わたしは 彼が断わりきれない申し出をするつもりだ ♯1
『ギルバートは通路ごしに手をのばしてアンの長い赤い髪の毛のはしをとらえ、腕をのばした
まま、低い声ではっきり聞こえるように「にんじん!にんじん!」と言った。
すると効果てきめん、アンは彼のほうを見た。
見ただけでなく、とびあがった。輝かしい空想は無残にくずれおち、怒りにもえた目でギル
バートをにらみつけたが、たちまちその目にはくやし涙があふれてきた。
「卑怯な、いやな奴!よくもそんなまねをしたわね!」とアンは、激しくなじった。
そして――パシンと自分の石盤をギルバートの頭にうちおろして砕いてしまった――頭で
はない、石盤を真っ二つにしたのである。
アヴォンリーの学校ではいかなる場合にも活劇を歓迎したが、ことにこれはすてきなので、
おそれをなしながらも一同はうれしそうに「おお」と言った。』 モンゴメリ 「赤毛のアン」
――きっと夢をみているのだ。
おれはベッド際でひざを立てて、手と口を動かしている。
おれは一生懸命だし、黙りこくっている。……今日はクリスマスだ。
頭のうえではアニタが切迫した声を上げていて、おれはふと窓越しにそとを見た。
……そこから誰かが覗いていやしないかと思ったから。
するとそこにはあの鳩が止まっていて、じっとこちらを見ていたので少し怖くなった。
……胸のどきどきが止まらない。
心臓がこんなに一時に動いてしまって、はたして大丈夫なんだろうか?
哀願するのを無視してあそこのでっぱりを舌先で弾き続けると、おしりのあながひくひくと動
いて、アニタは首を左右に振った。
舌先でもわかるくらい硬くなっているそこを刺激すると、彼女が声を上げることがわかったの
で、執拗にそこだけを舌の先で刺激する。
舌先で弾くくらい強く……、弾いて……、弾いて……、弾いて……。
ときおり、その周囲にまるく円をえがくようにする。
するとアニタの腰が、ぶるぶる震えながら持ち上がった。
そのおしりを両手で下からささえて、おれはいよいよ冷静にアニタのそこを刺激する。
あごのあたりは、あそこから出たぬるぬるで一杯で――。
おれは両手でそこをひろげて、そのでっぱりに鼻の先があたるように、ゆっくりと下から上に
舐めあげた。
彼女の腰が、びくりと跳ねる。
……そのぬるぬるは透明で、かすかにあまい。
だからおれは、その凄くきれいなピンク色のそこを、何度も……何度も舐めあげた。
するとがくがくと腰が震えて、アニタは声を上げた――。
――やッ…… あッ あッ あー―ッ なっ ちゃうー―ッ なっちゃうよおー―ッ。
おかしくー―ッ なっ ちゃうー―ッ。
下から上に、下から上に、下から上に、下から上に、下から上に、下から上に、下から上
に、下から上に、下から上に、下から上に、下から上に、下から上に、下から上に……。
……泣き声が、止まらない。
――お 岡原あ…… あー―ッ あー―ッ。
い いいよ…… あッ もう……。
あー―ッ あー―ッ お願い だからぁ……。
あー―ッ あー―ッ そっ…… そこにぃ。
あー―ッ あたしの そこ にッ いれてよー―ッ…… いれてー―ッ……。
その言葉を聞いて、おれの心臓はとまる――。
……なんだか恐くなった。
きっと――きっと、夢をみているのだ。
放課後という事もあり、もう野次馬はいなくなり始めた。
もはやクラスの風物詩になったこいつとの勝負だが。
……やっぱり止めておけばよかったかな?
それにしても、冗談がキツ過ぎる――。
100mを走った後に、踏み切りで幅を跳びながら砲丸を投げて、110mのハードルと高跳
びのバーを跳んだあとに、400mの助走をつけて円盤をほうって、棒を使って高を跳びしたあ
とに、その棒を槍の如く投げて1500m走ってゴールする――。
……汗が目に入り、前がよく見えない。
負け惜しみでなく、今日は体調が悪かった……。
だけどそんなこと、いまさら格好悪くて言えない。
……とにかくせめてゴールまでは走ろう。
アニタのやつは、もう走り終えて屈伸を始めている。
……終わった。
歓声のない、淋しいゴール。
いや、それどころかまばらな怒声すら聞こえてくる。
……くそ、なんとでも言え!
