 
俺は、再び変身していた。初めて変身した時と同じだ……俺の中にある俺の気持ちが、モデルXを通して俺に力を与えてくれる。  
 
この手の中に、そして口元に残るあの感触と温もりを思い出すだけで、俺はモデルVと、その力を駆使できるこの男にも立ち向かえる勇気が  
いくらでも体の中から溢れてくるのを感じている。  
 
どうだよセルパン。人間って凄いだろ。一つだけ、たった一つだけ、誰かへの気持ちが、誰かとの絆があるだけで、それがあるって信じられる  
だけで俺は何度でも立ち上がれる。  
 
こんな力がお前にあるか? お前の作るって言う新世界にあるのか? 生きてる誰もがこんな力を持ってるかもしれないこの世界をまだ滅ぼすか?  
 
「だ……黙りたまえ! それでもモデルVの、この私の力には届くはずがない! 私の望む世界の誕生はもはや誰にも止められぬ!」  
 
止められるよ。止めてやる。そして、お前には俺は止められない。プレリーが「お姉ちゃん」からライブメタルを受け継いだように、そしてそれに俺  
が触れたように、今俺がそのおかげでお前と向き合っているように。少しずつ、少しずつ、芽が出るように枝が伸びるように少しずつ、しかし確実  
に俺たちはつながっていく。お前が先へは進めないと言ったこの世界はどこまでも進んでいくんだ。  
 
「くっ……黙れ、小僧! また地べたに這いつくばらせてくれる!!」  
 
どうだかな。あいつのことを思い出した以上、もう負ける気はしないぜ。  
 
行くぞモデルX。俺の勇気を弾丸に込めろ。この一撃で奴を撃ち砕く。  
 
プレリー、必ず帰る。待ってろ!!  
 
 
 

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