「ア、アニタ……これは、その……」
体勢を立て直しつつ、弁明とも何ともつかない言葉を呟くマギー。
しかし、この光景を目の当たりにしてしまった以上、如何なる弁解も無意味なのは既に明らかだった。
アニタは無言で姉を見下ろしている。
「えーと、あの、今日はもう私帰るね? その、また明日学校でね!」
場の空気に耐えかねた久美が、半ば叫ぶようにしながら小走りで部屋を出て行ってしまった。
アニタはそれを視線のみで見送り、再び眼下の姉に目を向ける。
下半身を剥き出しにしたあられもない姿の姉。長い脚の間に、薄っすらとシミのついた本。
そして、泣き声同様に極めて個性的だった……嬌声。
「マー姉、いま何してたの?」
聞くまでもなかったが、聞かずにはいられなかった。
普段の姉からは想像もつかない痴態を見せ付けられてしまい、彼女も
内心では動揺していたのだ。
マギーはその長身を萎縮させながら、恐る恐る一冊の本を取り出し、手渡した。
「ん、なにこの本……『秘本・おなにぃ大全』? またなんつー下らない本だこりゃ」
姉たちが本のジャンルに無頓着なのは知っている。字さえ印刷してあれば、
それが絵本だろうが分厚い辞書だろうが関係はないのは分かっていた。
しかしそれにしたってこれは……書くほうも書くほうなら、買うほうも買うほうだし、読むほうも読むほうだ。
「……はぁ~~っ(溜息) マー姉さぁ、ちょっとそこ座って」
「はい」
衣服を整えることもせず、その場に正座させられるマギー。アニタは傍のソファーに座り、
これでようやく目線が同じ高さになる。
「もー信じらんない。明日ヒサちゃんに会わせる顔がないよ」
「……ごめんなさい」
「あのさぁ、恥ずかしいとか思わないの?」
「うん、すごく恥ずかしい……」
「そうじゃなくてさぁ。昼間から一人えっちなんて、今までもずっとしてたの?」
「そんな事はない……! こんなの、今日が初めてで……」
「あ、そうなの」
「その、こんなに気持ちいいなんて、知らなくて、止め方が、判んなくて……」
「……ん? ちょっと待ってよ。それってまさか、"一人えっち"自体が初めてだったって事?」
「う、うん……」
「マー姉、トシ幾つだっけ」
「そろそろ、ハタチになる」
「それで、今日までシた事なかったの!? マヂで?」
「……駄目だったかな」
「いや、駄目とか駄目じゃないとかそーゆー問題じゃないっしょ。珍しいとは思うけどサ」
「珍しいんだ、こういうの……。 ……という事は、アニタもなのか?」
「へ? 何が?」
「アニタも、"一人えっち"ってしてるのか?」
「えぇ!? アタシが!? そ、そんなん言えないっつーの!」
「普通の人はどれぐらいシてるものなのか知らないから」
「だからってアタシに聞かないでよ!」
「……ごめん」
なんとも奇妙でちぐはぐな会話である。
アニタは複雑な表情のままソファーから立ち上がり、キッチンに向かった。
冷蔵庫に常備されているアニタお気に入りの「ハッピー牛乳」を一本取り出し、
その場で半分ほど飲み干す。制服の袖で口元を拭い、ビンを持ったまま元の
ソファーに座りなおした。
マギーはというと、やはり複雑な顔をして床に正座したままである。
お互いに無言のまま、十数秒が過ぎた。
「……してるよ」
「え?」
先に口を開いたのはアニタだった。顔が赤くなるのを牛乳を飲むことで無理に落ち着かせようとする。
「その、アタシだって、一人で気持ちイイこと……するから」
既に牛乳のビンは空である。だが、アニタの顔は紅潮しきってしまっていた。
にわかにマギーの表情も明るくなる。
「そ、そうか……アニタもシてるのか! その、回数とかは……?」
「あ~もう恥ずかしいっ!! なんでこんな事他人に言わにゃならんのよ! 週三回だよ週三回!」
もはや自分でも何を言ってるのかわからない状態である。にも関わらず、姉は追撃の手を緩めない。
「週三回……いつ?」
「部屋で隣にミー姉がいない時とか、おフロ入ってる時とか! なんでこんな事説明してんだアタシは!」
「そうなんだ……! ところで、アニタ」
「あーもーっ! 今度は一体ナニよ!」
「パンツ、履いてもいいかな」
「 ん な モ ン さ っ さ と 履 け バ カ 姉 ~ ~ ~ っ !!」
もう涙目になって喚くアニタを尻目に、いそいそと脱ぎ捨てていた服を着込むマギー。
ジャージ姿に立ち戻ったところで、真っ赤になってうつむくアニタの隣に座り、低い頭を
優しく抱き寄せる。
「ありがとう、アニタ」
「……ッ! マー姉もミー姉も変わり者だから、いっつもアタシがしっかりするハメになるんじゃない!」
憎まれ口を叩くが、その胸中は満更ではい。長女ほど豊かではないにしろ、広く頼り甲斐のある胸。
マギーの懐の居心地の良さを、アニタは誰よりも良く知っていた。
「とっ、とにかくっ! マー姉は個室(物置)があるんだし、一人えっちするなら誰も居ない時にしてよね!
戸締りにも気を付けないと、また今日みたいに誰に覗かれるか分かったもんじゃないし!」
「なぁにを熱弁しとるかなこのマセガキは」
「!?」
突然、キッチンの方から聞き慣れた声が聞こえてきた。そこから牛乳瓶を片手に現れたのは……。
「オ~ッス、ただいまぁ」
「あ、先生。お帰りなさい」
「ね、ねね姉!? いつ帰ってたの!?」
「ん、さっき」
キッチンにあったコップに牛乳を注ぎながら、なんでもない風に答えるねねね。
そうして注ぎ終わったビンをテーブルに置き、アニタを挟むようにしてソファーにどっかりと腰を下ろす。
「気付かなかった……ドア開ける音、しなかったし」
「あぁ、ドアなら開けっ放しになってたから」
言われて思い出した。さっき、友人が慌てて走り去っていったんだった。
「それは閉め忘れてただけ。で、いつからキッチンにいたのよ」
「けっこう前から。なーんかオモシロそうな話してるから、出るに出れなくって」
そう言って、いやらしい微笑を浮かべるねねね。嫌な予感がアニタの心に渦巻く。
「……どっから聞いてたの?」
「えーと、"一人で気持ちイイことする"とかって件(くだり)かな」
「うっ……ぐ……それは、その……」
再び真っ赤になって口をぱくぱくするアニタに、ねねね駄目押しの一言。
「ウン、もう長湯するなって言わないから、ゆっくり楽しんでよ。でも熱中し過ぎて湯冷めすんなよ?(プ」
――二時間後――
買い物(と称した本屋巡り)から帰ったミシェールが、物置きの扉をノックする。
「アニタちゃ~ん、夕飯できてるわよ~♪ 出てきて一緒に食べましょう?」
「いらないっ!!」
「風呂の用意もできてるぞ~♪(プ」
「うわぁぁぁぁぁぁん! ねね姉の馬鹿ぁ!」
……アニタの第二次性徴期は前途多難のようである。
Fin
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