この勝負は西園の馬鹿が胴元になって、公然と賭けが行われている。
……楽しいクラスだよな、本当に。
息が、きれる――。
おれが下を向き、手をひざについて喘いでいると、後ろからアニタのやつが声をかけてきた。
「どうしたのよ、体調でも悪いの?……まあ、アンタいつも遅いけどね」
……バレたかな?
カンの鋭いやつだ。
だけど、こいつには心配されたくないな。
……あれ、
目がまわる――。
「ちょっと!どうし た アン タ 大 丈夫? いま保 健 室に」
……早く。
早く部活に行かなくちゃ――。
あいつの顔が、みょうに近くにあった。
――うん。
悪くない……。
こういうのも、悪くないな。
あいつに肩を抱かれながらおれはそう考えた――。
ストーブの上で薬缶がしゅんしゅんと音をたてている。
保健室はみょうに明るくて、なんだか寒い。
ベッドの端にほおづえをついて、わたしは岡原に言った。
「校医の先生、風邪だって言ってた。……そんなんで、なんであたしと勝負なんかするの
よ!馬鹿みたい!……試合、近いんでしょ?」
「……関係ないだろ、お前には」
「あー―!ムカつく、こいつ……心配して損しちゃった。それじゃ、わたしもう行くね。図書
室、開けなくちゃいけないから」
「……なあ、菱石のやつどうしてるんだよ……もう一週間も学校に出てこないじゃねえか」
わたしはふり向いて岡原に言った。
「執筆で忙しいんだって、そう言ってたよ。……仕方ないじゃん」
「お前等、……会ってないのかよ?」
「だから仕方ないじゃない!悪いでしょ、邪魔しちゃ!アンタこそどうなのよ。……好きなん
でしょ?久ちゃんのこと」
興奮して聞きたくもないことをつい聞いてしまう――。
胸がどきどきして、……わたしはたぶん真っ赤な顔をしているに違いない。
「…………関係ないだろ、お前には」
「そうだね、……そうだよね。関係ないよね、わたしには――」
くちびるが震える。
……胸のどきどきが止まらない。
なんだか腹がたったから、わたしは岡原に顔を近づけて訊いた。
「アンタ、……なんでわたしにちょっかい出してくるのよ!」
「…………お前はなんでかわいくねえんだよ」
岡原は熱で真っ赤な顔をしていて、……わたしのくちびるをじっと見つめる。
だからわたしも岡原のくちびるを見つめた。
「アンタ、……わたしのこと、嫌いなんでしょ?」
「ああ、……大嫌いだ」
わたしと岡原の額がこつんと当たる。
……岡原の額は熱かった。
だからきっと――。
……きっと、どきどきしてる心臓の音が、バレてしまったに違いない。
「…………………………………………」
目をつむり、わたしたちはキスをする――。
長くてみじかい時間が過ぎ去り、わたしのくちびるが岡原のくちを離れると、よだれが糸をひ
いてシーツに落ちた。
トレーナーの袖でくちをぬぐって、岡原は困ったような顔をする。
身体をおこすと、ベッドがぎしりと音をたてた。
「…………なんで?どうしてお前――」
わたしはなにも言わずに保健室を後にする。
廊下に出ると、風で窓ガラスがかたかたと鳴った。
……胸のどきどきは、まだ止まらない。
……あつい。
うだるようにあつい――。
冬の十二月がなぜあついのかといえば。
それはつまりわたしがおフロに浸かって、……いや沈んでいるからで――。
ということは、それはつまり暑いのではなく、熱いということで。
……お湯に沈んだまま、ゆらゆらゆれる天井を見て意味もなく笑ってみる。
意味もなく怒ってみる。
あー―と叫んでみる。
ゆらゆらと、あぶくが上に昇っていった。
……なんの意味もない。
ばしゃり。ぷはー―……、ふー―……。
湯ぶねから勢いよく顔を出す。
……どうしよう。
キスしちゃった――。
どんな顔をして、明日からあいつに会えばいいんだろう。
……顔がみるみる赤くなるのがわかる。
くちびるに触れてみる。
舌で指先をなめてみる。
……えっちな気分になる。
「……ふぅッ」
両方の手のひらで、乳首をころがすようにする。
すると乳首がかたくなって……とてもきもちがいい。
せなかにぞくぞくと、……ぞくぞくとでんきがはしる。
おかはらのかおをおもいうかべながら、ちくびをこすったり、……つまんだりする。
