「……ギー……?」
「マギー…る…でしょ?」
「マギー?いるよね?開けるから」
しまった。また自分は本の世界に。返事、しなきゃ―――。
ガチャリ。
目と目が合って、互いが互いの瞳に閉じ込められる。
一瞬、双方動けなくなったが、
「……っと。やっぱりいつも通りね。あんたは」
声は相手から掛かり、現実に戻ることができた。
先生は、どうやら何か用があるらしい。
「先生……。なんでしょう?お腹空きましたか?それとも、マッサージを?」
胸の鼓動はひとまず忘れ、すぐに自分が普段していること、
イコール、出来ることを挙げ、照れを隠す。
「いや、そーじゃなくて。ちょっと、話がさ」
どうやら全然違ったらしい。まあどちらにしろ、ここでは狭い。
「それじゃあ、今ここ出ますから」
「ん?いや、構わないよ?この中で。もう一人くらい入れるでしょ?」
「でも、それじゃ……」
こんな小さな空間に先生と二人きりだなんて、どうかしてしまいそうで。
「カタイこと言わない。これで、この前のとお相子にしたげるから」
確かに、部屋に勝手に入ったのは事実だけれど。
「よし。マギーちゃんのお部屋訪問開始〜」
バタン。
四つんばいに乗り込まれ、さらにドアは閉じられてしまった。
どうしよう。膝を抱えている私と、足を崩して座った先生。
階段下の、本来は物置である手狭なスペース。
そこに、二人きり。
アニタは学校。姉さんは食料品を買いに行ったけど、たぶん本屋にも寄る筈で。
本当に、家の中には二人だけ。
さっき見つめあってしまってから、心臓は高鳴り、まばたきは増えている。
変に思われないだろうか。
今は興味深げにあちらこちらを見回しているけど、話が始まったら……。
「ふぅん。本ばかりだけど、綺麗に並べてある。そっちは、服ね?」
「は、はい……。」
こうして、顔を見合うのは避けられないではないか。
頑張れ。私。平常心を保って、会話するんだ。
「あの、それで、話って……?」
「この間のお礼を言おうと思って。本当に、ありがとう。マギー」
予想外。でも、嬉しい。しかし、こんな状態だと反応は難しく。
「そんなこと……」
頬の熱さも、自覚できてしまう。全然、平静ではない。
「あんたたちが来てから賑やかだし、元気も貰ってるんだけど、
やっぱり自分の中で無くなってはいないのよね。あの問題は。」
それは、傍で見ていたから解る。だからこそ、私は先生を助けたいのだ。
「でもさ。諦めちゃいけないんだって、改めて思えたから、感謝してるんだ」
ああ。私は、役に立てているんだ。
「嬉しいです……」
「うん。そう言ってくれると。でさ、ちょっと目つぶってくれない?」
「え?ええと、はい……」
言われたとおりに目を閉じる。
何が始まるのか?プレゼント、だったりして。
先生が動いて、衣擦れと、手をつくような音。
何だか気配が近い。そう思った瞬間。
……ちゅっ。
唇に柔らかいものが触れて、またすぐに離れた。
指、とかじゃない。これって。これって。
自然、目が開く。視界いっぱいに、先生の笑顔。
「色々考えたんだけど、お礼のしるし。……嫌だった?」
キス。先生が、私に。
「……そんなことないですっ!私、私……先生が好き、だから……」
とうとう言ってしまった。
私は馬鹿だ。いくら嬉しくたって、子供じゃないのだ。
こういう言葉が、どんな意味で受け取られてしまうか、判っているのに。
「……知ってた」
「えっ……?」
申し訳なさそうに、先生が言う。
「あたしは作家の菫川ねねねよ?観察力とか、人一倍あるつもり」
なんてことだろう。私の想いは、とうに見破られていたのだ。
「だからね。あたしはマギーの想いに応えることはできないけど、
大好きなのは確かだし。せめて、思い出をあげられたらって」
優しくて、でもはっきりしている。すごく、先生らしい。
「思い上がりではないと、自分では思ってる。マギーがどう考えるかは自由だけど……」
私は、この人を好きになって幸せだ。
「……先生。私には、十分過ぎるくらいです」
偽りなく、答える。
「……全く、なんで紙使いの女は、皆こうも素直で可愛いんだか。ありがと。マギー」
「いえ……」
もう、なんて言っていいのかわからないほど幸せで。
「ま、これからも色々お願いね。あと、勝手に消えたりしないように」
「……はい!」
先生の特別な人にはなれなかった、けど、大事な人になることが出来た。
居なくなったりするものか。私は、先生を支え続けていくのだから。
「よし。じゃ、あたしは部屋に戻る。今夜もご飯楽しみにしてるからね」
最後に頭を撫でてくれて、先生は出ていった。
姉さんとアニタが帰ってくるまで、まだ時間がある。
少し、眠ろう。やわらかい唇と、髪に触れた手の温かさが残る今なら、
どんな夢だって、みられそうな気がするから。