…………とてもきもちがいい。
ひだりてのゆびさきでちくびをまるくなぞりながら、みぎてのなかゆびとひとさしゆびで、あそこ
のうえのほうの、でっぱって……、
でっぱって、いるところを――。
――あッ あッ あー―ッ…… んッ あッ あー―ッ……
……でっぱっているところを、ゆびさきで、……ゆびさきでなでながら、もうかたほうのてで、
そのでっぱりの、ねもとのあたりをにほんのゆびで、つまむ……。
すると……ふともものうちがわがぶるぶるふるえて、
ぶるぶるして……、ぶるぶるして……、とても……とてもきもちがいい。
――はッ はぁ ふぁー―ッ…… あッ あー―ッ あー―ッ……
わたしのこしはすいめんからうきあがり、ゆぶねからつきだされる……。
すいめんが、なみのようにちくびのあたりをいったりきたりして、……とてもきもちがいい。
こしをつきだしているので、わたしのあそこは、ぴちゃぴちゃといういやらしいおとをたてる。
あそこの、でっぱって……いるところを、……なでながら、なかゆびを、なかゆびを、……な
かゆびをだしたり、いれたり……、だしたり、いれたり……、だしたり、いれたり……、だし、た
り……いれ……たり……いれ……たり……いれ…………たり……。
――こッ こわい…… よおッ いッ いつもなら も もうッ とッ とっくにッ
とッ とっくに ふわあ……って ふわあって なるの に っ……
ひッ ひあうぅぅッ あッ…… ひッ ひッ ひあ……ッ あッ あッ
あっ あそこ とっ…… とけちゃううっ いいッ…… いいッ…… いいッ……
あー―ッ…… あー―ッ…… こわれるぅ…… わッ わたし こわれちゃううっ
あああッあッ あッ あッ…… あー―……ッ あ……ッ はぁ はぁ はぁ……
はぁ、はぁ、はぁ……はぁ。
イっちゃった……。
わたしはぬるぬると糸をひく指先を見つめる。
……いけない。
もう上がらなきゃ。
……わたし最近こんなことばっかりしてる。
したあとで、いつもすごくいやな気持ちになるのに。
湯ぶねからでて、シャワーを使う。
「……ひあッ」
あそこを存分に広げてシャワーを当てると、背中に電気がはしる。
気持ちいいよう――。
……だけどもう止めなきゃ。
もう上がらなきゃ、明日の朝起きられないよ……。
わたしはよろよろとおフロ場のイスから立ち上がる。
……鏡を見るのが、なんだかとても恥かしい。
のばした髪が、もう肩までのびた。
……わたしはこれからどうなって行くんだろう?
ボタンを留めながら、あのメガネ女のことを思い出す。
あの女を、ねね姉は五年間待った。
……強いな。
だけど、ねね姉は幸せなんだろうか?
あの女がこの家に泊まりに来たことがある――。
そのときあいつは夜中に大声をだして泣いた。
びっくりしてねね姉のところに行くと、あいつはねね姉のひざに縋って、昔の恋人の名前を呼
びながら泣いていた。
……誰かを好きになるという事は、良い事ばかりではないらしい。
だけど、そのときあいつの頭をなでながら、わたしたちに向かって『何でもないのよ』と言った
ねね姉は、まるで……まるであのとき教会で見た――……。
おフロ場の戸をからりと開けて、タオルで頭をごしごし拭きながら居間に入ると、ねね姉が
付箋をはさんだ本をコタツに積み上げて調べものをしている。
冷蔵庫から『ハッピー牛乳』を取りだして飲んだ。
時計を見ると、もう午前一時を回っている。
「……まだやるの?」
「ああ、うん。……年末進行だからねー―」
「ねね姉、あのさ……」
「んー―?……なによ」
「……いや、やっぱいいよ。……それじゃ、がんばってね」
「おう、あんたもほどほどにね」
「うん、おやすみ……」
部屋に入り、みー姉の寝言を聞きながら仕切りのカーテンをくぐると、うつ伏せにベッドの上
に倒れこむ。
「…………どういう意味だよ」
ひんやりとした掛け布団の感触を、気持ちいいと感じながらわたしはつぶやいた。
あれから三日、岡原は学校を休んでいる。
……明日からはもう冬休みだ。
聞けば、あいつは小学校のころから学校を休んだことがないらしい。
ということは、つまり……きっと、わたしのせいだ。
……ひとつ気がついた事がある。
それは授業中に、わたしがあいつのことばかり見ていたという事だ。
わたしがあいつを見ていると、そのうちあいつもわたしを見つめて、ふん、と言って目をそらし
たり、……あかんべえをしたりする。
今日も岡原は居ない。
わたしはあいつの机を見つめる。
わたしたちがおかしくなってしまったのは、……たぶん、久ちゃんが居ないからだ。
わたしたちの間には、いつも久ちゃんが居た。
だけど久ちゃんが居なくなってから、わたしたちはお互いを見るようになった。
だからわたしたちはおかしくなってしまったんだろう。
今日も久ちゃんは居ない――。
岡原も居ない――。
明日からはもう冬休みだ――。
わたしは岡原の机を見つめる……。
けほ、けほ、けほ。
頭が痛い――。
わたしは咳をして鼻をすする。
どうやら風邪をひいたらしい……。
「雪……降ってきたね。まー姉」
「38度7分……本当に大丈夫か?……アニタ」
「うん、薬飲んだし……大丈夫。だから行ってきなって。せっかくのクリスマスパーティーなんだ
しさ……。そりゃ、久ちゃんのスピーチは聞きたいけどさ……仕方がないよ」
ドアががちゃりと開いてねね姉とみー姉が顔を出す。
「そろそろ行くわよ、マギー。今日は中華で立食だってさ。……残念ね、アニタ」
「……つめた」
「……お料理をいっぱいもらって来るわね。アニタちゃん」
わたしの頭に氷嚢を当てながら、みー姉は言った。
「いいよ……食欲ないし」
「ありゃー重症だね……大丈夫かね、こりゃ」
「大丈夫だって!……わたしおとなしく寝てるし、心配いらないから」
「……じゃなるべく早く帰るから、しっかり寝てなさいよ!」
「……安静にしてるんだぞ……」
手をひらひらと振りながら、わたしは無理に、にししと笑う。
みんなが部屋を出ていくと、わたしは倒れるように横になった。
……あ〜〜〜〜しんど。
「……足を引っ張りたくないもんね。……せっかくみんな楽しみにしてたんだから……」
窓のそとには雪が降る。
水銀灯の灯りは、その雪を通して青白い光の輪のように見えた。
……鉛色の空からあのきれいな雪が降ってくるのは、どう考えても妙だ。
……少し眠ろう。
眠ればきっと元気になる。
「……わたしは眠る」
目を閉じて、わたしは眠る。
明日は心からお祈りができますように……――。
部屋の床に横臥して、テレビをつけるとクリスマスだった。
全くどこをつけても、非のうちどころがないクリスマスで……。
おれは背中に手を回して尻をかいた。
「……奇跡なんて、どこで起こってるんだよ」
『……徹〜〜っ!電話〜〜!久ちゃんからだよ!……徹〜〜っ!』
「!?」
おれはむくリと起き上がり、電話のほうに向かって走る。
「……そう、偉いわね〜〜。でもたまには学校のほうにも出てきなさいよ。ウチの徹が寂しが
ってるから。……そうね……また昔みたいに家に遊びにいらっしゃいな――」
「母ちゃん余計なこというなよ!……早くよこせよ!早く!……もしもし、菱石か?――」
――わたしはいま教会にいる。
わかっている。
これは夢だ――。
夢を見ているのだ――。
夢なのに教会の中はとても寒くて。
耳や爪先がじんじんと痛む。
はあはあと白い息を吐いて、わたしは両手をあたためた。
……今夜はとても眠れないだろう。
いや、眠ってしまったら凍えて二度と目が覚めないんじゃないだろうか?
焚き火がひとりでに消えてゆくさまを連想して、なんだか恐くなった。
……あのとき、『将来』と盗賊は言った。
『将来』――。
わたしの『将来』。
……あの盗賊はもう戻らない。
「将来なんて、……ないよ」
マリア像を見上げて、わたしはつぶやく。
すると、まるでわたしの言葉を悲しむかのように、マリア像は灯をさえぎり影となった。
……ほんとうは知っている。
世界は――。
世界はそういうふうにはできていない。
逢いたいひとに逢えるように、……世界はできていない。
里親の家にあった本箱――そのガラス扉に映ったじぶんの姿。
その姿を友達だと考えて、いままで生きてきたのだ。
『……ケティ、ケティ、あなた今日は元気ないわね』
『あらアニタ、そんなことはないわ……』
……馬鹿馬鹿しい!
本当にお笑い種だ!
……いっそ世界中に、わたししかいなければいいのに。
そうすれば、……諦めもつくのに。
涙がつう、と頬をつたって。
ぽたりぽたりと足元におちた。
神さまなんか居ない。
神さまなんか居ない。
わたしは一人ぼっちだ――。
……夢なのに。
夢だと知っているのに。
声をあげて。
わたしは泣いた――。
わたしが泣いた――。
暗い部屋で、わたしは目を覚ます。
雪が降っているので、戸外は妙に明るい――。
けほ、けほ、けほ。
う〜〜〜〜…………。
…………頭痛い。
しかしだいぶ楽になった――。
「薬が効いたのかな……?」
……ひさしぶりにあのころの夢をみた。
こんな時は、決まってこの夢を見る。
……わたしはこの夢が大嫌いだ。
わたしは結局、誰にも必要とされていないのかもしれない。
誰も信じていないのかもしれない――。
……そう思って自己嫌悪に陥るから。
けほん、けほん。
……ほんとうは神さまなんか、居ない。
だけどあのとき、奇跡は起きた――。
窓のそとでこん、こん、と音がする。
窓のほうを見ると、ウーさんが『窓を開けろ』と言っている。
わたしはひとつため息をついて立ち上がり、からりと窓を開ける。
う〜〜さむ……。
「どうしたの、ウーさん。……寒いの?」
ウーさんは足元から羽ばたいてベランダの手すりに止まり、つい、と首を振った。
……だから寒いって言うのに。
どてらを羽織って外にでる。
「何よ、……誰かいるの?」
真綿のような雪は、ただ音もなくしんしんと降る。
わたしはベランダの手すりから身体を乗りだして下を見た――。
はあはあと白い息を吐いて、おれは両手をあたためる。
……顔が圧迫されるような寒さだ。
部屋の電気が消えているのだから、あいつはきっと寝ているのだろう。
ならば病人を起こすことはない。
ポストにこれを投込んで早く帰ろう。
それに、……逢ってなにを話せばいいんだよ――。
おれはくしゃみをして鼻をすすり、傘に積もった雪を払う。
保健室では本当に驚いた。
……はたしてあれは本当のことなんだろうか?
初めてのキスがあいつとだなんて、考えてもみなかった。
いつも笑ってるか怒ってるかのどちらかなのに、あのときあいつは泣きそうな顔をしていて、お
れは、……「ああこいつ、こんな顔もするんだ」って――。
最近自分の気持ちが分からない――。
あいつは男みたいで、生意気で可愛げがなくて……おれは大嫌いだった。
なのに、最近あいつのことばかり考えてる。
……おれはいったい誰が好きだったんだろうか?
「そこで何してるのよ。アンタ……」
驚いて上を見ると、そこにアニタがいる――。
「……よ、よう」
「よう、じゃないでしょ!アンタ、また風邪ひいたらどうするのよ。……ほんとに馬鹿みたい!」
「元気そうだな。……すこし安心したよ」
「元気なワケないでしょ!なに言ってんのよ!……何しに来たのよ」
「いや、また来るよ。……それじゃあな!」
「こら、逃げるな!……上がっていきなさいよ!」
「お、大声を出すなよ。馬鹿!……わかったよ、わかったから!」
「よろしい!……いま開けるからはやく来なさいよ。一六〇二号室だからね!」
――呼び鈴を押すと、向こうで人の気配がする。
だからおれは深呼吸をして、このドアが開くのを待つ。
がちゃり――。
「いらっしゃい……上がりなさいよ」
アニタはなんだか熱っぽい顔をしていて、かるく咳をした。
おれは何も言わずに頭やダッフルの雪を払うと、クツを脱いで家に上がりこんだ。
「……すげえな」
居間の本を見て、おれは驚嘆する。
……図書館だな、まるで。
「な、なんか飲む?いまコーヒーでも淹れるからさ……」
「いいって……病人が気を使うなよ。すぐ帰るからさ、……それよりこっちに来いよ」
ダッフルのポケットから封筒を取りだしてアニタに渡す――。
アニタがその封筒を開けると、そこには一枚のCDが入っている。
「……『Little trouble in small forest』。……小さな森の、小さな出来事……?」
「本当はパーティ会場でお前に渡すつもりだったらしい。……プレゼントだ、菱石から。……
最初にお前に読んで欲しかったんだとさ。……あとであいつに感想を聞かせてやってくれ」
アニタはうつむいて、封筒ごとそれを抱きしめた。
「うん……うん、ありがとう。……だけど、どうしてアンタなのよ?」
「ああ、西園の馬鹿が姉妹で会場に来たんだってさ……あいつ、最近なんかの賞をとっただ
ろ?それで西園のやつが、おれとお前がケンカしてるって菱石に言ったらしくて……仲直りし
ろって、菱石がさ――」
「……あいつうう!」
「だけど西園のやつ、いったいどんな話を書くんだろうな。……たぶん俗受けのする、下らな
い話なんだろうな、きっと」
「……アンタには言われたくないと思うよ」
「ひでえな」
「だって、ねね姉の『君僕』読んで『ありきたりのクサイ話だ』なんて言うやつは、なにを読んで
も一緒だと思うもん」
「ああ、まえにお前が貸してくれたやつか……。『君が僕を知ってる』だったっけ?いい話だよ
な、あれ……。おれ感動して、すげー泣いたもん」
「何それ……言ってることがぜんぜん違うじゃん」
「いや、なんだか照れくさくってさ……そういや、そのときお前に殴られたんだよな、おれ。…
…何だよ、その顔は」
「や、やっぱりなにか飲む?……そうだ!おフロに入っていきなよ。そと寒かったでしょ?用意
してあるみたいだからさ」
「いいって、病人が気を使うなよ。じゃ、そろそろ帰るな。……はやく治せよ!」
玄関で長靴をはき、そとに出る。
だけど、あいつはおれのそでに縋り付いてきて――。
「手……つめたいよ……」
おれの手をにぎりしめてアニタは言った。
びっくりしてふり返ると、あいつはいまにも泣きそうな顔をしていて――。
「……もう少しだけ居てよ。……いま帰られたらあたし……ねえ、理由はどうあれ心配して
来てくれたんでしょ?……だったらわたしのために、もう少しだけそばに居てよ」
涙があいつの頬をつたって。
ぽたりぽたりと足元におちた。
――……ねえ、いいでしょう?……岡原あ……。
ただまっすぐに、おれを見つめて。
……おれだけを見つめて。
アニタは泣いた――。
アニタが泣いた――。
ぱしゃ。
ふうー―…………。
……妙なことになったな。
だいたい何なんだよ、このバスルーム!
おれの部屋より広いじゃねえか。
ブルジョワジー許すまじ!
…………ふうー―……。
何なんだよ、あいつ。
なんで泣くんだよ……。
あいつ、あんなに泣き虫だったっけ?
……ああそうか、……そうだよ。
思い出した――。
あいつが香港に帰るときに、おれが菱石のやつを公園から連れて来たんだ。
そしたらあいつ等、お互いに抱き合って声を上げて泣いてたっけ。
……泣き虫だよな、あいつも。
あいつ――。
――……あいつ、あんなに可愛かったかな?
……あー―いかんいかん。
だめだ!
おれは拳骨を自分の頭に振り下ろす。
……何やってるんだよ、おれ。
もう上がろう――。
ざぶりと湯ぶねから立ち上がり、フロ場の戸をからりと開けて、そこに用意してあるバスタオ
ルを使いながら、おれは鏡を睨みつける。
何もない!
何事も起きない!
あいさつをして、早く帰る!
……この状況は明らかに危険なんだ。
おれが自分をしっかりと持たないといけない。
洗面台でざぶざぶと顔を洗ってから携帯を見る。
着信ナシ――。
時刻はもう、午後九時を回った――。
階段を上がって、おれは咳ばらいをする。
こん、こん――。
……返事がない。
「おい、入るぞ……」
がちゃり――。
……アニタの部屋はみょうに暗くて、なんだか寒い。
「おい、……居ないのかよ?」
返事がないので仕切りのカーテンをしゃっと開けると、部屋のなかを雪明かりが照らした。
……ふり向くと、おれの心臓は止まる――。
「馬鹿!……な、何してんだよ!」
風邪をひいているのに、アニタのやつはなにも着ていなくて……。
薄明に照らされて、あいつの身体はなんだかとても青白く見えた。
「……来てくれたんだね。もしかしたら、そのまま……帰っちゃうんじゃないかって、思ったん
だ。……だから、いますごくどきどきしてるの……ね?聞こえるでしょ」
アニタはおれの手をにぎり、自分の胸におし当てた。
目をそらして窓のそとを見ると、そこには一羽の鳩が止まっている――。
「……止めろよ!……止めてくれよ!」
くちびるが、震える――。
「なんでだよ!……なんでこんな事するんだよ!」
あいつの胸はとても熱くて、……なんだかすごくどきどきしていて――。
「か、考えたんだけどさ……もう、こんな事ないと思うんだよね……だから……だからさ」
――だから、岡原。……わたしをいま、……ここで、抱いてよ……。
≪つづく≫